第75回:ある秋の日に──信州への旅(渡辺一枝)

長野へ

 今年は残暑が長かったし、10月末でも気温が「夏日」と呼ばれるような日もあった。それが急にストンと気温が下がって、秋を思う心の準備もできないまま晩秋になった。そんなある一日、信州へ行ってきた。物見遊山ではなく、来春の催しについての打ち合わせだった。
 長野市の善光寺門前に在る図書館・古本&ギャラリー「マゼコゼ」の代表、小池雅久さんが企画した、来年2月からの「渡辺一枝とたぁくらたぁな仲間たち展」という催しだ。小池さんがどんなことをイメージして企画したのか皆目分からなかったが、美術家である小池さんの発信する言葉にも作品にも、私はいつも共感を抱き、大きな気づきを得たりしてきているので、どんなことかよく分からないけれどきっと面白いものになりそうだと思い、タイトルを聞いて即、受けた。
 私が何をすれば良いのか、何を求められているのか、小池さんとイメージを共有しておきたかった。それに小池さんが妻の常子さんとやっている「マゼコゼ」は、昨年改装したのでその様子も見たかった。折よくギャラリーでは四辻藍美さんの「アイヌ刺繍展」開催中でもある。藍美さんの刺繍が好きで、これまでの「マゼコゼ」での刺繍展も何度か観てきているので、今回の刺繍展も楽しみな長野行きだった。

アトレ恵比寿の有隣堂で

 乗った北陸新幹線の車両は始発の東京駅からほぼ満席で、窓際の席に座った私の隣席も小さなスーツケースを持った男性が座り、前後の空席だったシートも上野駅で全て埋まった。
 私はコーヒーを飲みながら持参した文庫本を開いた。旅に出る時にはいつも持参する赤いマイカップに、これもまたいつも、東京駅の新幹線改札脇に店構えしている「猿田彦珈琲」で「アメリカンをロングサイズで」と注文して淹れてもらうコーヒーだ。開いた本は、つい2日前に定期検診のために通った病院への途中、アトレ恵比寿の有隣堂で買った幸田文さんの『包む』。恵比寿駅は、若かった日に2年通わず1年半で中退してしまった大学への最寄駅だから、懐かしさもあり、病院からの帰りには駅構内のあちらこちらと、つい寄り歩いてしまう。
 有隣堂は本の他に小物雑貨が店頭に並べてあり、その折々で何かしらテーマのある小物類が並ぶので、それらを見るのも楽しみなのだ。今回はアジアの刺繍小物や手作りバッグなどが陳列され、ラオスのモン族の刺繍ポーチも置いてあったので柄違いの3枚を求めた。
 以前から私はモン族の刺繍が好きで、私の部屋にも大きな布に刺した刺繍絵が飾ってある。自分たちの暮らしの様子、畑仕事や家の中の台所仕事、家畜などの動物、蝶や鳥、草木や花などを、素朴な図柄で丁寧に刺してある。モン族の刺繍からは、精霊への尊敬や家族の幸せと健康を願う祈りが感じられるのだ。それらの小物の間に幸田さんのこの本がさりげなく置かれていた。若い頃から幸田さんの文章がとても好きで多くを読んできたのだが、ここに幸田さんの本が、わけても『包む』があったことがとても、とても嬉しかった。モン族の刺繍などアジアの人たちの手作り品の並ぶ中に、『包む』を平積みした有隣堂書店員の慧眼を思い、「この本屋さん、好きだなぁ」と思う私だった。

「あの煙、なんでしょう?」

 話がつい逸れてしまった。この日は冴え冴えとした青い空に雲ひとつなく、晩秋の信州へ向かうにはいかにも最適と思える上天気だった。『包む』を開き、「酒飲みの父が亡くなってから、お酒のことを年々余計に思うようになった」、そんな書き出しで始まる幸田さんの文章を読みながら、酒好きの友の顔を思い浮かべていた。幸田さんの父親である露伴さんには「少し白濁している初搾りの新酒は、盃へ紅梅をうかせて飲む慣わしがあった」と書かれているのを読んで、かの人も状況が今と違えばそんなふうに風雅にお酒を楽しむ人だったかしらなどと思い、ふと窓の外に目をやった。
 すると、さっきまで雲ひとつない快晴と思っていた空の随分と低い辺りに白い雲らしきものがたなびいているのが見えた。雲は向こうの小高い山の裾を隠すように広がっていた。たどっていくと、途中に建物や何やらがあってよく見定められないながら、どこかから猛烈に煙が上がっていて、それが風に流れて雲のように広がっているのだった。時々障害物があって煙の元は見えなくなるが、かなりの勢いで火が燃えているようだった。あそこで何か大変なことが起きているのではないかと案じられ、家に電話をして何か事件が起きたニュースでも報じられていないか聞こうと思ったが、場所が特定できないのに、そんなことを聞いてもわかるまいと思い、ただハラハラしながら煙を見ていた。
 煙に気付いてから3分ほども目が離せずにいたのだが、思い切って隣席の男性に声をかけた。「あの煙、なんでしょう? さっきからずっと燃え続けているのです」
 その人は携帯から目を離して窓の外を眺め「なんでしょうね。勢いがすごいですが、なんでしょうね。わからないですね」と答えた。私は突然声をかけた失礼を詫びながら、答えてくれたことに礼を言った。いっときしてその人は思い出したようにもう一度外を見て「煙が白いですね。野焼きかもしれませんね」と言って、また携帯に目を戻した。私もまた礼を言ったが、線路がカーブして煙の元は見えなくなった。
 幸田さんの本から目をあげると列車は軽井沢を過ぎて、刈田の跡での小さな焚き火が見えた。真白い煙が一筋上がっていた。「ああ、やっぱりさっきの煙は野焼きだった」と思ったが、隣の人にはそうとは告げずに胸に畳んだ。そうなのだ。建物とか何か他のものが燃えているなら、あんなに白い煙ではなく黒煙が上がるはずなのだと、刈田の白煙を見て思い至った。
 後日、この日のことをFacebookに投稿したら数人の方からコメントが返った。今の季節はそこここから野焼きの煙が上がるのが見えることや、野焼きの匂いを懐かしむ言葉、以前は野焼きをよく見たが、最近は煙害が問題で見られなくなってきたことなどが書かれていた。それらのコメントからは、この季節の風物詩として野焼きは当たり前の風景であることが知れる。常日頃から私は、自嘲気味に「世間知らず」だと自分を評しているが、「あぁ、やっぱり私は世間知らずなんだなぁ」と改めて思ったことだった。みんなが当たり前に知っていることを、私は知らずにいることが多い。

黄金色の三角

 煙の場所を通り過ぎた後、窓外の景色を見ながら、ちょうど1ヶ月前にも北陸新幹線に乗って窓から外を眺めていたことを思い出した。電通研(東京電力福島第一原発事故に関わる電通の世論操作を研究する会)の合宿で峰の原高原へ行くために長野県の上田に向かっていたのだった。あの時はまだ、山々は秋色よりも緑が勝っていた。ひと月経った今は鮮やかな色ではないけれど、樹々の秋色の葉が深い緑とグラデーションに山肌を覆い、こんな色合いでセーターを編んだら暖かいだろうなと眺めた。
 季節が変わったことを思いながら眺めていたら、低い山並みが続く中に一ヶ所、目も覚めるような黄金色の三角形が見えて目を凝らした。金色に輝く三角形の後ろには赤い屋根があって、山の中の一軒家と庭木のイチョウだと知れた。
 イチョウは、自然木としては山中に自生しない。中国原産の落葉高木で神社や寺院に植えられたことから、今は街路樹としてもよく見かける。きっと、この時目にした赤い屋根の家は民家ではなく、神社か寺院なのだろう。暖色系ではあるが沈んだ色調の晩秋の山の中にあって、たった1本のイチョウが金色に輝いて、そこから光が放たれているようにも思えた。この風景から、唐土の国から渡来したイチョウが神社や寺院に植えられた理由に納得がいくのだった。

善光寺山門前で

 長野駅で隣席の人は降りる支度をしてトランクを棚から下ろし、私も軽く会釈をして席を立った。多くの乗客がここで降りた。ホームに降りると私はいつもの急ぎ足で、先に降りた人たちを抜いて階段を上がり改札口を出て、目的地に向かった。「マゼコゼ」は善光寺の手前に在るが、そこへ行く前にどこかでお昼を食べて行こうと、店を物色しながら行った。ここは長野で新蕎麦の季節だから蕎麦しかない、と思うもののたくさんある蕎麦屋で、もしハズレの店に入ってしまったら、それほど侘しいことはないとも思い、迷いながら結局はトイーゴというショッピングモールの中の、寒天を使った料理の店「かんてんぱぱcafé」に入った。トイーゴの外の広場での産直市場に目を引かれたのと、ずっと以前に「かんてんぱぱ」の店で食べたランチが美味しかったことを思い出したからだ。
 食事を終えて店を出て、広場の産直売り場では「家が地元にあればなぁ」と思いながら野菜やりんご、柿の売り場を見て過ぎた。「マゼコゼ」は善光寺の表参道を山門の手前で左に折れて2本先を右に行ったところ、と思い込んで歩いた。ところが目指したところには、目的地が見当たらない。もう一度善光寺の表参道に戻って参道を下っていた時に、前方から来る人と、ふと目があった。「あれ? 新幹線の隣席にいた人?」と一瞬思ったが、向こうから来る人はスーツケースを引いていないし手ぶらだったから人違いだったのだろうと思い直した。が、その人もすれ違う時にしっかりとこちらの目を見て、一瞬「おや」というような表情を見せた。行き過ぎてから「車内では失礼しました」と声をかければ良かったかなと思い、いやいや人違いだったら失礼だし変に思われるだろうと再び思い直したのだった。
 引き返して歩いたが「マゼコゼ」に行き当たらず、どうやら迷ってしまったようだった。小池さんに電話しようと思ったら、スマホに電話番号の登録が無かったので、電話が欲しいとメッセージを送った。即電話がかかってきて、私が今いる場所を説明し小池さんがこちらに向かってくれて途中で会うことができ、無事に新装なった「マゼコゼ」に着いた。

四辻藍美さんのアイヌ刺繍

 改装された「マゼコゼ」は1階のブックカフェ部分が広くなりロケットストーブが暖かく燃えていた。小池さんが「良かったら先に四辻さんの刺繍を見てきてください」と言ってくれたので、嬉しくそうさせてもらった。2階ギャラリーも白壁にしたと聞いていたので、白い壁に藍美さんの刺繍がどんなふうに展示されているのか楽しみだった。刺繍の施された藍色のアイヌ衣装を見上げながら、階段を上がった。
 アイヌの人たちは山や川、草木や動物には神「カムイ」が宿ると考え、また、自然界ばかりでなく人間が作った道具にもカムイが宿ると考える。だからそうした大切な道具に悪い神が入り込まないように、彫刻や刺繍で魔除けの紋様をつけた。緩やかな渦巻きを表す「モレウ」や「アイウシ」と呼ばれる棘状の紋様、目を表す「シク」や「ラムラム」という鱗状の紋様などだ。肉や毛皮を手に入れるために動物を屠った時や道具が壊れた時などには、カムイを神々の世界に返す「送り」の儀礼を行う。
 「マゼコゼ」での藍美さんのアイヌ刺繍展は今回で14回目になるそうだが、私はこれまでに2度観ていて、今回は3度目だ。アイヌ刺繍はチェーンステッチで刺していくが、藍美さんの作品からは、いつもそのひと針ひと針に込められた思いが真っ直ぐに響いてきて心打たれる。それで小さな作品を求めて飾っている。今回もインドの西の方に住むワルリー族の描いた2匹の小動物の絵を、緋色の古布に白糸で刺繍した小さな作品を求めた。緋色の古布はその色よりも鮮やかな猩々緋色の布で裏打ちされ、2枚の布は表地の色に霞む色糸でぐし縫いしてある。その糸目はちょうどアイヌ刺繍でいう「道」のように筋立っていて、インドの部族の文様を刺してありながら、そこにはアイヌ刺繍の伝統がしかと活きている。「藍美さん、さすがだなぁ」と、改めて思った。これに合う額を探して飾るのが楽しみだ。
 今年の新作は「雪の情景」というタイトルで、2枚の白い布を継ぎ合わせた大きな布に雲や舞い落ちてくる雪、雪原の藪や草などを白糸で刺し表し、空を飛ぶ鳥の群れを薄水色の糸で刺してあった。そして布の下部の大地の上を菜種色の糸で刺した動物が3頭。彼らは西へ向かっているのかそれとも東へか。藍美さんはこの作品を仕上げた少し後で、たまたまTVで視聴したのがチベットを取材した番組だったそうだ。自分が刺繍した動物は、その番組で目にしたチルー(チベットカモシカ)の子連れのメスとそっくりだと気づいて心躍ったと、常子さんに話していたという。実物のチルーの群れには、私もチベットで遭遇したことがあった。他の野生動物よりも目にすることが、ずっと難しい動物だ。オスは長いツノを持つ姿の美しい動物だが、なるほど藍美さんの刺繍の動物にはツノが無く、そう言われてみれば私にも、この「雪の情景」がチベットの雪原に見えてくるのだった。
 他の作品も、どれも素晴らしかった。アイヌの伝統的な図柄を刺繍したアイヌ衣装やトートバッグなどの他に、手漉き紙に刺繍した作品も何点か展示されていた。またアイヌ文化研究者でありアイヌ童画作家だったお父さんの四辻一朗さんの本に描かれた絵を刺繍で起こし額装した作品も何点かあった。大きな蕗の葉陰で戯れるコロボックルが、愛らしかった。

「渡辺一枝とたぁくらたぁな仲間たち展」

 「渡辺一枝とたぁくらたぁな仲間たち展」。ひと月ほど前に小池さんからこのタイトルでイベントをしたいと言われたとき、「なんだかよくわからないけれど面白そう!」と引き受けた。『たぁくらたぁ』は、信州発で発行されている「産直泥つきマガジン」。原発や政治などをテーマにした記事が毎号掲載されていて、私も編集委員を務める他、毎号原稿を寄せている。
 そこまでは良いが、まずは小池さんの企画意図を聞きたかった。「どんなことをするの?」と尋ねると、やっぱりというか案の定というか、小池さんも明確なイメージがあるわけではないようで、けれども互いに「たぁくらたぁって、何なのだ?」ということが共通項としてあるのだった。
 ということは、私がまな板の上の鯉になって、共に生きている「いま」という時代を「考える」、あるいは「思いを巡らす」場を創っていくということかしらと、なんとなくの答えのようなものに思い至った。私が大切に思う「ひと・もの・こと」を、どんな形かで展示する。まな板に上がるのは「たぁくらたぁな仲間たち展」なのだから、もちろん私だけではない。具体的なイメージはまだよく湧いてこないが、方向は見えてきた気がする。
 打ち合わせを終えての決定事項は会期中に2回のトークイベントをやるということ。①「ほんとうの声を届ける〜アートだからこそできる伝承〜」として中筋純さん(「おれたちの伝承館」館長)+小池さん+私でのトーク。これは2月4日(日)14時〜16時。②「語り継ぐ〜大熊から未来へ〜」と題して木村紀夫さん(「大熊未来塾」塾長)+小池さん+私のトークで、3月16日(土)15時〜17時。展覧会は2月1日〜3月17日の会期で開催ということになった。
 何だか「たぁくらたぁ(ばか者、のんき者)」な展覧会になりそうだ。小池さんと何度か打ち合わせを重ねて、おもしろい展覧会にしたいと思う。

『たぁくらたぁ』61号

 先日、その『たぁくらたぁ』の最新号が発行された。私自身が編集委員として関わっているので、こんなことを言うと我田引水と思われそうだが、素晴らしい雑誌だと思う。多くの人の目に触れてほしい。A5判で80ページに満たない小さく薄い雑誌だが、中身が濃い。濃いだけではなく話題が広い。
 巻頭言は武藤類子さんの「汚染水の海洋放出を止めたい」。政府は漁業者との約束を破り、国内外の多くの反対の声を無視し、代替案にも耳を貸さず強引に汚染水を海に流し始めてしまった。私たちは原発事故で核汚染された被害者となったが、そればかりか汚染を拡散する国に住む者として加害者にもされてしまった。悔しい、本当に悔しい。
 目次に続く最初の記事は、広田奈津子さんの「東ティモールへの旅―『僕らは過ちを犯す、大地は知っている』」。ウクライナを、ガザを、ミャンマーを思う人たちに、奈津子さんのこの記事を読んでほしい! 戦闘は遠い世界のことと思っている人たちに、奈津子さん監督の映画『カンタ!ティモール』を観てほしい!
 今号は特集が2つある。最初の特集は「本当のことを知るための情報公開」として、福島原発事故後の行政の情報隠蔽、そしてまた電通の情報操作などに関して伊達市議会議員の島明美さん、本誌編集長の野池元基さん、芸人で記者のおしどりマコさん、石川県でオーガニックドイツパン屋を営む池見藍さん、海渡雄一弁護士が、それぞれ記事を書いている。
 もう一つの特集は「ゲノム食品に目を光らせよう」だ。フリーライターの吉田太郎さんは「ゲノム編集はなぜ推進されるのか?」と問題提起し、小布施町議会議員の竹内淳子さん、生活者ネットワークの長野市議会議員・小林史子さんが、小学校などで無料配布されようとしたゲノム編集トマト苗について書き、日本有機農業研究会の酒井明弘さん、京都府の農業者の矢野めぐみさんが、ゲノム編集食品の問題に迫っている。
 その他の記事、連載記事も見逃せない記事ばかりだ。私は「『自分ごとにする』ということ」と題して、2011年から12年間通い続けながら、今もまだ私の言葉で福島を書けずにいる心情を吐露した。
 表紙は、山口マオさんの雪だるま。裏表紙は小池雅久さんの写真と文、そして森貘郎さんの俳句五首。表紙絵を描いたマオさん装丁の赤色が鮮やかに効いている。【信州発】産直泥つきマガジン「たぁくらたぁ」が、多くの人の手に渡って欲しい。

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。