このところ、日本でも世界でも、どうも嬉しいニュースがない。だからぼくのこのコラムも、暗いことや辛いことを取り上げる回数が増えている。書くほうだって、時には楽しいことや嬉しいことを話題にしたい。
そう思っていたら、うむ、ちょっとホッとしたことがあった。
朝日新聞に「朝日歌壇・俳壇」というページがある。毎週日曜日に掲載されている。ぼくの大好きなページである。11月26日の当欄に、懐かしい歌人の名前を見つけたのだ。思わずカミさんに、
「おお、郷隼人が載っているぞ!」
カミさん、キッチンから飛んできた。ふたりして大喜びしたんだ。
黒人の女性の歌うSUKIYAKIを独房に聴く甘き憂鬱
ラジオよりキュー・サカモトのSUKIYAKIが突然流れ日本を想う
この2首が、紙面できらきらと輝いていた。
朝日歌壇には4人の選者がいるけれど、そのうちの3人が郷隼人の歌を選んでいた。そして選評欄には、
高野公彦氏「4首目、久しぶりの郷さんの作品」、
永田和宏氏「久しぶりの郷隼人さんの投稿が嬉しい」、
馬場あき子氏「第4首はアメリカの刑務所から。久しぶりの投稿に安堵」とあった。
郷隼人さんが、朝日歌壇から姿を消してから、もう何年になるだろうか? それほど長い間、消息不明だったのである。
馬場あき子さんが書いているように、郷さんは、実はアメリカの刑務所に収監されている人だ。どんな罪状(殺人罪とだけは聞いている)なのかぼくは知らない。終身刑ということなので、仮釈放という話も聞かない。でも、刑務所暮らしの中から紡ぎ出される歌の哀愁に、ぼくら夫婦は虜になっていった。郷さんの歌を、毎日曜日の愉しみにするようになったのだった。
それが、ある時期からピタリと投稿が止まってしまった。どうも、別の刑務所に移送されてから周囲の環境が変わり、とても歌を詠む雰囲気ではなくなった…ということだったらしい。
どんな環境なのか、むろんぼくには分からない。アメリカの刑務所の内情など、ぼくには映画で観るくらいの知識しかないし、映画での描写が事実に近いのかどうか、そんなことも知らない。ただ、「歌が詠めなくなった」ということは、そうとう過酷な環境になったのではないかと心配するだけだった。
多分、朝日歌壇の選者たちも、同じような心配をしていたのだろう。だから、「郷隼人、復活」に嬉しい反応をしたのだろう。
その郷隼人さんには、1冊の歌文集がある。『ローンサム・ハヤト』というタイトルで、少し古いけれど2004年4月に幻冬舎から発行されている。
その本の奥付に、こんな「著者紹介」が付記されている。
郷 隼人
鹿児島県出身。若くして渡米。1984年、殺人事件で収監。以後、終身犯として20年、米国の刑務所に服役中。独学で短歌を学び、所内より投稿を続け、96年、朝日歌壇に初入選。2001年11月より、朝日新聞大阪本社版に10回にわたり、「歌人の時間」としてエッセイを連載。
1984年に収監されたわけだから、今年でもう40年近い時間を刑務所内で暮らしていることになる。いくつで収監されたのか知らないけれど、多分、60歳は超えているのではないか。
耐えているのだろう。短歌に心を託すことによって、耐えているのだろう。
この本には、母を詠い、故郷を詠った歌が多い。
ふる里の正月恋しや朝風呂に屠蘇「春の海」雑煮、田作(たづくり)
母親の訃報に囚友の泣き伏せる背に慰めの言葉もあらじ
母恋し離れ離れの二十年「おふくろさん」を心で唱(うた)いぬ
老い母が独力で書きし封筒の歪んだ英字に感極まりぬ
節分の「豆とお守り」検閲をパスせず母へ返送されぬ
一条の陽の光とて逃すまじと顔押しつける朝の獄窓
もし我の獄中人生に「短歌」とうものなきならば暗澹たりしか
母を詠った歌は、たくさん出てくる。読み返していて、なんだか泣けてきた。
そして、母からの手紙についての文章が哀切だ。朝日新聞に連載された「歌人の時間」によれば、父親は度々手紙をくれるが、母親は郷さんが服役中の10年間に、一通の手紙もくれなかったという。それがある日、手紙が届く。
(略)九五年のある日、一通の手紙を受け取った。その封筒には、あまりにみすぼらしい、まるでミミズが這ったあとのような英字で宛名と住所が書かれていた。よくもまあ、迷子のメールにならずに届いたものである。なぜなら、U.S.Aのスペルさえ読み難い震えたような手書きの英文字だったからだ。差出人には日本語で母の名前と住所が記されており、「父さんが先月、脳梗塞で倒れ右半身不随となり入院中です」と書かれていた。
父の書く宛名は常に完璧な美しい英文字だった。その父が倒れ、心細くなった母はどんなことをしてでも長男で一人息子である獄中の自分へ連絡せねばならぬとの一念から、誰の助けも借りずに、独力で僕への宛名を見よう見真似で書いたのだろう。
一度も英字など書いたことがなかったであろう年老いた母がいじらしく、また哀れで、その歪んだ英文字を見つめながら涙が溢れてくるのを禁じえなかった。十年の歳月を経て初めての母の便りに胸がつまりぬ
獄に読む老母の文こそ哀しけれ父の介護に疲れ果てしと
ぼくは最初に「ホッとしたこと」と書いた。確かに、郷さんの歌に再び巡り合えたことは嬉しいし、久しぶりの邂逅にホッとしたことも本音ではあったけれど、郷さんの境遇は何も変わってはいないのだ。
そう思えば、ぼくの郷さんへの感想は、なんだか申し訳ない気もする。
でもともかく、郷さんは無事だったのだ。これからも毎週、日曜日の「朝日歌壇」でお目にかかれることを、切に願う。
生きていさえすれば、歌を詠むこともできる。人の心を洗うこともできる。
ふと、死刑制度のないアメリカの州でよかった、と思う(アメリカは、死刑のある州とない州がある)。
郷隼人さん、生きてすばらしい歌を作り続けてください。
*
『LONESOME隼人 ローンサム・ハヤト』(郷 隼人著/幻冬舎)
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