第660回:「最低最悪の判決」から「最高の判決」に〜いのちのとりで裁判、またまた勝訴!!の巻(雨宮処凛)

 「完全勝訴」

 ニュースで流れたその映像を見た瞬間、思わず「おおお!!」と身震いした。
 11月30日、名古屋高裁で判決が出たのは生活保護引き下げを違法とする裁判。

 第二次安倍政権の2013年から生活保護基準が引き下げられ、それに異を唱えて全国29都道府県で1000人を超える生活保護利用者が原告となり、国を訴えていることはこの連載でも触れてきた通りだ(通称・いのちのとりで裁判)。

 その名古屋高裁の判決がこの日、出たのである。結果は引き下げを不適切と認めるもので、保護費減額の決定を取り消すだけでなく、全国で初めて、国へ賠償を命じるものとなったのだ。

 本当に、まごうことなき完全勝訴である。

 しかも一連の裁判の初めての判決となる名古屋地裁での判決は、「最低最悪」と言われるものだった。それが今回、高裁で皆が「最高の判決」と口を揃えるものとなったのだ。

 翌日の12月1日、名古屋をはじめとする全国の原告団・弁護団が弁護士会館に集結し、「勝訴あいつぐ いのちのとりで裁判 早期全面解決を求める12・1緊急集会」が開催され、私も駆けつけた。

 さっそく名古屋の弁護団から、この判決がどう画期的だったかが解説されたのだが、それを聞いて胸が熱くなった。ただでさえ生活が苦しい人々の保護費が10年前から引き下げられ、「本当に生きていけない」「早く死ねと言われているようだ」という悲鳴が全国から上がっていたわけだが、判決は、そんな声に寄り添うようなものだったからだ。判決文に書かれた「相当の精神的苦痛」という言葉にそれが表れていた。

 さて、この日はこれから地裁判決・高裁判決を控えた原告団・弁護団も多く参加していたのだが、神奈川の原告団の言葉を聞き、喜んでばかりいられないことを突きつけられた。

 神奈川ではこの11月、ともに裁判を闘ってきた原告団の一人が亡くなったのだという。もともと学校の先生だったその女性が生活保護を利用するようになったきっかけは、薬害。それによってB型肝炎を発症し、働けなくなってしまったのだ。そんな生活での唯一の楽しみは「エッセイの会」に通うことだった。しかし、10年前からの保護費引き下げで参加費が払えなくなりそれも行けなくなってしまったということだった。そうしてこの裁判の原告の一人に加わり活動していたものの、B型肝炎からガンとなり、先月、他界してしまったのだという。まだ50代の若さだった。この方の死去により、神奈川の原告団で亡くなった人は10人になったという。

 これから地裁判決を迎える富山の原告も話してくれた。妻が原告だったという男性は、その妻が亡くなったこと、妻の遺志を引き継ぎ、自身も原告となったことを遺影を掲げながら話してくれた。自らもがんと診断され、余命一年半と予告されている。がんは転移し、もう手術はできないと言われているが、日本社会の底が抜けるのを止めるために原告となる決意をしたそうだ。

 いのちのとりで裁判が始まって、もう10年近く。それだけの時間が経つということは、亡くなる人も増えるということを改めて、突きつけられた。

 なぜなら、この国で生活保護を利用する人の55.6%が65歳以上の「高齢者世帯」。ついで多いのは「障害者・傷病者世帯」で24.8%(21年度)。

 生活保護を巡っては、よく「働けるのに怠けている」という誤解がある。が、実に利用者の8割を占めているのが高齢者、病気や障害で働けない人たちなのだ。

 原告の多くも高齢だ。病気や障害がある人も少なくない。だからこそ、弁護団も原告も早期の解決を求めている。具体的には引き下げを取り消し、まずは元の基準に戻すこと。

 そうして世の中を見渡してみれば、生活保護世帯に限らず、庶民の生活は厳しさを増している。

 20ヶ月以上続く物価高騰。本格的な冬を前に灯油値上がりへの不安の声も多く届いている。コロナは5類に移行したとはいえ、コロナ禍での失業や減収が響き、生活を立て直せない層も多くいる。

 だからこそ、このタイミングで都内の食品配布に並ぶ人の数は過去最多となっている。毎週土曜日、都庁前で開催される「もやい」と「新宿ごはんプラス」による配布がまさにそうだ。コロナ前は50〜60人だったのだが、コロナ禍でどんどん行列は増え続け、11月18日には769人、25日には777人と2週連続で過去最多が更新されている。コロナ収束ムードが広がっても、これがこの国の実態である。

 一方、生活保護世帯にとっては10年続く引き下げとコロナ禍、物価高騰という三重苦が続いてきたわけである。また、ここに「毎年過酷になる猛暑」も加えたい。引き下げよりも、緊急の引き上げが必要な事態であることは明白だ。

 「そんなことは不可能」という人もいるだろう。が、過去には年度途中で保護基準が引き上げられた事例がある。1973年から74年にかけての「狂乱物価」と言われた時期、年度の途中だが緊急的に保護基準が引き上げられたのだ。そういう決断ができる時代があったのである。政治が庶民の生活をなんとかしようとしていたのである。今となってはSFみたいな話だが、政治家や官僚が昔は仕事をしていたのだ。

 そんないのちのとりで裁判だが、これまで地裁レベルでは12勝10敗と勝ち越し、22年5月の熊本地裁判決以降は13勝2敗と原告側が圧勝状態だ。

 「生活保護引き下げなんて自分に関係ない」

 そう思う人もいるだろう。が、生活保護の基準はあらゆる社会保障制度と連動している。関係ないと思っていても、自分が影響を受ける可能性は大いにある。

 それだけではない。引き下げを放置することは、弱い立場に置かれた人を見捨てる政治を容認することと同義である。

 よって私は、この裁判を応援し続ける。

 国は上告せず、この判決を確定させてほしい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。