新型コロナが5類に移行して初めて迎えた年末年始、あなたはどのように過ごしただろうか。
久々に海外旅行に行った人もいれば、帰省して家族とともに過ごした人もいるだろう。ずっと仕事だったという人もいれば、寝正月だったという人もいるはずだ。
そんな2024年始まりの日、能登半島をマグニチュード7.6の地震が襲った。この原稿を書いている今も、被害の全容はいまだはっきりしない。じわじわと増え続ける死者数。そして安否不明の人たち。1月8日には、石川県で確認された死者が168人となったことが報じられた。この時点で、安否不明者は300人以上。私の友人も帰省先で被災し、なんとか東京に戻ってきたばかりだ。今はただ、被害にあった人のたちの無事を祈ることしかできない。
そんな23年から24年にかけての年末年始、私は例年通り、関東各地の「越年」の現場を巡っていた。
大晦日の午後に訪れたのは、横浜・寿町の炊き出し。大阪のあいりん地区、東京の山谷と並ぶ「日本三大寄せ場」のひとつと言われる寿町では、年末年始の数日間「越年」が行われ、炊き出しの食事が振る舞われるのが毎年恒例の行事だ。この日配られていたのは年越し蕎麦。天かすや柚子の皮、ナルトやたっぷりのネギが乗った蕎麦は500食用意されたのだが、あっという間になくなった。
大晦日の夜には東京・池袋で開催されたTENOHASIの炊き出しへ行き、配食を手伝わせて頂いた。
コロナ以前から毎月2回の炊き出しを続けているTENOHASIだが、コロナ前に行列に並んでいたのは150人ほど。それがコロナ禍で増え続け、スタッフによると、昨年は平均で540人ほどが行列を作っていたという。大晦日のこの日、お弁当をもらうために寒空の下並んでいたのは300人以上。大きなトランクを引きずっていたり、大荷物を持って並んでいる人の姿もちらほらあった。そんな人には、現場で配食を手伝う山本太郎議員が積極的に声をかける。大荷物を持って炊き出しに並ぶ中には路上生活になりたての人も多いからだ。何人かが、生活相談のブースに案内された。
その翌日の元日には、「大人食堂」で相談員を担当した。
反貧困ネットワークとビッグイシュー基金の共催で催されたこの大人食堂は12月30日と1月1日に開催されたのだが、12月30日に訪れたのは142人。うち女性は33.8%。元日はそれを上回る185人が訪れ、うち女性は27%。後日、生活保護申請に同行することとなった人も数名いた。
開始時間の午後1時、「大人食堂」の会場である早稲田のビル(反貧困ネットワークの事務所が入っているビル)に行くと、すでに長蛇の列ができていて驚いた。
この日提供されたのは、お雑煮とお正月のおかずが並んだ美味しそうなプレート。肌着や靴下、上着や生理用品、おむつなどの配布もあり、生活相談だけでなく、医療相談や法律相談のブースも用意されていた。この日の午後いっぱい、多くの方の相談に耳を傾けた。
昨年11月まで仕事があったものの、なくなって以降、都内の公園で野宿しているという大工の男性は、「生活保護だけは受けたくない」「まだまだ働きたい」と何度も口にした。働く意欲があるのは素晴らしいことだ。が、男性は70代。私の父親と同世代の人が野宿を強いられている現実に愕然としつつ、生活保護を勧めるも「どうしても嫌だ」という意志は固く、何かあった時のためにと支援者の携帯番号を伝えることしかできなかった。
物価高もあり生活が苦しいと相談に来た若い男性は、生活苦による過去の借金の返済のために家計が圧迫されていた。しかし、現在の収入がそこそこあるため、あらゆる社会保障の対象から外れてしまっているのだった。
それ以外にもこの年末年始、多くの人から悲鳴のような声を聞いた。
一方、改めて感じたこともある。それはコロナ前とは炊き出しや相談会の光景が大きく変わっていることだ。
簡易宿泊所が多く、生活保護利用者や高齢者が多い寿町の炊き出しに並ぶ若い女性。高齢男性が圧倒的多数の「寄せ場」にも、着実に女性が増えている。それ以外の現場にも、年末年始に限らず、女性や子連れの母親の姿が目立つ。一方、外国人の姿もあれば若いカップルの姿もあり、ある意味、困窮者支援の現場の光景はこの数年で多様化し、「カラフル」になった。が、それはこの国の誰もがあっという間に貧困に陥るようになったという証拠でもある。
そんな23年の年の瀬には、毎週土曜日に開催されている「もやい」と「新宿ごはんプラス」の食品配布に並ぶ人々の数が過去最多を更新した。コロナ以前は50〜60人だった場だが、どんどん人が増え続け12月23日には779人となったのだ。
これらのことが示すように、コロナが5類となり、収束ムードが漂っても、庶民の生活は少しも楽になどなっていない。それどころか、長引く物価高騰に痛めつけられている。
そこに「コロナ禍にはあった公的支援の後退」が拍車をかけている。
各種給付金はなくなり、コロナで失業するなどした人のため無利子でお金を借りられた国の特例貸付も終わった。それどころか23年1月からその返済が始まり、「返済できない」という相談もこの一年で多く耳にした。もうひとつ、痛いのは20年末、21年末にはあった「年末年始に住まいがない人への東京都のホテル提供」が22年末からなくなったことだ。
これによって、住まいがない状態の人が炊き出しや相談会にやってきても、案内する先がなくなった。ホテルは年末年始で高騰している上に空きもない。ネットカフェくらいにしか案内できなくなってしまった。
さらにこの一年以上、支援現場を苦しめているのは「悪質貧困ビジネス」の進化だ。
例えばコロナ禍が始まった20年から、都内で住まいがない状態で生活保護を申請すると、ビジネスホテルに1ヶ月ほど滞在することができた。コロナ前までは、相部屋だったり生活保護費のピンハネがひどかったりと劣悪な施設が多い「無料低額宿泊所」に入れられることが多く、逃げ出す人が後を絶たなかった。せっかく生活保護を利用できたのに、「失踪」となってしまうのである。また、このような経験をした人が、「生活保護を利用するとひどい施設に入れられる」と、制度の利用を敬遠するようにもなっていた。
しかし、ホテル提供により、状況は劇的に変わった。それまでネットカフェ生活をしていた人などが、ホテルにいられる1ヶ月の間にアパートを探し、劣悪な施設を経由せずにそのままアパートに移り住むことができるようになったのだ(アパートの敷金などは生活保護費から転宅費として出る)。このことによって、「数年に及ぶネットカフェ生活を抜け出し、久々に自分の部屋を手に入れた」という人も多く誕生した。住所があり、住民票があれば仕事の幅もぐっと広がる。「ホテル提供」はこのように、多くの人の生活再建を劇的に後押ししたのだ。
しかし、22年11月からそのホテル提供が中止されてしまう。背景にあるのは「旅行支援」ではないかと言われている。このことによってホテル代も高騰し、空きがなくなったからだ。
ホテル提供中止によって、この一年ほど、住まいがない状態で生活保護申請をした人は再び無料低額宿泊所などの施設に入れられるようになってしまった。当然、失踪者が相次ぐわけだが、そこに目をつけたのが新手の貧困ビジネスだ。
「即日入居」「初期費用ゼロ」などを謳い、郊外のアパートに困窮者を住まわせて生活保護を利用させるのだ。が、もちろんそれだけでは終わらない。住人から高額な手数料を取る、身分証やキャッシュカードなどを取り上げるなどが横行し、支援団体にはここのところ相談が相次いでいる。無料低額宿泊所と酷似した手口だが、無料低額宿泊所の場合、支援者が間に入って役所と交渉すればアパートに転宅することが可能だ。しかし、この場合、すでにアパートに入っている。そこから抜け出すことが非常に難しくなっているのである。
貧困ビジネスの進化はそれだけではない。投資物件の転売ビジネスに困窮者が利用されるケースも増えている。
例えば路上で声をかけた困窮者を郊外のアパートに住まわせて生活保護を利用させる一般社団法人の存在が明らかになっている。そのような形で集めた困窮者でアパートの空室を埋め、投資物件として転売するのだ。しかも、家賃は生活保護の住宅扶助の上限に設定すれば、あたりの相場家賃よりも高くなる。このようにして困窮者を「投資物件の資産価値を上げる」ために使うという手口である。そうして物件が売れれば、また次の物件に困窮者を移動させるという仕組みらしい。このことはすでにNHKの番組や東洋経済ONLINEでも報道されているが、困窮者を利用する貧困ビジネスの手口の進化には空いた口が塞がらない。
さて、コロナ禍が始まってそろそろ4年。
このコロナ禍、支援の現場に身を置く中で、私には願い続けていることがある。それは、これを機にこの国のセーフティネットが分厚くなり、また、使い勝手がよくなるようにということだ。
しかし今、周りを見渡せば、状況はただ「2019年に逆戻りした」だけのように見える。
いや、それだけならいい。結局、公的支援が後退する過程で、そこにつけ込むような形で悪質な貧困ビジネスが蔓延しているではないか。
コロナ禍で進化したのは悪質貧困ビジネスだけだった一一。
そんな結果はいくらなんでもつらすぎる。
一方で、多くの支援団体は「支援継続の危機」を迎えつつある。
コロナが5類に移行したことで世間の関心は急速に「コロナによる困窮」から薄れ、結果、寄付金が激減しているのだ。しかし、SOS自体はまったく減っていない。逆に一人ひとりの相談がより複雑に、深刻になっているという印象だ。女性の割合も今になって増えている。
今年は悪質貧困ビジネスが淘汰され、セーフティネットがマトモに機能し、少しでもみんなが安心して暮らせますように。
年のはじめ、そう祈るように思っている。
そして地震の被害に遭われた人々が一刻も早く日常を取り戻せることも、心から願っている。
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