第667回:24年間、仕事の対価が下がり続ける女(私)。の巻(雨宮処凛)

 この時期、フリーランスは確定申告で大変だ。

 面倒な作業をしていたところ、テレビで「ニセコのラーメンが3800円」というのをやっていた。海外の観光客人気で、ニセコのホテルやレストランの時給も2000円近くに上がっているという。

 3800円のラーメン。一生食べることなどないだろうな……と思いつつ、ふと気づいたことがある。

 今年で物書きになって24年。ありがたいことに書くことで食べてきたわけだが、四半世紀やっても対価は全然上がっていないということに。

 いや、それどころか、2000年にデビューしてからこの24年、原稿料をはじめとする対価はずーっと下がり続けているではないか。少なくとも、私にとってはそうだ。

 出版不況と言われて久しいことが大きいだろう。雑誌が次々と廃刊になったり、本が売れなくなったり、またネットの普及でタダで読めるものが増えたりと理由はいくつもあるが、とにかく、私の労働対価は事実として下がり続けている。

 このことに、なんと24年目にして初めて気づき、愕然としたのだ。

 普通、プロとして24年続けていれば、一般的に待遇が良くなったり、ギャラが上がったりしていくものではないだろうか。会社勤めだって、新入社員と勤続24年では給料も違うだろう。新人にはできないことができるようになり、人脈も増え、技術だって上がっていく。自分のことで言うと、10年20年前の自分の原稿を読み返すと冷や汗モノだ。よくこんなスカスカのもの書いてたなと驚くこともある。だけど、当時の方が今より原稿料が高いのだ。業界全体の相場として。

 本はどうかといえば、こちらも初版部数が減り続けている。

 メディアに出る際のギャラもそうだ。対談やインタビューのギャラなんか、やはり相場感として十数年前と比較して半分くらいになっている気がする。

 そして最近、とうとうある地方紙から「ギャラは出ないけど」という依頼があった。一円も払えないけど、あることについての談話をくれないかというものだ。迷いながらも受けたものの、そのことについて改めて調べ、インタビューされて、その内容確認のやりとりをするなど結構な時間を使って、対価はゼロ。

 こんなことが続いたら、どうすればいいのだろう?

 このように、一つひとつの単価が下がっているので、前よりも仕事をしないといけない。だから忙しくなっているのに、それほど稼げないという転倒が起きている。働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり、を気がつけば地でいっているのだ。

 ちなみに現在の私の連載は17本。

 非常にありがたいことだが、十数年前に同じく17本だった時期の原稿料にはまったく及ばない。全体として原稿料が下がっているからだ。もちろん、長く連載を続ける中で変わっていない媒体もあり、それはありがたいことだ。

 が、よくよく考えてみれば私は「原稿料が上がる」という経験をしたことがない。それどころか、今も連載の中には、原稿料ゼロ円(20年近く連載してるが数回しか原稿料をもらったことがない。もう人助けだと思ってやっている)、結構な字数を書いているが数千円というものもある。

 時々、原稿にかける時間を考えると、普通のバイトした方が稼げるよな、と思うこともある。何日もかけて取材して、関連書籍のお金も出ないから自腹で買ってなどすると、赤字になることもあるのだ。だからこそ、ニセコの時給2000円に驚いたのである。

 もし、これが昭和の物書きだったら。連載17本だったら、媒体や枚数にもよるがウハウハだろう。

 「でも、出版不況なんだから」「紙の媒体はどこも苦しいんだから」。みんなはそう口をそろえる。そうだよなーと思っているうちに、条件はどんどん切り下げられている。

 そんなことに、物書きを始めて24回目の確定申告をしていてやっと気がついたのだ。

 同時に、「だからなんかやたらと忙しいわりに全然楽にならないのか」と膝を打った。

 そこで思い出したことがある。昨年、東京・高円寺で開催された「NO LIMIT 高円寺番外地」だ。

 中国や香港や台湾、韓国などアジアの活動家やミュージシャン、アーティストたちが高円寺に押し寄せて10日間ほど遊び倒すというのが「NO LIMIT 高円寺番外地」だったのだが、みんな高円寺「素人の乱」界隈の「貧乏人が勝手にのさばるぞ」系の生き方に共感する人たち。そんな「NO LIMIT」は16年に日本で始まり、以降、韓国、インドネシアと持ち回りで開催されてきた。コロナで中断し、昨年、日本では7年ぶりの開催となったのだが、主にアジアから来たのは100人ほど。みんな就職とかせずに音楽やったり自分たちでスペースを運営したり足りない分はバイトしたりと決して豊かではない人たち揃いだ。なのに、7年前と大きく違うことがあった。円安ということもあるのだろうが、みんな「日本はなんでも安い」と大喜びだったことだ。

 その上、話をしていると住んでる部屋や運営してるスペースの家賃も日本より高かったり、着てるものもさりげなくブランド物だったりと、「豊かさ」が垣間見える。そりゃみんな、上海とか香港とかソウルから来てるんだもんな……。

 私は昨年のこの「NO LIMIT」で初めて、アジアの「貧乏」系活動をしている人たちとの経済格差を感じた。彼ら彼女らより、日本の「貧乏」系活動をしてる人の方が貧乏だという圧倒的な事実。

 7年前、東京で1回目の「NO LIMIT」が開催された時にはなんか日本の方が豊かっぽい感じだったのに。私もみんなを居酒屋に引き連れて行って奢ったりしてたのに。それが7年経って、逆転している感じなのだ。

 さて、そんなことを考えていた数日前、新聞の折込チラシを何気なく見て改めて驚いた。いろいろなチェーン店のメニューが掲載されていたのだが、生ビールが200円台という店がいくつもあるではないか。食事メニューも、300円台とかが当たり前。いいのか? これで。「安い安い」と喜んでいたら、いつの間にか取り返しのつかないことになっていないか、日本。

 そうして、2年前に衝撃を受けたことを思い出した。

 2022年3月に発表された、政府の経済財政諮問会議による調査結果だ。

 それによると、30代半ば〜50代半ばの世帯所得が、20年余前と比べ100万円減少していたという。

 1994年と2019年の世帯所得の中央値を比較したところ、35歳から44歳では104万円減少。45歳から54歳ではその倍近くの184万円も減っていたという。

 これが発表された当時、私はこの件を原稿に書いたことを記憶している。「働き盛り」と言われる年であり、また子育て世代でもある層の年収がこれほど減っているとは衝撃だ、などと書いた。日本の賃金が下がり続けているということへの警鐘として書いたつもりだったものの、自分こそが下がってたのだ。そのことに、私は24年経って初めて気づいた。フリーランスはそもそも毎年の年収の変動がすごいからなかなか気づかなかったけど(本が売れたりすると上がるので)、四半世紀やってきて、とにかく全体の相場は暴落していて、私の生活も大打撃を受けていることにやっと気づいたのだ。

 と、景気の悪い話ばかりで申し訳ないが、過去を振り返ると、60年前には「所得倍増計画」とか言って、10年で給料が倍になった時代があったのである。

 ということで、他の国の原稿料は上がってるのだろうか? あるいは、日本国内でもガンガン給料が上がってる業界はどれほど存在するのだろうか? そんなことが気になる現在である。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。