第664回:臓器提供で「人の役に立」ち、社会保障費も削減?――『安楽死が合法の国で起こっていること』(雨宮処凛)

 昨年(2023年)末、京都地裁で元医師の男に懲役2年6ヶ月の判決が下された。

 男が問われていた罪は嘱託殺人罪など。19年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性に薬物を注入して殺害した罪で逮捕されていた。亡くなった女性は生前、SNSに安楽死を望む書き込みをしていたことが確認されている。俗に言う「ALS嘱託殺人事件」だ。

 安楽死。この言葉からあなたが思い浮かべるのはどんなものだろう。

 「堪え難いほどの苦痛があるなら安楽死したい」など、痛みや苦痛からの救済・解放といったポジティブなイメージで捉えている人も多いかもしれない。私もかつてはそうだった。だからこそ、「安楽死反対」なんて声を聞くと随分と残酷な言い分に聞こえたものだ。

 が、今は違う。世界的に安楽死合法化が広がる過程で、それは凄まじい変質を遂げ、今や医療費削減だけでなく、臓器提供の問題とも密接に絡んでいる。その人に「生産性」があるか否かで時に命が選別され、医師に「無益」と判断されれば治療が中止される一一そんな事態が起きていることをどれほどの人が知っているだろう。

 これらのことについて、私も断片的に知る程度だったのだが、このたび、それらの問題を網羅する一冊が出版された。それは児玉真美さんの『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)。
 本書の帯には、こんな言葉が躍る。

 「末期とはいえない患者に安楽死を提案する医療職」
 「福祉サービスが受けられず安楽死を選択する障害者」
 「安楽死の数分後に臓器を摘出」
 「揺らぐ基準、拡大する対象者 『安楽死先進国』の実状とは」

 23年5月時点で、安楽死が合法化されていると考えられるのは、オランダやベルギー、カナダ、スイス、米国のいくつかの州など22箇所。

 ちなみに世界に先駆けて積極的安楽死を合法化したオランダとベルギーでは、「安楽死者の増加とともに対象者が終末期の人から認知症患者、精神/発達/知的障害者や精神的苦痛のみを理由にした安楽死へと拡大してきた」という。

 また、両国では安楽死は子どもにも拡大。

 一方、ぶっちぎりにラディカルなカナダでは、24年には精神障害や精神的な苦痛のみを理由にした安楽死も容認される方向だという。

 それだけではない。福祉の代替策にされている節さえあるというのだ。

 本書には、実際に安楽死をした51歳の女性の事例が紹介されている。

 化学物質過敏症に苦しんでいたという女性は、コロナ禍でアパート住民たちの在宅時間が増えたことにより、換気口から入るタバコやマリファナの煙で症状が急速に悪化。カナダには、障害がある人に安全で家賃も安い住まいを助成する福祉制度があるため、2年間も担当部署に訴えたが、かなわなかったという。そんな時、安楽死の要件が緩和されたため、自分も対象になると申請。そのまま安楽死となった。

 同じ病気で困窮しつつも助かった人もいる。この女性は7年前から助成金の出る住まいに移ることを希望して申請していたものの、対応されないまま時間だけが過ぎていたという。そんな中、安楽死を申請。幸い、支援者たちのインターネット募金が成功してホテルに移ることができ、安楽死をしないで済んだ。が、安全な住まいに移るための申請と比較して、安楽死の申請手続きは驚くほど簡単だったという。

 安楽死は福祉だけでなく、医療の現場にこそダイレクトに影響を与える。

 著者が危惧するのは、安楽死が容認される指標が「救命できるかどうか」から「QOL(生活の質)の低さ」へと変質しているように思えることだ。

 最初は「もうどう手を尽くしても救命することができない」ことと「堪え難い苦痛がある」ことが指標だったはずなのに、いつのまにか「QOLが低い」ことが指標となっていく。さらには、「一定の障害があってQOLが低い生には尊厳がない」「他者のケアに依存して生きることには尊厳がない」「そういう状態は生きるに値しない」といった価値観が浸透し、「すべり坂」を引き起こしていると指摘するのだ。

 そんな中、ベルギーでは、がん患者やうつ病患者に医師が安楽死を提案するような事態すら起きているという。病気の治療をし、必死に生きようとする過程で、または病気ゆえ希死念慮に苛まれる中で医師からそんな提案をされたら一一。私だったら、あっさり心が折れるかもしれない。

 それだけではない。恐ろしいのは、安楽死には社会保障費削減策としての議論がつきまとうことだ。

 カナダでは、安楽死が合法化された直後、医師らが医学雑誌で、毎年1万人がMAID(医療的臨死介助)で死ぬと予測した上で、1億3000ドルの医療費が削減できるとの試算を報告したという。

 著者は、ベルギーの医療職ら9人が、安楽死をめぐって医療現場では何か起きているかを詳述した共著『Euthanasia』を紹介する。この本には、以下のように書かれているという。

 「経費削減が必要だ、医療はカネがかかる、というメッセージが政治からは繰り返し送られてくる」

 「病院の中で忙しすぎる部署では、治療が長引いている最終段階の患者はスタッフからお荷物視されたり、医療を『本当に必要としている』患者のためにベッドがすぐにも入り用なのに、と問題そのものとみなされたりしていることもある」

 このように経済的な圧のかかった現場で、安楽死の日常化が進んだら一一。

 さらに恐ろしいのは、そんな安楽死はすでに臓器移植と直結しているということだ。それを「安楽死後臓器提供」という。ベルギー、オランダ、カナダ、スペインですでに合法化され、行われているそうだ。誰がどこで死ぬかあらかじめわかっていて、新鮮な臓器が得られる安楽死後臓器提供。しかし、当然大きな懸念がある。米国テネシー州で大学病院の移植プログラムの責任者を務めた人物は、3つの疑問を投げかけている。そのうちのひとつが以下だ。

 「スティグマと社会的軽視を経験してきた障害者に、邪魔者は臓器でも提供して人の役に立てという誘導となるのではないか?」

 生産性や効率ばかりが良しとされる風潮の中、肩身が狭い思いをしている人たちへの「役に立て」というメッセージとして機能してしまうかもしれない安楽死と臓器提供というセット。

 「このように海外の実態を詳細に知れば知るほど、人口調整、社会保障縮減、人体の資源化と有効活用などなど、制度化された安楽死の背景には政治経済上の思惑が蠢いていることが案じられてならない。そこには、カナダの化学物質過敏症の女性たちの事例にみられるように、高齢者や障害のある人、生きづらさを抱えた人、貧しい人たちを死へと追いやっていく政治的な装置として安楽死が機能する『すべり坂』が透けて見えはしないだろうか」

 著者の懸念に、私は深く頷くばかりだ。

 何かと言えば「財源がない」と社会保障費が削られ、弱い立場にいる人たちが切り捨てられてきたこの国で、「それ」が合法化されてしまったらどんな光景が出現するか一一。

 詳しくは本書を読んでほしいが、知れば知るほど、安易に「安楽死、いいんじゃない?」などとは言えなくなってくる一冊。

 今、世界で何が起きているか、ぜひ多くの人に読んでほしい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。