第134回:波乱のベルリン映画祭で目撃し、体感し、考えたこと(想田和弘)

 2月に開かれた第74回ベルリン国際映画祭に拙作『五香宮の猫』(2024年、観察映画第10弾)が招待され、参加した。その直後、アイルランドでの上映ツアーに招かれ、いまこの原稿は首都ダブリンのホテルで書いている。

 今年のベルリン映画祭は、その出だしからして、波乱含みであった。

 映画祭側が、ドイツで急速に支持率を伸ばしつつある極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の議員の開幕式への招待を撤回したのである。

 その声明で映画祭は、「AfDとその党員・議員の多くは、民主的な価値観と深く対立する考えを持っている。均質的な社会を求め、移民の制限や大量強制送還を志向し、同性愛者差別や人種差別、歴史の大幅な改竄や極右思想などもAfDには見受けられる」と指摘。「極右勢力が議会にも入りつつある今、ベルリン映画祭はAfDを招待しないことで、明確な意思表示をしたい」と宣言した。

映画祭ボイコットの動き

 一方、ベルリン映画祭はイスラエルのパレスチナに対する政策を頑なに支持するドイツ政府に対しては、明確な意思表示を避けていた。その結果、ドイツ政府とベルリン映画祭を同一視し、映画祭のボイコットを呼びかける動きも生じていた。僕のもとにも、ベルリン映画祭に参加することはパレスチナ人の虐殺に加担することだという趣旨の非難が、主に日本人からSNS等を通じて寄せられた。

 本欄でも申し上げてきたように、僕は暴力に対して暴力で応じても決して解決にはならず、かえって状況を悪化させるだけだと信じている。暴力は倫理的に深刻な問題を孕んでいるだけでなく、戦略としても悪手なのである。

 したがって、「戦争」という名の大量殺人を何とか止めたいという気持ちは、100%共有する。しかしその目標を、映画祭をボイコットすることで達成しようという発想には、僕は違和感を覚えた。

映画と映画祭の力

 というのも、まず、映画祭は世界中の国から集まった「他者」同士が、それぞれの視点や世界観を映画を通じて共有し、対話をする場である。お互いの理解を深め、多様性を祝福し、平和の礎を耕すためのお祭りである。

 それは対立と分断が蔓延するこの世界においては、非常に重要な場であり、その機会を放棄し拒絶することが平和につながるとは、僕にはどうしても思えないのである。むしろたとえ不完全でも何らかの対話の回路を維持していくことは、平和にとって必要不可欠なことであろう。もっと言えば、対話の場が不足・欠落しているからこそ、私たちは分断され、対立し、いがみ合っているのではなかったか。

 僕はイランには行ったことがないが、いくらイランが“国際社会”から悪者扱いされても親しみを感じるのは、イラン映画を通じて人々の生活や喜怒哀楽に触れてきたからである。国際政治では顔の見えぬ記号的な存在になりがちな人々も、優れた映画の中では体温のある存在になる。

 同じように、拙作『五香宮の猫』を観る観客は、牛窓の小さな神社を中心とした小さな世界を疑似体験し、そこで懸命に生きる猫や人々の視点で世界を見つめ直す時間を持つことができるのではないか。僕にはそういう期待があった。

 実際、ベルリン映画祭で4回行われた上映は、すべて満席となった。そこで感じた観客の熱い反応や、各国語で出された数多くの批評を見る限り、僕らの期待は報われたと思う。同時に、世界中から選りすぐられベルリン映画祭で上映される約200本の映画には、同じような可能性が内包されているのである。僕は映画が持つ、そういう力を信じている。だからこそ映画を作り続けている。

ドイツ政府=ベルリン映画祭ではない

 また、ドイツ政府とベルリン映画祭は、後でそのことが証明されるように、決して同一ではない。

 今回ドイツを訪れて肌で感じたことだが、ホロコーストという歴史的な負い目を持つドイツでは、イスラエルの政策を批判すること、いや、中東での停戦を求めることですら、「反ユダヤ主義」であるとのレッテルを貼られる空気が蔓延しており、イスラエルを支持する以外の発言をすることが、非常に難しい状況になっている。いったん「反ユダヤ主義」とのレッテルを貼られてしまったら、社会的には抹殺されることを意味するので、この問題に触れること自体がタブーのようになっているのである。

 強引にあえて比較するならば、日本での慰安婦像と「表現の不自由展」を想起させる、ピリピリとした状況である。そういうなか、映画祭側が声明などで公式に「イスラエルの無条件支持」以外のスタンスを表明することは、映画祭そのものの中止の可能性を含め、極めて高いリスクを伴うものだと感じた。

 とはいえ、映画祭の姿勢は、なにも公式声明だけが表すものではない。というより、公式声明などはあくまでも刺身のつまのようなものであり、映画祭の真価は何よりも「どういう映画を選び、上映するか」、そして「どういう映画人を招待し、どういう映画人を審査員に選ぶか」などによって示されるものであろう。

授賞式で生じた「連帯」の輪

 そういう意味では、映画祭のフィナーレを飾った授賞式は、僕にとって高揚感を伴うものだった。

 ユダヤ系の映画人含め、登壇した受賞者や審査員たちが次々にパレスチナでの「停戦」を求める発言をし、会場は割れんばかりの拍手に包まれたのである。僕も当然、力を込めて拍手した。そこには確かに「連帯」の輪が生まれていた。

 なかでも拙作もノミネートされていたドキュメンタリー賞の発表は、そのハイライトであった。パレスチナ人のバーセル・アドラ監督とイスラエル人のユヴァル・エイブラハム監督らがタッグを組んで、ヨルダン側西岸でイスラエルがパレスチナ人の家を破壊していく状況を描いた『No Other Land』が受賞したのである。

 アドラ監督は受賞スピーチの中で、「何万人もの同胞がガザでイスラエル軍によって殺されている今、受賞を喜ぶことは困難だ。ドイツは国連のルールを守り、イスラエルへの武器供与をやめてほしい」と発言した。

 また、エイブラハム監督は「私たち二人はこれから自国へ帰るわけだが、私たちは近くに住んでいても、不平等な立場に置かれている。イスラエル人である私には投票権があるが、パレスチナ人であるバーセルにはない。私には自由に移動する権利があるが、バーセルは占領下にある西岸に閉じ込められている。この不平等を終わらせなければならない」と発言した。

 いずれの発言も、大きな拍手で迎えられた。

 ドキュメンタリー賞の審査員の一人、ヴェレナ・パラヴェルは、僕にとっては旧来の友人である。彼女も壇上で「違法な占領をやめるべき」と発言した。

 『五香宮の猫』は賞を逃したが、僕は誇らしく思った。やはりベルリン映画祭は対話の場であり、表現の場であったのである。

 もしベルリン映画祭がドイツ政府と一体であったなら、そもそも『No Other Land』のような作品は招待も上映もされなかっただろうし、それを最高賞に選ぶような審査員を呼んだりはしなかったはずだ。授賞式でのスピーチも、本人の自由にはさせないよう、何らかの介入があったであろう。そして何よりも、『No Other Land』の監督たちがベルリン映画祭をボイコットしていたら、作品の存在すら、広く世界に知られることもなかったのである。

政治家から「反ユダヤ主義」と攻撃された映画祭

 だが、この授賞式の模様は、当然、ドイツ社会に物議を醸し出した。

 授賞式に出席していたカイ・ウェグナー・ベルリン市長はツイッターで、次のように書いた。

 「昨夜ベルリン映画祭で起きたことは、許容できぬ相対化である。反ユダヤ主義は、アートの世界含め、ベルリン市では許されない。来年からの新体制では、同様なことが起きぬことを望む。自由に関しては、ベルリン市は明確なスタンスを持っている。ベルリン市は断固イスラエル側につく。イスラエルとガザでの惨状の全責任は、ハマスにある」

 この発言は、今のドイツの政治的状況を象徴している。授賞式ではもちろん、一切、反ユダヤ主義的な発言はなされていない。イスラエルの政策を批判する声や、停戦を求める声が響いただけだ。しかしそうした発言は、すべて「反ユダヤ主義」とのレッテルを貼られてしまう。そして発言者は社会性を剥奪される。

 ちなみにここで市長が「来年からの新体制」と書いているのは、これまで5年間映画祭ディレクターを務めていたマリエッテ・リッセンベークとカルロ・チャトリアンが、今年で契約を終えたことを指している。ベルリン市は映画祭の主なスポンサーでもあるため、この発言は「言うことを聞かぬなら、金を出さないぞ」という脅しのようにも受け取れる。来年からは締め付けが激しくなり、『No Other Land』のような作品が選ばれなくなる恐れがある。

 また、同じくベルリン映画祭の主要スポンサーでもあるドイツ文化省はツイッターの公式アカウントで、次のように発言した。

 「(授賞式に出席していた)クラウディア・ロート(文化・メディア大臣)の拍手はユダヤ系イスラエル人のジャーナリスト・映画作家であるユヴァル・エイブラハムに送られたものである。彼は地域における政治的解決と平和的共存を説いた。文化省の観点からすると、ユヴァル・エイブラハムがベルリン映画祭参加後に殺害予告を受けていることは、由々しきことである」

 壇上にはパレスチナ人とイスラエル人の監督が登壇し、二人とも発言したにもかかわらず、テレビ中継で映し出された大臣の拍手はイスラエル人監督だけに送られたという言い草である。ロート大臣はそういう言い訳をしないと、自分も「反ユダヤ主義」と批判されると恐れたのであろう。事態はそこまでいっているのである。そしてエイブラハム氏が殺害予告を受けていることが示すように、ドイツやイスラエルでイスラエル支持以外の発言をすることは、命がけの行為でもあるのだ。

 実際、英「ガーディアン」紙の報道によると、ドイツキリスト教民主同盟からはロート大臣の辞任を求める声があがり、ドイツ自由民主党からは国からの拠出金(今年度は1290万ユーロ。映画祭予算の3分の1を占める)を映画祭から引き上げるべきだとの声もあがったようだ。

カルロ・チャトリアンらからのラブレター

 そんな騒動がひと段落した3月1日、今年を最後に芸術ディレクターを退くカルロ・チャトリアンとヘッド・プログラマーのマーク・ペランソンが、連名で声明を発表した。

 僕はそれを読んで、深い感動を覚えた。この声明は、映画と民主主義と全人類に対するラブレターだと感じたからである。

 分断と対立と圧力のなか、彼らがギリギリで、映画祭の独立性と表現の自由を守ってきたことが窺える。同時に、来年からのベルリン映画祭の行方を本気で心配せざるをえない。

 カルロとマークに最大の敬意を表して、その全文を日本語訳しておく。

 私たちは、この5年間私たちが働いてきた組織と、その組織の拠点となってきた国に対して、多大な敬意を抱いている。ドイツが自らの過去と向き合い、乗り越え、人権を守るリーダー的な存在となり、困っている人たちを温かく迎えていることは称賛に値するものであり、だからこそ私たちは、ベルリン映画祭で仕事をすることを誇りに思ってきた。それぞれの人間は異なる背景を持つため、人々の感情や信条の複雑さを完全に理解することは不可能だが、それでも私たちは映画祭の決定には寄り添ってきた。その決定が、自分達の考えとは異なり、国際映画祭が目指すべき役割とは異なる方向であった場合にあっても、である。

 この数日間、ベルリン映画祭が他のドイツの文化的組織と同様、大きな危険に晒されていることを実感している。だからこそ私たちは声を上げなければならない。私たちは映画のために立つ。それはどんな政治的党派にも属さない。右翼でも左翼でもない。私たちは映画が人間同士を結びつける力を信じている。今年の映画祭は10日間の間、対話と交歓の場であった。しかし映画の上映が終わるや否や、政治家やメディアによって、全く異なるコミュニケーションに取って代わられた。それは反ユダヤ主義を武器として活用し、政治的に利用する言説である。私たち個人の思想や信条がどんなものであれ、言論の自由が民主主義に不可欠であることを、私たちは忘れてはならない。2月24日に開かれた授賞式は、暴力的に標的とされ、何人かの発言者は命を脅かされている。これは到底、容認できない。 

 私たちは直接的に、あるいは間接的に脅されている、すべての映画作家、審査員、映画祭のゲストたちとともに立つ。そして今年のベルリン映画祭の作品の選択から一歩も引くつもりはない。また、この機会に言わせてもらうならば、かつてベルリン映画祭のゲストでもあったデーヴィッド・クニオを含めた、ハマスによって捕らえられているすべての人質の存在を深く憂慮し、彼らの即時解放を求める。同時に、ガザにいる数百万人の人々の命を心配している。彼らの命は危険に晒されている。どちらの側につくかを選べという人には、悲しみは人類共通のものであることを思い出していただきたい。どちらかの側の命が失われることを悲しんだからといって、別の側の命が失われることを悲しまないわけではない。その事実に反することを言うことは、不正直であり、恥ずべきことであり、人々を分断するものである。

 映画祭の参加者として、そしてプログラマーとして、ベルリン映画祭が「自由な世界の窓」であり続けることを願う。それはどんな映画でも上映できる場である。世界各国からのゲストが、その政治的思想を調査・吟味されることなく、集える場である。アンネ・フランク教育センターのMeron Mendelは授賞式についてコメントを求められ、次のように述べた。「イスラエルを批判する人を、一方的に、そしてしばしば極端な立場から、反ユダヤ主義と呼ぶのは間違っている。好むと好まざるとにかかわらず、私たちはこのような議論に耐えることを学ばなくてはならない」

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。