私たちの生活を、日常を守り、よりよいものにしていくために、憲法をはじめとする法体系をどう「使う」ことができるのか? 憲法をもっと身近に考えるための連載コラム、いよいよ本格スタートです。
今回は、2021年3月30日に名古屋地方裁判所で判決が出された、私が原告代理人を務めた幼稚園の「日照権」を巡る裁判(「名古屋教会幼稚園おひさま裁判」)について紹介したい。「子どもの権利条約」に依拠して幼稚園の「日照権」を認めた、これまでに例のない画期的な判決だった。
幼稚園に隣接する土地に高層マンションが!?
まず、事件の経緯を簡単に紹介したい。
名古屋教会幼稚園は、愛知県名古屋市中区の丸の内にある定員40人ほどの小さな幼稚園である。キリスト教の教えにしたがい、子どもたち一人ひとりの個性を大切にしてきた。
ところが2016年3月、幼稚園に隣接する、すぐ南側の土地(4階建ての古い建物が建っていた)に、新たに高層マンションを建設する計画が持ち上がった。
そうなれば、幼稚園の日当たりが格段に悪くなってしまう。ただちに幼稚園の保護者らが「おひさまを守る会」を立ち上げ、毎朝、ビラ配りをするなど、反対の声を上げた。幼稚園から相談を受けた私も弁護士として関わることになり、弁護団を結成して建設計画を進めている会社と交渉を重ねた。結果、5月にはその会社はマンション建設を撤回する。
しかし、喜びもつかの間、今度は別の会社(プレサンスコーポレーション。以下、「プレサンス」という)がその土地を買収し、まず、今ある4階建ての古い建物を解体すると伝えてきた。
幼稚園の園舎に1メートルほどの距離で隣接するその建物の解体工事では、振動、騒音、さらに粉塵が巻き上がることが明らかであった。また、建物は古く、アスベストも使われていた。幼稚園の園長らは、建物の解体工事が始まれば子どもたちの安全や健康を守れないと判断し、解体作業中に幼稚園全体で「避難」することを決めた。
避難先を探しつづけたところ、幸い、名古屋駅付近のある保育園の古い園舎を借りられることとなり、一月あまり「避難生活」をすることになった。名古屋教会幼稚園には通園バスがなかったことから、新たにバスを借り、毎日、名古屋教会幼稚園近くから名古屋駅近くの保育園まで、朝晩各2往復をした。幼稚園も父母も、相当な労力を費やした一月あまりであった。
ところが建物の解体が終わると、ただちにプレサンスは、「15階建てマンション建設をする」と一方的に伝えてきた。園庭の南側に15階建てのマンションが建てば、1日の多くの時間で園庭が日影となる。しかし、プレサンスは、そこが日影規制の対象とならない商業地域であることをいいことに聞く耳を持たなかった。
プレサンスは、幼稚園との形ばかりの「協議」を早々に打ち切り、2017年7月、マンション建設に突入した。
子どもの「あそぶ権利」を守るために
2018年3月、「おひさまを守る会」のメンバーが中心となり、マンション建設中止の「仮処分(※)」を名古屋地方裁判所に申し立てた。
※仮処分……裁判の結果を待っていては権利が十分に守られない場合に、民事保全法に基づく暫定的な措置を行うこと。
私たち弁護団は、申し立てにおいては、主に憲法に基づき、「適切な保育環境を享受する権利」が子どもたちにある、という主張を展開した。結果として建設差し止めは認められなかったものの、決定文には「適切な保育環境を享受する利益」を認めるという画期的な一文があった。これが後に裁判の判決にも引き継がれることになる。
私たちも、決定が出される前の時点で、建設中止を認める決定が出る可能性は低いと判断していた。そして2018年7月、名古屋地方裁判所に、マンション建設の違法性を問い、建設中止などを求める本裁判を提訴した。
10月に第1回の法廷が開かれ、その後も審理を重ねた。
弁護団は私含めて5人。いずれも日照権についての裁判の経験豊かな弁護士であり、その他、日照の問題に長く取り組んできた建築士にも協力頂いた。
訴訟を行うにあたって、当初は当然、日照を奪われることによる健康被害、圧迫感、風害の被害を中心に訴えていくことを予定していた。
しかし、私たち弁護団も幼稚園で子どもたちの姿を見る日々を重ね(一緒に遊び)、保護者との議論を重ねながら、「園庭がいかに子どもの発達に大切か」ということに理解が及ぶようになった。そして、「子どもたちのかけがえのない生活と発達の舞台である『園庭』からお日様を奪う、ということは、子どもから生活と発達の権利を奪うことになる」との認識にいたり、健康面などの被害そのものよりも「子どもの権利」を中心に据えた闘いにしていこう、との結論に至った。
そこで、幸福追求権などを定めた憲法13条と、日本政府も批准している国連「子どもの権利条約」をもとに、子どもたちには「適切な保育環境を享受する権利がある」として、マンション建設によって子どもたちの園庭からお日様を奪うことは、権利条約31条にも書かれている「あそぶ権利」をはじめとする子どもたちの権利の深刻な侵害だ、と訴えた。「あそぶ権利」については、子どもの権利条約の他にも「世界児童憲章」、「子どもの権利宣言」、1977年11月、国際NGOであるIPA(International Play Association:子どもの遊ぶ権利のための国際協会)が発表した「子どもの遊ぶ権利宣言」などを検討しながら、権利としての発展過程を踏まえて主張し、その重要性を国際的な観点からも強調した。さらに、「あそぶ権利」の第一人者として知られる早稲田大学の増山均名誉教授にも協力いただき、教育・保育の学問的知見を法廷に示して、子どもの「あそび」についての「理論」と「実践」双方の点から議論を展開することとした。
【第1項】
全ての子どもには、休む権利、レジャーの権利、遊ぶ権利があり、年齢に応じてレクリエーションを楽しみ、文化的、芸術的活動に自由に参加する権利がある。
【第2項】
締約国は、子どものこれらの権利を尊重し、どの子どもも文化的、芸術的活動やレクリエーション活動、レジャー活動に参加できるように環境を整えなければならない。
実は判決が出る前に、残念ながらマンションは完成してしまったのだが、建設差し止めの請求の趣旨を「5階以上を取り壊せ」(もともとの建物が4階建てであったため)との請求に変更したうえで、裁判を続けた。 そして、最後に、次のように主張した。
「子どもには、その発達の権利および、あそぶ権利の実現のために、適切な保育環境を享受する権利があり、大人には、これに積極的に応える義務がある。
そして、子どもに対しては『最善の利益(※)』の観点を持って向き合うべきであり、『保育環境が適切か否か』の判断においては、常に、子どもの『最善の利益』となる保育環境とは何か、子どもの『意見』『気持ち』に寄り添って、追求する視点が不可欠である。
他方、逆に、保育環境を後退させ、劣化させる事態ないし行為に対しては、現時点の保育環境を後退させる事態ないし行為が生じているのであるから、子どもの適切な保育環境を享受する権利の侵害があり、子どもの発達の権利やあそぶ権利の侵害がなされているものと明確にとらえるべきである」
※最善の利益……子どもに関することが決められ、行われる時は、「その子どもにとって何が最善か」を第一に考えなくてはならないという、子どもの権利条約の原則の一つ。
あきらめず、声をあげ続けること
判決が出たのは2021年3月30日。
細かい内容について丁寧に紹介する余裕がないが、判決は、「5階以上の取り壊し」こそ認めなかったものの、名古屋教会幼稚園側の訴えを真摯に受け止め、子どもの権利条約を示しながら、子どもたちに「適切な保育環境を享受する利益」があるとして、その重要性を強調していた。同時に、子どもの意見表明権や最善の利益についての理解も示した。子どもの権利条約から出発し、「子どもの最善の利益」を判決の論理の柱として、子どもの「あそぶ権利」にも目を配った、画期的な判決だったといえる。
判決文はさらに、子どもの意見の「代弁者」である幼稚園園長らの声を真摯に聞いて、子どものためにどうすべきか検討をすべきだったのに、プレサンスはそれを怠った、と厳しく批判した。そして最後にプレサンスに対し、一部の損害賠償をすべきとの結論に至った。
もちろん、適切な保育環境を享受する「利益」とするにとどまり、それを「権利」として認めるところにまでは到達しなかった点など、不十分な点はいくつもある。しかし、判決文の中で明確に「利益」があると示されたことは、今後の同様の裁判はもちろん、行政との交渉などにも大きな影響を与えるはずだ。「子どもを大切にする社会」を作っていく上で、活用のしがいのある判決だったと考えている。
今回は憲法と子どもの権利条約を使って、子どもたちの権利を訴えた。
確かに、裁判所は憲法を活用した判決をなかなか出さない。まして、子どもの権利条約に至っては、これまで裁判所は無視してきたと言っていい。そのため、時に私たちは「どうせ難しい」と、憲法や権利条約を使って訴えをすること自体を諦めてしまいがちである。
しかし、市民の権利が奪われているときに、権利を守る法律や制度が不十分である場合、市民にとって最後の「武器」(好きな表現ではないが、他に適切な表現が見当たらないのですみません)は憲法であり、権利条約しかない。
今回、名古屋教会幼稚園の保護者、幼稚園教諭、教会の牧師や支援者たちは、諦めることなく声を上げ、闘い続けた。弁護士たちは、当事者たちの熱い思いに背中を押され、むしろ尻をたたかれて法廷に立ち続けたのである。
まさに、憲法を、権利条約を使い、活かしたのである。
その道筋は決して平坦ではなく、短くもなく、むしろ憤りを重ねるようなことがたくさんあった。先に述べたように、途中で15階建てのマンションは残念ながら建ってしまった。そして、5年に及ぶたたかいの中で、卒園を迎えた園児たちも多い。それでも、保護者たちは多くが最後まで裁判に関わってくれた。
それは「幼稚園のそばに高層マンションが建って日当たりが悪くなっても、役所も何にも言わない。そんな社会で良いのか」「もっと子どもたちを大切にする社会であってほしい」「間違ったことは間違っているとしっかり声を上げるべきだ」という信念がずっとこの運動の真ん中にあったからである。保護者や教員たちの間に「二度と同じような思いを他の子どもたちにさせたくない。そのためにも諦めるわけにはいかない」という強い思いがあったのだ。
「我が子だけでなく全ての子どもたちのために」という思いが、「憲法を、権利条約を活かす」長く、大変な闘いの原動力となった。その意味でこの判決は、名古屋教会幼稚園だけのものではない。子どもの成長を、生活を守っていきたいと願う全ての人のものである。
子どもたちを大切にする社会を作りたい。そして、そのために、間違っていることは間違っていると声を上げる。声を上げ続ける。
この姿勢こそが、憲法を活かす、権利条約を活かすことの本質だと、名古屋教会幼稚園の保護者たちや幼稚園教諭たちから学んだ経験だった。