第301回:山本太郎バッシング⇒ボランティア迷惑論(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 毎日新聞のオピニオン「論点」(3月8日)が、能登半島地震のボランティアについて特集していた。3人の“識者”が登場して、【ボランティア「控えて」】という現象についてコメントを寄せていた。
 それぞれに、なるほどね、というコメントで面白かった。だから、ぼくもぼくなりに、この“現象”について考えてみたいと思った。
 記事のリードにこんなことが書いてあった。

石川県の馳浩知事は1月5日の災害対策本部会議で「能登に向かう道路が渋滞して大変困っています。個別や一般のボランティアは控えてください」と発言。自身のX(ツイッター)でも「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」などと投稿した。県に登録して活動した人は2月末時点で延べ426人。2カ月で延べ100万人が活動したとされる阪神大震災との差は大きい。

 今回の能登の大災害に関して、ボランティアが他の大災害に比べて極端に少ないのは事実だ。その理由のひとつは、上記のような行政側からのアナウンスがあったことによる。来るな、と言われれば、行けない、行かない。いかに善意の行動であろうとも、躊躇してしまうのは当たり前である。
 それに、こんな行政側のアナウンスを受けて、なぜかSNS上では「ボランティアが入ってはいけない論」が凄まじい勢いで火の手を上げたのだから、「そこまで言われて行くことはない」と、普通なら何をおいても駆けつける人たちが、尻込みしてしまった。
 2月末(つまり、震災から丸2カ月経った)時点で、なお1万人以上が避難所で暮らさざるを得ない状況に置かれている。むろん、インフラの回復が遅れているのが最大の原因だけれど、ボランティア不足によって、家の片づけができないことも大きな要因になっていると言われている。
 ではなぜ、こんな極端なボランティア不足が発生したのか。

1. 政府・行政側の対応

 これがどうもよく分からない。石川県の馳浩知事が、なぜあんなに頑なに「来てもらっては困る」を連発したのだろうか。交通網の遮断という事情はあったにせよ、数日後には報道陣は現地入りしていたのだから、あれほど頑固に「来るな」を言い立てた理由がよく分からないのだ。
 ぼくの推察(邪推?)だが、地震が起きた1月1日当日、東京にいた馳知事が、なんとか自分の行動を正当化しようとして「私も入れないのだから、ボランティアに入ってもらっちゃ困る。私の立場がなくなる」とでも考えたのではないか。
 それに輪をかけたのが岸田首相の行動だ。1月4日、記者会見はしたものの、その足でテレビ出演に向かった。フジテレビ「プライムニュース」である。番組では能登半島地震に多少触れはしたものの、あとは総裁選やらなにやらの政治談義を、田崎史郎氏らと笑顔で語っただけ。しかも翌日には、新年の宴会に立て続けに参加。ほとんど大災害など念頭にないような行動が目立ったのだ。
 なにしろ、被災現地の視察に訪れたのが震災の2週間後だったのだから呆れる。茶坊主の馳知事も、当然のように岸田首相のお供で2週間後の現地入り。これではやる気のなさを指摘されても仕方がない。大災害が起きた時の首相や知事がどんな人物かで、被災者の幸不幸も決まってしまうといういい例である。
 自衛隊の初動遅れも目立った。他の大災害に比べ極端に遅かったし規模も小さかった。つまり岸田首相は、災害救助のことよりも、自分の総裁選や総選挙のことで頭がいっぱいだったとしか思えない。
 政府の動きがこんな有様だから、馳知事もそれに倣ったのだろう。殿様が動かないのに家臣が勝手に動いては、あとでお叱りを受けるかもしれない、というわけだ。自衛隊も入っていないのにボランティアに現地に入られては、政府や県のメンツが潰れてしまう、ということだったのではないか。
 自衛隊の“逐次投入”は、1日夜に1000人規模、3日に2000人、4日に5000人、そして7日6000人と、なんだか妙に小出しだった。着々と災害の規模の大きさが明らかになる中で、政府による自衛隊の災害派遣は後手を踏んだとしか思えない。
 例えば2016年の熊本地震の際には、発生後5日目には約2万4千人が現地投入されていた。これに比べれば、今回の自衛隊の動員数はとても少ない。これは徹底的に検証する必要があろう。
 だが行政側は「自衛隊さえ入れない状況では、ボランティアは不要」と盛んにアピールした。これがボランティア不足を招いたことは間違いないだろう。
 なお、東京新聞「こちら特報部」(3月12日付)ではこんな指摘もしている。

この30年、各地で災害支援を行ってきた岩村義男さん(これまで国内外の被災地で活動してきたボランティア団体「神戸国際支援機構」代表)。ボランティア入りを阻む自粛ムードに加え、「災害を重ねるたびに行政がトップダウンでボランティアを管理する体制が強化されてきた」のが人が少ない要因の一つと感じている。(略)

 なんでも管理したがる行政のやり方に、ボランティア側が違和感を持ち始めたということかもしれない。ともあれ、政府・行政側のやり方が、ボランティア不足を招いていることの最大要因になっているのは間違いない。

2. 「Dappi」論?

 上記の政府・行政側の対応遅れや言い訳のひどさに対しては、当然ながら批判的な意見が多かった。ところがなぜか数日後には、ボランティア参加を否定する意見がSNS上に噴出するという現象が起きた。突然のことだった。
 その理由として、「状況把握ができていないのに現地入りは救援活動の邪魔」「道路網寸断で現地入りなどできるはずがない」「山間僻地のためヘリの発着に適した場所がない」「報道陣の動きが被災者の迷惑になっている」…などとさまざまな事柄が挙げられた。要するに「ボランティアは迷惑論」が幅を利かせたのだ。
 むろん「自衛隊投入遅れは行政の失敗だ」というようなツイート(X)もあったのだが、それらはたちまち炎上。ご丁寧に「コミュニティノート」とやらで、石川県の対応や発表事項を事細かに説明してくださるお方も出てくる始末。
 だがどんな理由を並べたって、自衛隊投入が遅れたのは事実だし、ボランティアの参加が阻害されたこともまた隠しようのない事実だった。
 ではなぜこんなしょうもない「ボランティア迷惑論」が湧き上がったのか。それらのツイートをよく見ていくと同じような文面が目立ったし、さらにフォロワー数が1桁や2桁、多くても3桁ほどの人が多かった。
 なんかおかしい。ぼくは決して陰謀論者ではないけれど、彼らの多くが実は“雇われ政府擁護論者たち”なのではないかと疑ってしまった。だって「Dappi」という例があるではないか。
 政府(?)に雇われた会社が、金をもらって政府批判者を叩く業務を請け負っていたのがあの「Dappi事件」だった。今回も、それと同じ構図ではないのかと、ぼくは疑ってしまったのだ。岸田内閣の災害救援があまりにひどく、それに対する批判は当然のごとく湧き上がった。凄まじいほどの支持率医低下に悩む岸田内閣が、同じ手を使って批判者たちを黙らせようとした……?
 ぼくは、この間の一連の「ボランティア控えてキャンペーン」の裏側は、実はそんなことではなかったかと想像してしまったのだ。まあ、そんなことはないだろうけれど。

3. 山本太郎バッシング

 このボランティア問題については、もうひとつ別の側面があった。やはりSNS上で、異様なほどの「山本太郎バッシング」が勃発したのである。まさに“異様”というしかない現象だった。
 山本太郎れいわ新選組代表は、地震後いち早く被災地に入った。1月5日のことだった。ところがこれに対し、猛烈な批判(というより罵倒)が湧き上がったのだ。迷惑だというのは勿論のこと、邪魔だ、足手まといだ、人気取りだ、パフォーマンスだ、しまいにはバカだアホウだ最悪だとまで罵られたのだ。異様、異常なほどのバッシングだった。
 山本氏がボランティア活動の後、現地で被災者たちから勧められてカレーを食べたことすら「これで被災者の1食分がなくなった、どうしてくれる」という、もう噴飯ものの悪口まで飛び出した。ボランティアとして手伝ってくれた人へ「一緒にカレーでも」と勧めるのは、被災者としての感謝の気持ち、当たり前の人情だろう。ところが「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の言葉どおりの反応。こんなツイートする人たち、バッカじゃなかろか、とぼくは思った。
 れいわ新選組が、今や野党の中でも突出した主張を繰り返しているのは周知の事実だ。今回も、自公維新のみならず、立憲や共産党までが雁首並べて防災服に身を包み「被災地には入らぬよう申し合わせ」をした光景に、ぼくは呆れ果てたのだが、唯一、それに反旗を翻したのが「れいわ」だった。
 ぼくは「れいわ」の支持者でも支援者でもない。れいわの主張とはかなり違う考えを持っている。だが、この件に関しては山本氏の行動は正しかったと思っている。
 政治家ができるだけ早く被災地に入り、足りないものは何か、早急に手当てすべきは何か、孤立集落はどこか、避難所の様子はどうか…など状況を把握し、それを関係各部署に知らせることは、政治家としての重要な役割ではないか。少なくとも、山本氏はその役割を果たそうとした。
 だが、それが気に食わない人たちもいた。政府批判の厳しさは、時にはやりすぎと思われるほどの「れいわ(山本氏)」だ。ヤツを潰せ、といきり立った人たちがいた
 このところの全国での山本代表を先頭とするデモ活動によって、「れいわ」の支持率が伸びている。「れいわ」を左翼と見るネット右翼諸氏が、この時ばかりと「れいわ」の足を引っ張るために、山本氏叩きに突っ込んだのだろう。
 それが、山本バッシングとなって噴出し、さらに「ボランティア迷惑論」にまで暴走した。「山本太郎の被災地入りは、現地の迷惑を省みないものだった」が「だから勝手なボランティア活動は迷惑なのだ」につながった。
 これでは、ボランティアをしようと思う人たちが尻込みするのは当然だ。現地で被災者たちと一緒にカレーを食べたことすら罵倒されるのでは、現地入りする気も失せる。結局、SNSがボランティア参加を阻害してしまったのだ。被災者の側に立つふりをして「山本叩き」をし、「ボランティア迷惑論」を振りかざした人たちの罪は大きい。

 今回の能登半島地震における災害救援ボランティアの参加を阻害したのは、まとめてみれば上記の3つの原因だったのではないか。ぼくはそんな気がしている。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。