いわゆるリベラル派を批判する意見が、このところかなり多いように思われる。むろん、ネット右翼諸士からのリベラル罵倒は今に始まったことではないけれど、どうも同じリベラル派と目される人たちの間でも、けっこう罵倒じみた言い争いが起きているような感じがする。なんだか切ない。
最近、ぼくのわりと親しい友人知人からも「いまの護憲派はダメだ」的な言い方をよく聞くのだ。
民主党時代の悪夢…?
この「マガジン9」は当然のごとく護憲派である。憲法を一言一句すべて守れとは言わないけれど「憲法9条の精神を大切にする」ということだけは譲れないと思っている。「マガジン9」の9とは、憲法9条の9なのだから。
ただ最近は「いまの護憲派の運動論は間違っている」「旧態依然のやり方では若い人たちはついてこない」「デモは恐そうで近づけない」「古臭い考え方は止めろ」「カッコ悪い」「何でも反対では説得力がない」「科学的データに基づかないから盛り上がらない」などと、運動の在り方そのものへの非難も多くなっている。
確かに「何でも反対」ではついてこられない人も多いかもしれない。だからと言って、リベラル派が同じ(?)リベラル派を非難している図を見るのは悲しい。
ぼくもかつては、そんな感じの発言をしていたこともあったと思う。「だから今のリベラルはダメなんだ」論である。忸怩たる思いがある。
マスメディアはもちろん、SNS上でも「自民党はもちろんダメだが野党もダメ」という記事ばかりだ。一見リベラル風の記事でも自民党批判はするけれど、その後半には決まって「だが野党がだらしないから……」が付け加わるのだ。
しかし、考えてみるといい。2009年には自民党が大敗、民主党が政権を奪取したではないか。ところが2011年に起きた東日本大震災と原発事故によって、民主党は政権の座から滑り落ちてしまった。もしあの大震災が自民党政権下であったら、自民党の政権復帰はあと10年以上は遅れたのではないかと、ぼくは思っている。
安倍晋三氏が繰り返した「民主党政権の悪夢」は、そのまま「自民党の長い悪夢」になっただろう。原発事故の後始末を、自民党ができたとはとても思えないのだ。
保坂展人さんの場合
かつてぼくは、東京の世田谷区長に当選したばかりの保坂展人さんの新書(集英社新書)を編集したことがある。そのとき、ぼくはタイトルを『闘う区長』にしようと主張した。保坂さんは渋ったが、当選したばかりの時期には強いイメージが必要だとぼくは考えたし、そう保坂さんを説得した。保坂さんは渋ったが、結局、ぼくの意見が通った。思い返せば、編集担当者として、ぼくはいささか強引だったと赤面する。
だがその新書の中で、保坂さんは自分の考え方を説明している。
世田谷区は、それまで長期間に及ぶ保守区政だった。保坂さんの登場に、当然ながら区の職員たちは不安を感じていた。保坂さんは土井たか子委員長時代の社民党の衆院議員だった人だ。「国会の質問王」とも呼ばれるほど、自民党政権を恐れさせた「リベラルの星」だった。これから何が始まるのかと、区職員たちは身構えた。しかし保坂新区長の採った手法は、職員たちも驚くほどやわらかなものだった。
「これまでの施策の95%はそのまま執行する。あとの5%の中で何ができるか、新しいことを考えていきましょう。何でもNO!ではなく、YES!世田谷 です」
これで職員たちは安心したらしい。
「いままでの自分たちのやり方のアンチではなく、ほとんどをイエスと肯定してくれるのだから」というわけだ。
保坂さんによれば、区民の暮らしにつながる行政は、保守も革新もない。ダメな部分を強調するのではなくいい部分を持ち上げて、少しの改革をそれに付け加えていく。それが現場の行政だ、ということになる。
いま、リベラル派で起きていることは「アンチ」や「NO」が多すぎるのではないか。闘うのはいい。だけど、闘い方を巡ってケンカをしてどうするのか。ぼくもそう思うようになった。それぞれのやり方でいいんじゃないの、である。
旧いやり方が不満なら、新しい方法を自分たちで見つければいい。ダメ論ばかりではなく、こっちがいいよ論を作ればいい。ダメ論を強調する人こそ「旧いやり方」の人なのだ、ということに気づいた。
鈴木邦男さんの覚悟
最近、「マガジン9」スタッフが編集した本が集英社新書から発売された。『鈴木邦男の愛国問答』である。
読み返してみる。邦男さんの「柔軟な考え方」に、いまさらながら驚く。邦男さんは右から左まで、付き合う人の範囲を決めない。波長が合いさえすれば(いや、合わなくたって)誰とでも、どんな人とでも話し合おうとする。
時にはそれで、怒鳴られたり殴られたりすることもあった。自宅アパートに火をつけられたこともあったのだ。それでも邦男さんはひるまなかった。
それが、ものを言う(書く)人間の覚悟でなければならないはずだ、「言論の覚悟」なのだと邦男さんは言った。この本の隅々にまで、その覚悟が満ちている。つまり、他人を否定しないこと。しかし、これは、おいそれとできることではない。
若い頃は「武闘派右翼」として名をとどろかせていた邦男さんが、どういうきっかけでそんな域に達したのか、それは分からない。ぼくが付き合い始めた頃には、すでにそういう思考を身につけていた。
ぼくにはとても真似ができない。誰にでも胸襟を開き、誰とでも語り合う。ぼくにはとても難しい。イヤな人はイヤだもんね。
それでも時折、邦男さんが漏らすことがあった。
「いくら話しても分かり合えない人もいるんだよねえ」
へえ、邦男さんでもそうなんだ、とぼくは少しほっとしたものだった。
ぼくは、リベラル派同士が罵倒し合うのを見たくない。
保坂さんなら「まずYES、そして5%の改革を」と言うだろう。ほんの少しの差異を言い立てて相手を非難するのが、リベラル派の悪い癖だと思う。ある時、邦男さんがこんなことを言っていた。
「左翼は頭がいいから、少しの違いでも気になって仕方がない。だから相手を言い負かそうと理論を組み立てる。すると相手も負けじと頑張る。そこで言い争いが始まって結局分裂していく。でも右翼はそんな理論を持っていないから、同じ陣営の中ではケンカしない。一緒に左翼撲滅で意気投合するからね」
でもほんとうはね、「左翼は頭がいいから論争するけど、右翼はそんなに頭がよくないから論争にならないんだ(笑)」と言ったのだ。
批判と罵倒は違うのです
かつてぼくの友人だったジャーナリストが、ある時から口を極めて「だから護憲派はダメなんだ論」を叫び始めた。「そんな仲間内の悪口を言ってどうするんだ」とぼくがたしなめても「そのあいまいな態度が自民党一党独裁を生み出している。批判を恐れるからおかしくなっちゃうんだ」と、ますます護憲派批判(罵倒)が激しくなった。
でもねえ、批判と罵倒は違うんだけど……と思った。とうとうぼくは、彼と付き合うのを止めてしまった。一緒に本を作ったこともある友人だったのだが。
自民党の腐敗が国民の大きな批判を浴びている。いまこそ、自民党を政権の座から引きずり下ろす絶好の機会だと思うのだが、野党はいつまでたっても分裂状態。自民党にすり寄るあの党やこの党には、ぼくはほとんど賛成できない。そこまで「共闘」する必要はないと思っている。
一方で、ひたすら純化を図って他党批判を繰り返す党もある。これもやはり、ぼくは一歩引いてしまう。
邦男さんのように「まず話し合うこと」「誰にでも胸襟を開くこと」から始めなければ、政権交代は無理だろう。保坂さんのように「95%のYESと5%の改革」を目指すことから始めるのもいいと思う。