第122回:保革を超え1200人が結集した陸自訓練場反対集会と始動した勝連分屯地、その差について(三上智恵)

 私が通った千葉県あたりの小学校では、林間学校は軽井沢、修学旅行は日光と決まっていた。沖縄本島では、5年生の宿泊研修といえば、うるま市にある石川少年自然の家と相場が決まっている。ハイキングをして、みんなでカレーを作り、キャンプファイヤーを囲んで嬉し恥ずかしフォークダンスタイム……。そこは、沖縄県民が広く共有する思い出の場所なのだ。ところが、その少年自然の家のすぐ隣、閑静な住宅地にも隣接している旧ゴルフ場の土地が、陸上自衛隊の訓練場になると報道されたのは去年の12月も末のこと。地域住民はまさに寝耳に水だった。説明会どころか、なんの根回しすらなく乱暴に始まったこの新しい自衛隊訓練場計画に対し、今回、住民の怒りの炎が拡がるスピードはとても速かった。

 特に一番近い旭区、東山区ではすぐに総会で反対を決議。区長会、市議会も保革を問わずに反対の声をあげ、地元選出の県議会議員が団結して反対を訴えたので、県議会も全会一致で自衛隊の訓練場建設に反対、玉城デニー知事も即座に呼応して防衛省に白紙撤回を要求した。自民党の市議、県議も一致して反対の声を上げるのは翁長知事を誕生させたあの時代のうねりを彷彿させた。

 沖縄県議会議員選挙を6月に控えて、自民党沖縄県連もこれはまずいと決意を固めて、代表が上京し白紙撤回要求を防衛大臣に突きつけた。国は、見直す意思はない、と言い続けてきたものの、旧ゴルフ場の土地取得を断念する可能性が報じられるようになった。そんな中で3月20日に開かれた、陸自訓練場計画の断念を求める市民集会には、過去2回しか埋まったことのないという大きな石川会館に入りきれないほどの1200人が集まった。久しぶりに見る県民のマグマ。参加者の年齢層も広く、オープニングは子どもたちのブレイクダンスという、基地に反対する集会のイメージを一新するような活気のある集会となった。今回の動画で、まずその熱気を感じてほしい。

 「正義は一つじゃない。だから争いは起きる」
 そんな言葉から始まる意見を述べた高校生代表の小橋川仁菜乃さんの発言には多くの大人たちも引き込まれた。

 「命より大事な正義はあるのだろうか? 私は、正義の対立をおさめる力は,憲法に基づくプロセスを経た対話であると考えます」

 会場が割れんばかりの拍手に包まれた。澄み切ったストレートな眼差しに、聞いている自分の心の雲も晴れていく気持ちになる。地元・旭区で生まれ育った彼女は、2月1日に開かれた防衛省による地元への住民説明会に参加して違和感を覚えた、と語った。

 「皆さんは今、国や地方の行政機関が行っている軍事力拡大・強化に関する計画が、憲法や法律に基づいた民主的な手続きによってなされていると思いますか?」

 彼女は先日石垣島で行われた、県民投票を振り返り未来につなげるイベントに参加し、県民投票を牽引した元山仁士郎さんや、石垣市民投票の中心になった若者たちと交流しているので、「地方の行政機関が行っている」という文言は、有権者の4割の署名を集めながら実施されなかった石垣市の住民投票を指していると解釈できる。大きく日本政府だけを悪者にするのではなく、県や市町村に民主主義があるのか? を問い直す、揺るぎない視点で問題を語っていることに感動する。かっこいいお兄さんお姉さんたちの頑張りが道となり、後から来る次の世代の未来を照らしてるのだなぁと再認識した。

 「憲法の理念に矛盾し、十分な議論がなされずに閣議決定された集団的自衛権の行使、安保関連三文書は違法であり、無効であると考えます」

 キッパリと言い切った小橋川さんのこの意見に、現政権は反論できるだろうか。ここまで沖縄を愚弄する政府の横暴が繰り返されてくると私たち大人は麻痺して、何がどうおかしいのか、どこから怒っていいのか、もうわからなくなってくるのだが、憲法の理念に矛盾している、民主主義のプロセスを踏んでない、だから無効。まさに、そう学校で習ったし、それこそ正論。くたびれた頭も整うような明快で爽快な訴えに、集会では万雷の拍手が送られた。

 今回のように沖縄において保革の枠を超えて一致するときのパワーは、とても大きい。あと一歩で訓練場計画を変更させる流れができるかもしれない、というところまできた。しかし、まだまだ予断を許さないが、たとえ石川地区での建設を断念させても、沖縄本島内で代替地を探すのであれば、新たな苦しみを生むことになる。それは注視しなければならない。決してNIMBY(not in my backyard)、つまり迷惑施設を造るのは「自分の庭だけは勘弁して」という話で終わらせては意味がないのである。

 しかし、「ここに造るのは反対」という一点での保革共闘なので、「どこに造っても反対」とか「うるま市の最も大きな問題である勝連分屯地のミサイル基地化についても反対」にまで結びつけることは、この結束にヒビを入れることになるというジレンマがここにも横たわっている。翁長知事を誕生させるときのオール沖縄体制がまさにそうであったが、それぞれの主張の違っている部分は棚上げしてでも辺野古の基地建設だけは反対するという一点でつながる共闘だったので、腹八分どころか腹六分で繋がるというお互いの忍耐がベースになっている。そして今回の石川の訓練場のケースも、動画の中で主催者の1人がその辛さを吐露したように、「腹二分、三分で繋がっているんです」という現状があるのだ。

 それは、1200人も集まった熱気も冷めやらぬ集会の翌日に、同じうるま市の自衛隊勝連分屯地に第七地対艦ミサイル連隊が始動する日を迎えたというのに、そのゲート前の抗議集会に集まったのが50人前後だったという落差に現れている。この陸上自衛隊勝連分屯地には、以前から地対空ミサイル部隊がいたのだが、そこに新たに地対艦ミサイル部隊が加わり、しかも奄美から与那国までの自衛隊のミサイル戦略の司令塔になる場所として重要な拠点が出来上がってしまったのだ。自衛隊のミサイル包囲網の発射台になってしまう危険は、自宅近くに訓練場ができる危険より決して小さくはないはずなのだが、そのことはうるま市民の共通の危機感にはまだまだなっていない。なんとも歯がゆい。

 「昨日の1200人は凄かった。しかしね、訓練場建設のこととミサイル配備反対を結びつけたら保守の人たちが離れてしまう。そこを慎重にするのはもちろん理解するけれども、せめて一言、明日は勝連分屯地のゲートにお集まりくださいと、一言でいい、言えなかったか。自分も会場にいて、何かやりようがあったのではと残念でならない」

 「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」の宮城英和さんは悔しそうにそう言った。同じうるま市の、同じ自衛隊基地強化の問題であり、危険と負担が増大する問題を前に、1200人と50人の差である。これは、3年前から声をあげてきた宮城さんたちにとっては厳しい現実である。

 勝連分屯地の門扉の横には真新しい看板が掲げられた。第七地対艦ミサイル連隊。ゲートの目の前に巨大なピカピカの庁舎が完成し、すでに200人の増員も終わって今日からスタートしたところだ。入り口では複数の女性隊員が銃に手をかけてこちらをみている。今まで見たことがない光景だ。思えば、与那国駐屯地の開設も、千代田の宮古島駐屯地の開設も、保良訓練場完成も、石垣駐屯地の開設も、全部この目で見てきた。その離島のミサイル部隊を統括する勝連分屯地のリニューアルの日に、これまでより少ない人数の抵抗しかできていないことに愕然とする。大事なことが伝わっていない。危機感が共有できてない。一生懸命に報道してきたつもりが、なんなんだ? という焦りがある。

 「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」の新垣邦雄さんが発言しているように、ここ勝連半島にはかつて射程距離2400キロあり中国を狙う地対地核ミサイルが置かれていた。ハーキュリーズと呼ばれる地対空核ミサイルの基地もあった。つまり勝連半島は、もともと米軍が中国を狙う核ミサイル基地として使っていた場所だったのだ。そこに再び、飛距離を伸ばす予定の12式地対艦ミサイル部隊を新編した。島々で進められてきたミサイル要塞化が、本日ここに完成したという重大な局面を迎えた日だったのだが、それがわかるような報道も少ない。訓練場建設反対についてはたくさんの特集記事が組まれ、大いに盛り上がっている。しかし、もともとある分屯地とはいえ、その中身が中国を狙うミサイル網の本部として再編されたことに、こんなに無頓着で良いものか? 私は頭を抱えてしまう。「新基地建設」には脊髄反射で危機感を持てるのに、この差をどう埋めたら良いのか。

 ゲートの前で宮城英和さんに、今一番、誰に何を伝えたいですか? と質問したところ、沖縄をなんだと思ってるのか、と本土や政府に言いたい気持ちはないわけではないけれど、と前置きしつつ、こう言った。

 「まずはうるま市の皆さんに、もっと知ってほしい。ミサイル部隊がくる、連隊本部がここにくることの危機感を、まずはうるま市民の皆さんが共有しないことには。うるまの皆さんがもし、みんなでこれはダメだと言えば、全国の人にも伝わって行くでしょう。まずは地元ですよ」

 私も19年間、夕方のローカルワイドニュースを担当してきた者として、まずは沖縄県民に情報を届けて共通の認識と危機感を共有する重要性を、いくら強調しても足りないほど大事だと思っている。それで初めて政府に届く力になっていくのを目の当たりにしてきたからだ。報道する側がいくら鼻息荒く「許せないのは日本政府の住民を無視したこのやり方です」と石を投げるコメントをつけても、危機感が沖縄県民に浸透していなければ、ローカルの報道としては不十分なのだ。本土に向かって訴えていく役割と、地域の中で問題を共有する力をつけていくことは、沖縄発の報道では両輪である。そして案外壊せないのが、県内でも少し離れた地域の問題を共有することが難しいという単純な構造だったりする。宮古、石垣で、家の近くに自衛隊基地が作られることに悲鳴をあげてもなかなか問題が共有されなかったことと、同じうるま市内でも情報と危機感が共有されないことは同じ構造だ。それを超えていくためには、ローカルの報道の力はいつの時代でも常に揺るぎなく重要になってくると思う。

 本土にも伝わり、県民にも伝わる力のある報道。それがどんなものなのか、もっとうまいやり方はないのか、あれこれ考え続けて30年目になるが、まだまだ正解は見出せない。でも、硬軟いろんな分野の人たちの力も借りながら、また遠くにいても耳を澄ませて発信を待っていてくれる人たちの存在を信じながら、日々努力を重ねていくことは、決して遠回りではないのかもしれないと、今思い始めている。

三上智恵監督『沖縄記録映画』
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標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
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三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)