第123回:平和の羅針盤を失った日本丸~勝連ミサイル連隊発足と日米首脳会談(三上智恵)

 「捧げ~銃(つつ)!!」

 沖縄県うるま市の陸上自衛隊勝連分屯地に号令が響く。第七地対艦ミサイル連隊の発足式典。政府要人を迎えるにあたり、ずらりと並んだ礼服の自衛隊員が銃を両手に持って引き寄せ、顔をグイっと上げる。空気が張り詰める。ファンファーレが高らかに演奏され、壇上で防衛副大臣から隊長に、隊旗が授与された。この曲、この光景。私は何度同じものを見ただろう。

 これが「軍隊」以外の何かに見える人は、世界のどこにもいないだろう。しかし未だに自衛隊は、日本国内では行政機関の一つであって軍隊ではないと規定されているという。私はため息しかでない。2016年以降、与那国、宮古、石垣と新たに配備された陸上自衛隊部隊の「隊旗授与式」を見てきた。軍隊のいなかった島に、米軍ではなく日本の軍隊が次々と入ってくる瞬間を、毎回ずっしりと重い空気を吸い込むような気持ちで見つめてきた。まさに、あの戦争以来の、島々に武器を持った日本軍が入りなおす姿である。しかし、日本軍とは誰も言わない。国際法上は紛れもなく軍隊であり、戦闘員と扱われるにもかかわらず、おかしなタテマエは温存されている。放送局時代、原稿に「日米両国の軍隊が駐留する沖縄では……」と書くと、訂正を迫られた。沖縄では通ったが、全国ネットでは間違いとされた。実に奇怪なルールが守られ続けている。

 あくまで自衛。海外には出ない。こちらから攻撃はしない。そう学校で習ったはずだが、海外派遣も敵基地攻撃も可能になった今、それでもまだ軍隊と呼んではいけないという形骸化したルールにこだわる必要があるだろうか。ところがメディアや教育界には、そんなアップデートしない人々が跋扈する。彼らはなんの番人なのだろう? といつも思う。「憲法に合致しないから軍隊と呼んではいけない」のではなく、自衛隊のほうを、戦力不保持を謳う憲法に合わせて、災害救助隊などに改編するべきだ、とでも主張するならまだわかる。それもせずに言い換えでお茶を濁し、自衛隊の職務範囲や役割が刻々と変化することを鈍感に見過ごしてきたからこそ、現在進行する南西諸島を中心とした自衛隊のミサイル戦略について理解が追い付かず、記事も書けないし学校でも教えられない。それは、当然の帰結なのかもしれない。その結果、国民は今国防に関して起きていることを受け止めて理解する力が極限まで低下していると感じる。

 今年度から、南西諸島に張り巡らされたミサイル網の指揮統制機能を持つ部隊が、陸自勝連分屯地で本格始動した。これで宮古・石垣・与那国から奄美までのミサイル戦略システムは完成したのだ。でも、その意味、恐ろしさ、危機感が、全国はおろか沖縄県全体にも共有されないまま、新編を祝う式典の日を迎えてしまった事に忸怩たる思いがある。もちろん、それを止めようと、この数年周囲に呼びかけ、地域にポスターを貼って知らせ、勉強会を開き、奔走してきた人たちがいる。彼ら・彼女らは、この日の朝どんな気持ちで集まってきたのだろうか。いつもの集合場所に集う人々の表情は硬いが、リーダーの宮城英和さんが、抗議文を手渡すためにゲート前まで行く希望者20人を募ると、サッとたくさんの手が上がった。

 「身近に危険が迫ってきているのに、とても祝う気になれない」
 「ここが戦場になることを決して受け入れたわけではない」

 気落ちしてはいられないと、祝賀行事に反対しミサイル部隊の配備に抗議する集会を勝連分屯地のゲート前でやろうと、「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」(うるま市民の会)など地域の住民が先頭に立って企画した。ところが、抗議文を自衛隊の幹部に直接渡す段取りをしていたにもかかわらず、当日朝には勝連分屯地の進入路の入り口にフェンスが置かれてしまい、ゲート前で手交することができなくなった。簡易フェンスを設置して道をふさいだのは沖縄県警ではなく、自衛隊だった。

 「何の権限があって、自衛隊員が民間地の道路の封鎖をするんだ!」
 「迷彩服のまま市民に指示を与えるなんてもってのほか。軍隊が住民に命令をしていいのか!?」

 集まった150人は一般道に立ちはだかる迷彩服姿の異様さと、それを守るように働く沖縄県警の姿に抗議の声を上げた。思えば住民の不安も疑問も、ことごとく無視されてここまで来てしまった。何度求めても説明会も開かれなかった。ミサイル基地の受け入れの是非を問われることもなく、議論する暇もないまま、あれよあれよという間に工事が進み、200人の隊員が新たにやってきて新編成が完了した。1万人余りの署名を集め、市民の8割がミサイル基地の配備に反対していることを突き付けてきたにもかかわらず、これらの民主的な手法で異議を唱えるすべてのことは黙殺されてしまった。

 「有事になったらまた狙われるのは、この基地のある、我々うるま市だということを、我々は怒っています」
 「自衛隊が来たために沖縄県民が死ぬようなことは絶対に我慢ならない!」

 うるま市民の会共同代表の照屋寛之さんは満身の怒りを込めて抗議文を手渡すが、受け取った自衛隊員の口から出たのは「上司や宛先に申し伝えます」の12文字だけだった。その時間、式典にはこの部隊編成を歓迎するうるま市長や保守系国会議員らが出席し、祝辞を述べていた。沖縄県民の安心・安全に寄与するものと期待しています。異口同音にそう言って隊員を激励した。しかし野党系の5人の国会議員は式典への出席を拒否し、抗議集会のほうに参加していた。

 「軍隊が来てくれたほうが安心」、という考え方と
 「軍隊がいる場所は戦場となり暮らしが破壊される」、という考え方。

 米軍にせよ自衛隊にせよ、それを受け入れ、あるいは押し付けられている側には、常に二つの考え方が並行して存在する。もちろん、遠く離れたところに住んでいる大多数の日本国民は、「軍隊はいてくれたほうが何となく安心で、周辺の一部の暮らしが破壊されるとはいっても多少の犠牲は仕方ないよね」と思っていることが、この問題の背景に大きく横たわっているのだし、それこそが理不尽な状況を産み続けているのである。でも私が今言いたいのは、我が国を取り巻く国際環境が厳しさを増しているから抑止力なんだ、安心なんだ、と軍隊を受け入れた島で、今何が起こっているのかということ。

 2016年、まっ先に沿岸監視隊というソフトな名前の自衛隊基地を受け入れた与那国島をよく見てほしい。入れないと言っていたミサイル部隊の増設が決まり、来ないと言っていた米軍も演習に来るようになり、琉球列島最大の湿地を破壊して巨大な軍港を造ることになり、戦車やPAC3が我が物顔で走るようになり、武力攻撃「予測」事態と政府が認定したら島を捨てて遠い九州に無期限で避難を義務付けられることになった。この状況を正面から見据えてくれている政治家がどれだけいるのか。同じ沖縄県民でも、与那国島が今抱えている不安やくやしさを共有できている人が何割いるのか。日本の軍事拠点の島にされた、その結果の一つはすでに示されているというのに、この状況を正視してもなお、自衛隊が来てくれたほうがきっと安心、と言いつづけられるだろうか?

 この8年の南西諸島の要塞化を記録した私の映画『戦雲』(現在、全国公開中)は、見てくれた人たちに大変な衝撃を与えているようだが、知らなかったでは済まない事態が進行している。私はこの映画を全国会議員に、全沖縄県民に、全マスコミに、全教職員に、全自衛隊員に、全国民に見てもらいたいのだ。沖縄の島々のために、ではない。平和への羅針盤を海に落としてしまい、暗黒の航海を始めているこの国の今を知るためにである。

 自衛隊は今、陸海空を一元的に指揮する統合司令部の創設をめざしており、現在国会で審議中だ。これで米軍との連携をさらに密にし、共通の情報、共通の技術で共通の敵に対処することができると鼻息の荒い組織幹部のインタビューを目にすることが多くなった。まさに今開催中の日米首脳会談で、自衛隊の指揮統制の見直しという名の「自衛隊の米軍の二軍化」が進み、軍事同盟強化が高らかに歌われるのだろう。これで安心が増したという論調の記事もこのあと多く出てくるだろうが、果たしてそうだろうか。多少の犠牲は仕方がない、と民主主義を抑え込みミサイル拠点がどうやって造られていくのかを今回の勝連分屯地の動画で確認したみなさんは、こうやって安心が作られていくんだと眺めていられるだろうか。それもアメリカの利益が最優先される軍事戦略の中で、国土と自衛隊員の命を捧げてまで共に戦うことが本当に国益になるのか、充分に議論されたこともないのに、そんな合意を呑み込んでよいのか、不安になるのではないだろうか?

 じわじわと日常生活に侵食してくる自衛隊強化、それは今沖縄でだけ起きていることではない。全国の港湾や空港が「特定利用港湾・空港」という名で軍事的に強化され、軍事優先使用が義務付けられる。広島県呉でも、京都府祝園弾薬庫でも、大分県敷戸弾薬庫でも、大規模な弾薬庫増設が既定方針となった。この、全国の皆さんの足元で起きていることと、日米首脳会談で合意されること。この二つを結び付けて見えてくるものは、舵も利かない泥船で荒れ狂う黒い海に乗り出していく哀れな日本丸の姿である。

三上智恵監督『沖縄記録映画』
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標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
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三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)