第135回:世界各地の映画祭を巡りながら感じ考える(想田和弘)

 新作『五香宮の猫』(2024年、観察映画第10弾)がベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映されたのを皮切りに、世界各地の映画祭巡りが始まった。

 ベルリンの直後にはEast Asia Film Festival Ireland(アイルランド東アジア映画祭)へ参加し、いったん日本へ帰ってからは、香港国際映画祭へ出席した。アイルランドは生まれて初めて行ったが、香港映画祭は今回で実に8回目である。

 なぜ国際映画祭で映画を上映し、参加するのかといえば、いくつか理由がある。

 まず、映画祭での上映は、それぞれの国や地域の観客や映画関係者に作品の存在を知ってもらう機会になり、本格的な配給につながる。作品を世界各国の観客に届ける上で、映画祭は重要なのである。

 また、それぞれの地域の観客と出会い、直に反応を感じ取り、交流できることも大きな魅力である。上映後の質疑でのやりとりはもちろん、自分の映画を映画館の暗闇で観客と一緒に観るだけでも、みんながどのシーンで笑い、どのへんで集中力が高まり、どのへんでダレるのか、如実に感じ取ることができる。

 映画作家としては、そういう反応を人々から直接受け取れること自体が、大きな喜びである。DVDや配信やテレビでは基本的に不可能なことであり、だからこそ、いくら映画館が「斜陽」だと言われても、僕は映画館での上映にこだわるのである。

 『五香宮の猫』は今のところ、各地でとても人気がある。

 ベルリン映画祭では4回の上映が発売と同時に売り切れてしまった。ベルリンで自作を上映したのは今回で5回目だが、そんなことは過去には一度もなかった。のみならず、アイルランドのダブリンでもチケットが完売し、香港にいたっては2回の上映がすぐに売り切れてしまったため、追加の上映が行われることになった(その上映も完売した)。僕の作品では前代未聞である。

 『五香宮の猫』の上映では、冒頭から笑いが絶えない。どの国でもきまって爆笑が起きる場面もある。上映後の観客の反応も、とても熱いものを感じる。映画が終わったときに何だか泣けてきた、という人も意外に多い。

 実は、こういう強い反応はまったく期待していなかった。というのも、『五香宮の猫』は牛窓の小さな神社の日常を描いた作品で、あまり大きな事件も起きぬ、静かでおとなしい作品だからである。観客の反応は作り手には決して予想できぬものなのだと、あらためて思う。

ベルリン国際映画祭『五香宮の猫』上映会場にて

 映画祭を巡っていると、世界の変化も直に感じる。

 今回、とても困ったのは、どこへ行っても物価が非常に高いということである。30年間のデフレで日本の賃金レベルが上がらない上に、アベノミクス後遺症(というよりも、今も現在進行形?)の円安で、どこでも物価が日本の2倍くらいに感じる。

 1980年代までは経済的に貧しい印象があったアイルランドは、この30年で急成長していて、物価も高かった。ある日、アジアの味が恋しくなって一人でタイ料理のレストランに入ったのだが、前菜とメインとお茶のセットが30ユーロ。ビールが6.5ユーロ。チップ10%でだいたい40ユーロである。これ、1ユーロ162円で計算すると6500円。とても美味しかったが、日本で同じクオリティのものを食べたら3000円くらいであろう。なお、このレストランは決して特別高いわけではなく、アイルランドではスタンダードである。

 香港は以前は「安くて美味しい」印象があったが、今は「美味しいけど高い!」と表現せざるをえない。なにしろ、ラーメンのようなヌードルスープが日本円にすると3000円近くしたりする。ビールも1杯2000円近い。最近、北海道や福島で外国人向けに1杯3000円のラーメンを売り出したことが日本でニュースになっていたが、香港ではニュースにならない普通のことである。

 思い出したのは、1990年頃、インドネシアのバリ島へ、お葬式の研究のために行った時のことである(当時僕は東京大学で宗教学を勉強していた)。その当時は日本円も強く、バリでは何でも激安に感じた。しかしあるとき、レストランの席に着いて周りを見渡すと、客の中に地元の人がほとんどいないことにも気づかされた。僕ら外国人が食べるものは、バリの人には高すぎたのだ。

 それ以来、物価が“安い”ことを無邪気に喜べなくなった。というのも、外から訪れた僕が“安い”と思っている物価は、そこで生活している生活者にとってはまったく安くないことを意味しているからだ。バリ島の人にとって、僕ら外国人はいったいどのように見えるのだろう。そう考えたときに、なんだかいたたまれなくなった。そういう意味では、いま私たち日本人が、かつてとは逆の立場を経験しつつあることは、良いことなのかもしれない。

 いずれにせよ、これだけ円の購買力が落ちていたら、食糧だろうがエネルギーだろうが、必需品の多くを外国から輸入してすませるというライフスタイルは、長くは続けられないのではないだろうか。

香港の書店に山積みされた日本のガイドブック。香港の物価が日本の2倍くらいに感じるということは、香港の人にとっては日本の物価は50%オフに感じるということだ

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。93年からニューヨーク在住。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』『精神』『Peace』『演劇1』『演劇2』『選挙2』『牡蠣工場』『港町』『ザ・ビッグハウス』などがあり、海外映画祭などで受賞多数。最新作『精神0』はベルリン国際映画祭でエキュメニカル賞受賞。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』『観察する男』『熱狂なきファシズム』など多数。