第305回:「原発」を読む(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 能登半島大地震でもっとも揺れた場所に、もしかしたら「原発」が建っていたかもしれない。そう、珠洲市である。
 もし「珠洲原発」というものが、政府や電力会社のごり押しで建てられていたとしたら、今回の地震で能登はむろんのこと、風向きによっては、日本の中央部は大打撃を受けていたことだろう。ぼくだって、パソコンに向かってこんな文章を書いている場合じゃなかったはずだ。
 あの2011年3月11日の恐怖が甦る。能登半島地震によって、ぼくだけではなく、たくさんの人たちが、その思いを強くしたはずだ。だから今、もう一度原発について考え直そうという機運が高まっている。それに向けた本の出版も相次ぐし、少し前の原発本にも光が当たっている。
 そんなわけで、今回のこのコラムは、今読むべき「原発関連書」を、取り上げてみたい。よかったら、ぜひこのうちの何冊かを、ぜひ手に取ってもらいたいと思う。

『ためされた地方自治 原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年』(山秋真/桂書房 1800円+税)

 まず、この本だ。2007年に発行されたものだからやや古いけれど、能登半島地震によって改めて原発の恐怖が再認識されて本書の価値が見直され、最近第3刷となった話題の本である。サブタイトルにあるように、原発建設を阻止した人たちの13年間の闘いを描いている。
 いかにして原発建設が阻止されたのか。
 関西電力、中部電力、北陸電力という巨大組織を相手に闘う人々とともに生き、ともに泣き笑い、その経緯を克明に綴った迫真のルポルタージュである。
 1975年ごろから、能登半島突端の珠洲市に原発建設の計画が持ち上がった。それは当然ながら、巨大な利権とそれに群がる政治家たちと原子力ムラからなる凄まじいほどの圧力を伴っていた。
 どこの原発立地自治体でも見かけるように、地元は地域振興や過疎化対策を旗印にする人たちと、原発という得体のしれぬ危険よりも穏やかな日常を守ろうとする人たちとの、鋭い対立を生み出す。それまで親しかったとなり近所づきあいも、原発を巡ってぎくしゃくし、ついには抜き難い不信の分裂分断に至る。
 市長選挙はその分断の象徴的な闘いでもあった。若き著者は、その渦中に飛び込んでいく。かくして、このルポルタージュの幕が開く。主人公はむろん、地元の普通の人々。そして13年間にわたる闘いの結果は……。登場人物はみんな「普通の人」である。
 その「普通の人たちの言葉」が身に染みる。ともあれ、ところどころで涙ぐんでしまうような、絶対のお薦め本である。こんな本が隠れていたとは驚きである。
 なお、同著者の『原発をつくらせない人びと―祝島から未来へ』(岩波新書、760円+税)もまた、闘いの現場に飛び込む著者の面目躍如のルポルタージュである。ともに読むことをお薦めしたい。

『差し迫る、福島1号機の倒壊と日本滅亡』(森重晴雄/せせらぎ出版、1000円+税)

 緊急出版と銘打たれている、いま話題の本である。著者の森重氏は元三菱重工主席技師という専門家だ。名古屋大学工学部原子核工学科(プラズマ研究所)で核融合を研究、その後大阪大学工学部で溶接工学を学び、後に三菱重工へ就職という経歴。福島第一原発1号機の耐震構造などにも携わった技術者である。
 その森重氏が、警告するのは1号機の倒壊という恐るべき恐怖。ペデスタルと呼ばれる原子炉圧力容器を支えている内径5メートルの筒状の土台と、さらにその基礎のインナースカートという鉄筋コンクリートで固められている部分が、耐震上の重要な部分となっている。ほとんど報道されていないけれど、これがかなり危機的状況にあるという警告が本書のポイントだ。
 1号機のプールには、今も380体もの使用済み核燃料が保管されて冷却中だが、これを取り出すことができずにいる。もし、震度6程度の地震が起きれば、これがどうなるか。
 とても難しい話なのだが、易しい解説と豊富な図表や写真などで、ぼくのような者にも理解できる。読んでいて恐ろしさに震える。
 「福島の原発事故はまだ終わっていない。ますます高まる危険度。回避できるのに、なぜしないのか?」と表紙に刷り込まれている。86頁の小冊子だけれど、衝撃度は半端じゃない。まだ終わっていない福島原発事故。また襲ってくる地震と、それがもたらすさらなる惨事。これはぜひ読んでほしい。

『Manufacturing Consent 原発事故汚染水をめぐる「合意の捏造」』(牧内昇平/ウネリウネラ、1200円+税)

 小さな事実の積み重ねで大きな疑惑を暴いていく。さまざまな取材を通し、また公開された記事などを渉猟し、さらには自身が得た情報を整理して、「合意の捏造」という巨大な権力の汚れた手法を、闇から白日の下に引きずり出す。
 著者は元朝日新聞記者。培ったジャーナリストとしての嗅覚が、何が問題点なのかを探り出す。新聞社を退社後、フリーのライターとしてパートナーとの二人三脚で物書きユニット「ウネリウネラ」を結成し、主に原発問題を追及。福島市に移り住んで地道な取材活動を続けているが、その成果の一端が、この本に結実した。
 元新聞記者だけに、古巣のマスメディアについての批判も鋭い。
 メディアによる風評払拭プロパガンダについては、汚染水放出の広告の取り扱いにも関わって、「多くのテレビや新聞が政府にCMや広告枠を提供してきた。政府の海洋放出プロパガンダに乗っかって利益を得ているという点では、他のマスメディアも同じだ。なんとも情けない事態である」と厳しい。
 こんなジャーナリスト魂を持った記者が、最近、続々と新聞社を辞めていく。それがまた、メディアの衰退を招いていることに、なぜ情報企業たる新聞社は気づかないのだろうか?

『ALPS水・海洋排水の12のウソ』(烏賀陽弘道/三和書籍、1500円+税)

 牧内さんの著書が汚染水放出をめぐる「合意の捏造」を追及しているのに対し、烏賀陽さんの本書は、いわゆる“ALPS処理水”の放水そのものが、いかにウソまみれのものなのかを、12の項目に分けて説明している。なかなかの説得力があって引き込まれる。とりあえず、その項目を挙げておこう。
•国内問題だった放射性物質汚染を国際問題に拡大した
•「海洋排水しか方法はない」
•「タンクの置き場所はもうない」
•「ALPS水排水は被災地復興に必要だ」
•「ALPS水の海洋排水は廃炉を進めるために必要だ」
•「ALPS水を海洋排水すればタンクはなくなる」
•「風評被害をなくすことが必要だ」……
 こんな具合に、12のウソをひとつひとつ検証していく。いずれも、ぼくらの耳にタコができるほど東電や政府から聞かされてきた話ばかりだ。それがいかに欺瞞に満ちたものだったかを、こと細かく記述しているのだ。
 なお、著者の烏賀陽さんもまた、朝日新聞を早期退社した方である。

『東京電力の変節 最高裁・司法エリートとの癒着と原発被災者攻撃』(後藤秀典/旬報社、1500円+税)

 東電がウソを垂れ流すことの陰に、東電内部の問題が隠されていることを教えてくれるのが本書だ。中で語られるのは、サブタイトルにある問題だ。
 この司法と電力会社の癒着は、原発裁判を語る上では避けて通れない問題であるはずだが、なぜかほとんど報道されないブラック・ボックスでもある。裁判所が次々に、原発事故被災者の支援打ち切りを支持し、それによってお墨付きを得た政府・東電と、そこに連なる者たちが、激しい被災者バッシングを行うに至る。
 しかし著者はその不可触部分に果敢に斬り込んでいく。それが「最高裁判事の大問題」なのだ。「国に責任はない」という判断を下した最高裁判決は、いったい誰が書いたのか。実は「最高裁・国・東京電力」という巨大なトライアングルが原発裁判を左右していると、著者は暴く。
 「最高裁判事が経営していた事務所の弁護士が東電社外取締役に」「原子力規制庁の元職員が東電の代理人に」「東電会長につながる産業再生機構人脈」「裁判所、国、企業を結び付ける巨大法律事務所」……。背筋が寒くなるような権力構造が示される。
 では、その法律事務所とはどこで、その最高裁判事とは誰か? ぜひ、この本を読んで怒りを新たにしてほしい。

『南海トラフ地震の真実』(小沢慧一/東京新聞、1650円+税)

 さまざまな数字や資料が飛び交うのが「原発問題の複雑さ」である。だから、その数字を操作したり、資料を故意に読み替えたりすることによって真実が隠蔽されてしまうことも多々ある。本書は、そんな隠蔽を暴いてみせたスクープだ。
 最近は、能登半島地震も含めて地震が多発している。能登、青森、千葉、茨城、台湾、宮崎と、ほんの3カ月足らずのうちに、日本各地でたくさんの強い地震が起きている。その度にニュースは「なお、この地震による○○原発への影響はありませんでした」と、判で捺したような一言をつけ加える。ほんとかよ、とぼくなどは眉に唾をつける。
 さらにその度に「ところで、あの南海トラフ大地震はいつ来るんだろうか」と不安に襲われる。静岡から九州にかけての太平洋側で、30年以内にマグニチュード8~9クラスの巨大地震が起きる可能性は70~80%になる、と我々はしきりに注意喚起を呼びかけられているのだから不安は当然だ。
 しかし、それは真実なのか?
 東京新聞記者である著者は、ある学者から「その確率は怪しい」と聞かされて、取材を始める。するとそこから奇怪な事実が次々に噴出してくる。なにしろ、この巨大地震についての対策には天文学的な予算が必要になる。するとそこに「地震ムラ」が発生する。考えれば「原子力ムラ」と同じ構造だ。
 この地震確率の高い数値が独り歩きし始めた裏には、古文書の誤読(というより意識的な読み替え)などの欺瞞があった……。
 地震学と行政・防災の予算獲得をめぐる動きに、著者の調査は迫っていく。まことにスリリングな展開。地震予知という未知不可知の科学領域の中で、ひとりの記者の執拗な調査報道がここに実を結んだ。お薦め本である。

『双葉町 不屈の将 井戸川克隆 原発から沈黙の民を守る』(日野行介/平凡社、2200円+税)

 ここまで紹介してきた本とは、やや毛色の異なる人物ノンフィクションだ。
 あの福島第一原発事故の際、原発立地の福島県双葉町の町長だったのが井戸川氏だ。井戸川町長は事故後すぐに、独力で避難先を探し、町民約2000人を引き連れて、埼玉県のさいたまアリーナに向かった。ここから、井戸川氏の苦難の行程が始まる。
 著者は毎日新聞記者として、原発報道の最前線で苦闘していた。そして井戸川氏に不思議な引力を見出す。以降、著者は井戸川氏の強烈な個性と同行することになる。その内容については本書を読んでいただくしかないけれど、著者は井戸川を追い続ける理由を、次のように記している。
 「福島第一原発事故は加害者が存在しない自然災害ではなく、国策が引き起こした巨大な人災だ。不作為の罪と責任を帳消しにするため幕引きを急ぐ国策にすり寄れば、たちまち絡め取られて泣き寝入りするしかなくなる。井戸川のように妥協なく闘い続けなければ、自らの尊厳を守り、人生の意義を奪い返すことはできない。井戸川の言を借りれば、『自分の権利を主張しないと地獄に落ちる』。
 過酷な原発事故の世界にあって、孤高を貫いているのは井戸川克隆の他には見当たらない。私にとって井戸川はいつしか原発事故の被害像を共有する数少ない同志となり、その闘いの行方を最後まで見届けたいと考えるようになっていた。」
 付け加えることはないだろう。人間に魅せられ、その人の最後までを見届けようとする覚悟。ノンフィクション作家の、これが行き着く果てなのだろう。
 なお、この著者もまた毎日新聞社を退社した方である。

『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日~5月11日』(鈴木耕/マガジン9ブックレット、1000円+税)

 自分の本を提示するのは気がひけるけれど、これだけは残しておきたいと思う。福島第一原発事故当日の2011年3月11日から書き始めたツイートを、2カ月分だけまとめたブックレットである。
 毎日が、胸苦しい日々であった。うまく眠れずびっしょりと寝汗をかいて目覚める夜ばかりだった。だがここには、ひとりの素人が、必死になって日常を生き、自分なりに情報を集め、この国の“最後”を見届けようとした切なさが満ちていた。
 少ない預金を現金化し、妻とふたりで真剣に西へ逃げようと相談した夜もあった。だが、娘を置いて逃げられない。娘は恋人がいるから逃げない、と言う。そんな個人的な感情の揺れもここには記されている。むろん、さまざまな知人友人(ジャーナリストや研究者、大学教員、評論家など、ぼくは仕事上、一般の人たちよりも情報に接する機会は多少あった)からや、メディア記事などからも得た情報を、連日、ツイートしていった。
 これは個人的にも大事な記録である。
 あの日を忘れないために、そしてあの日を再現させないためにも……。
 

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。