『人生が二度あれば』(井上陽水)という歌がある。年老いていく父と母を見つめながら、ああ、人生が二度あれば……とふたりへの想いを歌ったものだ。歌われていたその父母よりも、もうぼくのほうが年老いてしまっている……。
人生が二度あれば、人は二度死ななければならないか。
そういえば『007は二度死ぬ』という映画があったな。むろん、人は二度は死ねない。だから、死んだように見せかけて実は……というストーリー。大人気シリーズで、007(ジェームズ・ボンド)役のショーン・コネリーが、ぼくは大好きだった。それにこの『二度死ぬ』は日本が主な舞台になっており、その点でもちょっと興味をひかれた作品だった。若きボンド・ガールは浜美枝が務めていたな……。
人(いや、あらゆる生物)は、二度は死ねないけれど、この世界には生きているように見えたとしても死んでいるヤツ(もの)も存在する。そう、「おまえはすでに死んでいる!」である。漫画『北斗の拳』(原哲夫、武論尊)の主人公ケンシロウが放った言葉として有名になった。
生きているように見えたって、実は死んでいる……。ぼくには、その代表的なモノが見えている。原発というヤツだ。
原発に「人生(!)が二度」あってはならない。原発は日本では、あの福島で一度死んだのだ。ジェームズ・ボンドではないのだから、二度と生き返らせてはいけない。「原発よ、おまえはすでに死んでいる」のである。
こう書くと「じゃあチェルノブイリはどうなんだ。ロシアではチェルノブイリ事故以降も原発は生きているぞ」などという非難罵倒が飛んでくるだろう。だからここでは「日本の原発」の話だ。だって日本はこんな地震大国なのだから……。
能登半島地震と志賀原発
能登半島大地震で、改めて原発は瀕死状態であることが分かった。
もし、今回の地震でもっとも揺れの大きかった珠洲市に、計画どおり「珠洲原発」が建設されていたら、日本はいったいどんな惨禍に見舞われていただろう。珠洲原発がなくて日本は救われたのだ。これは粘り強く原発建設に反対してくれた地元住民のみなさんのおかげである。我々はほんとうに、心から感謝しなければならない。
だが、能登半島の志賀町には「志賀原発」が現存する。実はこの原発がそうとうヤバかったのだ。それは、北陸電力の対応のひどさにそのまま表れていた。
志賀原発は2011年の福島原発事故のあと運転停止中だったからなんとか助かったようなものだけれど、もし運転中だったら、と想像するとゾッとする。それほど北陸電力の対応はデタラメだった。
さまざまな報道をぼくなりに整理すると、以下のようになる。
◎北陸電力の対応
なぜか地震発生後、ほぼ2カ月にわたって被害の詳細を明らかにせず、報道陣への公開もずっと拒否し続けてきた。むろん「内部調査が終わっていない」「被害状況の把握に時間がかかっている」などと言い訳したが、本来ならその被害状況をそのまま公開するのが筋だろう。なぜ公開できなかったのかは、以下の事情による。
◎監視付きの公開
やっと原発施設の公開に踏み切ったのは、実に2カ月以上も経った3月7日だった。だが報道陣には、各社ごとに北陸電力社員が1名ずつべったりと張り付いて監視、その上で撮影場所を指定した。それ以外のところは撮影を拒否し、カメラを手でふさぐということまで行った。当然、報道陣からは不満の声が上がったが、北陸電力側は批判を受け付けなかった。
◎外部電源
核燃料棒を冷却するためには外部電源が必要だが、冷却プールに電力を供給するための変圧器が1、2号機ともに破損。3系統5回線(志賀中能登線=500kV 2回線、志賀原子力線=275kV 2回線、赤住線=66kV 1回線)の外部電源5回線のうち、いちばん大きな2回線がいまだに使えていない状況だという。他の3回線でなんとか冷却をしているというのだから危なっかしい。
なお、この変圧器の撮影も、当然のように拒否されたという。
◎変わる説明
当初の北陸電力の発表では、変圧器からの油漏れは3500リットルとなっていたが、後にその5倍超の1万9800リットルと訂正。実は2万リットルを超えていたのではないかとの疑問もあったが、スーパーの売り出しの198(いちきゅっぱ)と同じように、値を低く見せるための数字合わせだったらしい。実際には2万3500リットルだったという。漏れた油は敷地内にとどまっていたとの説明だったが、これも後に海へ流出していたことが判明した。
さらに津波の高さは、当初は「水位計に変化はない」と発表。だがこれも後に、1~3メートルの津波が数度にわたって押し寄せていたことを認めた。とにかく、発表を小出しにして、後から訂正していく。なんとも姑息な対応である。なぜこんなにも、いずれバレるようなウソをつき続けるのだろう? そこがよく分からない。
◎モニタリングポスト
地震発生後すぐに、モニタリングポストの値に異常はない、との発表があった。だが実際には96カ所のモニタリングポストのうち最大で18カ所が作動せず、放射線量の測定はできていなかった。しかも、モニタリングポストの非常用電源が確保されていなかったという杜撰さも露呈した。
◎北陸電力の体質
どうも、この北陸電力という会社には「隠蔽体質」が染みついているらしい。この会社には、かつて大きな事故隠蔽の過去があった。1999年6月、志賀原発1号機で定期点検期間中に、原子炉で臨界事故が発生した。
臨界事故というのは、制御不能の状態で臨界(中性子の生成と消失の均衡が保たれている状態)を超えてしまう事故で、中性子が増えて臨界超過になり、そのままだと放射線が急激に放出されて、原発機器だけではなく人体にも影響を与える。
この重大な事故があったにもかかわらず、これを公表せず、表沙汰になったのは事故から8年後の2007年4月であった。つまり、北陸電力は8年間にわたって「臨界事故」という重大事故を隠蔽し続けたということだ。
これに対し、さすがに原子力・安全保安院(現在の原子力規制委員会)が、厳重注意を行った。
電力会社は不祥事のデパートである
こんな隠蔽は、実は北陸電力に限ったことではない。極論すれば日本のすべての電力会社に共通した体質と言える。
例えば東京電力の事故やトラブル隠し(2002年に発覚)は社会問題となり、ついには当時の南直哉社長ら幹部5人が引責辞任する事態に陥った。
また、高速増殖炉「もんじゅ」の運営体である動燃(動力炉・核燃料開発事業団⇒現在は日本原子力研究開発機構)が、1995年に起きたナトリウム漏出事故のビデオ映像を公開せずに隠蔽したことも大きな批判を浴びた。さらに、この件に関しては当時の動燃の総務部次長の不審な死(1996年)もあって、その闇はいまだに解明されていない。
他にも、関西電力では美浜原発の伝熱管破断事故(1991年)や、原発立地の高浜町元助役から関電幹部たち計20人が総額3億2000万円にものぼる金品を受け取っていたという大スキャンダルまで発覚(2019年)、さらには談合事件や顧客情報の漏洩など、不祥事には事欠かない。
政財官学が構成するいわゆる“原子力ムラ”が諸悪の根源である。政治家や財界、御用学者や推進官僚たちの跋扈によってエネルギー政策そのものが歪められているのは、多分、多くの方たちは、すでにご承知のことだろう。
天災は忘れてなくてもやってくる
2011年3月11日の東日本大地震と、それによる福島第一原発の過酷事故が起きてからすでに13年が過ぎた。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の格言どおり、岸田文雄首相はGX(グリーントランスフォーメーション)などというわけの分からぬ横文字を使って、一挙に原発推進に舵を切った。福島事故など、すっかり忘れたフリである。
「天災は忘れた頃にやってくる」とは物理学者・寺田寅彦の残した有名な警句だ。だが、この列島の住民たちは、忘れようとしても忘れられない。度重なる大地震がそれを思い出させてくれるからだ。
能登半島大地震(2024年1月1日)で、原発の危険性がいま改めて問われているし、それに続く愛媛高知の地震(4月17日)でも、伊方原発(愛媛、四国電力)がクローズアップされた。なにしろ、細長い佐田岬半島の付け根に伊方原発は建てられている。もし伊方原発が事故を起こしたら、半島の住民たちは完全に逃げ場を失う。そんなことは、地図を見るだけで一目瞭然なのだ。
「避難路なき原発」は「トイレなきマンション」どころの騒ぎではない。住民は、ほとんど「死ね」と言われているに等しいのだ。
ゾンビを生き返らせてはならない
避難路に関しては、沖縄に例がある。
4月3日に台湾で大地震が発生、それに伴い沖縄の先島諸島や本島に「津波警報」が出された。台風には慣れている沖縄県民だが、津波警報には震え上がった。直近の能登半島地震の被害の大きさを知っていたからだ。
そのため、沖縄各島の多くの住民たちは車での避難を試みた。本島のモノレール以外に鉄道のない沖縄では移動のほとんどを車に頼る。だから、高台へ通じる道は、あっという間に大渋滞となった。
中には、車を乗り捨てて走って逃げる人や接触事故で動けなくなった人などが続出。とても、避難などできる状態ではなかったところも多かったのだ。
このことからも、原発事故の際の「避難計画」などは、まったく机上の空論、絵に描いた餅だったことがよく分かる。
日本は、世界でも稀なほどの地震大国である。世界で発生するマグニチュード6以上の大地震の約2割は、日本周辺で起きているといわれる。
こんな国で、まだ原発を推進し、原発エネルギーに頼ろうとする連中の気が、ぼくには理解できないのだ。「では代替案を出せ」「江戸時代に帰るのか」「お前は電気を使うな」などと、使い古された罵声を浴びせてくる連中は、逆に石器時代の生き物としか、ぼくには思えないのだ。
原発とはゾンビである。
ゾンビを生き返らせてはならない。