第312回:あの日に帰りたい(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「時々お散歩日記」だったはずが…

 この「マガジン9」が創刊されたのは2005年4月(当初は「マガジン9条」という名称でした)。だからもう、19年も経ったわけだ。
 ぼくは創刊時の最初から、コラムを書かせてもらっていた。2006年に会社を退職してフリーランスになっていたから、時間の余裕もできた。
 書くのは楽しかった。散歩途中で遭遇した野良猫の話とか、その週に観た映画や読んだ本の感想など、思いつくままのお気楽なコラムだった。ま、たまには社会問題や政治への想いなどに触れることもあったけれど、ほとんどはのんきなコラムだった。だって、その当時のこのコラムのタイトルは「時々お散歩日記」だったんだからね。
 それが、ガラリと内容が変わってしまったのは、2011年3月11日、あの東日本大震災と、それに伴う福島第一原発の過酷事故からだった。この時から、ぼくのコラムはほぼ「原発事故一辺倒」になった。
 でも、さすがにそれだけではくたびれる。頭のなかが汚染水で満たされるような感覚になってしまう。で、ある時に編集部から少しのお休みをもらって、そののちに現在の「言葉の海へ」と衣替えしたのだった。

「対案バカ」が現れて

 でも、やはり原発のことが頭から離れないし、原発事故への政府対応などを考えると、どうしても政治的な問題が多くなった。
 ことに安倍政権になってから、このコラムはとても息苦しくなっていったような気がする。書いているぼく自身がそう感じるのだから、数少ない読者の方々もそんなふうに思ってしまうのは仕方がなかった。安倍政治の息苦しさは、それ以前とは違う次元に来たような気がしていた。だから、安倍政治批判を書かざるを得なかった。けっこう批判も浴びた。
 「相変わらずのアベガーか」
 「批判ばかりしているのは楽でいいよな」
 「パヨクってバカか」
 「批判だけじゃなく対案を出せ」…。
 この「対案(代案)を出せ」にはうんざりした。安倍晋三氏がしきりに野党にヤジを飛ばす内容とおなじだった。何かと言えば「対案を出せ」である。こんな連中を、ぼくは「対案バカ」と名付けた。
 ひろゆき氏とかいう人が「論破王」などと持ち上げられていたが、彼の論法もそれと同様だ。「それってあなたの感想でしょ」にいたっては、いったい何が何を論破したことになるのか?
 国会の議論などをよく聞くと、野党はほとんどの場合、「対案」を出していた。
 「マイナ保険証(マイナンバーカードの健康保険証利用)」については、野党(維新と国民は除く)は「マイナ保険証は廃止せよ」と主張した。すると「対案バカ」たちは、「じゃあ対案を出せ。なんでも廃止だけでは議論にならない」とエラそうに突っ込む。
 だがよく考えてみるといい。政府が「やる」という政策に対して、野党が「ダメだ、止めろ」という。つまりこれが「対案」だろう。「やる」の対案は「止める」でしかない。だが、対案バカは納得しない。「マイナ保険証」に代わるものも出さないで反対ばかりする…という論法だ。
 普通に考えれば、このおかしさがすぐに分かるはずだが、字数の少ないツイッター(X)などでは、いかにも「対案を出せ」が正当性を持っているように見えてしまう。
 これが、ひろゆき氏などの論法である。騙されてはいけませんぞ。

ダメな政治のリセットこそ「対案」だ

 蓮舫氏が東京都知事選に立候補を表明した。彼女は会見で「8年間に及ぶ小池都政をリセットする」と主張した。それに対し、例の「対案バカ」たちが噛みついている。思った通りの罵倒である。
 「批判ばかりでなんの政策もない」
 「都政に国政を持ち込むな」
 そうか?
 ぼくはそうは思わない。ひどい政治をリセットすること、そしてリニューアルすること。それは大きな政策転換、立派な対案ではないか。
 例えば、神宮外苑の樹木伐採に待ったをかけること、都心に残された数少ない緑を保全すること。ぼくの大好きな秩父宮ラグビー場の無意味な建て替えには、ラガーメンの多くも疑問を持っている。
 ラグビー場のスタンドの後ろに見える公孫樹の葉々が黄色く色づくのが、ラグビーの季節の到来を告げる。それをラガーたちもファンもどれほど素晴らしいと思っているか。そんなことを、小池都知事は考えたこともあるまい。ただ巨大なビルをおっ建てるという再開発による収益と利権に目がくらんでいるだけだろう。
 都心の真ん中の日比谷公園にも、樹々の伐採の危機が迫っている。異常気象が叫ばれているのに、大切な樹を伐ってしまうその神経がよく分からない。

 まだある。
 あれはいったい何なんだ? プロジェクションマッピングとかいう代物。
 都庁にわけの分からない光を当てて、新しい東京の観光名所だとかインバウンドに貢献しているとか、本気でそう思っているとしたら、それこそ政治家失格だ。なにしろあんなパラパラ漫画みたいな光ごっこに、関連事業も含めて48億円もの費用をかけるというのだから恐れ入る。
 その都庁の真下では、生活困窮者たちへの食料配布事業がNPOの努力で行われている。800人もの人たちが列に並ぶという。マッピングとやらの費用をそちらに回したら、どれほど喜ばれることか。
 蓮舫氏は、その食料配布の現場を訪れて「衝撃を受けた」と語った。すると、ネット右翼が「今ごろ衝撃を受けたとはなんだ。そういうところへ出かけるのは議員の仕事だろう。いままで行かなかったのがおかしい」とツイッターで盛り上がっていた。
 はて? そうかい?
 おかしいのは小池氏だろう。蓮舫氏を罵倒するより、むしろ小池知事がこれまで行かなかったことを責めろよ、彼女の職場の真下じゃないか!

裏を覗けば「自民党」が顔を出す

 自民党が、都知事選での小池支持をほぼ決めたという。ただし、表には出ずに、裏側で小池氏を支える役に徹する考えらしい。政治活動が認められる「確認団体」を立ち上げて、小池全面支持で活動するという。要するに、自民党という名前を出さずに、裏で小池選挙を戦うということだ。
 しかしどんなに隠したところで、自民党は自民党。小池都政が泥まみれの自民党と一緒になるのだ。何も変わりはしない。だから、蓮舫氏の言う「小池都政の8年間をリセット」という主張は正しいし、それこそが「大いなる対案」だとぼくは思うのだ。

 あーあ。今回も、結局はこんな政治がらみのコラムになってしまった。お気楽コラムに戻れる日は当分、来そうもないか…。
 高石ともや(ザ・ナターシャー・セブン)に『私に人生と言えるものがあるなら』という曲がある。
 ♬ できることなら あの日に帰りたい~

 お気楽コラムを楽しみながら書いていた……そんな日に帰りたいなあ。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。