第681回:都知事選、地方出身者の都民の一人として思うこと。の巻(雨宮処凛)

 都知事選の投開票日まであと2週間を切った。

 立候補しているのは、過去最多の56人。

 そんな都知事選告示の少し前、東京都の合計特殊出生率は、この8年で1.24から0.99まで下がったことが報じられた。

 また6月20日には、1975年生まれで子どものいない女性が日本では28.3%とOECD加盟国では最多だったことが報じられた。各国の出生動向などを分析したOECDのリポートで明らかになったという。

 ちなみに私はその28.3%に思い切り含まれる、「1975年生まれの子どものいない女性」だ。

 都知事選を見ていると、多くの候補者が少子化や子育て支援を打ち出している。

 小池都知事が掲げるのは「無痛分娩」。以前から「卵子の凍結」費用の助成にも取り組んでいると胸を張るが、「いや、そういうことじゃなくて、そもそもその手前の対策が必要では?」というのが実感だ。子育てに前向きになれるくらいの雇用の安定とか、収入が増えるとか。

 そんな基本中の基本に応えるのが、蓮舫氏の公約だと私は思う。一番に「現役世代の手取りを増やす 本物の少子化対策」とあり、非正規の都職員の正規化も打ち出されている。また、街頭では正規・非正規の格差解消や若者の奨学金問題にも踏み込んでいる。今や2人に1人の大学生が背負う奨学金の返済が「結婚」「出産」の足かせになっているのはこの国の常識だが、そういう「当たり前」に取り組む姿勢にほっとする。小池都知事が打ち出してきたことって、ことごとくズレててトリッキーだからだ。

 ちなみに私は東京都民を30年以上やっているが、東京で暮らしながら結婚して子どもを持とうと、これまで少しでも思えたかと言えば、答えは確実にノーだ。

 それは私が地方出身者ということも大きいと思う。上京してきたのは高校を出た18歳の頃。以来49歳の今までずっと東京で暮らしているが、20代前半になる頃には、「地方出身者が東京で子育てをするなど到底無理」という現実を嫌というほど突きつけられていた(もちろんそれでも子育てしている人がいるが、私の主観として)。

 というか、上京してきた瞬間から、「東京出身者」との格差を思い知らされない日はなかったと言える。

 予備校生として上京したのだが、東京に実家がある層とそうでない自分との間には、越えられない高い高い壁がそびえ立っていた。当時は仕送りをもらいながら一人暮らしをしてたのだが、仕送りは非常にありがたいとはいえ生活は常にカツカツ。いつもライフラインの滞納を気にしていた。

 これが進学を諦め、フリーターになるとさらにキツくなった。

 「フリーターだから当然だ」と言われるかもしれないが、私がアルバイト生活になったのは1994年。バブル崩壊から3年後で就職氷河期は始まったばかり。少し前のバブルの記憶が世の中にも共有されていたことなどから、「景気はすぐに回復する」という楽観的な空気があった。よって私自身も「景気回復までのつなぎ」のつもりでアルバイトを始めたのである。それがずるずると5年間、物書きデビューする25歳まで続いたのだ。

 フリーター時代に痛感したのは、やはり東京生まれはすべてにおいて「勝ち組」であるということ。東京に実家があればフリーターでも稼いだお金は自由に使える。が、一人暮らしのこちらは家賃から光熱費から食費からすべて自分持ち。とにかくお金のことばかり考える日々で、東京出身者は何から何まで羨望の的だった。

 そうして25歳、物書きとしてデビューするものの、そこで突きつけられたのは、フリーランスの文筆業はフリーターより不安定という事実だった。どこにも所属していないからこそ、社会的信用もゼロ。クレジットカードさえ作れない状態が40歳近くまで続いた。

 「いちばん働きたかったとき、働くことが遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた」

 これは社会学者の貴戸理恵さんがロスジェネについて書いた原稿(『現代思想』2019年2月号)の一部だが、最後の一文など、地方出身者の私が常に意識していたことである。妊娠したら、人生アウト。ある時期まで、ずっとそんな緊張感の中で生きてきた。

 ニュースの中では、時々小さな子どもを虐待した親が逮捕されていて、両親ともに非正規だったりフリーター時代の自分と同じようなアパートに住んでいたりして、今妊娠したら、あっという間にこういうことになるんだろうなと思っていた。とにかく当時の私にとって妊娠は、家族親戚一同に恥知らずと罵られ、すべての協力を断られ、絶望と貧困の中で向き合うものでしかなかったのだ。相手も大抵フリーターだったので、「結婚」などは親に頭ごなしに否定され、呆れ果てられるに決まってた。

 一方、そこそこ安定した相手と結婚して妊娠したバージョンの人生を想像しても、途中で詰んだ。

 なぜなら、つきあうのは大抵地方出身者だったから。どちらも東京に実家がない状態で子育てするなど茨の道すぎたし、周りにそんな難しいミッションをこなしている人もいなかった。というか、かろうじて結婚して子育てしているのは私の周りではどちらかが東京出身者で太い実家を持つ人ばかり。「やはり……」と思ったことを覚えている。

 30代にもなると地方出身者同士の子育ても目にするようになってきた。が、そんな層は当然正社員。やはり私とは条件が違いすぎる上、共働き夫婦の子育ては、過労死を心配するほどに大変そうだった。

 とにかく地方出身者は何から何まで東京出身者とスタート地点が違い、三キロくらい離れた後方にあるということをこの30年、ずーっと意識してきた。忘れたくても、帰省の際の交通費などがいつも現実を突きつけてくる。

 「でも、東京で子育てしたいなら保育園とかいろいろあるじゃないか」という意見もあるだろう。

 もちろんそれも重要なことだ。が、何かあった場合、親が比較的近くにいて協力してくれる環境と、そうでない場合では背中の押され具合が違う。ちなみに私の親は北海道におり、東京に来るには空港まで数千円、飛行機に乗って数万円かかる。また、冬は天候の悪化で飛行機が飛ばないことも少なくない。そういう具体的なひとつひとつが、「なんとかなるさ」という思いを潰していくわけである。

 が、私の知る限り、このような東京出身者と地方出身者の差を埋めるような政策というものを目にしたことはない。子育て政策全般がそうだと言われればそうかもしれないが、少なくとも地方出身者である私が「そう、これこれ!」と思うようなものを見聞きしたことはない。ちなみに地方出身の友人たちと子どもを持つことを考えたかなんて話題になると、必ずと言っていいほど「地方出身者が東京で子育てするのは無理ゲーすぎる」という結論になる。

 東京自体が地方出身者でできた街とも言えるのに、その格差には「嫌なら自力で這い上がれ」という根性論が適用され続けている不思議。

 そんな私が「東京にこんないい制度があるの?」と驚いたのは20代の頃。

 ある漫画で、結婚していれば若くても都営住宅に安い家賃で住めることを知ったのだ。これが単身者にも開かれていたらどれほどいいだろう。特に地方出身や非正規の若い世代が入れたら、生活は根本から変わるだろう。家賃負担が軽くなれば結婚や出産、子育てに前向きになる人も増えるはずだ。

 が、そんな都営住宅、石原都政以来、20年以上新規建設はゼロだという。「東京は家賃が高すぎる」「もう少し家賃が安くなれば」と多くの都民は思っているはずだが、小池都知事はAIゆりことかプロジェクションマッピングとかマッチングアプリとか、やはりズレズレのトリッキーなものばかりを打ち出してきた。

 都営住宅でなくとも、家賃補助制度などがあればどれほどいいだろう。

 地に足のついた公約を掲げる候補者に、私は一票を投じたい。そして都知事には、こんな地方出身者の言葉に耳を傾ける人になってほしいと心から思っている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。