第316回:いやはや……な総括(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

ソフト・ファシズムの足音

 東京は猛烈な暑さである。湿度も高く、都内のあちこちで激しい稲妻が走り、ゲリラ雷雨が発生。まだ梅雨の時期だというのに、静岡では40度超にまで達したというし、ぼくの暮らしている府中市も、8日には39.2度、全国で2番目の高温だったというから、高齢者には耐えがたい暑さだ。まさに異常気象というしかない。
 暑さもさることながら、なんとも言いようのない都知事選だった。なぜこんな結果になったのか、様々な人が様々に分析している。

 7月7日の夜、ぼくも所属している「デモクラシータイムス」が、都知事選の「選挙特番」を組んだので、ぼくも参加。金子勝教授や山口二郎教授が出演なさって、これからの展望も含めてさまざまなお話をしてくれた。頷きながら聞いた。
 その中で、金子さんは「ソフト・ファシズムの時代が来ている」と分析した。納得がいく。確かに、圧勝した小池百合子さんにしろ、突如2番手に躍り出た石丸伸二さんにしろ、その気配が濃厚である。
 小池さんは一切の異論を受け付けない。
 選挙間際に子ども手当をばらまいたり、公務と称して様々なイベントに顔を出すけれど、公開討論などは逃げまくる。つまり、お気に入り記者の質問以外は受け付けないという姿勢だった。
 神宮外苑の樹木伐採も、晴海フラッグ(旧オリンピック選手村)の分譲マンション格安払い下げ問題も、築地市場跡の再開発も、プロジェクション・マッピングの無駄遣いも、大手デベロッパーへの大量の都幹部職員の天下りも、関東大地震の際の朝鮮人虐殺慰霊への追悼文送付の取りやめも、食料配布に並ぶ困窮者への冷酷な扱いも、むろん、あのカイロ大学卒業という経歴詐称も、萩生田百合子と呼ばれた自民党との生臭い関係も……とても片手の指では足りないほどの疑惑の数々には、徹底的にだんまりを押し通した。その結果がこれだから、見事というしかない。
 都民の批判をまったく受け付けず、何やらやわらか風な物腰で物事を押し通してしまうという手法は、なるほど、金子さんの言うように「ソフト・ファシズム」の気配が濃厚である。

 石丸伸二さんの急伸ぶりには驚いた。
 彼に関しては、この緊急特番に参加した高瀬毅さんの分析通り、SNSを駆使した選挙運動が図抜けていたというしかない。
 高瀬さんは、実際に石丸さんの街頭演説を聞いていた。その上で、「まったくの無内容。具体的なことには何も触れない。話し方もいわゆる絶叫調ではなく、やさしくとつとつと語りかける。その上で1日に都内を10カ所ほども駆け回る。それを逐一ネット上にあげていく。また、他候補のネット上の街宣の様子の動画のそばに、必ずと言っていいほど石丸さんの動画がついてくるように仕掛けてある。まさにネット選挙の申し子だった」。それが高瀬さんの感想であった。
 ぼくも何度もネット上で石丸さんの街宣風景を見たけれど、高瀬さんの言うように、まったく何も心に残らなかった。だが、それでも「反自民、非自民」のとくに若い層には刺さったようだ。ボランティアが日に日に増えていったという。蓮舫さんが獲得しなければならなかった「反自民層」が、雪崩を打つように石丸支持へ傾いていったのだ。多分、これが蓮舫さんの最大の敗因だろう。
 しかも、ドトールの経営者などの企業家も資金的に陰で支え、超有名な選挙仕掛人がバックについたというのだからなかなか強い。
 ただし、石丸さんが安芸高田市長だったころの市議会議員たちとの“妙な闘いぶり”を見ていると、かなり危険な臭いもした。もし彼が都知事になったら、同じように都議たちを俎上にあげて闘う都知事のカッコよさをアピールするのか。だがそこから、いったい何が生まれるか。石丸市長が後ろ脚で砂をぶっかけたまま辞職した安芸高田市には、いったい何が残ったか?
 石丸さんの辞職後の市長選では、それこそ石丸市政を全否定するような藤本悦志さんが当選した。それが安芸高田市民の石丸さんへの答えだったのだろう。
 何もない、ふわっとした空虚な象徴、これが石丸さんの実像だったのだ、と高瀬さんは分析した。ぼくは当たっていると思った。
 石丸さんの選挙後のさまざまなメディアのインタビューの評判が極めて悪い。はぐらかした答え方や、質問に質問で返す話法、さらには冷笑で質問者を見下す態度。どうもこの人、危ない感じがするのだ。いずれ、本性が現れてくるだろう。

ミソジニー

 蓮舫さんの場合はどうか。
 選挙戦の初期、蓮舫さんへの期待感は圧倒的だった。彼女の街宣には驚くべき数の聴衆が押し寄せ、その熱狂ぶりは前代未聞と言われた。〈蓮舫流行ってる〉というフレーズが、トレンドにあがったほどだった。
 それがなぜこんなに失速したのか?
 ぼくは、この日の特番で「ミソジニー」と指摘した。
 ミソジニーとは、女性嫌悪、女性蔑視、そして、そこから生まれる女性差別を意味する言葉だ。蓮舫さんは選挙戦初期「闘う女」を前面に押し出したように見えた。つまり、〈闘う女と逃げる女〉…。闘いを挑む強い女性と、逃げることで都知事の座にしがみつこうとする狡い女性…という対決構図を作ろうとしたのではないか。
 むろん、それはマスメディアがもっと好みそうな図式だった。さっそく「女の戦い」「首都女性決戦」というような見出しが躍った。だが、それが失敗だったとぼくは思う。日本という国に抜き難く残る「女性嫌悪」、それも「強い女への嫌悪」(もっとやさしい言葉でいえば、強い女性への敬遠感)がじわじわと拡がったのではなかったか。
 若い層は、既成政党には頼らず、やんわりと語る石丸さんへ傾斜した。比べて、なんだか𠮟られそう…と蓮舫さんに尻込みした。そういうふうにぼくには見えた。
 熱狂的な聴衆の声援を受けて、蓮舫陣営は勘違いしたのではないか。小池さんが公務と見せかけた選挙運動を繰り返し、それをベタベタ記者らに取材させ、マスメディアにうまく載る。石丸さんは1日の10カ所ほどもの街宣を連日繰り返す。それをYouTubeなどで繰り返し配信する。
 ところが蓮舫さんは、1日に2~3カ所ほどの街宣しか行わなかった。いかに多数の聴衆を集めようと、それでは伝播力も石丸さんにはまったくかなわない。小池さんはうまく公務を選挙運動に連動させた。あの電車プロレスでの空手チョップなど、イヤらしいけれど見事だったわけだ。この3者の対比が勝敗を分けた?
 〈闘う女性 VS. 逃げる女性〉という図式は、〈迫る女性 VS. 柔らかく受け流す女性 VS.イケメンの若き男性挑戦者〉に置き換えられてしまった…。

マスメディアの恐るべき劣化

 それにしても、今回の都知事選についてのマスメディア、ことにTVメディアの退廃ぶりは、それこそ前代未聞だった。
 ぼくはあまりテレビを見ない。見るのは録画しておいた映画やスポーツ中継(ことにラグビー)くらいのものだが、ニュースはそれなりに見ている。ところが今回は、都知事選がほとんどと言っていいほどニュースに取り上げられなかったのだ。
 NHK午後7時のニュースなどは呆れるほど。〈今日の大谷選手コーナー〉は、ほぼ毎回100%なのだが、選挙戦の様子は0%という日が続いていた。
 ぼくがツイッターでそれを指摘すると「東京は一地方に過ぎない。毎日伝えるのは他の地方への差別だ」などというわけ分からん反論(?)が飛んできた。そりゃ違うだろう。東京は日本の首都であり、政治経済の中心地なのだ。しかも東京都の予算は、北欧の1カ国に匹敵するほど巨大だ。その首長選が〈一地方のローカルニュース〉であるわけがない。
 テレビが黙れば、日常的にSNSなどに触れない都民は、現状維持に傾く。
 たまにテレビが伝える選挙関連のニュースは、異常な事態に陥った選挙ポスター掲示板の惨状を、面白おかしく茶化すだけ。各候補の政策の違いなどにはほとんど触れないのだから、異常な報道機関の態度だった。

 蓮舫さんが嘆いていたが、テレビ討論会を呼び掛けても、「ある候補が公務多忙ということで受けてもらえなかった」という。だがそれならば、テレビ局は「○○候補は公務多忙という理由で、討論会には参加できないということです」と注釈して、残った有力候補だけで討論会を開けばよかったのだ。公務時間を過ぎた夜11時頃なら、もし出ないとすればその候補の意思なのだと判断していい。それならば、候補者の判断なのだから文句を言われる筋合いはない。
 その程度の決心さえ、テレビ局はできなくなってしまったのである。劣化の極みである。

メディア人の無知

 ところが、投票日(7月7日)の昼に、開いた口が塞がらないようなひどい番組が登場した。TBS系の日曜昼の番組「アッコにおまかせ!」である。投票についての注意事項として、女性アナウンサーが「登録してある名前を正確に書かなければ無効になります。漢字で登録した人は漢字で、平仮名の人は平仮名で書かなければなりません」というような発言したのだ。これは、まったくのデマだ。
 小池百合子や石丸伸二という漢字はそれほど難しくはない。だが、やや難しいとされた「蓮舫」という漢字を少しでも書き間違えれば無効というに等しかった。すぐさまツイッター上では「蓮舫さんを狙い撃ちした」と猛批判が巻き起こった。
 繰り返すが、これはまったくのデマ。その人と判別できれば票として数えられる。例えば「蓮舫」を「連方」と書き間違えたとしても、それは確実に「蓮舫票」とされるはずなのだ。
 むろん、番組内で訂正したけれど、これはちょっとひどすぎる。このアナウンサーもディレクターも構成作家も責任者のプロデューサーも、これまで選挙の投票に行ったことはないのか。
 まさに、テレビ局が上から下までの無知をさらけ出した瞬間だった。
 こんな様々な状況の中で、まさに小池百合子都知事は再選されたのだった。

欧米では、そして日本は?

 この結果に、小池ステルス支援を行った自民党はホッと一息ついたか? だが、そうはいかない。同時に行われた東京都議補選の結果が物語る。自民党は9選挙区のうち8選挙区で候補者を立てながら、実に2勝6敗、惨敗したのだ。
 自民党という名を隠した都知事選ではなんとか勝ちを拾ったが、政党名を表に出さざるを得ない都議選では惨敗した。しかもこの選挙の実質的な責任者だった萩生田光一自民党都連会長の地盤である八王子市では、全力支援した自民候補があえなく落選してしまった。
 自民への逆風はおさまっていない。

 イギリスでは、穏健左派の労働党が大勝。保守党は政権の座から滑り落ちた。実に14年ぶり政権交代である。
 またフランスでは、第1回投票で首位に立った極右国民連合(RN)が、決選投票で敗北。首位どころか、左派新人民戦線とマクロン大統領の与党連合にも敗れて3位に甘んじた。ヨーロッパで高まる極右の進出に、この両国はとりあえず待ったをかけた。
 アメリカ大統領選は混沌。バイデン大統領のヨロヨロぶりに、民主党内ではバイデン候補交代論が噴出。それでも粘るバイデン氏だが、そうもいかなくなりつつある。バイデン氏は潔く身を退くべきだろう。トランプ再登場を阻止する手立ては、他にない。

 ぼくはすでに十分に高齢者である。他人ごとではない。このコラムも「もうそろそろ店仕舞いにしませんか」と、マガ9編集部から引導を渡される前に去ろうと思っている。

 日本の総選挙は、どうも9月の自民党総裁選挙以降になるらしい。誰が新総裁の座に就くかで、選挙の様相は激変するだろう。
 同時期には立憲民主党の代表選もある。ぼくは残念ながら泉健太氏をそれほど評価できない。もっと政策をきちんと表に出し、明確なヴィジョンを示せる人が出てくれないかと期待している。
 「コンクリートから人へ」という、かつての民主党のキャッチフレーズは素敵だった。あの時の熱気をもう一度取り戻してもらいたいと、切に願う。
 希望はある…。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。