第89回:トークの会「福島の声を聞こう!」vol.46報告(後編)「社会の過ちから私たちは何を学び、どう生かしてきただろうか」(渡辺一枝)

 前回に続き、トークの会「福島の声を聞こう!」vol.46、福島県いわき市で「いわきの初期被曝を追及するママの会」代表として活動する千葉由美さんのお話をお伝えします。

新たな展開

 2022年7月27日の行政協議の時のことだ。私たち(TEAMママベク)が「いわき市の財産として私たちの土壌のデータを、未来に生かしてください。国に権利を主張してください。市民に知らせてください」と発言したのに対して、除染対策課の担当者から「それは可能だと思います。いや、むしろここまでやっているママベクさんのデータは、広く市民に知らしめるべきだと思います」と、これまでの対応からすれば有り得ないと思えるような回答が返った。
 同席していた市議の皆さんの後押しもあって、「公園は地域の住民が使うのだから町内会単位でも地域の皆さんに伝える必要があるのではないか」とか、「ホームページに掲載することも含めて検討したら良いのでは」など、私たちも求めていなかったことにまで話は進展した。そして市議さんが担当者に「ママベクさんがあなた達を責める意図がないことは分かったでしょうし、信頼関係も築いてくることができたでしょうから」と言うと担当者も頷いた。本当にそれは奇跡の瞬間だった。
 そこから急いでママベクのHPを立ち上げ、今までのデータをHPバージョンに作り直す作業を1年がかりでやって、去年の7月にいわき市のHPの「除染事業に関するリンク」の中にママベクHPが入った。こんなことはこれまで、福島県内のどこでも有り得ないことだった。市民の測定結果など行政は伝えたくはないだろうから。でも、本来は原発事故が起こったら、行政はこれくらいのことはするべきだろう。私たちにとっては当たり前のことだ。
 ママベクのHPでは、市内の一つひとつの公園ごとに、本当に詳しく測った結果が載っているから、ぜひ見て欲しいと思う。データは一つひとつダウンロードできるし、世界中のどこからアクセスしても、数字だから共通のデータとして見ることができるのが画期的だと思う。中には、1万ベクレル/kgという驚くべき土壌汚染の数字が示されている場所もある。これが、原発事故によって何が起きたのかということなのだろう。
 けれども、このHPリンクを置き土産にしたかのように、私たちの窓口だった除染対策課が今年3月いっぱいで無くなった。国の意図で、除染事業はどんどん縮小されており、ついにここまで来てしまったのだ。しかし他の自治体と比べてもいわき市は相当向き合ってくれたことがわかるし、担当者も「できることはやりました。逆に、これ以上はできないのです」と言っていた。担当者は異動して、いわき市で原発問題を扱うのは原子力対策課のみになった。
 除染対策課はごみ減量推進課に統合され、資源循環推進課が新設された。市としても受け入れざるを得ない流れだったのだろうと思う。
 この間、私たちは幾度となく除染対策課に足を運び、HP掲載が決まった時、課長さんが定年退職する時、そして除染対策課が今日でなくなるという日にはお礼の花束などと共に心からの感謝の気持ちを伝えて来た。皆さんも快く受けてくれたが、除染対策課の廃止と新しい課の始動(2024年4月)が一つの区切りだったと思う。

伝わらない汚染の情報

 2023年2月、福島県沖で獲れたスズキから、85.5ベクレル/kgの放射性セシウムが検出された。国の出荷基準の100ベクレル/kgを下回ってはいるが、県漁連基準の50ベクレル/kgは超えている。「安心安全な魚を提供したい」と、国よりも厳しい基準を設けていた県漁連は、水揚げしたスズキを全て回収した。
 森に降り注いだ放射性物質が川に流れて川魚も汚染され、長野県でも鮎やイワナからセシウムが検出された。また軽井沢産の山菜にも汚染があって出荷制限がかかっている。2024年5月の新潟日報には、魚沼市と津南町のコシアブラからセシウムが検出されたという記事が載った。こういう情報や、またどんな食品が放射能を取り込みやすいのかということなども、一部にしか伝わっていない。茨城県のタラの芽からは210ベクレル/kg が見つかった。出荷制限エリアは福島県外の広範囲にわたる。本来は広域での測定がまだまだ必要なのに、汚染エリアが矮小化されているのもすごく問題だ。
 これもあまり伝わっていないことだと思うが、台風の水害による汚染の問題もある。2019年の台風19号により福島では豪雨災害があった。川底に溜まっていた汚泥が、川の氾濫によって居住域に流入してしまった。私たちは市にモニタリングを申し入れ、自分たちでも民家の床下の汚泥を測ったが、結局基準が設けられていないので何もできないまま終わってしまった。結局は、伝えたくない「不都合な真実」扱いだった。2023年も台風13号による大雨水害があったが、ボランティアで入ってきてくれた人たちも、汚泥の舞い上がりを呼吸で吸い込んでしまっただろう。それによって被曝するかもしれないということも伝わっていない。
 私たちも歳を重ね以前よりも発言権は得られたかと思っているが、求めるべきことはどんどん増えていく。何かを要求するときの基本はやはりデータの存在だ。放射能汚染は目には見えない。私たちの主張はモニタリング活動の継続がなければ、できないことだ。

子どもを安全PRに使わないで!

 事故からの13年を振り返ると、最も辛かったのは「給食で、地元産の米を使わないでください。急がないでください」と市に求めた時だった。2012年あたりから福島県では、補助金を設けて教育委員会に予算をつけ、地元産のものを給食に使うようにとの国の指示があり、地元自治体はそれを受け入れていった。私たちは1年半にわたり抵抗したが、本当に辛かった。農家さんを責めているわけでは無いし、もともと地産地消は私たちも望んでいたことだった。しかし、原発事故が起こってしまった今は、望むのは別のことなのだ。
 私たちは土壌汚染を測り続けているからこそ、まだまだ汚染があると分かっていた。だから県内産の米を、なぜそんなに急いで子どもたちに食べさせるのかと、とてもショックだった。いわき市民限定の署名を6809筆集めて要望書を提出するなど、国内外で1年半にわたって運動を展開したが、地元からも「あなたたちは農家の苦しみがわからない。風評被害が起こる」と猛烈なバッシングを受けた。国の「御用学者」たちも、国の意向に合わない抗議や言葉を「風評加害」と呼ぶようになり、私たちは地元でも脅威的な存在として見られるようになってしまった。
 そんな中でいわき市の教育長は記者会見を開き、給食に地元産の米を使うことを強行的に決定した。この時の教育長の言葉は記録に残さねばと思い書きとめた。
 「子どもたちにとっての大切な食育のためにも、この土地で採れたものに対する感謝の心を持ってほしい。それが誇りにつながる」「水俣のような差別を生まないためにも、子どもたちには地元のものを早く食べさせなければならない」
 しかし、私たちからすれば、「子どもを安全PRに利用しないで!」としか思えない。その後、学校給食の献立は「地産地消」がさらに進み、いわき市議会は「魚食推進条例」を可決して、毎月7日を「魚食の日」として、「常磐もの」と呼ばれる福島で獲れた魚を活用しようと言うようになった。
 コロナ禍の2021年1月、県産食材の活用率が事故後最高になったと“嬉しい”報道があった。しかしこれは、コロナの拡大で消費が落ち込んだ牛肉や地鶏、水産物を、補助金を使って積極的に活用したことが要因だったようだ。ある若いママからは、「幼稚園からこんなお便りがきました」と、「お弁当に地元産の食材を入れてください」と書かれた紙も見せてもらった。

汚染水海洋放出の風評対策・理解醸成事業は止めたが……

 さらに、原発の汚染水の海洋放出の際にも、安全をPRするために子ども達を広告塔として使う食育事業が、経産省主導で行われようとした。給食での「常磐もの」使用をさらに進め、海洋放出の安全をPRするというのだ。私たちは黙ってはいられず、「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」のYouTubeでこの動きを取り上げた(はっぴーあいらんど☆ネットワークは原発事故後にそれまで個々に活動していた仲間たちが集まって立ち上げたNPOで、ママベクも参加している)。そして、県内すべての59市町村の教育委員会に電話をかけまくって、「経産省がやろうとしているこういう事業をご存知ですか? 絶対に受け入れないでください」と働きかけて、国に計画を撤回させたのだ。
 2023年6月には、福島第一港湾内のクロソイから1万8000ベクレル/kg、基準値の180倍もの数値のセシウムが検出された。そして国は、同年8月24日、原発の汚染水の海洋放出を開始した。
 これに反対する人たちは差止請求訴訟を起こしており、私も原告の一人だ。今年3月4日の第1回口頭弁論で、原告代表として意見陳述をした。私たちは諦めてはいない。
 そして、これは県民だけの問題ではない。多くの人に訴訟の「支援の会」への参加を求めるとともにクラウドファンディング(※)も展開しているので、ぜひ参加してほしい。

※現在はクラウドファンディングは終了。「支援の会」でカンパを呼びかけている。

県民健康調査

 原発事故後の健康問題に関しては、はっぴーあいらんど☆ネットワークの取り組みとして色々なアクションを起こしている。
 県の事業である「県民健康調査」の一環として、事故当時18歳未満だった子どもの健康を長期的(30年)に見守るということで、子どもたちの甲状腺検査がずっと学校で行われてきた。各家庭に任せると保護者が働いていてなかなか健診に連れていくことができないなどの場合があるので、誰でも等しく受けることができるように、授業時間を利用して検査を受けられるようにしたのだ。強制ではなくあくまでも任意なのだが、一部の県民健康調査検討委員から、学校での検査は強制性があり人権侵害だから問題だ、などという声が出るなど検査を縮小させようとする動きがある。
 甲状腺がんは半減期が8日と短い放射性ヨウ素による初期被曝との関連性が疑われてきたが、これまでの検査のまとめとしては「原発事故の影響は考えにくい」とされている。しかし、事故直後に行われた小児甲状腺サーベイが1080例しかないので、どの程度の被曝があったのかはわからない。データがないというのが事実なのに、それにもかかわらず、影響は考えにくいとされていることが問題だ。
 この委員会の歴代座長の中に、郡山で病院を経営している星北斗氏がいる。この人が「甲状腺がんの多発に対する、原発事故による放射線の影響は証拠がない」などと朝日新聞の取材に答えている。問題に対してかなりの影響力を持つ人が、事実はわからないのにそのような発言をすることに対して、私たちは何度も抗議の申し入れをしてきた。彼が2021年に自民党の参議院議員候補者として出たときには(のちに当選して議員に)、健康問題が政治利用されてきたと感じた。
 はっぴーあいらんど☆ネットワークではその他、県民健康調査検討委員会の公平・公正な運営を求める活動をやっていて、これもYouTubeで情報配信をしている。
 2021年に、国会討論の中で、細野豪志氏(当時無所属、のちに自民党入り)が甲状腺検査について発言している。当時環境大臣だった小泉進次郎氏に対して「手術のダメージは大きい。もし手術したら一生薬を飲み続けなければならない。保険にも入れない。私なら子どもに検査を受けさせない。小泉大臣、イニシアチブを発揮して学校検査縮小を」。すると小泉氏は「わかりました。先生の問題意識は共有します。受け止めさせていただきます」と答えた。
 その小泉氏から送り込まれてきた環境省の環境保健部長の神ノ田昌博氏が、県民健康調査の検討委員のポジションにつき、甲状腺検査の縮小を主導している。加害者側の国の省庁役人が、被害者側の健康問題を扱うという、どう考えてもおかしいことが罷り通ってしまっている。歴代の環境保険部長は就任挨拶で、「水俣のノウハウを生かしてまいります」と言った。これはすごく大きな問題発言だ。今年5月1日の水俣での「マイク音切り」事件のニュースを見た時、私は背筋が凍った。当の神ノ田氏がマイクスイッチオフの現場に居て、環境大臣に「早くこの場から退席するように」と促していたからだ。松崎さんという方が水俣病の被害を訴えて苦しみながら亡くなった妻のことを話している時に、マイクの音源は切られた。松崎さんの妻は水俣病の認定をされないまま苦しみ抜いて亡くなったのだという。
 この事件が大きな騒動となり、神ノ田氏は事務方の責任者として、国会での答弁に立つこととなった。この様子を見ていて、私たちは水俣と福島が繋がっていることを強く感じ「ああ、やっぱりそういうことだったか」と思った。

水俣での学びから

 ちょうど昨年、はっぴーあいらんど☆ネットワークで、水俣に学習ツアーに行っていた。環境保険部長の就任挨拶「水俣のノウハウを生かす」という言葉の真相を知りたいと思ってのことだ。水俣の問題を世に知らしめる記事を書いた当時熊本日日新聞の記者だった山口和也さんが、2012年に福島に来て「これから水俣病のようなことが起こらないように」と講演されたのを聞いたこともきっかけになった。それで私たちが水俣に行った時には、熊本日日新聞社が全面協力、いろいろな人に合わせてくれた。
 水俣病「第1号」患者さんが住んでいた家も訪れた。「ああ、こういう立地条件だったのか」と思った。とても狭いエリアなのだが、山の上、平地、海沿いと下るごとに人々の暮らしが苦しくなっていくという構図があって、海沿いに住んで魚を主食のように食べていた人たちに、より深刻な健康影響が出てしまったという話も聞いた。さらに、水俣病公式認定がされてから70年近く経つのに、いまだに健康調査が行われていないことも知った。
 「加害を確かめずに長期化させて切り捨てる」、これこそが水俣のノウハウだった。政府がそれを「生かして」福島の健康問題に取り組んでいるのがリアルにわかったし、「長期化・マイクオフ・切り捨て」は、私たち福島の未来の姿なのだと、強く思った。
 もう一つ私がすごく驚いたのは、福島での汚染水放出の問題を水俣の市議会で扱った時に、市議会議員が一般質問の中で「汚染水の」と発言したら、汚染水という言葉を撤回するように求める動きがあり、議員のほとんどがそれに賛成したということだった。そしてその理由が「アルプス処理水を汚染水と表現することで風評被害を助長してしまう」ということで、「あの水俣病を経験しているのに!」と信じられない思いだった。
 だが、一方で、これは覚えがあるとも思った。汚染水の海洋放出に反対する取り組みの中で、いわき市議会に「意見書を国に出してください」と請願書を提出したことがある。いわき市議会は当時37議席で、大多数が自民党・保守派。請願を受け入れてもらうには意見の違う保守派会派にも賛同してもらわなければならない。これがとても難しかった。「海洋放出に反対」とか「汚染水」という言葉を使ったらまずダメで、「私たちはこれには賛同できない」となってしまう。何回も書き直して提出することを繰り返す中、赤線を引かれてここがダメ、ここもダメというふうに自民党の議員が親切に付き合ってはくれたが、その赤線を引いた箇所を見ると、市民よりも力を持っている議員たちが国の言うことを鵜呑みにしていることがわかってきた。請願を受け入れてもらうために、私たちは主張をほとんど骨抜きにされた屈辱的な請願書を提出するしかなかったが、それにより、いわき市議会は「海洋放出反対」でなく「陸上保管の継続を求める」という意見書を全会一致で可決した。原発事故が起こった自治体でさえこうなのだから、水俣の市議会のことも理解できると思った。
 福島県知事もいまだに、「県が容認するとかしないとか言える立場にない」と言っている。水俣では、国・県・チッソが、水俣病の被害を拡大させ長期化させてきた。これを福島の問題で言えば国・県・東電となる。水俣病の原因を生んだチッソ工場はかつて水俣駅の真ん前にあって、その駅はチッソのために作られた駅だった。私たちが水俣を訪れたとき、その隣に「水俣病は差別用語。メチル水銀中毒症へ、病名改正を求めます。水俣未来の会」という看板が建てられていた。水俣が、市民同士ですごく分断されていることを目にした。

はっぴーあいらんど☆ネットワークでの取り組み

 水俣からは、分断の原因をどうすればなくせるのかという課題を持ち帰ったが、分断は加害側の手口だと思う。問題を矮小化させ、小さく小さく、「ここだけの問題」ということにさせて、「自分たちは当事者ではない」と当事者意識を奪って分断を作っていくメディアの情報のあり方も分断の原因の一つだという思いから、はっぴーあいらんど☆ネットワークでは、自分たちで伝えて記録も残していこうと、様々な取り組みをYouTubeで動画配信している。

「情報公開の鬼」シリーズ

 最大手広告代理店・電通の世論操作について取り上げたシリーズ。
 多くの人たちが情報公開請求などに取り組んできたことで、電通が地元のメディアなどの報道をどんな方向に誘導してきたかが明らかになってきている。たとえば、原発に関する情報を「ネガティブ」と「ポジティブ」に分け、ネガティブ情報はなるべく伝えないようにという働きかけがなされていた。アイナメからセシウムが出た、甲状腺検査で異常が多く見つかったなどの情報は、あまり報道されないように操作がされてきたのだ。
 また電通はツイッター(当時、現X)について、この時のこの人のこのつぶやきにはこのような反応があったなどと細かいリサーチ分析を行い、自治体や企業、地元メディア向けに公開していた。ところが、はっぴーあいらんど☆ネットワークが給食の問題で1年半も反対運動を展開し、バッシングも受けたのに、その動き自体が電通のリサーチ結果にはまったく反映されていなかった。エビデンスロンダリングというのだろうか、政府や行政に抗う動きは丸ごと無かったことにされるという、怖い状況がある。
 そのように、情報が操作されて「伝えない力」が大きくなってしまっている。報道は半ば国の広報化されてしまっているから、私たちが自分で伝えるしかないということでYouTubeで の発信に力を注ぐことになったのだ。私もママの会の活動のほかにこちらの活動も活発化させている。

県民健康調査検討委員会を「検討」する会

 さきほど触れた県民健康調査の問題について、医師の種市靖行先生、芸人で原発の問題を取材し続けているおしどりマコ・おしどりケンさんと共に発信をしている。県民健康調査の問題点を種市先生に解説してもらい、みんなで検討する。マコ・ケンさんは原発の東電記者会見のリアルタイムでの最新情報を伝えたりもしてくれる。
 種市先生は被災前には郡山で整形外科を開業していたが、被災後に石川県に家族で移住した。今は毎月福島に足を運んで、市民団体としてのはっぴーあいらんどの甲状腺検査をしてくれている。

いちいちカウンター

 その時々に起こる問題を「いちいち」取り上げ、こんなことが起きていると伝えてカウンターパンチを食らわせていくというコーナーだ。汚染水海洋放出のときには、「子どもを広告塔にするな」とのアクションについて、このコーナーでも発信した。

武谷三男から学ぶ原発事故後の「福島」

 昨年7月からは「武谷三男から学ぶ原発事故後の福島」という学びの企画がスタートした。水俣病について学ぶ中で、1911年に生まれて2000年に亡くなった自然科学・物理学者で、原子力が専門だった武谷三男さんを知った。この人は自然をこよなく愛した人で、いろいろ研究していく中で、ヒューマニズム無くして科学はあり得ない、人権無くして科学はあり得ないという考えに至り、そのことを発信し続けてきた。原発事故後、「科学的知見によれば問題なし」と言い続ける国によって権利を奪われてきた私たちは、武谷さんの科学に人権を唱えヒューマニズムを重んじる点に希望を見出した。その思想を学ぶことで、自分たちの権利を主張するときに、本来科学とはこういうことだと言えるようになりたいと思っている。
 つい先日のテーマは「特権と人権」で、少し長いがその時にテキストとして使った武谷さんの文章を紹介したい。

 よく日本では、公共の福祉のためには基本的人権も制限されてもやむを得ないというような政治家の議論を見ることがある。公共の福祉というものは人権のために存在するのであり、人権を完全に守るためのものである。公共の福祉のために制限されるべきものは、特権なのである。その意味で日本には公共というものが、少なくとも戦前には存在しなかった。今日も公共というものが真に確立されたとは言い難い。公共というものが日本で言われる場合には、必ずそれは特権の代表としての国家権力というものになってしまう。つまり日本に存在しているのは「お上」であって公共ではない。これは日本社会を外国の社会と比べる時誰でもまず最初に気がつくことである。すなわち警察とかその他の政府機関というものが、外国のサービス的な在り方とまるで違って権力的であるのは、そのためである。それと同時に人民もまた真の意味の公共という観念を持っていない。否、公共は存在しないのだから、それも当然である。公共のない国家権力は、人民の利益に対立するものであった。戦後日本の社会制度には部分的に民主主義が導入されたといっても、まだ公共は確立されていない。

 難しいがすごく大事だと思っている。汚染水海洋放出差し止め訴訟の時に、私たち原告の意見陳述に対し国側代理人は「アルプス処理水の海洋放出は国益に資するものである」と言った。つまり多くの市民のためなのだから、それに対する私たちの反対の訴えは撤回せよ、ということに通じる。国益って何なのか、公共の福祉って何なのかということを学ばなければと思っている。

ある日の行政協議で

 TEAMママベクで今年の3月にいわき市担当者との協議を持ったときに、「情報公開の鬼シリーズ」でも扱った、経産省への開示請求で出てきた黒塗りで真っ黒の資料を、参考資料として示した。行政担当者に「経産省から、海洋放出の安全PRの風評被害対策事業として給食で『常磐もの』を使うように言ってきた事業がありましたよね。それに対して開示請求した文書の回答がこれです。こんな黒塗りで、福島県の担当者と経産省とのやりとりが何一つ見られないような、こんな事業を受け入れなくて本当に良かったと思います。この資料を持ち帰って教育委員会の皆さんにぜひ共有してください。子どもを安全PRに使わないよう、これからもよろしくお願いします」と伝えた。
 担当者たちは苦々しい顔つきだったが、こういう情報は本当に力を持っている人には届いていないので、共有する意味でも協議の場は有意義だと思う。

最後に

 大事なこととして、次のようなことを心に留めておきたい。
 社会の過ちから私たちは何を学び、どう生かしてきただろうか。
「二度と繰り返してはならない」という誓いを、今も胸に抱いているだろうか。
「忘れない力」を手にしただろうか。
 共感を繋ぎ、問題を共有し、広い視野を持ち、情報を見極め、判断する軸を持ちたい。(身近な相手とこそ)議論することを諦めず、時に勇敢に、おかしいことに「おかしい」と言える当たり前の社会にしていきたい。
 ご清聴、ありがとうございました。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。