第322回:甲子園に流れた歌…(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

またも、ヘイト・バッシング

 高校野球には、とんと興味を失っている。ま、ふるさとの高校が出場した試合などを、チラリと見ることはあるけれど、それくらいのものです。
 たしか今回は、最初の何日かは午前と夕方の2部制にして、生徒たちの暑さ対策をするとか言っていたはずなのに、なぜか数日後からは真っ昼間の炎天下で試合強行していたようだ。日程のこともあるのだろうが。かわいそうに脚がつって一時リタイアする選手が続出していたようだ。
 結局、選手や応援の人たちのことなんか、主催者はあまり大切には思っていないということなんだな。

 そんな大会だったけれど、決勝戦は話題になった。
 ぼくは知らなかったのだが、決勝の前から、なぜか京都国際高校を誹謗中傷するようなツイッター(X)への投稿が増えていたのだ。ぼくはその理由が分からなかった。けれど、あるバカ者のツイートで、その訳が分かった。京都国際高校という学校が「韓国系」だというのだ。なるほど、例によって韓国ヘイトのバカ者どもが湧き出したわけだ。
 しかも、この高校の校歌が韓国語だというので大騒ぎ。中には「甲子園100年の歴史の中で、韓国語の校歌を流すとはなんたる反日」などと、ほとんど八つ当たり気味の投稿まで現れた。
 なんでそんなことを言うのかなあ……と、ぼくは呆れ返った。
 外国語の校歌を持つ高校なんか他にもある。そんなのは、検索すればたちまち数校は見つかる。例えば、ICU高校や同志社の系列高校などが有名だろう。それらの高校が甲子園に出て勝利したら、当然ながら英語の校歌が流れるのだ。
 だが、それには“ヘイトくん”たちは騒がないだろう。同じ外国語でも、彼らにとって英語は別格であり、逆に中国語と朝鮮語は唾棄すべき言語だと思い込んでいるらしい。外国語に差があるわけではないはずなのに。彼らもそこは分かっている。だからなんらかの理屈をつけて、こんなふうに怒りくるう。
 「京都国際高校の校歌の歌詞の中の“東海”という言葉を、わざと“東の海”と誤訳してごまかしている」というのだ。「東海」とは、韓国側が日本海のことをこう呼んでいる。だから「これは韓国のプロパガンダの歌詞」なのだと激高するわけだ。
 反日感情が強かった1990年代の韓国で「日本海は東海と呼ぶべきだ」という主張が出てきた。これに日本政府は強く反発した。そういう経緯はある。

国によって名称が違う例は…

 ある地域や島などについて、国によって名称が違うというのは、歴史上よくあることだ。例えば、アルゼンチンに近い南大西洋のフォークランド諸島(イギリスの植民地)をめぐって1982年に、イギリスとアルゼンチンが戦火を交えたのがフォークランド戦争である。この島をアルゼンチン側はマルビナス諸島と呼んでいた。つまり、2国間では名称が違ったのだ。こんな例はいくらでもある。
 それぞれの国の事情や、相手国に対する感情のもつれなどから、呼び名が違うことは仕方のないことだろう。かつて日本に占領支配されていた朝鮮が、日本海という名称を嫌がったとしても、心情的には理解できる。
 今回の「校歌」問題で、京都国際高校側が「東海」を「東の海」と訳したのは、軋轢を生まないようにという、日本への「配慮」だったのではないか。それだけ、京都国際高校はきちんと考えて対処していたのだろう。
 それを居丈高に「反日」だの「政治的プロパガンダ」だの、果ては「甲子園100年の歴史に泥を塗るもの」だなどと喚きたてるのは、ちいっとばかり肝っ玉が小さ過ぎるんじゃないだろうかね。

ある歌の悲痛な背景

 思い出すことがある。
 ぼくの学生時代に『イムジン河』(ザ・フォーク・クルセダーズ)という歌が流行った。その歌詞(松山猛・訳)に、次のような一節があった。

 北の大地から 南の空へ
 飛びゆく鳥よ 自由の使者よ

 これは、南北2つに分断された朝鮮半島の民の、切なくも悲しい「祖国統一への願い」を歌ったものだ。この歌詞について、当時の若者たちは議論したのである。
 「これは、抑圧体制にある北の人たちの、自由を渇望する歌だ」
 「いや、南こそ軍事体制国家だ。だから、自由を南の地へももたらそうという願いを込めているのだ」
 現在とは違い、南北の情報が極めて乏しい1960年代のことだ。韓国は軍事独裁下にあったし、北朝鮮は万民平等国家であるという宣伝もなされていた。情報を持たない当時のぼくら若者が、上記のような議論を交わしていたのは仕方のないことだった。
 だが現在は違う。すべてが正しいとは言わないが、かなりの情報がマスメディアやSNS上を通じてもたらされる。むしろ、デマも含めて情報過多というべきかもしれない。こんな状況の中でこそ、ぼくらは冷静に判断しなければいけないのだ。
 それは、歴史を学ぶということでもある。

開かれた国になるために

 京都国際高校野球部の活躍と優勝は、少なくともぼくの眼には爽やかに映った。彼らが学ぶ高校が「反日プロパガンダ」を行っているなどというのは、まったくピント外れのヘイト言説でしかないと思った。
 8月23日、西脇京都府知事も「京都国際高校についての差別的投稿が少なくとも4件あった。これは到底看過できないことなので、法務省と管理者に削除を要請した」と表明した。保守系の知事ではあるけれど、それでも地元の高校に対するヘイト投稿には胸を痛めたということだ。
 改めて、差別やヘイトは許されないと、ぼくらは確認しよう。

 この高校は、日本語・韓国語・英語を日常的に学んでいる多言語教育学校なのだという。まさに「国際」の名に値するではないか。開かれた国家になるためには、こんな学校こそが、いま求められているのだろう。

 ぼくがもし18歳の昔に帰れるなら、この高校で学んでみたいと思ったかもしれない。
 

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。