第40回:令和の米騒動 ~主食すら満足に供給できない国で~(小林美穂子)

 残りわずかになっていた我が家の米がついに尽きた。
 災害用に買ってあったパックご飯が7食分あるが、それが終われば自宅での米食は諦めるしかない。
 思えば7月頃からスーパーの米は減っていた。いつも買っていた最安値のブランドがなくなり、これまで買ったことがなかったブランドに手を出した。そのブランドもすぐに姿を消した。
 我が家はツレと私+サヴァと梅(猫)の、二人+猫二匹世帯である。
 猫たちは猫用のフードがあり、米は食べない。人間である私たちも、仕事の都合で週2~3日は外食をするため、自宅での米消費は少ない。また、移動手段が自転車なので、買う米の単位は常に2キロと決めている。それが仇となった。まさか、店から米が消えるなんて、その時は思っていなかったのだ。

南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)

 8月8日、日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した。その直後、科学的な因果関係が曖昧なまま、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」の報道が連日にわたってテレビで放送され、どの番組を見ていても横に「南海トラフ地震臨時情報」の大きなテロップが映し出されていた。
 災害や不安要素の高い事象が起きた時、炭鉱のカナリアのようなAさんから必ずショートメールが入る。Aさんは見えない障害を抱えながらも、毎日頑張って半福祉半就労の生活を送る真面目な人だ。日向灘の地震のあとに東京を揺らす小さな地震があった。そこに連日の南海トラフ注意報が重なり、不安はマックスに達した。
 「小林さん、稲葉さん(ツレ)、地震大丈夫でしたか? いよいよ巨大地震が起こるのかと不安です」
 地震の予測は現代の調査でも難しいこと、これまでも的中はできていないこと、でも、日本はどこで地震が起きてもおかしくないから、水や備蓄品は少しずつ用意しておくと良いことを伝えた。アルファ米を買おうとする彼に、高いものを買って生活費が足りなくなったら困るから、ビスケットや安い缶詰などを提案すると彼は落ち着いた。

そして米が完全に消えた

 南海トラフの注意報によって、新幹線は東海地方に差し掛かるとノロノロ運転で安全を確保した。企業や交通機関はどこも、危機管理にピリピリしたはずだ。
 一方、私の住む地域のスーパーでは、またもやトイレットペーパーが品薄になっていた。なんでいつもトイレットペーパーなんだよ!! と、腹立たしく思いながら、普段なら絶対に買わない高いブランドのものをカートに乗っけて鼻息を荒くしていたが、米の棚の前に行った私は鼻息も溜息も出なかった。米の棚には食糧を収納するのに便利な収納ボックスや、ぬか漬け用のヌカが置いてあった。あと、麦。端っこにちょっと餅。パックご飯もなかった。
 その次の週には、同じ棚はなぜか端から端まで鯖缶がずらーっと並べられていて、これはなぜなのかしら? からっぽの棚はお客様の不安を掻き立てるし、スーパーの仕入れ力を疑われて信用を損なうからだろうか? いずれにしてもスーパー側の苦肉の策だろう。
 とは言え、あれだけ大量の鯖缶を見せられた客は、必然的に白いご飯が食べたくなるよね。「ああ、脂の乗った、骨までホロホロの鯖缶で、ホカホカの白メシが食いてぇなぁ」ってなるよね。
 スーパー側はガランとした棚に何を置くか、毎回悩んでいることだろう。何を置かれても飢餓感は満たされないし、不安もぬぐえないが、今日は何が陳列されているのだろう。
 この頃にはスーパーだけでなく、米販売店も商品がなくなり、新装開店前の店のようにガランとしていた。
 ネットショッピングサイトに米が超高値で出品され始め、中には産地不明のものや、もともとは1900円程度のものが8000円~2万円近くの高値になっていた。しかも、それらの発送は9月半ばと表示されている。どのみち新米が店に並ぶ頃だ。

「お米がどこに行ってもありません!」

 炭鉱のカナリアA氏がパニックになってショートメールを送ってきた。
 地域の大小含めたスーパー、ドラッグストア、コンビニとすべて渡り歩いてもお米が買えず、いまや「お米の争奪戦」が起きていて「死活問題」と嘆いていた。
 その時、私は彼のメンタルを落ち着かせることに注力してしまい、不安になるのは当然だと前置きした上で「こんなことは長く続かないから、今はうどんとかパンを食べて凌ぎましょう。私もそうします」と返事をすると、「小林さんと稲葉さんも苦労しているんですね。分かりました。頑張ります!」と前向きの反応が届いた。
 ホッとした次の瞬間、私はハッとした。
 確かに我が家も米がなくなった。そして、代替食品で凌ごうとしている。私たちには選択肢が少しはある。しかし、少ない生活保護費で暮らす人たちにとって、米は最もコスパが良い食材であり、料理ができない人でも納豆や卵、パックカレーやおかずがあれば一食になる。
 普段からその生活に慣れ親しんでいる人にとって、麺類やイモもあるよと突然の変化を強いられても対応できなかったり、その変化自体が大きな困惑やストレスになる人もいる。
 「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と、飢える市民の感情を逆撫でしたマリー・アントワネットみたいなことを、私は言ってしまったぞとアワアワした。

備蓄米の放出には慎重な政府

 主食である米を買えない人が続出し、小規模の飲食店ではご飯ものの提供ができなくなるところも出てきた。また、政府の備蓄米の提供を受けられる子ども食堂や、助成金を受け、米の生産業者と契約を結んでいる支援団体は危機を回避できるものの、市民からの寄付のみで成り立っている困窮者支援団体などは大打撃を受けている。
 今回は米に限ったことではあるものの、なんというかこの状況は、戦中、戦後の状況に似ているのではないかと思ったりする。農家や資産家と直接パイプのない人は、多少のお金があっても食べ物が買えず、着物とわずかなイモを交換したり、すし詰めの電車に乗って遠くの親戚からお米を分けてもらったり、値段が跳ね上がった食糧を買うために闇市に群がったり……あの時代を、いま私は疑似体験しているのかと思った。そして、あの頃も今も、政府の倉庫には米も食糧もうなるほど備蓄されており、あの頃は金の延べ棒までが東京湾に隠されていた。路上で餓死する者が後を絶たなかったのに。
 で、戦後から79年後の今、飢えるほどではないにしても、令和の米騒動に国はどういう構えなのか? そう思って、農林水産省のホームページで大臣等記者会見を覗いてみた。
 そしたらどうよ。8月27日と30日の会見で、坂本農林水産大臣は米の品薄状態の理由を「南海トラフ地震臨時情報とその後の地震等による買い込み需要などを背景とする、今般の短期的な米の品薄状況」と述べている。
 そして、「市場に米の在庫はある」と強弁し(実際に買えないのだが?)、「備蓄米というものは災害時や不作の年に放出するものであり、今回は地震に備えて市民が勝手に買い込んで米が品薄になったのだから備蓄米は放出しませんよ。だって、もうすぐ新米が出回る時期なのに、このタイミングで備蓄米を出したら新米の価値が下がるじゃん」という内容を丁寧な言葉で述べている。そして、「米の消費については、消費者の皆さんには冷静な対応をとっていただければと考えています」だってよ。ムカつくんですけど。
 米不足の根本原因は減反政策にあると言われているのに、そこには一切触れないだけでなく、この米不足は不安に駆られた市民が勝手に買いまくったせいにされているが、科学的根拠も曖昧な地震の不安を煽ったのは政府だ。そしたら市民は備えるでしょうが。

収入は上がらず、米も物価も上がり続ける

 かつて私が上海に住んでいたころ、アジアで有名なポップス歌手のサイン会で、私は日本の米2キロをプレゼントしたことがある。上海の日系デパートで新潟から米生産者たちが期間限定でコシヒカリを販売した。現地の価格の何十倍もする値段の米が、日本人駐在員や上海の富裕層の間で飛ぶように売れた。日本の米は世界に誇れる美味しさだと感じる私もこれを買い、花束やぬいぐるみを抱えたファンたちが並ぶ長い行列の中、米袋を持って順番を待った。我ながら渋いし、喜ばれる実用的な贈り物だったと今でも思っている。
 日本人の主食は米。いくらフランス料理だ、イタリア料理だ、アジアだ、エスニックだと世界の料理に舌鼓を打っても、米でできた身体を持つ私達は、米から完全な脱却をはかるのは難しい。現に私も、米を切らした状態が短期間であり、他の選択肢もあると分かっているのに不安感と闘っている。焦燥感に駆られている。しかも、ないと分かると、無性に、無性にご飯が食べたくなり、冷蔵庫にある漬物や納豆に目が行ってしまう。これは弱さでもあるのだろうが、人間の心理というか、性じゃないでしょうかね。
 心優しい友人たちが我が家用に米を融通してくれようとするのはとてもありがたく、拝むような気持ちになる。しかし、スーパーで米を買うしか選択肢はなく、頼る人もいない、そんな人たちが今どれだけ困っていて、どんな気持ちの中過ごしているかを他人事にしたくないため、私は敢えて商品が棚に陳列されるまでやせ我慢しようと思う。
 ちなみに、つくろい東京ファンドには、9月いっぱいは持ちこたえられるくらいのお米の寄付のお申し出をいただいた。制度を利用できない外国籍の方々や、お困りの利用者さんに送らせていただく。心からのお礼を申し上げたい。
 そして国は、共助に頼り続けるのもいい加減にしろ。主食の供給もコントロールできんのか。収入も上がらず、生活保護の基準額は下げ続けるのに、物価はどんどん上がるこの矛盾をどう解決するんですか? 解決する気がないでしょ。貧困対策も少子化対策も、全く希望が持てないこの国が自慢できるものなんて、もはや米くらいしかないと思うほどに私はこの国の行く末に絶望している。だけど、せめて米くらい、安価で誰もがお腹いっぱい食べられるようにしてくれよと思う。
 今回の米騒動、少なくとも政府は生活困窮者のことは眼中にないことが改めて分かった。そして、有事の時には真っ先に切り捨てられる存在であろうことも。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。