第324回:「敗軍の将」がペラペラと…(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

民主党をぶっ壊した元凶

 先日、ぼくはツイッター(X)にこんなことを書いた。

もし野田佳彦氏が立憲民主党の代表になったら、私は立憲支持者には申し訳ないが、立憲の候補者には投票しないだろう。(8月25日)

野田佳彦氏は、政権を民主党から自民党へ投げ渡した張本人ですよ。それがまた代表選出馬だなんて、ちょっと私の頭では理解できません。みなさんはどうですか?(同29日)

 この投稿にはかなり反応があって、25日の文には10.2万件、29日の文には41.3万件ものインプレッションがあった。むろん、批判のリツイートもあったけれど、圧倒的に賛同の意見が多かった。それだけ、野田氏の方向性に危惧の念を抱いている人が多いということだろう。
 思い出してみる。
 2012年11月14日、野田首相(当時)は、自民党の安倍晋三氏との党首討論に臨み「じゃあやりましょう、16日に解散をします」と大見得を切った。それに対し「約束ですね、約束ですね、じゃあ、いいですね」と安倍氏に迫られ、ついに解散総選挙というカードを切ったのだった。
 この場面はぼくもよく憶えている。
 「税と社会保障の一体改革」で自民党に足元を見られ、早期解散を示唆していた野田首相は、それを覆すことができなかった。
 1票の格差と定数の是正などを約束するなら16日に解散する……と野田氏は言ったが、どうみても唐突、これには、並み居る民主党内閣の閣僚たちもあっけにとられたと言われている。この時期の民主党の支持率は現在の自民党並み。とても選挙で勝てるような見込みなどなかったからである。ぼくはこの場面を見ながら、野田氏とはなんと無責任な人だろうと思っていた。
 それは実際の選挙結果となって表れた。同年12月16日に行われた衆院選の結果はまさに、民主党にとっては悪夢だった。
 民主党は公示前の230議席からなんと57議席という空前の惨敗。対して自民党は118議席から294議席獲得という圧勝。この結果を受けて、民主党は大混乱。やがて分裂の道を辿る。つまり野田佳彦氏こそが、民主党をぶっ壊した元凶だったのだ。
 小池百合子都知事の「希望の党」騒動もあったが、いわゆる「排除発言」で希望の党は失速。排除された枝野幸男氏らが「立憲民主党」を立ち上げるという経緯を辿った。
 この人、よくも恥ずかしげもなく立憲民主党にいられるものだと思う。

「大きな音だね」と言った男

 2011年3月11日の東日本大震災と、それに伴う福島原発メルトダウン。日本は騒然としていた。反原発のうねりは、首相官邸前の連日の大きなデモに象徴されるように、まさに国民の怒りとなって渦巻いていた。
 ぼくら夫婦も、時間が許せばほぼ毎週のように首相官邸前の「反原連(首都圏反原発連合)」のデモに参加した。それがぼくら夫婦の金曜日の定番になっていた(なお、この官邸前反原発デモは9年半も続き、2021年3月末をもっていったん活動を休止した)。
 むろん、デモなのだから大きなシュプレヒコールもあるし、太鼓を叩く人もいた。それに対し、自民党議員からは「うるさい、仕事に差しつかえる、規制すべきだ」などの声もあった。“あの議員”たちである。
 当時の首相は民主党の野田佳彦氏であった。その野田氏は、このデモに対してどのような態度をとっていたのか。
 こんな記事がぼくのファイルブックに残っている(東京新聞2012年6月30日付)。

膨れ上がる再稼働反対 官邸前デモ

 (略)参加者数は回を追うごとに増え、この日は官邸前から霞が関の財務省前まで七百メートルほど人の波が連なり、官邸近くでは車道をほぼ埋め尽くした。(略)

首相、立ち止まらず

 野田佳彦首相は29日午後7時前、関西電力大飯原発の再稼働に反対するデモの声が響く中、官邸から敷地内にある公邸に歩いて移動した。
 途中、公邸の門のあたりで警護官(SP)に「大きな音だね」と話し掛けたが、立ち止まらずに公邸に入った。
 首相は25日、官邸周辺のデモについて「シュプレヒコールもよく聞こえている」と国会答弁したが、再稼動方針を見直す考えがないことを強調している。(略)

 メルトダウン事故からたった1年3カ月で原発再稼働を認めるとした野田佳彦氏とは、国民の反対の声を「大きな音」としか認識できなかった男なのだ。さすがにこれは、多くの人たちの憤激を買った。ところが、彼はトボケるのである。朝日新聞(同年7月11日)の記事だ。

「音」って言った? ◀首相が弁明

 「音という表現をどこでどういう形でしたか、わからないんですけれども」。野田佳彦首相は10日の参院予算委員会で、首相官邸前での原発再稼働反対の抗議行動を「大きな音だね」と語ったことについて、覚えていないという認識を示した。
 首相の発言は6月29日夜、仕事を終えて官邸から隣の公邸に移る際の警護の警察官に話したもの。参院予算委の答弁では「そういう国民の声をしっかり受け止めないと」とも語った。ただ、関西電力大飯原発再稼働の判断は「再考するつもりはない」。(略)

 人を小馬鹿にしているとしか思えない。ファイルしてあるのだから、当然ぼくは、当時この記事を読んでいる。ムカムカとあの頃の気持ちが甦る。毎週出かけて「再稼動やめろ!」と叫んでいた自分の声が、耳元で聞こえる。
 何が「国民の声をしっかり受け止める」だよ。おためごかしのウソ八百。言った裏で「再稼動は止めません」と舌を出しているのが目に見える。ウソ答弁を180回も繰り返した安倍元首相に匹敵するほどのウソつきではないか。
 ウソや言い訳は次第に辻褄が合わなくなる。
 朝日新聞(同年7月13日)のという小記事。ぼくはよっぽど頭に来ていたとみえて、たった11行の極小記事までファイルしていた。

「発言録」
◆野田佳彦首相

 原発再稼働で様々な声が届いている。多くの方がデモにいらっしゃることはよく存じている。ただ、官邸周辺のデモって、このテーマ以外にもある。確か(数は)増えている。一つ一つ、デモの皆さまに私が出ていってお会いすることは前例もないし、望ましいかどうかは別だ。真摯に受け止めなければならないが、声の聞き方はいろいろある。(衆院予算委員会で)

 なんだろうね、この言い方。前例がないからやらない。声の聞き方はいろいろある。要するに、会いたくないし、意見など聞きたくない、と言っているだけだ。
 しかし野田首相、次第に追い詰められていく。こんな記事も見つけた。東京新聞(同年7月14日)

官邸前デモ 首相ピリピリ
強まる勢い 増すダメージ

 (略)大飯原発の再稼働に反対する大規模な抗議活動に、野田佳彦首相が神経をとがらせている。参加者の声は政権にじわじわとダメージを与えている。(略)
 首相の焦りが表れたためか、発言も揺れ始めた。
 11日のブログでは再稼働しなければ経済活動などに悪影響をだが及ぼすことを心配する声があることを紹介して再稼働を正当化。12日の国会でも「抗議の声を音と言ったのか」と追及されると「言った記憶がない」と反論した。(略)

 ついに出た「記憶がない」。自民党であれ民主党であれ、ヤバくなると「記憶にない」が顔を出す。だが、いかに頑迷固陋な野田氏であっても、毎週のように万単位の抗議の人が集まるデモを、さすがに無視し続けることはできなくなる。上の記事にあるとおり、この時期の野田氏の苛立ちはそうとうなものだったらしい。警護官らにまで緘口令が敷かれたというから、そのピリピリ具合が分かる。
 そしてついに、抗議の人たちと面会せざるを得なくなる。面会したからといって、なんらかの方針変更をするつもりはなかっただろうが、ともかく「国民の声を聞く」というパフォーマンスだけはせざるを得なくなったのだ。
 それが実現したのは2012年8月22日のことだった。「大きな音だね」と口走って猛批判を浴びてから、すでに2カ月近くが経っていた。朝日新聞(同年8月23日付)。

首相と抗議団体が面会
平行線の「脱原発」

 野田佳彦首相は22日、関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働に反対する市民団体のメンバーと首相官邸で面会した。首相は「基本的な方針は脱原発依存だ」と述べる一方、再稼動の中止など団体側の求めには応ぜず、話し合いは平行線に終わった。
 面会したのは、首相官邸前で毎週金曜日を中心に抗議行動を続ける13の市民団体と個人による連絡組織「首都圏反原発連合」のメンバーら10人。仲介した菅直人前首相も同席した。団体側は大飯原発の停止のほか、すべての原発の運転を再開させず廃炉にするよう要求。新設する原子力規制委員会の人事案も「原子力事業者に直接かかわっている」として撤回を求めた。
 首相は大飯原発の再稼働について「安全性を確認し、国民生活への影響などを総合的に判断した」と説明し、規制委の人事案も「国会が判断する」と撤回に応じなかった。(略)
 だが、団体側は「承服しかねる」と反発し、面会は30分で終わった。
 終了後、藤村修官房長官は会見で「連合体のみなさんとの話はこれで終わった」との認識を示した。(略)

 まったくのゼロ回答。しかも官房長官は「これで終わり」と、面会を繰り返すつもりのないことを明言した。この面会は、野田氏の反対運動に対する単なるパフォーマンス、ガス抜きに過ぎなかったのだ。
 しかも、実は大飯原発3、4号機はすでに再稼働した後だったのだ。つまり、例の「もう始めてしまったのだから、途中で止めるわけにはいかない」という、あのバカげた言い訳をここでも使ったわけだ。
 野田佳彦氏とは、こんな首相だったのだ。ぼくはいまだにこの人を認めちゃいない。政権を自民党へ譲り渡してしまった張本人だったではないか。

今も変わらぬ野田氏の意見

 その原発についての野田氏の意見は、あの頃とまったく変わっていない。この9月7日、立憲代表選の討論会で野田氏は「党は原発ゼロを掲げているが、私は原発に依存しない社会を実現する。現実的な対応だ」と言った。
 妙な言い回しだが、原発再稼動やリプレイス(建て替えや新設)も認めようということだ。つまり「原発ゼロを掲げる立憲民主党の方針には従わない」ということではないか。そんな人がどうして代表になれるのか?
 野田氏は「次期首相」の可能性だってある野党第1党の代表選に出馬する。ぼくにはどうにも納得がいかない。消費税も唐突な解散も総選挙での大惨敗も、民主党の瓦解も、この人に大きな責任がある。
 さらに、野田氏はかつて「大阪は維新と棲み分ける」とも発言している。あの不祥事続きで自民党にすり寄る改憲政党の維新と協力するというのだ。それがどうも野田氏の言う「中道保守」の中身らしい。ほんとうに冗談じゃない。

岸田首相でさえ「責任」を取って…

 「敗軍の将、兵を語らず」という故事がある。
 いくさに敗れた指導者は、もはや兵法などについて語ってはならない、語る資格はない、というほどの意味だろう。だが、敗軍の第一責任者がなんの反省の弁もなく「豊富な政治的経験を持つ者が、今や起たなければならない」などと言って出てくる。まさに、敗軍の将、ペラペラと兵を語る、ではないか。
 ったく冗談も飛び石連休(休み休み)にしてほしい。
 ぼくは、この人が立憲民主党にいることすらおかしいと思っているのだが、それが代表になどなったら、政治責任という意味で「自民党を追及」することなどできなくなってしまうと思うのだ。
 あの岸田文雄氏ですら責任を取って退任するというのに…。

 ツイッター上で「#もしノダ」というハッシュタグがけっこう話題になっている。
 ぼくは「もしノダ」など実現させてはならないと思っている。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。