第325回:総選挙への暗い予測(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

各政党の立ち位置は?

 暑いです。いつまでこの暑さは続くのでしょうか?
 その暑さを倍加させているのが、自民党と立憲民主党の代表選びでしょう。総裁選には9人、代表選には4人が立候補。
 各党の立ち位置を、ちょっと考えてみました。
 以下のような区分になるのではないか。むろん、ぼくの勝手な分類なので、それは違うよ、という方もいらっしゃるでしょうが…。

 現状では、国民民主がかろうじて中央(中道)にやや引っかかっている程度だが、党全体としてはすでに「右派政党」と見做していいだろう。立憲はほんの少しだけ左派の色合い。あとは、上の区分が妥当だろうと思う(繰り返すが、あくまでぼくの感覚です)。
 さて、この区分に「なぜ公明党が入っていないのか」と疑問の向きも多いだろうが、ぼくに言わせれば、公明党はまるで鵺(ぬえ)のようで、区分けのしようがない。
 「自民党のブレーキ役になる」となど言って、最初は自民党のあまりの右傾化には、一応は“待った”をかけているように見える。けれどいつの間にか、自民党の言うことになんとなく従ってしまっている。つまり、公明党は自民党の動き次第では右にも右にも(左にも、というケースはほとんどない)ついて行ってしまうのだから、分類のしようがない。だから、公明党支持のみなさんには申し訳ないが、ぼくの分類では、公明党はこの区分けには入れようがないのだ。
 維新の会は、自民党よりも右に見える。実際、改憲論などでは、右側から自民党を引っ張る役目を果たしているのではないか。しかし最近は、不祥事連発、大阪万博への大批判、さらには斎藤元彦兵庫県知事などの問題で、にっちもさっちもいかなくなっている。こういう場合、党勢拡大のためには、実は極端に走りやすいのが右派政党のパターンである。例えば、少数者や弱者の切り捨て、社会保障の弱体化、早期改憲論、人種的なヘイト言動などが出てくるかもしれないと思う。
 参政党は、ヨーロッパ的基準でいえば、極右政党と位置付けられるのではないか。

安倍晋三氏の傘の下

 ぼくの見立てでは、最近の自民党は、政治的には「中央」よりもかなり右に寄っている。むろん、安倍晋三氏の強力な磁場によるものだ。彼の死後も、その磁力はいまだ健在。ひたすらそれにすがる高市早苗氏などを見ているとよく分かる。
 今回の総裁選でも、候補者たちはほぼ異口同音に「改憲」を叫び出した。これは、安倍氏の影響力を我がものにしようとする候補者たちの姿勢だ。しかし、総裁選が終わったら、この「改憲熱」はなんとなく萎んでしまうだろうとぼくは見ている。株価乱高下などに見る経済不安も、喫緊の課題になってきた少子化も、高齢者医療やマイナ保険証、選択的夫婦別姓、さらに柏崎刈羽原発再稼働、防衛安保問題などの諸問題がひかえている中で、とても「改憲」に取り組む余裕などないからだ。
 いかに安倍派残党が大声を上げようと、それは自民党総体としてはとても難しいだろうと思う。それでも新総裁は、その姿勢だけはとらざるを得ないだろうから、右への傾きは変わらない。
 それに引きずられて、国民民主が中央よりやや右に位置をずらしていく。国民民主が頼みの綱とする“芳野連合”が、自民党との絆(ぼくの嫌いな言葉)を深めていけばいくほど、国民民主も自民党へすり寄らざるを得なくなる。
 政策や戦い方を見ていくと、その良し悪しは措くとして、れいわ新選組がいまもっとも先鋭的だろう。孤高の政党とでも言おうか。したがって、他党との共闘や野党統一政権構想などにはとても乗りそうもない。山本太郎代表の最近の言動からも、共闘などありえない。れいわ新選組が、これからどういう方向へ突き進むのか、ぼくにはよく分からない。
 旧来の姿勢を取り続け、社会民主主義的な方向を保っているのが、社民党と共産党だろう。共産党はもはや「共産主義政党」とは言えないだろう。最近の政策提言を見ているとそう思えるのだ。
 選挙でこの共産党と組むことを、立憲は拒否する方向だ。そうすると、じわじわと右へずれていく…。

立憲民主党はどこへ行く?

 そう、問題は立憲民主党である。
 かつて、日本は「55年体制」といわれる政治状況が長く続いた。これは、良くも悪くも自民党VS.社会党という「2大政党」による政治であった。いや、2大政党などではなく、議席数としては「自民2 対 社会1.5」だったという人もいる。ともあれ、大きな2つの政党があって、それぞれの政策を競わせ(談合し)ながら、なんとなく政治が動いてきたのだった。
 それが終わって政界再編が来る。自民党は国民から“金権腐敗政治”の大批判を浴びて、一旦下野する。
 ところがしたたかな自民党、なんと社会党と大連立を組むという奇策に出た。ここで社会党は政策的矛盾に陥って大失速。あれよあれよのうちの、現在の社民党という極小政党に萎んでしまった。その後も政界は目まぐるしく動いた。
 そのメルクマールになったのが、2011年3月11日の東日本大震災と、それに続く福島第一原発の恐怖のメルトダウン事故だった。ぼくはしみじみと思う。(歴史に“もし”はあり得ないが)もしこの時、自民党が政権を握っていたとしたら、日本はもっと悲惨なことになっていたのは間違いない。原発政策を推し進めてきた自民党は「原子力ムラ」とベタベタの癒着関係にあった。原発に関する正確な視点など持ってはいなかった。今年の能登大地震への対応を見ても分かるように、右往左往の挙句、何らの対策もなしえなかっただろう。安倍氏は「民主党の悪夢」を繰り返したが、もし自民党政権だったら「自民党による日本陥没」が「悪夢」どころか現実になっていただろう。

 やがて、様々な経緯があって、枝野幸男氏を代表とする立憲民主党が生まれた。
 では、自民党と立憲民主党の2大政党で日本が回っていくかといえば、まったくそういうことではない。それが、現在の各政党の立ち位置に見えることなのだ。かつての社会党は、ともあれ社会主義を謳っていた。そこが現在の立憲とは根本的に違う。北欧的福祉社会国家が当面の目標なのだろう、とぼくは思っていた。
 だが、立憲代表選の4人の候補者のうち、それを明確に打ち出した候補者は見当たらない。つまり、自民党との違いは、個々の政策的な差異に過ぎなくなってきている。
 大枠の方向性に、あまり大きな違いが見えないのだ。はっきり言えば、アメリカとの関係をどうするのか、国際的立場をどこに置くのか。その明確なビジョンはどの候補者からも聞こえてこない。個々の政策の違いはあれど、自民も立憲も「日米(軍事)同盟堅持」という外交の方向性は同じらしい。他の政党は推して知るべしである。
 しかも、個々の政策についても、とくに野田氏は原発(エネルギー)政策、消費税を含む税制改革、沖縄における自衛隊基地拡張を含む防衛政策などで、極めて自民党に近い。だから、もし野田氏が代表に当選すれば、立憲の立ち位置はぐーんと自民党に近づくだろう。維新と手を結ぶなどというに至っては、改憲もその視野に入ってくる。
 だから野田氏が代表になれば、最初に示した区分は、かなり変わってくるだろう。野田氏が標榜する「中道保守」というのは、そういうことだ。いや、むしろ「中道右派」と呼ぶべきだろう。

 もし野田氏が立憲代表になるならば、中央域に存在する政党はほぼなくなり、政治状況全体が右へ強くぶれてしまうことを意味する。日本という国が、ほぼ丸ごと右傾化するということだ。では「右傾化」とは何を意味するのか。
 端的にいえば「小さい政府」であり社会保障や医療政策の切り捨て、自分のことは自分でやれ、という菅義偉元首相が言い放った「自助・共助・公助 そして絆」という政治である。ぼくが“絆”という言葉が嫌いなわけはここにある。そして軍備拡張、有事に備えての武装抑止論。やがては核抑止論にまで踏み込むかもしれない。
 世代間の分断が進み、成田某らの言う如く「老人は集団自殺しろ」がネット上にはびこることになるだろう。
 むろん、総右傾化によって、改憲発議の可能性が高くなるだろうし、緊急事態条項等も書き加えられ、いつの間にかナチスの“全権委任法”のような法律が成立するかもしれない。軍備増強は高市氏の主張通り“建設国債の流用”などでどんどん進み、原発は次々に再稼働し、世代間の分断はもっと激しくなる。

 ぼくはそんな世の中を望まない。多分、そんな世を見るほど長生きはしないだろうが、娘たちや孫のことを考えると気分が重くなる。
 自民党総裁選が終われば、早期に解散総選挙が行われるだろう。その際に、自民党に大きなお灸をすえることができれば、立憲の右傾化にも一旦はブレーキがかかるかもしれないが、もし自民党が安定多数を獲得すれば、日本という国はある種の危険水域に入っていくだろう。
 ぼくにはそんな暗い予測しかできないが、どうにかこの予測が外れることを願いたいものだ。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。