第41回:死ねというのか。包丁を手に、震えながら泣いた日(小林美穂子)

 2023年12月、群馬県桐生市在住のNさん(48歳)の呂律が回らなくなり、嘔吐が続いた。胃薬で紛らせようとしたが吐き気はおさまらず、異常を感じて救急車を呼んだ。脳梗塞と診断され、治療、リハビリを経て今年2月末に退院した。
 入院中にソーシャルワーカーの働きかけで生活保護を利用することになった。同じ屋根の下で暮らす身体障害2級の実兄と、そしてNさんの退院と入れ替わるように家を出てグループホームに入所した異母兄、計3人で同一世帯と認定されての生活保護利用だった。

暴力的な父と2人の母と

 Nさんの家庭環境は複雑だった。
 母親は内縁の妻で、子どもはNさんと兄の2人。Nさん家族が住む同じ家には本妻とその3人の子も暮らしており、計8人の大所帯だった。
 父親は頻繁に暴力を振るった。その暴力は壮絶で、Nさんと兄は首を絞められたり、硬い灰皿で殴られたりして入院したこともある。兄が障害を負ったのは父親の暴力が元だったとNさんはいう。
 物心ついた頃から母親が2人いるという奇妙な共同生活を送りながら、Nさんは父の仕事を手伝った。手伝わないとゴハンを食べさせてもらえないため、子どもの頃から父親の仕事を手伝い、資格も取って家業を継いだ。
 何度も脳梗塞を繰り返していた父親は、20年ほど前に施設で他界し、莫大な借金だけが残された。そのせいだろうか、父親が施設に入所すると、本妻と異母兄弟達は一人また一人と家を出て、気づけばNさん家族と、障害のある本妻の息子一人が残された。
 父の借金を肩代わりしたNさんは、昼も夜も働きながら一家の生活を支え、十数年かけて全額を返済した。実の母親は3年ほど前に亡くなった。家出をした本妻と2人の異母兄弟の行方は今も分からない。現在Nさんは実の兄と2人で暮らしている。

社協による金銭管理

 桐生市社会福祉協議会(以下、社協)の担当者、ケアマネ、市保護課のケースワーカーが連れだってNさんを訪ねて来たのは保護が決定したばかりの入院先だった。そこで一度目の金銭管理の説明を受け、そして今年5月に再び同じメンバーがNさん宅を訪問し、金銭管理契約が結ばれた。Nさんがその時に完全に契約のサービス内容を理解できたとは言い難い。なぜ、その必要があるのかも判然としないまま判を押した。
 就労継続支援A型事業所で働く兄の月収は月1.5万円ほど。脳梗塞からの復帰後間もないNさんに収入はない。
 契約後は世帯の生活保護費を社協が管理することになった。別地域のグループホームで暮らす異母兄をも含めた3人兄弟を1世帯と世帯認定しているため、保護費は本来より少ない(※同住しておらず、生計も異にする家族を同一世帯として認定するのは不適切)。
 社協の契約書には、Nさんに渡される現金は月5000円、同居の兄が月4万円(のちに3万円に変更された)と記入されている。それ以外の保護費は社協が通帳と印鑑を管理していて、本人は口座から下ろすことができない。
 しかし、兄弟は月曜日~木曜日まで夕飯を作ってくれる介護事業所に実費で3万円ほど食費や病院通院の交通費として支払わなくてはならないため(医療機関への通院交通費は移送費として保護課から支給される。桐生市は移送費をほとんど出していないことがこれまでに分かっている)、2人の兄弟が使える現金は、実質兄の作業所収入約1.5万円と、社協から手渡しされる5000円の計2万円程度だった。
 ところが、その後、社協とのコミュニケーションがうまくいかず、支払いを任せている携帯電話が滞納で止められてしまう。不便を感じたNさんは、7月29日に契約を解除し通帳と印鑑を取り戻した。ところがそれで「めでたしめでたし」とはならなかった。

お金が下ろせない。死ねというのか

 契約解除がされ、戻ってきた通帳で自分の口座から保護費を下ろそうとしたところ、手続きが途上のために自分のお金にアクセスできないことが判明。もともと、現金で渡されている金額はヘルパー代を支払ってしまえば残額は5000円しかない。それまでも食事を切り詰めて兄弟2人乗り切ってきたが、いよいよ食事に事欠くほどに困窮してしまう。「死ねと言うのか」、台所で包丁を持ち、震えた。
 困って社協に電話しても、担当者は常に不在。市に電話しても相手にしてもらえない。どうしていいか分からずに友人に相談したところ、「この人(私)に連絡してみたら?」とマガジン9の記事を紹介され、編集部にSOSが届いたのだった。
 電話で状況を確認し、すぐにNさん兄弟の状況を市の保護課に連絡、同時に桐生市社協の担当者にも電話をした。その時も、重大な会議でもあったのだろうか、担当者は不在、上司もトップも不在、分かる人が誰もいないという対応をされたが、「命に関わること」とねばると、最終的に担当者が電話口に出てきて、契約解除されたあとの事務プロセスを教えてくれた。
 契約が解除されると、桐生市社協から県社協にその旨通知をし、知らせを受けた県社協が金融機関に通知する。県が金融機関に連絡をしてから最短2週間は解除にかかる。その後、当事者は通帳を使えるようになるが、キャッシュカードは再発行する必要があるということだった。
 Nさんは7月29日に契約解約したが、市社協は8月1日に県社協に速達を送っている。それから2週間、自分の口座からお金が引き落とせないとなれば、生活ができなくなるのは火を見るより明らか。
 8月2日に、私の電話でNさんの状況を知った桐生市保護課は、急遽、生活保護費の口座振り込みを現金支給に切り替え、翌日、支給日を2日前倒しして保護費を本人宅に届け、途切れそうになっていたNさん兄弟の生活をつないだ。しかし、Nさんが第三者(私)に連絡してこなかったら、保護費が口座に振り込まれた後だったら、どうなっただろうか。
 社協の解約プロセスと所要時間は事務手続き上必要なものである。だとしても、市の保護課と連携をはからなければ、利用者の命に関わる。その辺の情報共有はどうなっていたのか、厳しく質したい。
 その後、市保護課は、Nさんが社協との契約を解約したことでグループホームで暮らす異母兄を世帯から外し、Nさんは同じ家に住む実兄と2人世帯という扱いになった。しかし、世帯認定がなぜ社協の金銭管理契約とリンクするのかがまったく意味不明であるし、Nさんに支払われるはずだった額はその後遡って支給されたのだろうか。

民間の金銭管理団体の闇の深さ

 桐生市の生活保護利用者のうち、民間団体の金銭管理を受けている世帯件数は43件(2024年7月末時点)。その内訳は、社協が13件、NPO法人「ほほえみの会」13件、一般社団法人「日本福祉サポート」が17件である。金銭管理を受けている人の中には、長年に渡り保護費を全額支給されず、1日1000円の生活を余儀なくされた方も一人や二人ではない。
 市はこの金銭管理を「あくまで民民の任意契約で、市は関与していない」という姿勢を崩さないが、支援者や利用者から話を聞くにつけ、市の関与は濃厚であると言わざるを得ない。 
 金銭管理契約が「不本意だった」という方や、契約内容を理解していなかった方、生活保護費の半額程度しか渡されなかった方もいる。
 市の福祉課職員同席で行われる契約も、「断ったら生活保護を受けられないかと思った」と利用者に思わせるに十分な状況だし、保護が決定するや否や、有無を言わさずに契約を結ばされたという方もいる。そのような短期間で、その方に金銭管理が必要と判断した合理的な理由はあるのだろうか? 百歩譲って合理的な理由があったとしても、本人の希望なしに金銭管理をする権利は誰にもないはずだ。
 この民間による金銭管理だが、利用者が希望すればいつでも解約ができることを地元の支援者などが広く発信しはじめた結果、2022年度に66件あった金銭管理世帯は、5月末時点では56件となり、7月末時点で43件と件数を減らしている。
 桐生市は金銭管理契約に関与していないというのなら、利用者の権利を守るためにも解約が自由であることをすべての利用者に伝えるべきだ。また、現在、桐生市保護行政の問題を追及し続けている第三者委員会は、桐生市と民間の金銭管理3団体の関係や、運用に問題がなかったかを掘り下げてほしい。

利用者の権利を擁護する事業

 桐生市社協が行っていた金銭管理は、正式名称を日常生活自立支援事業という。
 この日常生活自立支援事業というものがどういうものなのか、私達の活動拠点である東京都中野区の社会福祉協議会に直接お話を伺うことにした。
 地域福祉権利擁護事業(日常生活自立支援事業)と題された中野区社協のパンフレットは、字も大きく簡潔でとても分かりやすい。
 中野区社協のあんしん生活支援課の黒木課長と草野課長補佐は「あくまでご本人の権利を守るサービスであり、書類の確認や手続きの手伝いなどの介護サービスに加え、ご本人が金銭管理を必要とされるならば、オプションとして使えるサービス」と強調した。利用者の8割は高齢者で、その他は障害をお持ちの方々である。
 区が事業に連携することはあっても、口出しや干渉などの介入などは「ありえない」こと、それどころか、利用者が福祉サービス関係者に要望や苦情がある際には、間に入って伝書鳩になったり、ややこしい制度内容を噛み砕いて翻訳したりする緩衝材にもなり、利用者の権利を守っているという。
 一度の面談で契約を締結することはなく、相談を受け付けてから支援を開始するまで、最低でも5回は訪問し、話し合い、理解を積み上げた上での契約となるので、早くても1ヵ月~2ヵ月はかかるし、判断が二転三転する方もいらっしゃるので1年や2年空いてから「やはりお願いします」とご相談がある場合もあるが、必要とされるなら何回でも訪問し、お話を伺うのだそうだ。

金銭管理の危うさへの自覚

 金銭管理を苦手とする方が「きちんと生活を回したい」と強い意思を持ってこそ活きるサービスであり、上から罰のように管理するものではないし、浪費をやめさせるための事業でもないと中野区社協職員は力をこめる。
 どうも桐生市社協が行っている事業と同じものとは到底思えない……と感じながら聞いていたが、その違いが顕著だと思ったのは、次の課長の言葉だった。
 「特に上下関係には気を付けています。その人のお金なのに、お渡しするときに『ありがとうございます』とか『すみません』と言われてしまう。『いやいや、あなたのお金ですから』と慌てて言うのですが、金銭を預かることはとても危うく、支配・被支配の関係になりやすい。ですから決してご本人の不利益にならないよう、きちんと理解した上での契約であることは基本だと思います」
 私はこれまでにも現場の支援者や、桐生市社協の利用者さんから話を伺うことがあったが、その内容は「自販機でジュースを買ったことを厳しく咎められ、百円単位の出費までレシートを求められたこと」や、あまつさえ過去に借りた社協の貸付を、本人の意思に反して市職員と社協職員が協議し、保護費から毎月一定額を代理返済されてしまったという、にわかには信じられない証言も届いている。

 桐生市の保護課も、金銭管理を担った市社協も、利用者の人権を擁護するという観点が、果たしてあっただろうか。保護課によって保護支給額が恣意的に少なく設定されてしまっていたら、金銭管理のしようがない。そのしわ寄せは必ず利用者にいくことになり、制度を利用しているにもかかわらず、健康で文化的な最低限度の生活を下回る生活を余儀なくされることとなる。
生活保護制度も社協の日常生活自立支援事業も、人の生活を支えるために設計されている。それなのに、桐生市ではその基本の設計図すら崩されてしまっている、そう感じるのは私だけではないはずだ。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。