第693回:袴田さんの無罪に思う〜私がこれまで出会った冤罪被害者の服役期間、合計で125年〜の巻(雨宮処凛)

 「袴田巌さん、再審で無罪」

 ニュース速報で流れたその文字に、思わず「おおお!」と言いながら立ち上がっていた。身体中から熱いものが溢れ出しそうな、そんな気持ちに包まれた。そして「よかった……」と口にしたものの、失われた時間のあまりの長さに次の言葉が見つからなかった。

 今から58年前の1966年に起きた一家4人の殺人事件で逮捕され、48年を獄中で過ごした袴田巌さん。

 2014年には「拘置をこれ以上継続することは、堪え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない」(静岡地裁の裁判長の言葉)と釈放されるものの、30歳で逮捕された袴田さんはその時点ですでに70代。48年間に及ぶ獄中生活のうち33年間、死刑執行に怯える日々を過ごした袴田さんは、いつからか自分の世界を強固に作り、その中で生きるようになっていた。

 現在、88歳。逮捕から58年経って、やっと「無罪」判決が言い渡されたのである。

 あまりにも、あまりにも長い時間だった。

 そんな袴田さんと、私は一度だけ会ったことがある。18年2月に開催された、袴田さんの無罪を勝ち取るための集会でスピーチを頼まれ、その時に会ったのだ。

 この時点で、袴田さんは釈放されてから4年。

 テレビなどで拘禁症を患っている姿を目にしていた私は、袴田さんと会うことに非常に緊張していた。が、実際にあった袴田さんは、耳は遠くなっているものの終始穏やかな表情。また、自身がスピーチする時も「私が、袴田巌です」とはっきりと述べ、話が脱線したりすることはあったものの、釈放直後の映像よりも、ずっと落ち着いた表情だった。

 この日、印象的だったのは、同じく冤罪被害者の「仲間」たちも駆けつけてスピーチしたこと。

 その人とは、狭山事件の石川一雄さんと、足利事件の菅家利和さん。ちなみにこの人に布川事件の桜井昌司さんも含めた3人を私は勝手に「冤罪オールスターズ」と呼んでいる。

 なぜそんなフザけた名称なのかといえば、とにかく桜井さんがむちゃくちゃ明るいから。いつもみんなを笑わせている上、歌が好きでライブはするわCDは出すわの「ホントに冤罪被害者なの?」的な大活躍。20歳から29年の服役生活を取り戻すように人生を楽しみまくっていて、そんな桜井さんと「千葉刑務所あるある」で盛り上がる彼らの姿を見ているうちに、「冤罪オールスターズ」と呼ぶようになっていたのだ。

 ちなみにそれぞれの事件と服役期間などを説明すると、桜井昌司さんは1967年、茨城で起きた「布川事件」の強盗殺人犯とされ、29年も刑務所にブチ込まれたものの、2011年、無罪が確定。しかし、23年8月、亡くなっている。

 菅家利和さんは1990年、栃木で起きた「足利事件」で女児殺しの犯人にでっち上げられて17年を獄中で過ごしたものの、2010年、再審で無罪が確定。

 また1963年、女子高生が殺害された「狭山事件」で逮捕され、31年間も獄中生活を送った石川一雄さんは現在釈放されているものの、85歳の今も無罪判決が出ず、再審請求中の身。事件から61年が経過するのに、である。

 そうして袴田さんはこのたび、ようやく無罪判決が出たわけだが、獄中期間は48年。

 この4人合わせて、実に125年間の服役である。冤罪で、これだけの年月が奪われているのである。しかも、自己保身や組織のメンツばかりを気にする体質の、仕事できないスットコドッコイたちのせいで。本当に、本当に取り返しがつかないではないか。

 そしてさらに取り返しがつかないことに、冤罪が濃厚に疑われるにもかかわらず、すでに死刑が執行されている人もいる。それは1992年に起きた飯塚事件。2人の女児を殺害したとして逮捕された久間三千年さんは一貫して無罪を訴えていたものの、2006年、死刑が確定。そして08年、死刑が執行される。

 が、死刑が執行されてから、重要な証拠に疑惑が浮上する。当時のDNA鑑定の信憑性が大いに揺らいだのだ。

 ちなみに先に「冤罪オールスターズ」の1人として足利事件の菅家氏について書いたが、菅家氏の無罪が証明されたのは、このケースと同じ鑑定方法を用いて一度は有罪となったものの、再鑑定でDNAが一致しないことが判明したから。久間氏だって再鑑定されていたら、無罪が証明されたかもしれないのだ。しかし、ずさんな鑑定の結果、有罪とされ、死刑は執行されてしまった。

 何十年にもわたって人生を奪われる冤罪も取り返しがつかないが、無実の罪で死刑となるなんて、どれほど「無念」という言葉を重ねてもまだまだ足りない。

 さて、今回の袴田さんの結果を受け、和歌山カレー事件の林真須美氏の今後がどうなるかにも注目が集まっているわけだが、最後に袴田さんと姉のひで子さんが表紙を飾る「週刊金曜日」9月27日号の対談を紹介したい。

 それは冤罪被害者2人の対談。

 「東住吉事件」で20年余、服役した青木恵子さんと、「湖東記念病院事件」で12年服役した西山美香さんとの対談だ。

 1995年に発生した火災で女児を亡くし、内縁の夫とともに保険金殺人をしたとして無期懲役が2006年に確定、服役後の再審で無罪が確定した青木さん。

 西山さんは03年、看護助手として勤めていた病院で患者が窒息死したことで殺人罪に問われ、07年に無期懲役が確定。服役後の再審で無罪が確定している。

 2人はともに虚偽自白の果てに冤罪被害者となったのだが、対談では、取り調べでどんなふうに追い詰められたかが生々しく語られる。

 青木さんの場合は焼死した長女に関するあることを聞かされ、「母親失格やな」と言われたことが大きかったという。助けられなかったのは殺したも同然と思い、自暴自棄になって虚偽自白してしまったのだ。

 西山さんの場合は、取り調べ担当の刑事に恋愛感情を利用されて。

 発達障害のある西山さんに、刑事は「美香さんもすごい賢いところあるで」など優しい言葉をかけたという。また取り調べ中、刑事が望むことを言うと優しくなるものの、本当のことを言うと怖い顔で怒り出す。そのような関係性の中、言ってもいないことが多く盛り込まれた調書に「悪いようにはしないから」と言われてサインしてしまったそうだ。そのことで、まさか12年も刑務所にいるなど思いもしなかったという。

 そんな2人の対談を読んでいて胸が熱くなったのは、桜井昌司さんが出てくるところ。冤罪被害者の「先輩」として、青木さんのもとに面会に来て「出てきたら一緒に支援活動しよう」と励ましていたのだという。

 そして実際、2人の出所後、桜井さんと青木さん、西山さんの3人で全国を回って支援活動をしていたというのだから本当にすごい。

 今、思う。桜井さんが生きてたら、袴田さんへの無罪判決をどれほど喜んだだろう、と。

 もうひとつ思うのは、私たちが知らないだけで、まだまだ冤罪被害はあるのだろうということだ。久間三千年さんだけでなく、すでに死刑執行された人の中にもいるとしたら一一。

 考えると、気が遠くなってくる。

2017年に開催された集会で「冤罪オールスターズ」と。左から桜井昌司さん、袴田巌さんの姉のひで子さん、菅家利和さん、石川一雄さん、私

18年にお会いした袴田さんとひで子さんと

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。