第694回:唐沢俊一氏の訃報に、サブカルと孤独死とヘイトと「受援力」などについて考えた。の巻(雨宮処凛)

 9月末、唐沢俊一氏が亡くなったことが報じられた。享年66。

 2000年代に放送されたバラエティー番組「トリビアの泉」のスーパーバイザーをつとめ、「トンデモ本」などを品評する「と学会」などの仕事で注目された「雑学王」。

 90年代にサブカル女だった私にとっては代表的な「サブカル文化人」だったが、特に追ってはいなかった。「鬼畜系」にどっぷりハマっていた私にとっては馴染みの薄い存在だったのだ。

 が、「トンデモ本」などを品評する際の冷笑・嘲笑的なスタンスには大いに影響を受けたと今になって思う。そしてそんなスタンスは、現在この国に蔓延する「冷笑系」にも通じるものなのではないかと思ったりする。

 そんな唐沢氏の死を告げる言葉の中には、訃報にふさわしくないものが散見された。

 例えば東スポWEBの見出しは「“孤独死”唐沢俊一さんの寂しき晩年 雑学王にほころび、コラムニストの仕事も激減

 また、最初に死を伝えた実の弟で漫画家の唐沢なをき氏は、Xへ以下のように投稿している。

 「9月24日、唐沢俊一が心臓発作により自宅で亡くなりました。本日荼毘に付しまして葬儀は行いません。彼は俺に対して嘘、暴言、罵倒を繰り返してきて20年以上絶縁状態でした。晩年は金の無心も酷かったです。冷たく聞こえるかもしれませんがこの話はもうしたくないのでお悔やみの言葉はご遠慮願います」

 「孤独死でしたが、SNSで異常に気づいた方々が動いてくれて早期発見できたと聞いております。ありがとうございました」

 そんな唐沢氏について、SNSには読者や知人などから「一時は好きだったがネトウヨになり晩節を汚した」「信頼をなくすようなことをしていた」「助けようとした人の手をふりはらっていた」「晩年は生活に非常に困窮していた」などの書き込みが相次いだ。

 私は唐沢氏に会ったこともなければその仕事を追っていたわけでもなく、生前、Xを見ていたわけでもない。ごくごくたまーにXで名前を目にするのは決まって誰かと揉めている時で、なんだか大変な人なんだなぁ……と思っていただけの一人だ。

 しかし、訃報に接して彼のXをざっと読み、多くの人の氏を評する言葉に触れて、「ああ……」と思わずため息をついた。

 ため息にはいろんな意味があるわけだが、そのひとつは昨今、サブカル的な世界で注目されていた男性(一般知名度は関係ない)が中高年となって孤立・困窮しているという話をちらほらと耳にすること。

 孤立・困窮するだけでなく、ネトウヨ的になったり、フェミニストやリベラル派の政治家・活動家・女性を攻撃したりするケースも珍しくない。直接の知り合いではないが、孤独死したと聞いた人もいる。

 ちなみに90年代、サブカル女だった私の周りを見渡せば、当時のサブカル少年は今、おじさんとなっている。同世代であるその層は、見事に二分されている。

 ひとつめは、もろもろの価値観をアップデートさせ、当時自分たちが好きだった鬼畜系サブカルってやばかったよね、などと反省混じりに振り返る層。もしくは「なかったこと」にしている層。

 もうひとつは、今もそういう世界が大好きで、しかし、自分たちの好きな世界をすぐに「加害」と結びつける勢力を蛇蝎のごとく毛嫌いする層。ポリコレやフェミといった言葉・勢力をもっとも敵視する層だ。

 その中には、仕事がそこそこうまくいってる人もいれば、いっていない人もいる。ロスジェネなので家庭を持つ人は少ない。また、一部、ヘイト的な言説に乗っている人もいる。

 もしかしたら、このような、ある種の剥奪感を抱える層がどうやって軟着陸するかが、孤独死やヘイト問題を考える上で、非常に重要なのかもしれない一一。

 唐沢氏の訃報と、それを巡る言説から、そんなことを思ったのだった。

 そんな層の背景に見えるのは、この10年ほどで急激に変わった時代の空気と人々の意識だ。

 例えば90年代は、今は確実にアウトだろう鬼畜系的なものが大いに受けたばかりでなく、パワハラやセクハラは恐ろしいほど放置されていた。そこまで行かずとも、少し前までこの国では「風俗行こうぜ」的なホモソーシャル文化は多くの男性にとって「当たり前」のものだった。

 しかし、令和の今、それらは「加害」と紙一重のものとなっている。

 そんなことに戸惑っている男性は、私が想像するよりおそらく膨大にいるのだろう。

 ある日突然、これまでの振る舞いが「ハラスメント」とされ、令和の常識で過去の言動を糾弾されるかもしれないと怯える人たち。またそのことに強烈な被害者意識と怒りを持つ人たち。

 もうひとつ、「ああ……」とため息をついたのは、生前の唐沢氏がしていたという「助けの手を振り払う」ような振る舞いについて。そのような振る舞いは、困窮者支援の現場で出会う、「不器用」としか言いようのない一部の中高年男性と共通するものだからだ。

 例えば人と関係性を作るのが苦手だったり、プライドが高かったり、救いの手を差し伸べる人を時に攻撃したり。弱みを見せることへの心理的なハードルが非常に高く、生活保護利用を勧めると時に怒り出すこともある。その中には過去、社会的な成功を収めた人も少なくない。

 対面の相談ではなく、電話相談でも傾向は同じだ。

 生活保護利用を頑なに拒絶することもあれば、生活保護利用者や困窮者をことさらに悪く言い、「自分はそんな怠けている奴らとは違う」と強調する人もいる。また、アジア諸国などに対する差別的な言葉を口にする人もいれば、野党議員などを「偽善者」などと激しく批判する人もいる。

 唐沢さんが晩年、どういう状態だったのか、まったく面識のない私には知る由もない。

 しかし、訃報とそれに対する人々の反応を見て頭に浮かんだのは、私がこれまで支援の現場で出会ってきたり、電話で話を聞いてきた孤立した男性たちだった。

 そして私はどこかで、そんな振る舞いをする孤立・困窮した男性たちのことが他人事とは思えない。だからこそ今回、こうして一面識もない唐沢氏のことも書いているのだと思う。

 なぜなら、私も唐沢氏と同じフリーランスの書き手という立場。いろんなことが、いつうまく回らなくなるかなんて誰にもわからないからだ。

 業界は移り気で、人気なんて陽炎のようなもの。流行ったものはあっという間にオワコンになり、見向きもされなくなる世界。浮き沈みを経験してきた私の中に、勝手に持ち上げられたり叩き落とされたりすることに対する恨みがましい思いは常にある。

 ちなみに今の私は、「困窮したら素直に助けを求めればいい」とわかっている。

 しかし、困窮・貧困に至る過程で人は裏切りに遭い、他人や社会への信頼を根こそぎ奪われることが少なくない。

 そんなふうに傷つき、冷静な判断ができなくなる中で、信頼を損なうようなことをしたり、差し伸べられた救いの手を「バカにされた」と思って振り払う可能性はじゅうぶんにあると思っている。

 そしてそんな時、誰か・何かを踏みつけることで自分のプライドを保とうとしないほど、私は「正しく」あれるだろうか。思えば私自身、人生でもっとも貧しく、もっとも承認から見放されていた時期、右翼団体に入っていたのだから。

 困窮・貧困で一番やっかいなのは、このあたりのことだと思う。何も信じられなくなり、救いの手も振り払い、時に助けようとしてくれた人を攻撃するほどの凄まじい疑心暗鬼。この取り扱いについて、私たちはあまりにも無知で、無力だ。

 ちなみに支援の現場には「受援力」という言葉があり、それは助けを求めたり、支援を受けるスキルというような意味だが、貧困はそれこそをたやすく奪うという皮肉がある。

 と、会ったこともない唐沢氏の訃報からいろんなことを考えたわけだが、リアルに氏を知る人にとってはまったくトンチンカンかもしれない。

 しかし、氏の晩年をどうしても他人事と切り捨てられない自分がいる。誰だって、ちょっとしたボタンの掛け違いで、孤立・困窮に至ることがあるのだ。

 そのことを、一時代を築いた人の死から思い知らされた。そうして「生きる」ことの難儀さに、また溜息をついている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。