第330回:ぼくの猫物語(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 ぼくは「マガジン9」の他に「デモクラシータイムス」という市民ネットTVにも関わっていて、そこで「著者に訊く」という番組の司会をしている。番組名どおり、本の著者をお呼びして、本の内容についてお話を伺うという番組である。
 40回目になる今回は、映画監督の想田和弘さんをお招きした。想田さんは18日に『五香宮の猫』という映画を公開し、ほぼ同時に『猫様』(集英社/ホーム社)というフォトエッセイ集を刊行なさった。そこで、映画と本の話をまとめてお聞きしようという趣向。
 映画に関しては、当マガジン9でも、想田さんとプロデューサーでパートナーでもある柏木規与子さんのおふたりへの、とても愉快で素敵なインタビューが先週号に掲載されているから、ぜひそちらもお読みください。

 というわけで、ぼくは想田さんに「猫様」のお話をたっぷり伺った。こちらは10月27日にYouTube「デモクラシータイムス」の「著者に訊く」で公開予定ですので、ぜひご視聴ください。
 でもこのインタビュー、なんだか猫好き同士の「猫様談義」になっちゃったみたいで、あまり「著者インタビュー」って形になっていない。私の失敗である。想田さん、すみませんでした……。
 猫の話を楽しく語り合っていたら、ぼく自身の「猫の歴史」が、なんとなく頭に浮かんできた。このコラム、いつもはけっこうメンドくさい政治向きの文章が多くてウンザリされている方もいらっしゃるだろうから、今回は徹底的に「猫の話」でいきましょう。

“妙な生き物”を拾った

 ぼくは秋田の田舎町の生まれ、育ったのは1950~60年代のことである。あのころは、犬を飼う家はあったけれど、家猫なんてほとんど見かけなかったな。敗戦からそう年月も経っていない。どこの家だって、猫どころじゃなかったわけだ。それでも野良猫はけっこう徘徊していた。
 だから、猫は野良である、というのが子どもの頃のぼくの認識だった。

 時は流れて、カミさんと一緒になって間もないころ、まだ昭和の時代だった。ぼくらは東京郊外の小さな借家に住んでいた。ぼくは編集という仕事上、帰宅がかなり遅い。カミさんの仕事もやはり帰りが遅かった。
 ある夜、ぼくが帰宅するとカミさん、なぜか居間で大騒ぎしていた。どうしたのかと見ると、まだ毛も生え揃わぬ10センチもなさそうな裸の生き物を、手のひらで大事そうにくるんでいた。なんだ、それ?
 「どうも猫の子らしいのよ。うちの玄関先に捨てられていたの」とカミさんは言った。
 そしてその生き物をぼくに預けると、冷蔵庫を開けてミルクパックを取り出し、お鍋に入れてガスレンジで温め始めた。ぼくの手の中で、裸の奇妙な生き物がみゃあみゃあ鳴いていた。やがて人肌くらいに温まったミルクを……、だが待てよ、どうやって飲ませるかが大問題だ。小皿にミルクを入れてもあげても、とても自力では飲めそうもない。思案投げ首。すると、カミさんが薬箱から綿棒を取り出した。さすが! である。
 綿棒の先にミルクを含ませ、それを妙な生き物の口元に持っていくと、ふんふんと匂いを嗅ぐような素振りを見せたかと思うと、ペチャペチャと吸い付いたのだ。ともあれ、食事の第一段階はクリア。

命名 ホワイトロック・S・ヨネザードⅢ世

 翌日の朝いちばんに、カミさんは近所の獣医さんを訪ね、猫用ミルクと猫用哺乳瓶を買い込んできた。かくして、我が家の飼い猫第一号は誕生したのであった。
 何しろ小さい。それでも4、5日経つと、うっすらと毛が生えてきた。それが真っ白だった。というわけで、この猫は「ホワイトロック・S・ヨネザードⅢ世」と名付けられたのであった…。
 真っ白で、とても美しい猫になっていった。だから「ホワイトロック」である。実はこれ、カミさんが好きだったテレビドラマでの「ホワイトルーク」を、彼女が間違えて覚えていたからだ。Sはもちろん鈴木のS。で、ぼくら夫婦が大好きだったますむらひろしさんの『ヨネザアド物語』から採ってヨネザード。
 我が借家の庭には、時折迷い猫(野良?)がふらりと現われた。ぼくらは食べ残しの魚の頭やら味噌汁ぶっかけ飯などを与えた。この借家に越してきてからそんな猫が2匹いたのだ。だから、この白猫は3匹目ということになる。そこでⅢ世。というわけで「ホワイトロック・S・ヨネザードⅢ世」という立派な名前(笑)がついたのである。
 むろん、いちいちこんな長い名前で呼んではいられないから、通称ロック。
 すくすくと育った……ように思えた。ぼくは会社から帰るのが妙に早くなった。とにかくロックと遊びたくてしょうがなかったのである。カミさんも同じだったようだ。かくしてホワイトロックのおかげで、我が家は円満だった……。
 ところが、ほんの1年ほど経った頃、なんの前触れもなしにロックは動かなくなった。獣医さん駆け込んだが、手の施しようがなかった。
 「突然死ですね。人工保育の若い猫には、時々あるんですよ」と言われたが、これは淋しかったなあ……。
 まあ、これで済んでしまえばちょっとした思い出。

様々な猫たち

 やがてぼくらは、借家から少し離れたところに家を建てた。小さな庭があって、カミさんは様々な花を植えて楽しんでいた。
 娘もふたり生まれた。この子たちが大きくなって、子猫を拾ってきたり、知り合いが飼えないからと子猫を持ち込んだり、生き物を飼うのは止めたはずだったが、なんとなく我が家に居ついてしまった猫たち、思い出せば、ノンタン、アップル、テツ、ニャモウ……けっこうたくさんいたのである。
 ぼくは、この猫たちを家の中に縛りつけておくのは可哀想だと思っていた。家に入ってくれば餌を与え、寝床を用意しトイレも備えた。でも、天気のいい日には外へ出たがるから窓を開けて外出許可。
 小さな庭で走り回り、気が向くとふらり庭の外へも遊びに行く。
 我が家の前の路地(ほとんど車は通らない)を挟んで両隣はけっこう大きな農家さんだから、納屋もあるし畑もある。そこへ不法侵入(?)、遊び場所には事欠かない。むろん、両隣にはきちんとお断りしていたし、去勢や避妊手術もしておいた。大きな農家さんは鷹揚で、笑って許してくれた。
 だけど、少し遠出をして車にはねられたり、どこかで猫エイズをもらってきたりして、みんな死んでしまった。
 最後のニャモウが亡くなった時には、ほんとうにもう猫を飼うのは止めようと、カミさんと話した。猫を可愛がっていた娘たちも、それぞれ家を出ていったことだし……と。

「梅ちゃん」登場

 ある日、庭でゴソゴソ音がした。出てみると、瘦せこけた貧相な猫が上目遣いにこちらを見ている。なんとなく可哀そうになって、つい食べ残しの魚(目刺しだったか?)をあげてしまった。それほど貧相な猫だったのだ。
 それからしばらく、なんとなく間をおきながら、こいつが通ってくるようになった。どうも雌らしい。まるで梅干しばあさんみたいだったから、ぼくは「梅ちゃん」と名付けた。痩せこけているくせに食欲だけは旺盛で、与えたものはすべてペロリと平らげ、もっとくれと「にゃおうん」と鳴く。そのくせ、絶対にぼくらに触らせようとはしない。頭を撫でてやろうとすると「ふーっ!」と小さな牙を剝く。
 徹底的に可愛げのない梅干しばあさんだった。
 でも通ってくるものだから仕方なく猫の餌を買ってきた。毎日餌をやっていたおかげか、少しは太り始めたようだった。ところがコイツ、ある日を境に、ぱったりと姿を見せなくなった。
 「バカタレめ。餌が余っちゃったじゃないか」とブウタレるぼく。でもそれっきりで忘れた。だって、まるで可愛げのない猫だったからね。

 ある日のことでした。お釈迦様は池のほとりを歩いておられました……、違うって、日本マンガ昔ばなしじゃないんだよ。
 ある日のことでした……、庭で「きゃあ!」というカミさんの声が聞こえた。何かと思って窓を開けて、ぼくも驚いた。なんと、また梅ちゃんがいた。それも、子猫を3匹連れていたのである。
 「えーと、生まれちゃったのでお連れしました。これからよろしくお願いいたします……」みたいな感じで、相変わらず上目遣いでこちらを見ている。黒トラ、三毛2匹の3匹の子猫であった。仕方がない。ともかく様子を見ることにした。
 3匹ともそれなりに育っていて、もうお乳ではなく餌をきちんと食べられそうだった。また猫餌を買ってきて与え始めた。今度は撫でさせてくれるんじゃないかと手を出すと、梅ちゃん、母性本能(?)丸出しで牙を剥く。結局、この3匹も家猫にするのは諦めた。まあ、母と一緒がいいのなら、それがいちばん。
 名前は、ぼくがメール通信を懸命に習熟しようとしていた頃(そう、20年以上も前のこと)だったから、ジェーピー、ドット、コムと名付けた。中では、コムがいちばん可愛かったな。

「ドット」だけが残った…

 やがて、我が家も古くなり、ぼくは会社を辞めると同時に家を建て替えることにした。あまり年老いてからでは体に負担がかかるし、まあ、退職金で費用も何とか賄えそう、という程度の建て替えだった。むろん、建て替え工事中は、ぼくらは引っ越さなければならない。その時、猫たちをどうするか?
 梅ちゃん一家は、家猫になることには絶対反対派だったから、引っ越し先に連れてはいけない。それに一時とはいえマンション住まい。猫など飼えそうもない。
 家の取り壊し、建て替え工事の職人さんたちにお願いして、工事現場の片隅に猫餌のお皿と水飲み用の大きめのお椀を置かせてもらうことにした。ぼくらの仮住まいは近所だったから、毎日、餌と水をやりに通った。
 職人さんたちによれば「猫さんたちは、夜に来て餌を食べてどこかへ帰っていくようですよ」とのこと。猫好き職人さんもいてくれたのだ。
 だが、そうこうするうちに、なぜか梅ちゃんは姿を消し、ジェーピーとコムもあまり時を置かずに消えていった。ぼくらは近所を探したけれど見つからなかった。ドットだけが残った。
 カミさんによると「ドットがいちばんのんびりしているから、この子はここで面倒見てもらうのがいちばんいいと、梅ちゃんが判断しておいていったのよ」ということらしい。へえ、そんなものか……?
 ほぼ半年後、やっと新しい家ができた。ぼくらがここへ入居して3日目の朝、まだまっさらの庭にドットが現れた。ところがコイツも母の教えを守ってか、決して家の中に入ろうとしない。捕まえようとするとやはり牙を剥いて威嚇する。そのくせ毎日、餌時になると現れる。梅ちゃんと同じである。
 まあ仕方ない。ご近所さんからは「新築の家を汚されたくないから、家の中に入れないのね」などという声も聞こえてきたとカミさんが言うが、イヤそんなことじゃない……と言い訳して回るのもしゃくだからそのまま。
 自由気儘、神出鬼没、野良猫の本領発揮。
 花を植え始めた庭で、植えたばかりの苗を多少ほじくり返すというイタズラはしたものの、見ている分にはなかなか可愛い。ま、いいか。これが我が家の「半野良猫ドット」の誕生秘話である。
 やがて冬。
 庭の片隅に、ホームセンターで買ってきたいちばん小さな犬小屋をおいて、「猫小屋」にした。床に古い毛布を敷き、凍てつく夜にはホッカイロ(?)を入れてあげた。それでも感謝の念を示さず、当然だろう、という顔をして餌をぱくつく。
 予防注射をするため、獣医さんに連れて行こうと捕まえるのにあんな大騒ぎしていたけれど、それでも数年経った頃から、ようやく抱かせてくれるようになった。喉元を撫でるとぐうぐうと甘えた声を出すくらいにはなった。
 けれどやはり、家に入れると「出せえ、外に出してくれえ!」と喚き散らす。やはり野に置け蓮華草……か。

半野良猫「ナゴ」の話

 この猫話、まだ続くのです。
 ある日(ホント、「ある日」ばっかりですが)、ドットが妙な猫を連れて現れたのだ。コイツもかなり痩せこけていた。だいたいドットは臆病な猫で、見知らぬ猫が現れようものなら、フーッと威嚇するどころか、庭の隅で尻尾を巻いて縮こまるという弱っちいヤツだった。だから、相性がいい猫なんて初めてだったのだろうね。
 まあ仕方ない。コイツもいつの間にか我が家の庭に居ついた。まだ小さかったので、なんとか捕まえて獣医さんに連れて行き避妊手術。雌だった。
 これが現在、我が家の庭に生息する半野良猫ナゴなのであります。
 その頃、沖縄好きだったぼくら夫婦は、夏になるとほぼ毎年、沖縄通いを続けていた。で、行くたびに名護市の辺野古を訪れ、座り込みに参加し些少のカンパを置いてくるのが通例だった。そこで、留守番(?)をしてくれている猫に、名護市にちなんで「ナゴ」と名付けた。
 こいつも根っからの野良で、しかもドットに倣ったのか、絶対に家の中に入ろうとしないのだ。まったく、根性の悪い猫だけが我が家に居つく。それでもドットとは仲良く、同じ猫小屋で寄り添って眠っていた……。

 そして、3年前の猛暑の夏。もう老齢であったドットがついに身罷った。家を建て替えたのが2007年。その少し前に梅ちゃんと一緒に現れたのだから、15歳以上にはなっていたはずだ。まあ、半野良猫としては長生きしたほうじゃないかなと、ぼくら夫婦はふたりして淋しい気分を慰めたのだった。
 こうして今は、ナゴが独りきりで庭に棲みついている。むろん、家にいれようとするものなら、強烈に暴れるのは前と変わらない。
 でもやはり老いてきた。毎朝、カミさんが起きるといつも、庭のガラス戸の前でちんまりと座って餌を待っている。その時だけはこちらが手を出しても、まあ、我慢して(?)頭を撫でさせてくれるくらいのお愛想はするようになった。
 いまさら家猫にするつもりなどない。少しだけ、頭を撫でさせてくれる程度の付き合いを多分、これからもしていく。
 それでぼくらは満足である。
 お互い、それが老いというものであるにゃあ……と。

 ぼくの「ニャン・ストーリー」は、とりあえずここまでです。

網戸の陰から「早く餌をくれ」とドヤ顔の半野良猫のナゴ

猫小屋で、今日もおやすみのナゴ

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。