第141回:ドキュメンタリーのジレンマ(想田和弘)

 ドキュメンタリーの作家には、常にジレンマがつきまとう。

 どういうジレンマかというと、作った作品を一人でも多くの人に観てほしいと願う一方で、作品が世の中に広まることで、被写体に何らかの負の影響が及ぶのではないかという懸念が伴うことだ。

 台本に沿って虚構を演じる俳優を撮るのではなく、現実に存在する生身の人や猫や状況にカメラを向けるドキュメンタリーには、そういう難しさが最初からビルトインされている。だから作品のプロモーションに一生懸命になりながらも、いつもその結果起きうることを心配している。

 今月19日から日本での劇場公開が始まった『五香宮の猫』(2024年、観察映画第10弾)や、18日に刊行されたフォトエッセイ『猫様』(集英社/ホーム社)にも、そのことは言える。

 特に五香宮界隈の猫の世話をする人たちからは、映画が公開されたり本が出版されることで、猫を捨てにきたり、誘拐しにくる人が増えるのではないかとの懸念や批判の声がある。

 実際、猫を五香宮に捨てる人は後を絶たないし、突然姿を消す猫も多い。なぜいなくなるのか、真相は誰にもわからないが、誰かが連れて帰ってしまうのではないかという疑念はたしかに存在する。連れて帰られた結果、飼い猫として幸せな猫生を歩んでいるのであればよいのだが、そうとは限らないから不安にもなる。

 もちろん、『五香宮の猫』を実際に鑑賞したり、『猫様』を読んだりした人は、ひたむきに生きる猫たちや、彼らを大事にする人間の姿に接し、むしろ猫を捨てたり勝手に連れ帰ったりしなくなるのではないかと思う。

 だが、それでも他人の行動には読めないところがある。なんらかの手立てが必要だと思って、数ヶ月前、僕らは地元の人たちに協力してもらって、写真のような立て看板を立てさせてもらった。

 しかしその後も猫を捨てる人がいたので、もっと強烈なメッセージが必要だと考え、警察庁と環境省が作ったポスターも掲示させてもらった。

 ポスターに書いてあるように、犬や猫といった「愛護動物」を殺傷したり、捨てたり虐待したりすることは、犯罪である。

 あまり知られていないが、2020年6月からは罰則が強化され、愛護動物の殺傷には5年以下の懲役または500万円以下の罰金が、遺棄・虐待には1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科されるようになった。こうした保護の対象には、飼い主のいない犬様や猫様も含まれる。一昔前は「近所の野良猫が子猫を産んだので目が見えないうちに川に流した」などという話をよく耳にしたものだが、そんなことをしたら今では「お縄」である。

 ということで、絶対にやめていただきたい。

 五香宮を訪れる皆さんには、心からお願いいたします。

 一方、10月27日投開票の衆議院総選挙が始まった。僕が住む岡山県では県知事選挙も同時に行われる。27日はナゴヤキネマ・ノイでの『五香宮の猫』舞台挨拶があるので、期日前投票を行おうと思っている。

 選挙の公示日、今回もニュースではお約束のように「各党による論戦が始まった」などと報じられたが、実は論戦がないことが問題である。

 あるのは、選挙カーで名前を連呼したり、街頭で握手するくらいだ。あとは選挙公報と政見放送、ポスターだけ。論戦なきままに、いつの間にか選挙が終わる。

 選挙とはそもそも、私たちのコミュニティに存在する問題についてどうすべきなのか、意見やアイデアをすり合わせるための重要な機会であろう。

 しかし選挙がそういう場になっていない。

 僕が理想とする選挙は、選挙期間中、朝から晩までずっと公開討論会をやるような選挙である。たとえば1日10時間くらい、「誰々の発言時間が短すぎる」などといった問題が起きようがないくらい、うんざりするくらいやる。それをテレビ、ラジオ、インターネットで中継するのだ。

 そうすれば候補者たちの政策だけでなく、議論する姿勢や物腰、人となりも含めて判断する材料になるだろう。

 絶対に採用されないだろうとは思いつつ、選挙のたびに、そう僕は主張している。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。