第43回:ツッコミどころが満載すぎる桐生市 一日千円、桐生市・生活保護費違法支給訴訟を傍聴して(小林美穂子)

 2024年10月4日、前夜から降り続いた雨がようやく止んだ金曜日の朝、私は前橋地方裁判所に向かっていた。群馬県桐生市で生活保護を利用している男性2名が、市に一人あたり27万5千円の賠償を求める国家賠償請求訴訟を起こした。その2度目の口頭弁論が開かれる。
 持病が悪化して働けなくなり、生活保護を申請した原告たち。要件を満たしているので当然保護は開始されたが、同時にハローワークで毎日求職活動をするように指導された。不自由な体で毎日ハローワークへ通い、求職活動をした証明を福祉課の窓口で見せると、一日千円だけ支給された。生活保護制度を利用しているにもかかわらず、法で定められた保護費満額を月内に渡されることはなかった。
 非常に注目を浴びた本ケース、初回口頭弁論の傍聴人が多かったために、2度目のこの日は抽選となることが決まっていた。原告たちを支援して今年3月に急逝した仲道宗弘司法書士の妻さゆりさんの姿もあった。幸い、受付時間までに傍聴希望者の数が定員を超えなかったため抽選にはならずに済んだが、45席の傍聴席のほとんどが埋まった。
 さゆりさんは7月19日の初回口頭弁論の時も、夫である仲道氏が生前に頭痛、肩こり緩和に使っていた磁気ネックレスを身に着けて「彼も連れてきました」とおっしゃっていた。傍聴席にいるに違いない仲道氏を想像しながら法廷を見渡すと、後ろの列に桐生市の保健福祉部長、参事、課長、係長が座るのが見えた。一体、どんな気持ちで座っているのだろうと思っていると、裁判官たちが入廷し、全員で起立した。


一日千円は合意のもとだと?!

 第1回の口頭弁論で、市は生活保護費が一部不支給だったことは認めたものの、「分割支給は受給者の合意があった」「ハローワークの条件はつけていない」と主張し、請求の棄却を求める答弁書を提出している。市が一部の受給者に保護費を満額支給していなかったことについては、すでに県の監査によって生活保護法違反が指摘されているので、そこは認めざるを得ないものの、確たる証拠が出ていない部分については、あくまでしらばっくれる構えのようだ。
 生活保護費は憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要とされた最低生活費である。一日千円は月額にすれば3万円程度となり、そうでなくても「最低限」ギリギリの額である生活保護費の半分程度にしかならない。
 市は「合意」と主張しているが、高校生の昼飯代じゃああるまいし、一日千円で合意する人がいるだろうか? 百万歩譲って合意したとして、それ、本望だと思うのだろうか? 今の時代に月3万円ちょっとで生活ができると、市職員は本気で思っていたのだろうか?(「一日800円で生活してる人もいる」と言われた受給者もいた)だとしたら、国の定めた最低生活費を否定したことになるが、そういう理解でいいのだろうか? それとも、桐生市だけ、すべての物価が他地域より50%ほど安いのだろうか? 教えてほしい。
 「生活保護の申請は国民の権利」とはいえ、現在の日本において福祉事務所職員と利用者の間には圧倒的な力の差がある。どんなに権利性を訴えたところで、利用者の生殺与奪と決定権のすべてを握っているのは福祉事務所側だ。そんな圧倒的な力の不均衡の中で、仮に合意があった(実際は無かった)としても、そんなもん無効に決まっているではないか。その日の暮らしと健康がかかっているのだ。

アグレッシブな就労指導

 そして、市は「ハローワークの条件はつけていない」と主張しているが、NHK「クローズアップ現代」のインタビューに答えて保健福祉部の宮地敏郎部長は、「組織としての取り組み方に大きな問題があったと思っている」としながら、「この人は働ける人と判断した人に対してアグレッシブな(就労)指導をした」と釈明している。
 ちょっと待って欲しい。糖尿病で歩行が不自由だったり、合併症を起こしたりしている人も保護開始と同時に「アグレッシブな就労指導」を受けているのだが、どんだけスパルタなのか? そもそも、治療や休養が必要な人に連日求職活動をさせたところで仕事はそうそう見つからないだろうし、一日千円ではまともな食生活も保障できず、むしろ健康を害してしまわないだろうか? と疑問に思って、2度目の口頭弁論の市の言い分を確認したところ、「そのような症状については不知」と書いてあったので仰天してしまった。申請時に健康面の聴き取りゼロだったのだとしたら、基礎からなってない。というか、嘘に嘘を重ねるとあちこちほころびが出るから、もう認めたらいいのに。これ以上の恥を上塗りはやめてほしい。こっちを誤魔化せば別のところのボロが出るという悲しいループに陥っている。

外出の機会の創出??

 去る8月21日に開かれた4回目の桐生市生活保護業務の適正化に関する第三者委員会で、市の職員で結成された「生活保護業務における内部調査チーム」が職員にヒヤリングをした結果を公表した。そこには分割支給をしていた理由について「生活指導のため」の他に「引きこもりを防止するため」というものがあった。裁判で市側が提出した書類にも「外出の機会を創出したいと考えたため」とあった。
 糖尿病や様々な疾患がある方に、良かれと思って「毎日市役所に来たら千円支給する」と言っていたわけですか? 一体、どうしてしまったのだろう? どこでこうなってしまったのだろうか?
 市から第三者委員会に提出された報告書を読んでいると、平成21年(2009年)度に保護係で4人の職員が病気休暇に入っていることが分かるが、これらの職員にも健康のために毎日市役所に足を運ぶように言ったのだろうか? それとも、しっかりと医療を受けさせ、休養させてあげただろうか? だとしたら、その線引きはどこにあるのだろうか?
 持病を悪化させて働けなくなった人に、毎日足を運ばせ、窓口で千円を渡す。そして国が定めた最低生活費を渡さない。その理由を「外出の機会の創出」と答える市職員の気持ちを理解できない。「アグレッシブな指導」などではない。それは罰で、拷問で、支配だ。
 そこまでできるのは染みついた差別意識がベースにあったからに他ならない。生活保護の利用者が自分と同じ人間であると、職員は知っていただろうか? どんなに改善を約束したところで、一番認めたくない根っこの部分をえぐらない限り、謝ったことにもならないし、改善にもつながらない。被害を受けた当事者だけでなく、被告側の市職員たちも体内に膿を抱え続けるような状態が続くと思うのだが、違うのだろうか?

都合の悪い記録は残さない

 2度目の口頭弁論では「未支給分を世帯ごとに封筒に入れ、金庫に入れて保管していたことについては、福祉事務所の当時の所長、課長、係長も知っていた」とする書面が市側から提出された。「しかし、受給者ごとに支給の時期が異なり(なんで?)、現金の出し入れは担当する現業員(ケースワーカー)が管理していたこと、また、全体の状況を把握するための一覧表は作成していなかったので、どの職員が誰の未支給分をいくら預かっていたという個別具体的な状況について、上司は、把握していない」のだそうだ。
 そして、こうも書かれている。
 「原告との間で、生活保護費を分割支給することの合意文書は作成していない」
 公務員の事務作業はとにかく几帳面になんでも記録を残すことだと常々聞いている。そしてそれが職員たちの大きな負担になっていることも知る身としては、都合の悪い記録を残さない桐生市職員が同じ公務員とは思えない。
 全部が故意だったとは思わない。とはいえ、業務のあらゆるプロセスで違法や不適切行為が行われてきたことは、なぜなのか。
 荒木桐生市市長は「本市の生活保護行政を生まれ変わらせるため、忌憚のないご意見をお願いしたい」と過去の第三者委員会冒頭で述べた。生まれ変わらせる気が本当にあるのなら、裁判でも、今年度残すところ3回となった第三者委員会でも、もう誤魔化したり、嘘を重ねたりするのはやめてほしい。生まれ変われるかどうかは、市の姿勢にかかっている。膿を出さずに表面を縫い合わせても、傷は治らない。真摯に問題を認め、その原因を掘り下げ、同じ過ちを犯さない福祉事務所になることが、利用者も、そして職員すら救う。

新たに一人が提訴

 被害者が声を上げない限り、被害はないものとされる。苦しいと叫ばない限り、苦しんでいる人は存在しないことになる。
 2024年4月、原告2名は弁護団を通じて、裁判に踏み切った理由をこう話している。
 「私のように苦しい思いをする人が二度と出ないようにしたいと思ったからです」
 「自分も苦しかったですが、自分より立場の弱い人が苦しまないよう、桐生市が二度と法律に反した行為をしないようにするために原告となりました」
 私に証言をしてくださる方々も、ほとんどの方が「こんな思いを誰にもして欲しくない」と口を揃える。
 第2回目の口頭弁論閉廷後、原告弁護団長の斎藤匠弁護士は、同じ問題で20代男性1人が追加提訴したことを明らかにした。
 小さな地域で、大きな権力による違法行為、人権侵害に声を上げた人達に最大限の敬意を表したい。心からのエールを送りたい。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。