2日前の日曜日(3日)、東京は久しぶりに気持ちのいい秋晴れ。ぼくも、気分良く散歩に出かけた。
だいたいこのコラムは、散歩しながらとか、電車に揺られたりしながら、テーマを考えていることが多い。歩きながらふと思いついたり、ぼんやりと車窓から流れる景色を眺めたりしていると、なんとなく書きたいことが浮かんでくるのだ。
けれど、な~んにも浮かんでこない日もある。
この日は、散歩ついでに本屋さんを覗いた。
悩んでいる腰痛の具合が多少よかったので、ゆっくり時間をかけて歩き、数駅離れた大きな街の大型書店を目指した。
何も書きたいことが浮かんでこないときは、リアル書店を覗いてみるのがいちばんいいのです……。
そんなわけで、今回のコラムはストレートに「本と書店の話」です。
ぼくの町には本屋さんがない!
ぼくは今でも月に何回かは、リアル書店を訪れようと思っている。本はやっぱり本屋さんで探さなくちゃ。思いもかけない本との遭遇は、やはりネット通販では味わえない愉しみですよ。だけど仕事があったり原稿を抱えていたりすると、なかなか本屋さんには行くことができない。
なにしろ、ぼくの住んでいる小さな町の駅周辺には書店がないので、リアル書店へはちょいと遠出しなければならないのだ。
東京郊外の小さな駅、新宿から私鉄で30分ほどのこの町へ移り住んできたころには、駅の近くに小さな本屋さんがあった。確か「弘益堂」という店名だったと思う(あまり確信はない)。コミックスと雑誌、ベストセラー本、文庫、それに自己啓発本といったような品揃えだったので、ぼくはあまりその店に入ることはなかった。
ぼくは当時、本の街・東京神田神保町にある出版社で働いていた。だから、書店巡りは神保町で十分だったのだ。
やがてぼくは退職し、神保町へは通わなくなった。
たまには「本の街」が恋しくて、1時間ほどかけて神保町へ出かけ、古本屋巡りをしたりもするけれど、その頻度も月に1度くらいのもの。本の街の匂いを嗅ぐことは、めっきり少なくなった。だから、品揃えに不満はあったけれど、我が町の小さな書店を時折訪れるようになったのだった。
やっと、店主夫婦と話ができる程度には顔見知りになったころ、この本屋さんは閉店してしまった……。
出版不況が言われ始めたころだった。
いい本屋さんだったけど「閉店」
その後、この町の小さな駅が改修されて、2階建ての駅舎となった。その2階に書店がオープンした。ぼくは嬉しかったなあ……。
新書店はけっこう品揃えがよく、海外ミステリの棚もあって、うちのカミさんは大喜びしていたものだった。カミさんは、海外ミステリとSF物が大好き。ぼくもミステリは好きだけれど、どうもSFにはあまり食指が動かない。まあ、夫婦とはいえ、好みはまるで違うというわけだ。
それに、ここの店員さんがわりと親切丁寧で、こちらの注文にもすぐに応じてくれた。注文の本が届くまで数日かかるのが普通だったけれど、それでも本が到着すると、店員さんから「注文の本が届きましたよ」という電話でのお知らせがあった。けっこういいもんだよ、こういう本屋との付き合いも。
ところがなぜかこの町には書店が根づかない。数年して、残念ながらこの本屋さんも閉店してしまった。
その店舗には、今はなぜか「マツモトキヨシ」が入っている。駅のすぐそばには、ぼくら夫婦とは長年の顔馴染みの薬屋さんがあるのだから、申し訳ないが「マツモトキヨシ」には寄る必要がない。
本屋さんのほうがよかったなあ……と嘆いても、資本の論理、仕方がない。
リアル書店で買い込んだ本
さて、11月3日のリアル本屋さん訪問。
このところ、寝しなに読む愉しみのミステリがなくなった。そこで、この日は文庫本を数冊買って帰った。ミステリばっかりだ。
『死はすぐそばに』(アンソニー・ホロヴィッツ、山田蘭訳、創元推理文庫)
『ミゼレーレ』上下(ジャン=クリストフ・グランジェ、平岡敦訳、創元推理文庫)
『弟、去りし日に』(R・J・エロリー、吉野弘人訳、創元推理文庫)
『パラダイス・ロスト』(柳広司、角川文庫)
ぼくは柳広司という作家が大好きで、ほとんどの作品を読んでいるのだが、なぜか『ジョーカー・ゲーム』シリーズのうち、この『パラダイス…』だけは未読だった。棚に見つけてしまったのだから、これはもう買うしかない。
後でよく見ると、海外物は「創元推理文庫」ばかり。まあそれだけ、この出版社はミステリが充実しているってことだ。海外ミステリに関しては、もう1社、早川書房が多く刊行しているが、今回はなぜか東京創元社ばかりだった。
他にけっこう好きなのが、講談社文庫の海外シリーズだが、最近どうもパッとしないな。ぼくの本棚には、青と白のカバーの講談社文庫がたくさんあるけれど、最近はあまり増えないのだ。期待していますよ、講談社文庫さん。
まあ、こんな感じなのがぼくのリアル本屋さん詣でである。
アマゾンで購入するのは、なるべく普通の書店には並びにくい(だから見つけにくい)本に限って、あとは本の匂いを嗅ぎにリアル書店へ行くのです。
激減していく書店
しかし、ほんとうに本屋さんが減っている。
2024年3月時点で、全国の書店数は1万918店。10年前の2014年には1万5602店あったというから、実に4600店余りが消えてしまったことになる(日本出版インフラセンター調べ)。それに伴い、書店が1軒もない、つまり書店ゼロの地域も増えていて、実に全市町村の27.7%にも及ぶという(出版文化産業振興財団調べ)。⇒これらの数字は、東京新聞からの孫引きです。
こうなると、本の購入はネット書店に頼るしかなくなる。その結果、アマゾンなどのシェアが拡大し、街の書店はますます経営的に苦しくなる。
だが一方で、様々なアイデアで書店を活性化させようという動きもある。
例えば、たくさんの個人が、お店の中にそれぞれ小さな棚を借りて「鈴木書店」などと名乗って本を置く。そんな試みも本の街・神保町などでは始まっていて、作家や評論家、ジャーナリストなどの著名人が、自分の推薦する本を並べて(それも10~20冊程度の点数で)個性的な棚づくりをすることで評判になったりしている。
また、作家本人が書店経営に乗り出すというケースも出てきた。
紙の本への情熱を持ち続けている人たちは随分と多いのだ。
「公営書店」の設立を
ぼくは、書店ゼロの自治体には「公営書店の開設」をぜひ薦めたい。
例えば、市役所の待合室の一角で「〇〇市営書店」の営業を始める。むろん、店長さんや書店員さんは委託でいい。どこの地域にだって本好きはいるのだ。
市役所に何かの届けを出しに来たついでに、ちょいと本屋を覗く。とてもいいアイデアだと思うけどなあ…。そして、その地域に関する書籍やその地域の関連作家のコーナーなどを作る。
図書館とは一味違った個性的な品揃えをしてみる。店の隅には、住民が持ち寄った「古本コーナー」なんかを設けてもいいと思う。
多少の自治体からの援助が必要だろうけれど、妙な箱物を作るよりはずっといい。
電子書籍が増え、紙の本は次第に消えていく運命にある、などという人もいる。ぼくのような古い出版関係者は、とてもそんな風潮を受け入れることができない。
むろん、電子書籍そのものを否定するつもりはまったくないけれど、あの紙の手触り、新本のインクの匂い(本の匂いというほうが当たっているか)、紙面の文字のフォントの味わい、カバーや表紙のデザイン……。それらが消えてしまうとはとても思えないし、また消してはいけないと強く思う。
巨大な本で右腕を痛めてしまった!
閑話休題——。
最近やっと読了した本に『虚史のリズム』(奥泉光、集英社)がある。これで、ぼくは右腕が上がらなくなった。どういうことかって?
ぼくは寝ながら本を読む時間がいちばん好き。だから、この本もベッドで読み始めた。だがこの本、なんとA4判(普通の単行本より一回り大きい)で、2000頁を超えるという、もはや本というより道具箱というほうがよさそうな代物。試しに計ってみたら、重量がほぼ1.4キロもあった。十分凶器になるよね(笑)。
これを支えながら読むというのは、けっこうな重労働。3晩ほど我慢しながら読んでいたが、やがて支えていた右腕が痛み出し、ついに肩より上にあげられなくなったのだ。そのため、ベッド読書を諦め、デスクで読まざるを得なくなった。
いつもと習慣が違うからなのか、なかなか進まない。いつもより時間がかかってしまって、読了まで10日間もかかってしまった、というわけ。
それでもこの本、めちゃくちゃ面白い。
殺人事件が発端だけれど、日本の戦後史と深く関わり、山形の修験道の話や占領軍(進駐軍)の動向、オカルト的な宗教団体、戦災孤児を集めたある組織、そして「K文書」なる奇怪な文書をめぐる争い、さらには東京裁判も絡み、とても途中で投げ出すわけにはいかない物凄い物語。
はい、堪能しました。
まあ、こんな体力勝負の稀有な読書体験もあるのだから、本を読むのは止められない。
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