第701回:受験拒否、入学拒否、内定取り消し――「仮放免」の学生たちに立ちはだかる「意地悪」なルール・制度の壁。の巻(雨宮処凛)

 「私が仮放免になってから困ったことはたくさんあります。まず病院です。仮放免になってから保険証が無くなりました。保険証が無くなってから、私は病院で受けていた治療の多くを断念しなければなりませんでした。そして、治療が中断されたため、私の病気は進行しました。保険証がないと治療費が高いので、病気になった時に医者に診てもらえない。これは生活の中での大きな問題です。
 私の家族も同じです。家族も私も働けず、お金に困っています。私たちは深刻な生活苦に陥っています。どう考えても、お金にかんしては行き詰まっています。家賃も払えない、医者にも行けない、食品も買えない、どこかに遊びに行くこともできません」

 「まだ私は18歳です。仮放免の高校三年生です。私はいつもとても忙しいです。家族は日本語が全く理解できないため、通訳をして家族を助けています。お母さんと一緒に病院に行ったり、弟の幼稚園の手続きのことでも、色々頑張っています。
 でも、もう私の力はすべてなくなりました。私には力が残っていません。これからどうなるかが見当もつきません。でも私は、自分の人生の自分自身の夢を持っています。すべての人々に幸せで自由な生活を送って欲しいという夢です」

 この言葉は、11月16日、上智大学で開催された「子どもの権利は私たちになぜ適用されないのですか 在留資格のない子どもの高等教育進学を考える」で配布された作文からの抜粋である。

 この日、私は多くの仮放免の高校生、また大学や専門学校らに進学した「元」仮放免の若者たちの話を聞いた。

 ちなみに仮放免について簡単に説明しておくと、入管施設への収容を一時的に解かれた状態。日本には在留資格がない未成年の子どもが約300人おり(2019年、法務省調べ)、そのうち日本生まれの212人は24年10月までに法務大臣の方針で「在留特別許可」を取得したのだが、今も在留資格を得られず、仮放免のままの子どもたちがいる。

 そんな仮放免、何が問題かというと、まずは働けない。この時点で「詰んだ」状態だが、日本の福祉の対象にもならない。健康保険証も持てず住民票もなく、銀行口座も作れないという無い無い尽くしの状態だ。そして県外に移動する時にはいちいち入管の許可を得なくてはならないなど生活に多くの制限がある。そんな仮放免の子どもの親も同じ状況で働けないので、当然生活は困窮している。

 そうした状況でも、日本は「子どもの権利条約」に批准しているので義務教育は受けられる。義務教育中であれば、給食費や学用品などに対して、仮放免であっても公的な支援(就学援助という。学校でかかる費用の援助など)を受けられる。が、高校生は就学援助の対象外。そのために高校進学を諦めたり、退学を余儀なくされたりする仮放免の子どもが多くいる。

 それだけではない。入管職員は時に「日本にいてはいけないのだから勉強してもしょうがない」などとやる気をくじくような言葉を子どもたちに浴びせる。

 公的支援から取り残されがちなうえ、時に冷たい言葉さえ浴びせられる仮放免の高校生たち。そのような状況を受け、22年11月、「あなたたちを見捨てていない」というメッセージを伝える意味も込めてスタートしたのが「仮放免高校生奨学金プロジェクト」。

 私も属する「反貧困ネットワーク」と「移住者と連帯する全国ネットワーク貧困対策PT」の協力で始まった。

 メインの支援は、月に1万円の奨学金の給付。プロジェクトに応募し、対象となった仮放免の高校生に支給される。

 「たった1万円?」と思う人もいるかもしれない。が、1万円の授業料が払えなくて学ぶことを諦める仮放免の高校生たちがこの国には存在している。

 また、一人ひとりに大学生のチューターがついて伴走してくれるのが大きな特徴だ。学校のこと、勉強のこと、将来のこと、日常的な悩みなどを相談できる大学生の存在は高校生にとってどれほど心強いだろう。

 そんなプロジェクトでは、これまで41人の仮放免高校生が支援を受けてきた。一方、参加している32人にまだ在留特別許可が出ていないという。

 ということでこの日、そんな若者たちの声に耳をすませてきた。

 会場には、いろいろな国籍の若者たちの姿。「多様性」が具現化したような光景だ。

 最初に当事者として発言したのは専門学校・大学に進学した学生たち5人。次いで仮放免高校生5人も登壇。自身の状況について語ってくれた。

 まず驚かされたのは、専門学校や大学による「入学拒否」「受験拒否」がこの国に多くあるということ。

 「外国人だからダメ」「日本人しか受け入れていない」「在留資格がないから」などの理由で受験さえさせてもらえないという体験談が多くあったことに驚いた。幼い頃に来日した人もいれば、日本生まれの人もいる。日本で教育を受けて育ってきたのに、突然「日本人じゃないから」という理由で断たれてしまう進路。

 「何かを学びたいのに、どうしてOKって言ってくれないんでしょうか。悪いことなんてしてないのに」

 そう呟いた女子学生は、何校にも断られた果てにやっと理解のある学校に出会い、入学。今は将来の夢に向かって勉強中だという。

 しかし、合格したのに合格取り消し、入学取り消しとなったケースもあるという。なぜ、国籍で、そして在留資格でその人のこれまでの努力が「無」にされなくてはいけないのか。本人の胸の内を思うとただただ心が痛い。

 一方、せっかく就職が決まったのに「内定取り消し」となった経験を話してくれた女子学生もいた。エアラインの専門学校に通う彼女はある大手の会社に内定をもらったものの、仮放免ということで取り消されてしまったというのだ。

 夢に向かって勉強して内定まで勝ち取ったのに、それを本人にはどうにもならない理由で奪われてしまう理不尽。が、彼女はつい最近、別の会社から内定が出たということで、今度は会社が入管と交渉しているという。この学生を採用したいという理由で、企業が入管に働きかけるという手もあるのだ。こういうやり方もあるのか、と目から鱗だった。

 内定や入学の取り消しも辛いが、そもそもそこに辿り着くことだって容易ではない。手前には、大きな大きな壁がある。お金だ。

 大学卒業後に在留特別許可が出たという女性が苦労したのは、大学進学の際の受験料を用意できなかったこと。友人たちは「滑り止め」受験をする中、一校だけに絞って受験、見事合格したという。

 しかし、合格しても在留資格がないことなどから使える奨学金も非常に少ないという。

 また、学生になると「留学」のビザが出る人が多いのだが(留学生でもないのになぜか留学ビザという謎)、「日本生まれなのになんで留学?」などと聞かれることも少なくない。そのような場合、もうずーっと前から遡っていちいち説明しなくてはいけない。一方、留学ビザではあるものの、日本育ちなので留学生向けの支援は対象外。このように、何重にも制度の狭間に落ちてしまうのだ。

 また、「県外移動」ができない(いちいち入管に許可を取らなくてはいけない)ことの苦悩を語ってくれた女子高生もいた。

 全国目指してバドミントンを頑張ってきた彼女は、とうとう全国大会に出場することに。が、ある県で行われる大会に行くには、入管に一時旅行許可書をもらわなければならない。しかし、手続きに行っても何かと理由をつけて渋る入管。しかも大会期間と仮放免の更新日が重なったため、入管は1日分の旅行許可書しか出さないと言いはってくる。

 もし、大会に参加できなかったら、二年間の努力が無駄になってしまう一一。

 なんとか粘って大会期間の旅行許可書を勝ち取ったそうだが、もし、自分が高校生の時にこんな目に遭ったらと思うと、目の前がさっと暗くなる。

 自分で選んだわけでもない「仮放免」という立場が呪いのようにつきまとって、それが常に人生の邪魔をする。意地悪な大人やルールに嫌気がさして、「前向きに生きる」ことを放棄してしまうかもしれない。

 「県外移動」の壁については、同じような経験をした看護学生もいた。彼女はバスケがうまく、中学から高校に上がる際、バスケで有名な高校から推薦の話があったという。

 しかし、海外遠征に行けないことでダメになってしまう。他の高校にも誘われたが、大会で全国各地に行かなければならず、それが理由で話は流れてしまう。仮放免だと、入管に申請しても旅行許可がおりないこともあるからだ。

 彼女の中で大きな比重を占めていたバスケ。しかし、「明日練習試合だから」と言われても、行けない。顧問やコーチに「バスケやりたくないの?」と言われるものの、何も言えない。やりたいけど、大人たちが私を制限している。そう言いたくても言えなかったという。友人にもだ。

 「小さい時から自分に制限をかけてました。それと、ここから一歩出たら捕まる、寝過ごしたら捕まるって思ってました。自分の首に鎖がついてるように生活してました」

 それぞれが信じられないほどの逆境の中、自分の道を切り開いてきた学生たち。

 しかし、この日登壇した2人の男子高校生からはまた違う視点からの言葉も語られた。

 定時制高校2年だという男子学生は「ビザがもらえなかったら、今頑張っても将来の夢もなくなる、ビザがないと何もできないのでそれが不安」と語った。

 一方、もう一人の男子高校生は、プログラマーになりたいもののパソコンが高くて買えないこと、ローンも組めないことを話し、「いつまで日本にいるかわかんないからパソコン買うこともできない」と語った。

 いつまで日本にいるかわからない。確かに、入管の判断によって、彼ら彼女らは行ったこともない「母国」に強制送還されてしまう可能性もあるのだ。

 そのような状況から、「なんのために頑張るのか」という葛藤も生まれる。

 作文には、以下のような言葉もあった。

 「入管にいろいろなことを制限されているので、将来に希望が持てないでいます。大学を卒業したとしても、その後何もできないのに、という考えが頭に浮かんでしまって、なかなか進路が決まりません。勉強もどうせ将来何もできないのに、何のために一生懸命頑張っているのだろうといやになってしまう時があります」

 当然の思いだろう。

 だからこそ、この不安定極まりない立場、制度の狭間に落ちる人がいないよう、ルールを変えられないものか。

 「やればできる子はたくさんいます。大人が決めたルールで、未来ある子どもを制限しちゃ絶対いけないと思います。もう誰にも、私と同じ目にはあってほしくないです」

 学生の一人の言葉に、心から共感した。

 薬剤師になりたい、看護師になりたい、美容師になりたい。キラキラした目でそう話す若い学生たちを見ながら、心から応援したいと思った。

仮放免の子どもたちについては、8月に出した『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』でも取材しています。難民・移民問題の超入門書になっているので、興味を持った方はぜひ。

※仮放免高校生を支援する「仮放免高校生奨学金プロジェクト」では寄付金を募集しています。支えたいという人はぜひ、こちらをご覧ください。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。