第340回:暗い夜明け(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 昨年2024年は、元日早々の能登大地震と、2日の日航機と海保機の衝突炎上事故で幕を開けた。なんとも重苦しい年始であった。そして締めくくりは、韓国における尹錫悦大統領の「非常戒厳」布告とそれに対する国民の大反発、民主主義とは何かを問われる事態で2024年の幕は降りた。
 米大統領選では、大方の予想をくつがえしてトランプ氏の“圧勝”。ウクライナとガザの戦火は止まず。ほかにも、キナ臭いニュースばかりが飛び交った1年だった。

平穏な年にはなりそうもない……

 今年はどうだろう。
 ふと『遠い夜明け』という映画のタイトルが浮かんできた。これはアパルトヘイト時代の南アフリカの闘争を描いた作品だったが、なんだか世界中の夜明けが遠いような感じがしてくる。いや、むしろ「暗い夜明け」のほうが当たっているか……。
 今年もまた、元日にはアメリカ・ニューオーリンズの繁華街(フレンチクォーター)でのテロの疑いが濃い暴走車による大量殺人での幕開け。さらに同日、トランプ一族が経営するラスベガスの「トランプ・インターナショナル・ホテル」のエントランスで車の爆発炎上事件が発生。1人死亡7人が重軽傷を負った。しかも皮肉なことに犯行に使われた車は、トランプ政権で重要な役割を果たすことになるイーロン・マスク氏の経営するテスラ社の電気自動車のサイバートラック。これがテロかどうか、現在調査中という。
 4日には、バイデン大統領が、日本製鉄による米鉄鋼大手USスティール社の買収計画を認めないという決定を下した。法的にはほとんど問題のなかった買収交渉で、USスティール側も喜んで合意していた話だ。それを大統領が拒否。これは、トランプ氏の功績の芽を事前に摘んでおこうというバイデン大統領の置き土産。というよりは「最後っ屁」だろうと噂されている。なんだかお粗末な退陣劇。
 どうにも胡散臭いし焦げ臭い。2025年も平穏な年にはなりそうもない。

退くも地獄 進むも地獄

 日本では、今年が石破政権の正念場。
 まず7月22日に任期満了日を迎える東京都議会議員の選挙がある。この結果が重要な分岐点になる。第一党の自民党都議団にも中央自民党と同じような「裏金問題」が発覚し、それを巡っててんやわんやのカオス状態。衆院選と同じように自民党惨敗か、との観測も流れ始めている。
 同じく7月28日が任期満了日の参院選。ここが今年の政治決戦の主戦場。依然として逆風がおさまらない自民党の裏金疑惑。しかも、野党要求を飲まされ、じわじわと後退を続ける石破政権への自民党内の不満の高まり。
 ほぼ全野党が一致しているのが「選択的夫婦別姓制度」。もはや反対しているのは自民党の旧安倍派の一部のみ。だが安倍派は昨年の衆院選で激減。いまや声高に反対を押し通すだけの力もない。とすれば、石破首相はついにこの点では従来の持論である「選択的夫婦別姓」を容認する姿勢に転換するかもしれない。
 あくまで容認反対を貫く高市一派は、そうなると自民を割って新党(高市新党)を結成するか……と言えば、そう簡単ではない。自民党という“利権政党”にいるからこそ吸える甘い汁を手放すには、そうとうの根性が必要だが、高市一派にそれだけの肝っ玉のすわった議員はどれだけいるだろうか?
 右派系議員数名が脱党して日本保守党へ合流する、などという観測も流れているが、当の保守党が内部対立でゴタゴタ。
 この選択的夫婦別姓制度が今度の参院選の大きなテーマに浮上する可能性がある。岩盤右翼層を支持母体とする自民党内極右議員たちは、もしこれを容認すれば、岩盤支持層を失いかねない。そうすれば選挙での当選もおぼつかなくなる。
 切羽詰まっての脱党となっても、行く先はゴタゴタ状態。極右政党を旗揚げするしか道はない。だがそうなると、従来の自民党組織票はあてにできなくなる。極右票だけでは当選には足りない。まさに「退くも地獄 進むも地獄」状態。

愛国心は悪漢どもの…

 結局、彼らの行く先は「愛国」である。自らを愛国者と位置づけ、世に不満を持つ者たちの愛国心を煽って取り込もうということだ。「愛国心は悪漢どもの最後の逃げ場所」(サミュエル・ジョンソン)という格言があるが、愛国心にすがるしかなくなる。その際に、標的とされるのが外国人や少数者、弱者である。他者を排斥し罵倒し貶めて、それによって自らの正当性を誇示する。なんとも情けない手法だ。
 もっとも簡単な例が、最近の埼玉県等におけるクルド人排撃の動きだろう。いったい何が起きているのかよく分からないうちに、あれよあれよの間に差別主義者たちが川口市や蕨市に押しかけ、ありもしないクルド人犯罪者説をでっちあげ、「クルド人をニッポンから叩き出せーっ!」などと喚きたてる。
 このヘイターどもにとっては、罵る対象はどんな人たちでも構わない。かつては「嫌韓」や「反中」を叫び、韓国朝鮮人や中国人を罵倒の対象にしてきた。中でも在日コリアン差別の言動は醜悪を極めた。
 さらに、米軍基地問題等で政府に逆らう沖縄の人たちにも憎悪の対象を広げ、彼らを支援する本土の人たちはすべて中国のスパイであり、中国から金を貰って運動している連中だと批判した。「彼らはニッポンを外国に売る反日だ」とし「我々はそれを阻止する愛国者だ」というリクツ。これが一定程度の人たちに浸透し、SNS上に跋扈した。それらは形を変えて、西村ひろゆきや弘兼憲史の言説や表現にまで及んだ。

弱者が弱者を叩く構図

 さらにこれは異様な形に歪み、同じ日本人へも憎悪(というより侮蔑、軽蔑)が向けられるようになってきた。
 その代表格が成田悠輔氏あたりだろうか。ぼくが最初に眉をひそめたのは、彼の「高齢者は集団自決すべき」発言だった。それは社会保障制度などに関して「高齢者が若者の足を引っ張っている、日本の経済成長の邪魔をしているのが高齢者だ」という趣旨だったらしい。ぼくは彼の言う高齢者である。ヤツはぼくに「死ね」と言ったのだ。まさにぼくに向けての攻撃と受け取らざるを得なかった。
 当初は相当な批判を浴びたし、スポンサーのキリンは発言の3年前に作った成田出演のCMを削除するに至った。だが、テレビ(とくにサンデージャポン・TBS)は彼を出演させ続けた。「人の噂も七十五日」という俗諺どおり、成田悠輔氏はいつの間にはテレビ復活を果たしていた……。これがいわゆる「世代間の分裂・対立」を煽る典型的な例だろう。同じことは、弱者に対する差別やヘイトにも通じる。
 群馬県桐生市における「生活保護拒否」などの例はひどい。いま生活保護受給者の多くは高齢者である。高齢で職場を失い、高齢で病気がちになり、高齢のために医療費がかさむ。しかし収入はぎりぎりの年金だけだ。そうなれば生活保護を頼らざるを得ない。ところが積極的に彼らを支援すべき役所の窓口が保護申請を拒否する。SNS上では、そんな保護費支給拒否や打ち切りに拍手する投稿がかなり目立つ。こんなリクツだ。
 「年寄りに払う保護費はおれたちの税金だ。だから俺たちはよけい貧しくなるのだ。もうじき死ぬ連中に保護費はいらない。年寄りは早く死ぬのが社会貢献というものだ」
 まさに、成田のリクツに煽られた結果だ。それまでモヤモヤと内に溜まっていたことを成田が言ってくれた。ああ、こんな本音を言ってもいいんだな。よし、おれも言うぞーっ、と解き放たれた汚語が、堰を切ってSNS上に溢れ出した。弱者が弱者を叩く。なんとも不毛でさびしい光景だ。

批判する相手が違う!

 「オレの賃金が上がらないのは、大企業や大資本家がオレからカネを搾り取っているからだ。ヤツラの濡れ手で粟の収入からもっと税金を取れ、そんなに儲かっているのなら、こっちへそのカネを回せ!」
 これが本来の筋論だと思うのだが、煽動者に焚きつけられた弱者の憎悪は強者批判には向かわず、同じ弱者でももっと自分より弱い者へと向かう。資本家にとってはこんな都合のいい事はない。「弱者同士に少ない金の奪い合いさせておけば、私の金は安泰である。もっともっとケンカさせろ」と、成田やひろゆきや堀江貴文たちをおだてる。その意を汲んだテレビが彼らの出番を用意する。
 かくて、何度妄言放言を繰り返しても、成田やひろゆきは復活する。

国民民主党の正体は…

 「働く者の賃金を上げろ、そのためには103万円の壁を取り払え」と言って躍進したのが玉木雄一郎氏率いる国民民主党である。だが玉木氏はその同じ口で、石破首相へ「原発推進、リプレイスも拡大を」などと進言に行った。原発新設にどれほどの費用がかかるのか知った上での発言か、とぼくは思わず怒鳴りつけたくなった。
 かつては原発1基の建設費は4500億円程度と言われていた。それがいかに物価高騰の折とはいえ、現在では2兆円を超えるといわれている。なぜこんなに高騰したのか。簡単にいえば、安全対策やテロ対策に今までは計上してこなかった費用が上乗せされるようになったからだ。逆にいえば、既存の原発は安全対策が十分ではなかったという証左である。危ない原発をこれからも再稼働させようという政府には呆れる。
 国民民主党の支持母体は連合だが、その中でも原発企業の労組が多い電力総連にすがっているのが国民民主党だ。これでは「原発低減を」などと言えるわけがない。
 では増えた費用をどうするのか。これを我々国民の払う電気料金に上乗せしようというのだからタチが悪い。
 国民民主が主張しているのは、実質的には「国民負担を増やす政策」なのだということを忘れてはならない。

 新年早々、なんとか楽しい話題をと思ったのだが、能登半島では今もなお「避難所暮らし」の人々がいるし、水道が今になっても復旧していない地区もある。復興どころか、ふるさとを棄てなければならない住民の悲痛な声が、政府には届いていないらしい。そこへ「トランプの新関税」が襲いかかる。
 明るい話題などやっぱり大谷くんくらいしか思い浮かばない。「暗い夜明け」を迎えつつある2025年。でも、それでもなお、2025年が穏やかな年でありますように……と、ささやかに祈る年初であります。

 みなさん、今年もどうにか「無事」に生き延びましょう。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。