自分はどうも電車に乗るのが苦手で、普段から極力乗らないようにしてる。特に都会の電車。謎の箱に閉じ込められる感じとか、嫌だね〜、あれ。ましてや満員電車に至っては、ギュウギュウの上に、なんだかみんな機嫌悪そうにしてるし、ああいう景気の悪い負のオーラが蔓延してるところにずっといるとこっちの運気まで下がってきそうな感じだ。くわばらくわばら。
実際、自分は高校生の時以来、日常的に電車に乗る生活はしていない。大学に入ったら大学の近くのアパートを借りたし、卒業後もバイト先からチャリ圏内に引っ越した。独立して自分の店を持ってからは、駅にして3駅分の通勤になったが、近所のラーメン屋の店主の爺さんに「店やってるんだったら近所に住まなきゃダメだよ! 通勤に30分かかるんだったら、その30分多く店開けなきゃダメでしょ、なにやってんだ!」と叱られて、なるほどそりゃ一理あると思いたち、すぐ店の近くに引っ越して、今に至るまで日常生活の中に電車の姿はない。
いや〜、ストレスなくていいですよ〜、電車を使わない生活。皆さんもぜひ試してもらいたい。
しかもこの通勤のない生活、意外といろんな意味でこれからの世の中にとって大事だったりもする。ということで今回は、無駄なストレスを軽減するとともに、この煮詰まった社会をどうにかするためにも、“近所に住む”作戦を提案してみたい。みんなが職場のすぐ近くに住み始めたら、というか、家の近くで働き始めたらいったい世の中はどうなるのか!? 具体的にいうと、家から職場や学校まで歩いて行けるか自転車で行けるぐらいの感覚。ベストは最悪歩いてもそこまで苦にならない2km圏内ぐらいかな〜、ま、そんなイメージ。
あ、ちなみに今回の話は主に都市圏の話ね。ということで、さあ順番に見ていきましょう〜。
1.ストレスが減る
まず何はともあれ、朝っぱらからしみったれた顔の数々を見たりして窮屈な負のオーラに巻き込まれることがなくなるだけでも、すごい解放感を味わえる。これはでかい。あのゾンビ輸送車のような箱の中に入るというだけでウンザリするので、これは最高。まあ、ゾンビ輸送車も慣れてしまえばどうってこともないってのも分かるけど、いや、やっぱり慣れたくもねえや。
2.環境にやさしい
毎日毎日、とんでもない数の人間が大挙して移動するなんていう謎の行動がなくなると、交通機関を動かす燃料などがだいぶ浮き、環境にやさしくなる。ま、微々たるものかもしれないけど、これは意外とバカにならない。
食品なんかも同じで、スーパーに行ったりすると、どこにでもいそうな魚なんかに「メキシコ産」とか「カナダ産」とか書いてあって「こんなもん、その辺の海で獲れるんじゃねえの? 百歩譲ってアジア近海で獲れるだろ」とツッコミたくなるあの感じ。まあ、いろんなコストだの思惑だのいろいろあって、あれよあれよという間にとんでもなく遠方から、いろんな燃料をたくさん使ってはるばる運ばれて来たりしている。いろいろ訳分かってるエライ人は理由を説明してくれるんだろうけど、誰がどう説明しようとなにかが間違ってることだけは確かだ。
満員電車も似たようなもんで、本来だったら移動しないに越したことはない。それに、そもそも広々とした大地がいろんなところにあるにもかかわらず、ごく一部の場所だけ超満員のギュウギュウで押すな押すなのテンヤワンヤの大パニックになってるのは、なにがが間違っている。待て諸君、我々は本当に毎日移動する必要があるのか!?
3.資本主義社会からの離脱
みなさんご存知の通り、日本の経済も先行き暗いし人口も激減中。最近は野菜も米もクソ高いし、ガソリンや光熱費も上がって大変なことになってる上に、ホッと一息つこうと食べたお菓子が10gぐらい減ってたりして地味に打撃をくらったりもしている。その一方で、給料は大して上がらない。いやいや、こんなの付き合いきれねーよ。胴元が儲かる仕組みの賭博場に長居は無用だ。別の世界作って勝手に生きないとやばい。
そう、いまさら先進国じゃあるまいし、“勤勉な日本人”みたいな奇行を繰り返す必要はない。ここは元先進国の余裕をぶちかまして、「通勤電車!? 懐かしいねー、昔はそんな時代もあったなぁ〜」なんて言いながら犬でも連れて歩いて職場に向かう感じでいきたいところ。前近代的な資本主義(=金のにおいに群がるシステム)からはちょっと距離を置いていく方がよさそうだ。
そういう意味でも、巨大経済の社会の中で生きるのではなく、ちゃんと自分のホームタウンの近所で働いて、その街の小さな社会・経済を回していく仕事をする人が増えることは、“没落後の元先進国”というマヌケなポジションののんびり社会で生きるにはとても重要なことだ。
4.近所の知り合いが急増! 無敵のセーフティーネットの誕生
近所に住むと、職場の知り合いと個人的な友達の中間に、「近所の顔見知り」という新たなカテゴリーの友人が膨大に増えてくる。職種にもよるけど、街の職場というのはお客さんや仕事相手も同じ近所の人の可能性が高い。実際、自分の住んでる高円寺もそうだけど、街を歩いてると、至る所で仕事中の知り合いに遭遇する。八百屋や定食屋が出前や配達で通りがかったり、工務店や電気工事の友人もなんかも呑気に道具持って歩いてたりする。長く同じ街にいると店やってる知り合いも大量にできてくるので、商店街を通るだけでいろんな知り合いに遭遇する。仕事中の人だけではなく、夜よく飲み歩いてる人が昼間はとぼけた顔して歩いてたり、新聞配達の兄ちゃんが夜は飲み屋で飲んだくれてたり、いろんなところでいろんな人の日常に会う。
自分の生活の中にこういう環境を作っておくということは、実はいざという時に役に立つ。病気や怪我、突然の失業など何かがあったときには、もちろん病院や行政の世話になることはあるが、それだけで全てをカバーなんかできるわけない。そういうときに重要なのが近所の知り合いだ。買い物頼んだり、必要なものを貸し借りしたり、仕事を紹介してくれたり、何かと助け合うことができる。
ちなみに行政システムはというと、超高齢化社会&少子化で、年金制度の破綻も近い。破綻しなかったとしても、ケチくさいことになるのは必至。健康保険だって昔は9割負担してくれてたのに今は7割負担が基本。別にこっちはなにも悪いことしてないのに、なぜか減らされてる。斜陽の国に頼ってても将来の安全安心は見込めない。そんなときに、やはり近所に住んで、四六時中同じ街をウロチョロすることは、独自のセーフティーネットを築く上で超重要なことなのだ。
5.百姓一揆の準備
国や行政はどうせなにもしてくれないから、独自のセーフティーネットを築いた方がいいって話をした。これ、税金が無料なんだったらそれでもしょうがないけど、我々はすでにクソ高い税金を払ってるので、なにもしてくれない時に「ハイそうですか」という筋合いはない。そんな時は、税金を取り返すか、文句を言ってなんとかしてもらうかの二択だ。いずれにしても一揆が必要なので、そんな時に役立つのが近所の知り合い。これからの世の中は、小さな町のコミュニティーが生きてくる社会になるので、一揆もやはり同じ街の人たちと目論むのが重要。日々顔を合わせてることは大事だし、仮に遠方のオフィスで働いてる時に地元で火の手が上がったら駆けつけられなくて悔しい。やっぱり近所に住んどく方がいいね〜。
6.村の寄り合いで情報社会の安定
最近、SNSやネット社会がいよいよ病んできて救いようがない感じになってきてる。政治までSNS選挙みたいな気持ち悪いことになってきてて、バカだなーと思ってたら、野党まで「これからSNSに力を入れていきます」みたいなこと言い出す始末で、しょうもねー、と思う日々。いやー、そっちじゃないでしょ、野党は今こそ全国津々浦々に直営の喫茶店と居酒屋と大衆食堂を無数に開くべきだと思うけどね。ま、その話はまたの機会に。
で、その気持ち悪いSNS社会にああだこうだといちゃもんをつけてSNS=悪みたいにいう人もいるが、実はそうではない。それよりも、実際に人が集まって話すような「我に返る場所」がなくなってきてることが問題。テレビや新聞もそうだけど、そればかり見てたらだんだん考えも偏ってくる。ネットにしても、みんな見てる情報源が違うので、それぞれいろんな勝手な思い込みをしていくと思うが、もし間違ってしょうもないデマやら、謎の陰謀論なんかをまんまと信じちゃったとしても、いろんな奴らが集まる場所で「なに言ってんだ、バカかオメーは!」と言われて「あ、違うのか!」と気付くのが大事。これ、なにも今に始まった訳じゃなく、街の噂話だって同じで、仮に「団子屋の亭主、カツラらしい!」という情報を耳にした人が、「一大事だ! 団子屋のオヤジはヅラらしいぞ!」と居酒屋に駆け込んだときに、「バカ、あれは地毛だ」と一蹴されて「なんだ、違ったか」と真実を知る作業。これによって情報社会は安定してきた。
つまり、前の項で書いたみたいにいろんなところで知り合いに遭遇して、食堂でも銭湯でもカフェでも飲み屋でも駅前や公園でも「ところであの話だけどさあ」という会話ができるかどうか。これが重要。真偽不明の情報にありついたときにネットで調べても、デマや陰謀論を得るような人のパソコンやスマホでは嘘ばかりが出てくるので、余計やばいことになる。やはりここはできるだけ近所に住んで、不特定多数の顔見知りに遭遇する機会を増やすのがいい。
7.天変地異対策
さて、みんな近所に住んで知り合いが多いという状況になってくると、自分の家から歩いて行けるところに知り合いが無数に住んでいることになる。例えば、自分の住んでる高円寺の街の中には、店のお客さんや商店街の人、飲み友達など全部合わせたら、軽く1000人以上の友人・知人が徒歩またはチャリ圏内に住んでいる。自分は客商売なので人数は少し多い方かもしれないけど、そうじゃないとしてもしばらく住んでいたら、あっという間に数十人数百人の知り合いが徒歩圏内で生活している状況になる。
そうなってくると、真価を発揮するのが天変地異の時だ。地震でも戦乱でも社会が一時的に混乱したときに、近所に住んでる人がたくさんいるということはものすごく心強い。いざ大変なことになったとしても、生き残ったやつらがワラワラと出てきて、なんだかんだと助け合ったりできる。
阪神・淡路大震災の時はまだ90年代で街のコミュニティは今より強かったし、東日本大震災や去年の能登は田舎なので人の繋がりあった。それでも被害はとんでもなかった。それが、人の繋がりがほとんどない人が膨大な人数住んでいる東京都心部に大災害が来たら一体どんなことになるか。年金や健康保険同様、国や行政の助けだけをあてにしてたら死んじゃうので、やはり近所に住んでるっていう状況を作っとくのが一番心強い。その意味でいうと、近年各地で行われている都市再開発で大通りやら巨大な施設ができてコミュニティが破壊されまくってるけど、完全に自殺行為で、これこそ行政による災害。いざという時に救われない人が続出したらどうしてくれるんだ〜!
ともあれ、もし一人暮らしのアパートでひとり寝ていたとしても、徒歩圏内に無数の知り合いがいると思えば、心細さはゼロだ。いや〜、持つべきは近所の人だな〜。
8.都市への一極集中の防止
もし都会でこういう近所に住みまくる職住一体ゾーンがどんどんできてきたら、いよいよ面白くなってくる。例えば東京のひとつのJRの駅を中心とする一帯って数万人から十数万人規模のレベルだから、実は地方のどこにでもある中小の市と同じサイズ感。その中で、その域内の小さい会社や店などで働いたり個人事業を営んだりしながら、その街で遊んだりしつつ、もちろんたまにはよその街に出かけるような生活の人が続々と増えていけば、大都市内にあってもそのエリアはすでに半独立状態に近づいていく。
しかも、昔に比べたらオンライン中心に働ける職場も増えてきていて、高円寺の街でも、オンラインで働きながら日々高円寺からほとんど出ないで遊んでる大バカ会社員もたくさんいる。以前など、中国の会社でオンラインのみで働くアメリカ人で、「時差がめんどくさい」とアメリカからアジア圏に来たけど、結局高円寺に住み着いてほぼ高円寺から一歩も出ずに毎日飲み歩いたりしながら昼は中国とオンラインで繋いで働くなんてやつもいた。いや〜、世界は広がってるんだか狭まってるんだかわからないね〜。ま、仕事と日常が分離してしまうけど、こういうパターンもありかもしれない。
ともあれ、この規模感の半独立エリアが可能になって、そして各地に増えてくるとなると、これはいよいよ住むのは東京や大阪などの大都市圏じゃなくてもいいって話にもなってくる。最近は、地方都市にも移住者やUターンで移り住む人が増えているというし、各地で謎の村が拡大していったら面白い。もちろん東京はいろんな人やモノが集まっているという利点もあるけど、一方で家賃がクソ高いし、どんどん開発も進む影響で立ち退きなんかもよくある。最近はアパートを借りるときの審査がどうしても通らずに東京を離れざるを得ない人も増えている(東京生まれなのに東京を追われる人もいてすごくかわいそう。明日は我が身だ!)。地方都市はいろんなことがその真逆だったりもするし、なかなかどっちがいいのかはわからないけど、少なくとも今は昔みたいな“花の都・大東京”なんてことはなくなってるのだけは確か。
大都市一極集中からの離脱の第一歩としての“近所に住む”作戦もあるし、大都市に居ながらにしてムラ社会的に半独立状態に生きるパターンもあり。う〜ん、楽しくなってきた!
さあ、そうと決まったら、“近所に住む”作戦、どんどんやっていきましょう〜。
最後に、職住一体で思い出したけど、唯一の懸念がある。くだらない開発屋がどんどん作ってる近未来タワーマンションだ。オフィス棟と住居棟、商業施設が併設されてて、そこから出なくてもいいような現代型職住一体マンション。こういうところって、住民同士が交流する村のような状態は想定されていないので、今回書いてきた“近所に住む”というコンセプトとは全く違う。近所に住めばいいというものではない。
しかし諸君、「金持ちふざけんな、タワマンを燃やせ!」みたいに怒るなかれ。大丈夫、奴らはしばらく泳がせておこう。今はピカピカの巨塔だけど、そのうち国力低下とともに管理できずにボロボロになってくるタワマンとかが続々と出てくるはずだ。そんなところからは金持ちたちは続々と逃げ出し、家賃はどんどん安くなって庶民の村になってくることもありうる。
貧乏人ばかりが住むようになってくれば、商業施設の高級店も続々と逃げ出し、そこに町中華や立飲み屋、古物店や金物屋、床屋、囲碁クラブ、雀荘、スナックなどが続々と開業し始め、高級スーパーが逃げた跡地には青果市場や魚市場、中華食材店などが開業して、タワマンは盛り上がる一方。しばらくすると巨大ビルを張り巡らしたガス管が老朽化で詰まってお湯が出なくなったりし始めるので、公衆浴場が続々とオープン。水道管が割れたり配電盤がショートしたりもし始めてキッチンが使えなくなることも頻発するので、ラーメン、そば、おでん、焼きそば、お好み焼きなどの屋台が続々と階下に集まってくる。屋台が増えてくるとテキ屋も黙ってはいないので、金魚すくいから射的、輪投げ、ヨーヨー釣りに型抜き屋なども増えてくる。
こうなってくると、もうオフィス棟も穏やかではない。IT企業のオフィスなどはすでに蜘蛛の子を散らすように逃げ去っているので、そこに、浴場に富士山を描くためのペンキ屋の事務所が早々に入り、電気工事やガス工事の事務所も入居し、家族経営の製麺所やら屋台を修理する職人さんの事務所、テキ屋をまとめる組員3人ぐらいしかいないヤクザの事務所、自治会の集会所などが続々とオープン。管理会社やディベロッパーはとうの昔に倒産してるので、ビルの補修もやってこない。40階も50階もある巨大タワマンの補修なんて容易ではないので引き受け業者がなく途方に暮れてるところに、やっと見つけた80歳の鳶の親方が葛飾区や荒川区からやってきて「ばかやろう、でけえな随分」と怒りながら竹と縄で足場を組み始める。
こうなってくると、年に一度は盛大に祭りをやらないとさすがに具合悪いじゃねえかってことがタワマンの寄合で決まるので、屋上に大櫓を組んでの盆踊り大会が行われる。これだけの村の賑わいになってきて寺のひとつもないと仏さんも成仏できやしねえってことで、寺ができて、そうなってくると負けじと神社もできる。神社ができると神輿が出るので、いよいよ祭りも盛り上がってくるが、この多文化の時代に寺と神社だけじゃまずいだろってことで、関帝廟とモスクもでかいやつが建ってくる。いやー、タワマンの未来は明るい! 諸君、果報は寝ててだ。近所にタワマンがある場合は、今のうちに近所の仲間を連れ立って、没落後を想定した下見に行ってみると面白い。
ともあれ、唯一の懸念も解消されたことで問題はなくなった。とりあえず、これからの時代、近所に住みまくって顔の見える環境をどれだけ作っていけるかがポイント。誰も助けてくれないこれからの時代、やみくもに近所を歩き始めるしかない!
諸君もやってこないか? 夢の通勤電車のない社会へ!