第345回:自民党議員使用不可用語集(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 テレビで「ものを食べる番組」って、たくさんあるよね。そこに出てくるタレントやレポーター、アナウンサーなどが取材先の土地の(美味しそうに見える)名物なんかを食べるときの表情って、だいたいがワンパターン。
 「食レポ」っていうのだそうだけれど、なんでみんな、あんな風に同じアクションをするのだろう。
 まず一口食べて、目をつぶり、天を仰いで「んーっ!」とうなって見せる。それからひと呼吸おいて「おいしーっ」とか「めっちゃウマッ!」なんて言葉を吐き出す。あの「んーっ!」というのは、誰かにそうしろと教わったのか、それともそんな「食レポ・マニュアル」でもあるのだろうか。
 ま、これは別に食レポに文句をつけるための文章じゃない。
 同じ職業の人たちは、どうも同じ反応や仕草をしてしまうことが多い、という例として挙げただけだ。

 議員という“商売”にも同じことが言える。とくに自民党国会議員たちは、ある同じパターンの言葉遣いが特徴的だ。
 ぼくはある日、自分のツイッターに、こんなことを書いた。
 〈“X”ってどうもイヤな名称だ。イーロン・マスクに買収されてから、このSNSははっきりと劣化し始めている。だから、ぼくは今もツイッターと言う。いずれぼくは、ツイッターからは離脱しなきゃならないと思っているけれど…〉。
 ともあれ、以下が国会の予算委員会の審議をテレビで見ていての、ぼくのある日のツイートである。

 〈政治家用語辞典から「真摯に」「丁寧に」「誤解があるとすれば」の3語を、とりあえず使用不可としてほしい。〉

 多分、国会での審議等を見たことがある人なら、誰でも感じていることじゃないかな、と思う。
 この「真摯に」って言葉、ホントに手垢にまみれてしまったね。
 国民の皆様の声に真摯に向き合って……などと多用する大臣や上級官僚たち。なにが真摯だよ、とこういう答弁を聞く度に腹が立つ。「真摯」からは程遠い連中ばかりではないか。真摯に裏金を作り、真摯に情報を隠し、真摯に捏造し、国民のみなさまの眼を真摯に欺くのがこの人たちではないか!
 さらに「丁寧に説明」というのにもむかつく。いったいいつ彼らは、国民に丁寧に説明してくれたのか。何かといえば、それは「秘書に任せて」いたので、自分は何も知らない、関わっていないと逃げるだけだ。
 その上、批判を受けると「誤解があるとすれば……」と“釈明”する。ちょっと待て、誰も誤解などしていない。オマエがやったことについて批判しているだけだ。それをあたかも、まるで批判する側が誤解しているようにごまかす。
 ま、とりあえず、ぼくはこの3つを「自民党議員使用不可用語辞書」に登録すべきだと思ったのだ。
 これらの言葉を使ってしまったら、そうだなあ……まずはイエローカード、3日間の謹慎処分ということで済ましてあげる。けれど、2度目はレッドカード、これはもう3カ月間の登院停止だ。むろん、その期間の議員給与は支給しない!

 閑話休題(それはさておき)、玉木雄一郎国民民主党代表、役職停止3カ月の“処分”を受けながら、まるで屁の河童、以前以上にテレビに出まくり集会などにも顔を出す。まことにいい加減な党であり代表である。

 ぼくが前記のようなツイートをすると、それなりのレスポンスがあった。「こんな言葉も含めましょうよ」という提案だ。
 「仮定の質問にはお答えできません」
 うん、これも当然禁止だな。本来、政治家というのは、未来を見据えてどういう世の中を作っていくかを議論するのが仕事だろう。未来の社会を想定できないヤツに政治家たる資格なんかない。
 つまり、よりよい未来を作るためにはそれ相応の哲学や理論が必要だし、それは未来像を「仮定」するところから始まる。バカのひとつ覚えのように「仮定の質問にはお答えできません」と答弁を繰り返す大臣なんかは、即刻罷免すべきだ。

 かつて岸田首相が連発した「検討する」にはイライラしたものだ。検討して、何かを具体的なことを提示したことがあったか?
 それだから「検討士」などと、バカにされたのではなかったか。増税メガネなどと虚仮にされたのも当然だった。

 「様々な意見があるので」も禁止しようという提案もあった。
 この国会でも急に重要案件に浮上しているのが「選択的夫婦別姓制度」だ。最初は「前向きに検討したい」と言っていたはずの石破首相だったが、いつの間にか「党内には様々なご意見がございますので……」と、急激にトーンダウン。
 結局、「前向きに検討した結果がそれか」というが失望感が残っただけ。
 さまざまな意見があるのは分かる。しかし、首相として決断すべき時は来ている。財界ですら、選択的夫婦別姓制度には賛成している。反対なのは、自民党内極右派の高市氏ら少数ではないか。
 ところが機を見るに敏、国民民主党の玉木代表(現在役職停止中)が、右ハンドルの車に乗りたいためか、急に「様々なご意見」に配慮し始めた。まったく、この人は信用できない。玉木氏だって、以前はこの制度に賛成していたではないか。
 右旋回してそっちサイドの人たちの支持を狙い始めたらしい。

 官僚用語か自民党用語か分からないが「お答えは差し控えさせていただきます」も、アッタマにくる用語である。
 「国会をバカにしてるのか!」と怒鳴りつけてやればいいが、そんなことで挫ける連中ではない。後ろを向いて、ペロリと舌を出しておしまいか。
 差し控えるのなら、国会なんかに出て来るんじゃない。三百代言の二枚舌、百叩きの刑が相応しい。

 「遺憾に存じます」も同様だ。遺憾に思ったら反省して、遺憾でない案を作るなり、遺憾を解消する行動に出なければならないだろう。

 同じく「総合的に判断して……」は、ちっとも答えになっていない。具体的な内容に踏み込まない(もしくは踏み込みたくない)場合に多用される。一つひとつの中身を批判されれば、たいていこの言葉で言い逃れようとする。
 これも典型的な官僚用語だ。それを大臣クラスが真似るようになったのはいつからだろうか?

 1976年に発覚した「ロッキード事件」という大疑獄事件があった。その際に国会喚問の場などで大いに連発されたのが「記憶にございません」であった。何を聞かれても記憶にないと言って逃げる。これでは審議もクソもない。当時、この言葉が巷でも大流行した。漫才のネタでも大いに利用されたのだ。
 「昨夜はどこで何をしてたのよ!」
 「いやそのぉ、仲間と酒を飲んでいただけで…」
 「ウソおっっしゃい。あんなに香水の匂いのするお酒がどこにあるのよ!」
 「そ、そんな……記憶にございません……」
 とまあ、こんな具合で大受けだったのだが、それほどまでに庶民の鬱憤は溜まっていたわけだ。
 さすがに最近は、それはナシだと思っていたが、統一教会との関連を指摘された自民党議員たちが口をそろえたのは「記憶にございません」だった。
 歴史は繰り返すというけれど、こんな連中の歴史を繰り返させてはならない。そして、こんな連中を議会に送り出してはいけない。

 新種としては「弁護士と相談して」とか「各部署が適宜に対応して」などと言う“斎藤用語”もあるけれど、いやあ、次から次へと新語登場だ。

 これらの多くは、ぼくのツイートへの返信から抽出したものだ。
 みなさん、政治家用語にはイラついているらしい。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。