第347回:「マガジン9」創刊20周年!(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 あっという間に時は過ぎる。気がついたらもう3月になっている。
 そういえば、この「マガジン9」の前身の「マガジン9条」がネット上に誕生したのが、20年前の3月だった。そう、2005年3月1日が我が「マガジン9」の創刊日だ。なんとなく、ぼくは感慨にふけっている。

2004年冬、晴れた日の午後

 中高年の3人の男女が、東京郊外の街の喫茶店で無駄話をしていたことから、このWeb週刊誌は産声をあげることになった。
 とある企業の創業社長、とある街の市長、そして、とある出版社の編集部長。たまたま仲のいい知り合いだった3人が、コーヒー(ひとりは紅茶)を飲みながら、世間話を楽しんでいたのだが、話題は次第に当時の政治批判に流れた。
 なにしろこの頃、小泉純一郎首相が絶大な人気を誇り、ライオンヘアと呼ばれた髪をなびかせて街頭に立ち、自衛隊の海外派遣をまくしたてていた時期だった。どうにもキナ臭い。護憲派の3人、ヤバいよねえ、小泉さん。どこまで行くのかしら? である。
 なにしろ国会で、「自衛隊を非戦闘地域に派遣するというが、非戦闘地域と誰が判断するのか?」と問われて、「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と人を食った答弁。そんないい加減な答えでも、小泉さんがオーバーなジェスチャー混じりで話せば、国民は拍手喝采。これぞワンフレーズ・ポリティックス、空気はどんどん危ない方向へ流れていく。
 キナ臭い時代の移り行き、なんとかそんな空気に掉させないものかと、3人の話はそれなりに真剣になった。そこから、雑誌を作りたいな、いや、雑誌なんかとてもカネがかかって、じゃあネット上の週刊誌はどう? なんて話はどんどん進んでいって、3人ともネットなんかまるで不得手だったにもかかわらず、まあやってみようか? いい加減な連中ではあった。
 ともあれ「護憲の旗」だけはきちんと掲げよう、ということで、「マガジン9条」と名づけた。始まる前から名称だけは決めていた。なんとも危なっかしい船出だった。危惧を感じている著名人に声を掛けたら、ずいぶん多くの方たちが「発起人」を引き受けてくれた。こうなりゃ、やるっきゃない(土井たか子さんの名セリフ)。
 で、知り合いのデザイナー・グループにページデザインなんかを頼んでみよう、ということになり、瓢箪から駒、「マガジン9条」が始まっちゃったのだった。協力者は、すべて3人の知り合いの編集者やライターさんのボランティア。その態勢は今も変わらない。
 その後、「9条」だけではなく、スタッフの関心は多岐に拡がり、現在のような内容になった。そこで名称も「マガジン9」と変えた。
 ま、その辺の事情については拙著『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)に詳しいので、ご興味のある方はどうぞ。

20年間もよく続いたものだ

 ほとんど読者の方々のカンパに頼っての運営。しばらくして、連載コラムの単行本化などが少しずつ実現、その編集協力費や少々の印税、それに「マガ9グッズ」の販売などで、なんとかここまでやってきた。
 ボランティア・スタッフは、それぞれが自分のできる範囲で協力。別の仕事に就いたり、本業が忙しくなったりで、去っていく人はもちろんいたけれど、その分、新しいメンバーも加わったりで、現在もそれなりの水準を維持できていると思う。
 20年も経てばネット上では古株、さまざまな方にインタビューや原稿を依頼しても「ああ『マガジン9』ですね。知っていますよ」という反応が返ってくることが多くなったのは「マガ9」のささやかな歴史の賜物だろう。

 20年の間には、ほんとうにいろいろな出来事があった。
 中でもいちばん大きな出来事は、やはり「東日本大震災」と、それに伴う「福島第一原発事故」だろう。
 原発事故はまだ終わっていない。デブリ(溶け落ちた核燃料の塊)はいまだに強烈な放射線を出し続けていて、800トンと推定されるデブリのうち、たった0.7グラムの取り出しが終わったばかりだ。廃炉計画など絵に描いた餅にもならない。
 汚染地域への住民帰還は夢のまた夢、復興はほとんど駅前地区のみで、居住者は事故以前のほんの数%に過ぎない。被災者の裁判は長引き、若年層の甲状腺がん多発報告はいまも続き、裁判も継続中だ。
 汚染水問題は後を引き、今度は汚染土問題が浮上中。
 そんな中、政府は「エネルギー基本計画」を改定し、これまで言い続けてきた「可能な限り原発依存度を低減する」という方針をきれいさっぱり削ってしまい、逆に「原発新増設」を謳い原発推進に大きく舵を切った。
 現政府、まさに「亡国政府」と呼ぶしかない。

20年、我らの暮らしはどう変わったか?

 この20年のうち、半分近くは「安倍政権」の時代であった。その間、アベノミクスなる軽薄な標語で、いったい何が変わったのか?

 労働者の実質賃金は下がり続け、
 物価は高騰し、
 トリクルダウンなど掛け声ばかり、
 貧富の差は激しく拡大し、
 企業の留保金だけが増加し、
 最低賃金は低いまま推移、
 非正規労働者が増え、
 正規・非正規の収入差はかつてないほど広がり、
 一人当たりのGDPはOECD38カ国中22位まで下落、
 結婚できない若年層が増え、
 出生数は下がり続け、
 高齢者は集団自殺しろと言う者まで現れ、
 それを喚く連中がテレビで跋扈し、
 日本の報道の自由度は恐ろしく低下し、
 世代分断を煽る言説が蔓延し、
 政治は汚れ、
 モリカケサクラなど政治家疑惑はあとを絶たず、
 裏金問題はまるで解明されず、
 軍事費は膨れ上がり、
 米製中古兵器の爆買いは止まず、
 社会保険料は増加し、
 だが給付は明らかに低下し、
 災害は毎年のように襲うが復興は後回し、
 社会には不平不満が溢れ、
 ネット上ではヘイトスピーチが蔓延、
 外国人差別を叫ぶヘイトデモ集団まで登場、
 司法は冤罪を生み出し、
 辺野古基地は軟弱地盤にもかかわらず強行着工し、
 六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場完成は27回目の延期となり、
 辺野古と六ケ所は「永久工事」と揶揄され、
 やっと自公政権が過半数割れしたものの、
 維新と国民民主が自民にすり寄り、
 石破首相は自身の言葉を裏切って後退し、
 挙句の果ては米価の爆騰……

 ………と、こんな中でも「マガ9」は、細々とではあるが意見を言い続けてきた。しかし、世の中は大きく右へ急旋回し始めた。

砲声止まず、人は死に続け

 日本だけに限らず、世界は猛烈な暴風雨に見舞われている。トランプ米大統領の登場である。たったひとりの男が世界最強軍事国家の権力を握ったばっかりに、どうしていいのか各国首脳も頭を抱えている。
 それにしても「トランプのガザ」には仰天した! さすがにあそこまで下品な人だとは思わなかった。自分の暮らすマイアミをイメージしたのか、保養地のような浜辺でくつろぐトランプ。ついには巨大なトランプ像までがAIで作られた。妄想の可視化。だがそれが妄想で済まないところが恐ろしい。
 もはや異様を通り越して異常……のトランプ的世界観。

 なんとか戦争を終わらせたいのはみんな同じのはずだが、ウクライナのゼレンスキー氏とトランプ氏の口論を、トランプ腰ぎんちゃくのヴァンス副大統領が煽る煽る。これで得をするのはロシアのプーチン大統領だと世界中が分かっている。要するに、トランプ政権はウクライナよりロシアを選んだ、ということ。
 ウクライナの埋蔵資源をオレによこせ。今まで援助した分をそれで払え、というのがトランプ大統領の言い分。とても外交とは言えない。
 その間にも、戦火は止まず人は死に続ける。
 どうもトランプ氏は、1900年代の米セオドア・ルーズベルト大統領の「こん棒外交」を見習っている節がある。ルーズベルトは、まるで相手をこん棒でぶん殴るような帝国主義的(植民地主義的)なやり方でカリブ海諸国を脅しまわった。その外交姿勢に、「メキシコ湾をアメリカ湾に改名しろ」と大声張り上げたトランプ氏が重なるのだ。

小さな抵抗の拠点として

 「マガ9」の努力など、ダウンジャケットからはみ出したちっぽけな羽毛よりも軽い。吹けば飛ぶような存在。
 それは分かってはいるけれど、言わずにはいられないことを言う場。
 そんなささやかなプラットホームを潰したくない。
 そう、世の中の流れに歯向かう小さな「抵抗の拠点」。

 5月31日、少し遅れてしまうけれど、そんな「マガジン9」の「創刊20周年記念イベント」を開催する予定です。
 詳しい内容は、追って公開します。
 ぜひみなさん、ご参加ください。
 そして、我ら「マガジン9」の歩みと希望をご一緒に!

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。