第712回:信じたくない、枝元なほみさんの訃報(雨宮処凛)

 料理研究家で、年末年始の「大人食堂」などでご一緒していた枝元なほみさんが亡くなった。

 享年69。死因は間質性肺炎。

 と書いている今も訃報を信じられず、受け入れられない思いでいっぱいだ。

 数年前から体調を崩しているということは耳にしていた。ここ最近は、酸素チューブをつけた姿でメディア出演しているのも見ていた。入退院を繰り返しているらしいことも聞いてはいた。

 だけど、亡くなるなんて想像もしてなかった。病気を治して、またいつものように支援の現場で美味しい料理を振る舞ってくれるものとばかり思っていた。あの笑顔で。

 だって、ビッグイシュー(ホームレスの自立を支援することを目的とした雑誌。街中でホームレス状態にある人などが販売。私も連載している)の連載だっていつも通り続いていたのだ。

 3月1日発売の498号の「世界一あたたかい人生レシピ」でも、「枝元なほみの悩みに効く料理」として「ぽかぽか生姜味噌汁」のレシピを紹介している。

 「人の目を見て話すのが苦手です」という、ホームレス人生相談(ビッグイシューの販売員に読者が相談するコーナー)に対する「回答」としてのレシピ。美味しそうなお味噌汁とおにぎり、キュウリの漬物の写真の横には、枝元さんの以下のような言葉。

 「元気がなかったり寒かったりすると肩が丸まって顔もうつむきがち、目線も下がりやすいですよね。いやあ、寒い冬でしたものね!
 春を迎えるために身体から先に温めておくのはどうでしょう?
 目を合わせるマニュアルなんてないと思う。人それぞれでいいんじゃないかな。それぞれの人が元気な気持ちで接してくれたらそれが一番!」

 これが掲載された号が発売された時、すでにこの世にいなかったなんていったい誰が想像しただろう? 本人だって、想定もしてなかったんじゃないだろうか。

 枝元さんと初めて会ったのは、おそらく20年近く前。

 ビッグイシューのパーティーだったと思う。その場で枝元さんの料理が振る舞われ、販売員の人たちと一緒に頂いた。

 それからビッグイシュー関係の集まりで顔を合わせるようになった。

 枝元さんと言えば、全身から醸し出す包容力と、どんな人をも安心させる笑顔を誰もが思い出すはずだ。

 が、付き合いが深くなるにつれ、「この人、むちゃくちゃカッコいい人だ」と思うようになっていった。

 「ほっこりした笑顔の料理研究家」というパブリックイメージがある一方、原発や農業、貧困問題などに対して言いたいことははっきり言う。言いつつも、「枝元なほみ」というフィルターを通すと、なぜかみんなの心にすっと浸透する。それは枝元さんにしか使えない魔法のような技で、そんな自分のイメージも知り尽くしたやり方を、てらいもなくできてしまう人だった。

 そんな彼女に「優しいお母さん」みたいなイメージを抱く人もいるかもしれない。が、私にとっては常に「ロックな姉さん」であり続けた。枝元さんが履いていたカッコいいブーツを今、やけに思い出している。

 枝元さんとぐっと距離が縮まったのは、2019年末に始まった「大人食堂」。

 貴重な年末年始の休みを、無償で困窮者支援にあてる奇特な人は滅多にいない。しかし、彼女は料理を作り、それを困窮した人々に振る舞ってくれた。

 年末、極寒の炊き出しを巡り、大人食堂に辿り着いた私を満面の笑顔で迎えてくれた枝元さん。心底ほっとして、彼女の温かい手料理に冷え切った身体がほぐれていって、さらにほっとしたことを覚えている。

 そうしてコロナ禍、距離はいっそう縮まった。困窮者支援の現場は野戦病院のような様相を呈し、そこに枝元さんもいたからだ。

 大人食堂が幾度も開催され、そのたびに、厨房には忙しそうに働く枝元さんの姿があった。向こうは食事の提供、こちらは相談係。現場で会う時はいつもバタバタの中で会話もあまりできなかったけれど、少し手が空くと、必ず美味しいご飯をすすめてくれた。そんな中、同志的な絆が生まれていった気がしている。

 心残りなのは、そんなコロナ禍、枝元さんと交わしたメールだ。

 当時はコロナ禍全盛期。支援者たちが連日、相談会や困窮者への駆けつけ支援に駆け回っていた頃。私も相談員をしたり、生活保護申請に同行したりその後のフォローをするなどしていた。

 そんなことを知っていた枝元さんは私や他の支援者の体調やメンタルを心配し、みんなをねぎらいたい、自宅に招待してご飯を食べさせたいと言ってくれたのだ。

 枝元邸で集まって、食事会を開く。なんて楽しそうな集まりだろう。

 しかし、当時はまだまだコロナが猛威を振るっていた頃。その夢のような会が開催されることはなかった。

 今、思う。少々強引にでもやっておけばよかったと。私がもっと積極的に音頭をとるなりしていたらできたのではないかと。

 思えば、そういう会って実現したためしがない。だけどそれは、相互の信頼関係構築の場になり、支援者がバーンアウトしそうな時の強力なセーフティネットにもなりえるものだ。

 枝元さんはそういうことがわかっていたからこそ、自分より年若い私たちが心配だったのではないだろうか。たまには息抜きしなきゃ、と伝えたかったのではないだろうか。

 そしてもうひとつ教えてもらったのは、そういう集まりは、できるときにしておかなくては「手遅れ」になる可能性があることだ。その人の「永遠の不在」という形で。

 ああ、もう一度枝元さんの笑顔を見たい。

 そしてあの、「ほっとする」としか言いようのない料理を、口にしたい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。