第125回:戦争を止めるために立ち上がる人たち~沖西ネット始動~(三上智恵)

 「私たち国民は戦争を止めることができます。なぜなら、私たちが、主権者なんですよ。私たちは、国の決めたことに従わされる存在ではありません。私たちが、日本が進む方向を決めることができるんです。それが主権者なんです」

 具志堅隆松さんが壇上からこう呼びかけると、結成集会に詰めかけた人たちから大きな拍手が起こった。共同代表に就任した具志堅さんは、こう続けた。

 「私たちが、自分たちが主権者であるっていうことにまず気づくことが大事だと思います。そのことをみんなで共有しましょう!」

 戦争を止められるのは自分たち一人ひとりなんだ、という、あたりまえのこと。だけど、なぜか当事者意識を持っている人が絶望的に少ないこの問題について、解決方法は私たちが主権者だと気づくことです、という明快な答えを具志堅さんが堂々と訴えた瞬間、私はとても誇らしい気持ちだった。どうだ、沖縄の先輩方にはかっこいい人がたくさんいるでしょう? と。戦争や、憲法が保障する人権の問題に正面から向き合ってきた沖縄の苦難の道のりが、こういう人に届く言葉を持つ存在をつくるのだと、つくづく思う。

 2月22日の鹿児島は、寒波の名残で大層冷えていた。が、私が参加した集会には、主に西日本からやってきた人が300人、リモートでおよそ200人が参加し、とても熱のこもった「結成集会」になった。なにが結成されたのか? 次の戦争を本気で止めるために動き始めた全国の個人や団体で作るネットワーク「戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク」、略して沖西ネットだ。

 今、急ピッチで軍事要塞化が進められているのは、なにも南西諸島だけではない。自衛隊基地のある場所は、どこも何らかの変化が起きている。特に西日本では、あからさまに弾薬庫が新設・増設されたり、空港が拡張されたり、米軍が自衛隊施設をどんどん使って訓練するなど、近年にわかに住民が不安を訴え始めたところも多い。今回の動画の前半は、その各地域で問題視されている軍事化の動きをまとめた報告があるので是非それを見てもらいたい。

 あるいは、小さな変化だと見過ごされているケースもあるだろう。これまで見たこともない軍事車両の列が高速道路を走るようになった、とか。週に数便の定期便しかないような地方空港にいきなり米軍の大型ヘリが舞い降りるとか。地域の災害訓練に迷彩服の自衛隊員が当たり前のように参加しているとか。一つひとつは、あれ? 何だろう? これあたりまえだっけ? と思う程度で終わるかもしれない。だが、有事法制・戦争法・安保関連三文書と、すっかり戦争ができる国に向かってレールを敷き、着々と進んできてしまったこの国の20年を見渡していれば、さらに、かなりむき出しで進んでいる沖縄の戦争準備の様子を把握していれば、この一見小さく見える地域の変化も「命取り」になりかねない、見過ごせない問題だと理解できるだろう。

 例えば、なぜ福岡の自衛隊築城基地の滑走路が、近々延長されるのか? それ自体にはたいして興味を持てないかもしれない。でも、築城基地には米軍の宿舎があっという間に建設されてしまった。では強靭化された滑走路を使うのは、どの戦闘機なのか。少なくとも自衛隊の戦闘機だけではないのだろう。また、戦闘機を分散しておくためのスペースが急遽作られることになったそうだ。一カ所に駐機させておけばいっぺんにやられるからだというが、築城基地は真っ先にハチの巣にされる想定ということなのか。

 こうして考えていくと、いま日本はどの国と、どこを戦場に、どんな戦争を想定しているのか、全体像が知りたくなってくるだろう。ニュースでは見ないが、ほかの自衛隊基地はどうなっているのか。各地で同じような不安を抱えて動き出した人々とつながって情報をやり取りすると、ああ、やはりそうか、と様々な疑問が氷解する。

 沖西ネットの存在意義はまさにそこにある。さらに、弾薬庫と住宅地が近ければ反対する正当性があるのだとか、根拠にするべき法律は何かなど、抵抗の仕方や広げ方も学び合える。ありがたくないことだが、沖縄は軍事要塞化の先進地域になってしまっているので、今どういう作戦が日米間で進んでいるのか、生活圏が戦場になる可能性がどの程度あるのか、どうやって反対の声を上げていくのかなど、蓄積してきた情報や知恵も持っている。そもそも、今回結成された沖西ネットは私たち「ノーモア沖縄戦・命どぅ宝の会」がネットワークづくりを呼びかけたことがきっかけだった。

 最初は、沖縄戦を止めようというノーモアの活動に賛同するメルマガ会員だったような全国のつながりの中から、大分の敷戸弾薬庫が、呉の製鉄所跡地が、京都の祝園弾薬庫が、不穏な軍事化の波に襲われ、抵抗しなければならない局面を迎えていった。つまり沖縄以外の会員たちも次々に当事者になってしまったのだ。それぞれの地域が個別に闘っていては、一つひとつが点のままでは弱い。線を作り、さらに面にして、お互いに力を貸しあって一緒にやっていきましょう、となったのは自然な流れだった。

 沖西ネットの合言葉は「知り・つながり・止める」。

 まずは教え合うこと。お互いの状況を知らせ合って、そりゃ大変なことだと情報を共有したら、次はつながる。連帯してお互いに知恵も力も出し合う。そして戦争を止める。この、知って、つながって、止めるという愚直なまでに基本的な3ステップに勝るものは、近道などはそうそうないのだと、30年沖縄の市民運動を見て学んで、改めて思う。沖西ネットは、2年弱の準備期間の中で頻繫な話し合いと集会を積み上げてきた。もうみんな、各地の代表たちはとうに顔見知りになっている。アナログでのつながりも大事にしながらこの結成の日を迎えた。これは、何かの声明を出すために急遽体制を整えたような団体とは違う。戦争を止める力を結集する基盤となるネットワークを構築するのだ。その感慨と意気込みは、インタビューに答える運営委員の皆さんの表情からも伝わるのではないかと思う。

 参加者の女性がインタビューに答えているように、今この国には、真剣に戦争を止めようと意思表示できる場が、ない。戦争反対で活発に動いている団体なり、頼るべき野党の姿が見えてこないということに対して焦りを感じている人がたくさんいると思う。だから彼女は遠い下関から鹿児島の集会に駆けつけてくれたのだ。また、総がかり行動の高田健さんも触れていた通り、ここまで膨れ上がった軍拡予算に対して国会をしっちゃかめっちゃかにしてでも反対する政党があってもいいのに、ない。まさか、中国を敵に回してアメリカと一緒に戦うことを、国民はみな「やむなし」と覚悟したというのか。教育や福祉をさらに劣化させてまで軍事費増大を是認するのか。その先に何が待っているのか、ちゃんと見つめている人は何割いるのだろうか。

 福岡の築城基地には、戦闘機を隠すドーム状の構造物を作るという。想起されるのは、沖縄戦で住民たちが動員されていくつも造った「掩体壕(えんたいごう)」だ。戦闘機を敵の攻撃から守るという触れ込みだったが、あれだけの艦砲射撃を受ける中でなんの役にも立たなかった。というよりは、本来、我々はその時にモッコを担ぐのではなく、声を上げるべきだったんだろう。なぜ掩体壕を作るの? と。ここが戦場になる想定そのものがおかしくない? と。もしも沖縄戦の前に、掩体壕を作っている段階で、「こんなことやめましょう。ここで戦争するというなら、日本軍は出て行ってくれ」と言えていたら、みんなでそう言えていたら、あの地獄はなかったかもしれないのだ。

 私たちはまだ誰も、私たちの暮らしの場を戦争に使ってよいと認めていないはずだ。具志堅さんが言うように、私たちは主権者だから、今ならまだ止められるはずだ。このままじゃまずいよ、と隣近所に教えあって、自衛隊基地の強靭化を憂慮して声を上げる地域とどんどんつながって、必ず次の戦争を止める。私たちの住む九州沖縄から、「令和の戦争」を止める流れができたんだよ、という歴史を残そう。そういう理想を高く高く掲げれば、それを邪魔するものは案外、鉄壁のように強くはなく、戦争を進める力というのは実は、雲散霧消するような、正体のないものだと気づくことになるのかもしれない。

 今回、新たな団体名が西日本となっているのは、もちろん九州から沖縄が戦場に想定されていて、軍拡が目に見えて進む地域が西日本に集中し、そこから活発な動きが出てきたからなのだが、実は愛知や東京・関東も抜き差しならぬ状況を迎えている。沖西ネットは、この西日本で築き上げたつながりを土台としながらも、夏までには東京で、戦争を止めるネットワークを全国に広げるための集会を予定している。

 最後に手前味噌ですが、このネットワークの始動は日本の再軍備化を止めるための、反転攻勢に転じる大事な一里塚であり、名もない人々がつながりあって下から積み上げてきた歴史的な試みであると思っている。高らかな「結成宣言」の要旨をぜひ読んでください。

「戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク」結成宣言(抜粋)

 日本国憲法のもと、私たちの「戦後」は80 年を迎える。しかしこの国は、アジアの国々・人々への侵略・植民地支配の責任に向き合うことなく、また、自国の戦争被害者に対する責任も放棄したまま、新たな戦争体制づくりを急スピードで行っている。

 沖縄・奄美の島々では、新たな自衛隊基地が造られ、その軍事拠点化は九州を中心 に西日本から全国に拡大している。また、米 日・NATO諸国などによって、中国を「仮想敵」とする合同軍事演習が日本各地・周辺 海空域や南シナ海などで繰り返され、「中国包囲網」の構築が行われている。私たちは戦争の加害者にも被害者にもなりたくない。

 「知り、つながり、止める」

 平和を創り出すために、私たちは新たな闘いに歩み出す。連帯し、市民の共同の力 で、「国家による戦争」を止める。ここに「戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク」の結成を宣言する。

 現在、「戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク」は「知り、つながり、止める」 をキーワードに 、全国各地の現場で運動をされている方々、声を上げようとしている方々(個人・団体)からの情報交換を主とした、メーリングリスト(ML)を作成しています。参加ご希望の方は、 okinishinet@gmail.com 宛に、お名前と地域と所属団体(あれば)を明記して、「沖縄西日本ネットML希望」とメールをお寄せください。

三上智恵監督『沖縄記録映画』
製作協力金カンパのお願い

標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』『戦雲-いくさふむ-』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
引き続き皆さまのお力をお貸しください。
詳しくはこちらをご確認下さい。

■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)、24年に『戦雲-いくさふむー』を発表公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)、『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』(集英社新書)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)