「選書」は本屋の核心部分
オープンまでいよいよ残り1カ月。お店の工事も佳境に入ってきました。先週は、本棚やレジカウンターなどの家具に漆喰を塗る作業。ふだんは建築士(兼・大工)さんが1人で黙々と作業してくれていますが、この日は近所の知り合いにも声をかけてDIYをしてみました。
たまたま、ご近所の絵本専門書店「南と華堂」さんもリニューアル中で、前の週にはそちらの壁塗り作業もお手伝いさせてもらいました。2日やっただけでも、ちょっと上達した気分。業者さんに頼めばお任せで早くきれいにやってもらえるのでしょうが、自分たちの手でやれば愛着も深まり、ご近所つながりも生まれます。
漆喰の下地塗り作業中。これは本棚の背板になるパーツなので、作業台に置いて塗れるのは楽ちん
さて、お店の「箱」が着々とできてくる一方、本屋の中身である商品もいよいよ発注の段階になってきました。
独立系書店にとっては選書こそ肝の部分。どんな本を置き、どんな本を置かないかで、本屋としての個性や姿勢がおのずと表現されます。本好きのお客さんに「おっ」と思ってもらえる品揃えをしたい反面、マニアックすぎてはお客を選んでしまう。バランスをどう成り立たせるかは、お店それぞれの試行錯誤があり、正解はないのでしょう。
初回に書いたように、僕は出版社勤めは長かったものの、書店で働いたことはないため実践的な選書の知識もありません。最初は書店経験のある人に選書を依頼するという方法もありましたが、それも他人の褌で相撲をとるようでつまらない。多少ズレたものになったとしても、まずは自分が「これだ!」と思うものを選んでみて、そこから試行錯誤(前回書いた「街とのチューニング」ですね)していくほうが納得がいく、と思いました。
出版社時代にしていた選書(らしきもの)
思い返してみると、出版社にいた頃にも、選書っぽいことはしていたのでした。
ひとつは、ブックフェス等の出展イベントや著者の講演会、学会などに出張販売に行くときの自社本のセレクト。小さな出版社では編集者が自分で売り子をすることもしばしばです(時には社長さん自らということも)。あくまで自社の刊行物の中からですが、お客さんの関心や客層を考えて、持って行く本を選ぶ。これもミニマムな選書といえるかもしれません。
大きな段ボールで何箱も持っていったのに、まったく売れずに大半を持ち帰るときの徒労感といったら……。でも、目の前でお客さんが本を手に取って眺め、時には話しかけて本をお勧めし、その結果として買ってもらえたり買ってもらえなかったりするというのは、自分にとっての「本を売る」原体験かもしれません。
もうひとつ、店頭フェア用の選書というのもありました。自社で力を入れて売りたい本があるとき、あるいは、世間で注目されているテーマがあるときに、自社本を軸にしつつ他社の本も組み合わせて「こんな本を並べてコーナーにしてもらえませんか?」と書店さんに提案するものです。ときには、著者に一点ずつコメントを寄せてもらったり、関連性を見取り図にしたリーフレットを作ったりもしました。
本来は営業部の仕事ともいえるのですが、僕はこれが好きだったので、思いつきでいろんなフェアを考えては提案していました。いま思えば、書店側のニーズを無視した独りよがりの企画も多かったと赤面しますが、他社のいい本の力も借りながら「面」としての見せ方を考えるのは楽しい時間でした。本屋の棚づくりも、これの拡大版と考えればいいのかもしれません。
1000タイトルをどう選ぶ?
初回仕入れのための選書は、年明けくらいから少しずつ考え始めました。
同じくらいの規模感の独立系書店を参考に、とりあえず1000タイトル(※1)を目標と定めました。多いと思われるかもしれませんが、大きめの書店なら数万冊の在庫があります。そこそこ本屋らしい形に見えるためには、むしろ1000タイトルは最小限といえるかもしれません。
まずは、自宅の本棚を見ながら「これは絶対に外せない」というものを選ぶことから始めました。これはある意味簡単で、自分で読んであれば面白かったかどうかわかるし、積ん読になっている本はそこまで惹かれなかったことがわかります(でも、外見などから「つい買ってしまう」引力はあったとも考えられます)。
しかし、「自分で読んでいて人にもお勧めできる」本だけではとても1000タイトルに足りないことがすぐわかりました。いい本だと思えても、時事的テーマだと現在の世相に合わないこともありますし、すでに品切れの可能性もあります。それに、自分で買った本だけでは分野や傾向に偏りがありすぎて、本屋としての間口が狭くなってしまうことも想像できました。
なので、自分が読んでいなくても、信頼できる著者や書店員さんが言及していた本、新聞の書評や店頭で見かけてピンときた本をどんどん加えていくことにしました。あまり詳しくない文芸(とくに海外文学)のジャンルは、前職でお付き合いのあった書店員さんにお願いして、お勧めのリストを作ってもらったりもしました。
「本屋あるある」のひとつとして、お客さんから「置いてある本は全部読んだんですか?」と訊かれるというのがありますが、物理的に不可能なのと同時に、店主の読書傾向だけで選んだ本屋がいい本屋とも限らない、ということだと思います。
ということで、お店で本について訊かれても「ごめんなさい、読んでません」とお答えする可能性もあるということをあらかじめ言い訳しておきます(テヘ)。
※1 「〇タイトル」というのは本の種類をさし、「〇冊」や「〇部」という場合は同じ本が複数あるものも含めた冊数をさしますが、小規模な本屋ではほとんどの本は1タイトル1冊しか置かないので、ここではあまり厳密に区別せず使います
世界にはまだまだ知らない本がある
頭が選書モードになってくると、本屋さんに行っても「あ、これも入れたい」「こんな本もあったのか」と、そればかり目に付くようになります。気になった本はスマホの読書記録アプリでどんどんリストに追加していきます。
今までは、ちょっと気になる程度の本をすべて買っていたらお金も読む時間も足りなくなるので、必要な本だけ買うように努力してきました。仕入れる立場になると、もちろん無制限にとはいきませんが、選書の幅を広げるためなら、自分では買わないような本も入れてみようか、と考えられます。楽しい。いや、それが売れなかったら悲しいのですが。
面白かったのは、取次の店売(「てんばい」と読みます)での選書でした。書店から取次への発注も、今はネット上のデータベースで検索して通販サイトと同じようにポチれば完結しますが、昔からある取次の中には、自社の一角に商品を置いて、実物を見て選書できるようにしているところもあります。これを店売といいます。
神保町にある取次「八木書店」の店売を先日初めて訪問しました。外から見ると一見普通の本屋さんに見えますが、入り口には「個人のお客様には販売しません」という掲示があります。倉庫のような空間にみっしり並んだ本を見ていると、まったく知らなかった本に出会ったり、画面上で見ていたイメージとぜんぜん雰囲気の違う本であることがわかったりします。やっぱり本は実物を見てこそ魅力がわかるものだと実感しました。
そうして、ようやく1000タイトルのリストができあがりました。
最初はとにかく点数を目標に、ランダムにリスト化していったので、それを出版社ごとにソートし、どの取次で仕入れるかを判断していきます。中小の取次はそれぞれ得意分野があり、取引のある出版社も違います。そのため、発注する際に仕入れ可能な出版社かどうかを個別に判断しなくてはなりません。結果として、メインの取次2社でそれぞれ400〜500冊、あとはトランスビュー(※2)や直取引で仕入れることにしました。
でも、「1000タイトル超えたからこれで打ち切り!」と思った後でも、新聞やSNSを開くと「あ、これも欲しいかも……」という本が次々出てきます。初回の仕入れは初期投資として割り切りますが、開店してからは売れた分を超えて在庫を増やしていたらどんどん赤字になるので、モードを切り替えねば……。
※2 出版社でもある株式会社トランスビューが、他の中小出版社の本を取引代行する形で、書店との直取引(取次を介さない取引)を簡便に行えるようにしたシステム。トランスビュー扱いの本はカバー裏に「トランスビュー取引代行」というシールやマークの印刷があることで見分けられる
漆喰を塗り終えたキッチンカウンター。カフェの工事も進行中
「願い」としての選書
本屋にはあらゆる分野の本が置ける。言ってみれば世界の縮図です。世界のどの部分を、どんな本に代表させて提示するか。それが本屋のオリジナリティであり、世界観の表現といったら大袈裟すぎでしょうか。
当たり前ですが、書店員が世界中のすべての本を知っているわけもなく、仕入れられる本も(絶版や品切れの本も含めれば)全体のごく一部です。常に不完全な見取り図である上に、商品は絶え間なく入れ替わる。新陳代謝を重ねながら、「いま」の世界を映しとるのが本屋の棚だといえそうです。
同時に、そこには本を選ぶ側の「願い」も反映されます。自分がよいと思うもの、こうあってほしいと願う世界を、本に託して表している。押し付けはしたくありませんが、おのずと表れるものだとも思います。たとえば僕なら、ヘイト本や歴史修正主義、陰謀論の類は、売れるかもしれなくても置きたくない。自分が望む世界の方向と合わないからです。個人で営む書店だからできることで、規模が大きい書店ではそういう選び方はできないかもしれませんが、多くの書店員さんは同じ気持ちなのではと想像します。
なぜなら本は、読んだ人の行動や思考を変える可能性のある商品だから。どんなにミニマムな影響でも、それを買った人や周囲を不幸にするような本はなるべく売りたくない。それは、ごく素朴な「売る側の倫理」だろうと思います。
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南Q太『南Q太傑作短編集 ぼくの友だち』(マガジンハウス)
マンガ家・南Q太のオムニバス短編集。どの作品にも「普通」からどこかズレた特性(主にはセクシャリティ)を持った人物が登場するが、全てのイシューをそこに帰結させるのではなく、むしろ誰しも身に覚えがあるようなチクリとした痛みや後悔の記憶を思い出させる。そんな「友だち」はずっと以前から、私やあなたの近くにいたんだよ、と静かに教えてくれるような一冊。