第713回:まるで独裁国家? 「渋谷の北朝鮮」? 「秀和幡ヶ谷レジデンス」で起きた奇跡の「政権交代」〜民主主義や連帯、自治など「全部乗せ」の一部始終(雨宮処凛)

 「渋谷の北朝鮮」

 かつてそう呼ばれたマンションが東京都内にあることをあなたは知っているだろうか?

 それは「秀和幡ヶ谷レジデンス」。

 私がその名前を知ったのは、もう20年以上前だったと思う。雑誌で「ヤバいマンションがある」という記事を目にしたのだ。

 渋谷区の一等地にあるにもかかわらず値段が暴落しているというそのマンションは、何やら「管理組合」がメチャクチャで、住民が自分の部屋に知人を宿泊させるとお金を請求されたり、出入り業者に門限があったりという「都会のマンション」にあるまじき実態を暴露されていた。

 それゆえ、値段が下がってもなかなか買い手・借り手がつかないのだという。が、記事を読んだ時はどこか「都市伝説」のように受け止めていた。

 それからも、時々「秀和幡ヶ谷レジデンス」の名前は耳にした。

 例えば賃貸物件で厳しい規則があるなんて話になると、「それって秀和幡ヶ谷レジデンスかよ!」と突っ込みとして使われることもあったし、「都内でマンションを買いたい、でもお金がない」なんて人がいると、「秀和幡ヶ谷レジデンスがあるじゃん」「それだけは無理!」ってな会話が繰り広げられたりした。

 その固有名詞が、「ボケ」にも「突っ込み」にもなるという、現存する不動産。そんなマンションが、かつてこの世に存在したであろうか? しかも都内の一等地に。

 また、引っ越しが多い私は数年に一度の単位で都内の不動産情報を漁るのだが、そんな時、「秀和幡ヶ谷レジデンス」の情報が出てくることもあり、明らかに相場より安い価格・賃貸料に「やはり噂は本当だったんだ……」と静かに戦慄したりしていた。

 そんな「秀和幡ヶ谷レジデンス」についての本が出版された、という情報を得たのは少し前。

 しかも内容はといえば、「マンション自治を取り戻すべく立ち上がった住民たちの闘争 1200日の記録」だというではないか。

 あのマンションでとうとう革命が、民衆蜂起が、人民による反撃が起きたのだ。そしてどうやら独裁政権が転覆され、政権交代が起きたようなのである。住民たちはやっと自治政府を樹立したのだ。

 これは、これはすぐに読まなくては!

 そうして私は『[ルポ]秀和幡ヶ谷レジデンス』(栗田シメイ/毎日新聞出版)を入手した。

 読み終えた今、言いたいのは、ここには法律や憲法、人権や民主主義、自治、個人が繋がり連帯することの大切さ、「平和に生きる権利」などすべての問題がギッチギチに詰まっているということだ。

 というか、「たかがマンション管理」をめぐるルポで、これほどに手に汗握り、歯を食いしばり、快哉を叫んで涙を流すというようなことになるなんて思ってもいなかった。まだ2025年は始まったばかりだが、間違いなく「今年ベストの一冊」になるだろうという予感しかない。

 さて、そんな秀和幡ヶ谷レジデンスの実態だが、想像以上だった。

 大量の「謎ルール」があるというのは有名な話だが、以下、住民などが語った言葉である。

  • 身内や知人を宿泊させると転入出費用として10,000円を請求された
  • 平日17時以降、土日は介護事業者やベビーシッターが出入りできない
  • 夜間、心臓の痛みを覚えて救急車を呼ぶも、管理室と連絡が取れず、救急隊が入室できない
  • 給湯器はバランス釜のみで、浴室工事は事実上不可
  • 「Uber Eats」などの配達員の入館を拒否される
  • 購入した部屋を賃貸として貸し出そうとすると、外国人や高齢者はダメだと、管理組合から理不尽な条件をつきつけられた
  • マンション購入の際も管理組合と面接があった
  • 引越しの際の荷物をチェックされる

 それだけではない。21年に報道されたテレビ番組では、以下のように報道されている。

 「マンションの正門が21時に閉まる。65歳以上は売買・賃貸が禁止。入居が確定するまで内見禁止。パソコンが各世帯に1台しか認められない(いずれも旧理事会は否定)。8月は工事禁止(人の出入りが多くなるためと回答)。管理人が郵便ポストを確認(不快なチラシを省くためと回答)。入居者面談が必要(規約に基づいて行なっていると回答)」等々。

 異常なのはそれだけではない。

 10年ほど前まで住み込みの管理人として働いていた夫婦は、労働基準法無視の働き方を強いられていた。その夫婦に相談を持ちかけられた住民は以下のように語る。

 「朝の4時に起きて掃除をして、夜は理事長が帰宅するまで待っていないと怒られるというんです。住み込みとはいえ、毎日ヘトヘトになるほどの働き方を強いられている、と。労働基準監督署にも駆け込んだが、理事長が辞めさせてくれない、と困り果てた表情で訴えていたのです。そして、親族が区分所有者であるため、『辞めると家族がイジメられるから辞められない』と私に打ち明けていた(後略)」

 ここで書かれている「理事長」とは、マンションの管理組合の理事長。

 すべては約30年にわたって管理組合を私物化してきた理事長と一部の理事たちの異常としか言いようのない管理(というか支配?)が原因なのだが、まず「管理組合の理事長」がそこまで力を持ち、存在感を放つこと自体、聞いたことがない。

 そして過去の管理人が「いじめ」に怯えるように、理事会に逆らった住民には陰湿ないじめが待っている。

 理不尽な目に遭うのが職場など、プライベートなテリトリー外だったらそれを訴えて闘うというのもひとつの手だ。しかし、そこが自宅だったら。

 誰しも、自らの居住スペースで揉め事は起こしたくない。居づらくなってしまったとしても、購入していたら軽々と引越しなどできるものではないからだ。しかも、「秀和幡ヶ谷レジデンス」の評判は広く知れ渡っている。買い手や借り手もなかなか見つからないだろう。そして見つかったとしても、理事会が難癖つけてそれを阻止することもある。

 そんなことから理事会に声を上げる人はおらず、いてもことごとく潰されてきたのだが、とうとう一部の住民たちが立ち上がる。

 そんな中、聞こえてきたのは「生活に自由がない」「私たちは普通の暮らしを求めているだけ」などの、まるで「独裁国家で弾圧される人民」のような切実な声だった。

 そうして信じられないほどの紆余曲折を経て、手に汗握る攻防が繰り広げられる。

 とにかく、住民側が一定数の委任状を確保しないと、管理組合と闘うどころかその土俵に立つことすらできないのだ。そんな現実を前に、仕事も立場も世代も年収も価値観も違う人たちが連帯していく。

 そうして仕事の合間に、年に一度の総会に向け過半数の委任状を集めるための地道な作業が繰り返される。

 何度も入る理事会からの邪魔。理事会側に立つ新管理人から繰り返される執拗な嫌がらせ。そんな中、近所のコンビニさえも巻き込んでどうにか巻き返しを図る住民たち。生まれる固い結束。そして住民をして「戦いの天才」と言わせたリーダー格を襲ったがん。闘いの途中、志半ばで鬼籍に入った人もいる。

 そうしてついに勝ち取った政権交代。

 現在、日本には築50年以上のマンションが増加し、老朽化や住民の高齢化、また建て替えに至るまでの合意形成の難しさなどが日々メディアを賑わせている。

 私の周りにも築年数が古いマンションに住む人は多い。経済成長の時代に建てられたマンションが「老いて」いく中、マンション自治の問題は誰にとっても他人事ではないはずだ。

 そんな「手に汗握る」闘いの一部始終。「これ絶対ドラマ化されるでしょ」ってくらい面白いので、ぜひ、読んでほしい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。