第350回:選挙を取り戻せ!(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

他を追い散らす軍団襲来

 この冬は寒い日が続いた。樹々は葉を落とし、木の実は探したって見つからない。小鳥たちも飢えているだろうと、小さな庭の片隅のブラックベリーの枝に野鳥用の餌籠を吊るして、パンくずや余ったご飯、それに鳥団子(小麦粉を練って少々の砂糖とゴマ油を混ぜたもの)などを与えていた。そこにやって来る小鳥たちを窓から眺めるのは、ぼくら夫婦にとってのささやかな楽しみ、我が家の毎冬の行事である。
 ところが今季はちょっと様子が違った。
 いつもはシジュウカラ、メジロ、スズメ、エナガ、ヒヨドリ、ツグミ、時には緑色の美しいワカケホンセイインコ(ペットとして買われていた南国の鳥が逃げ出して野生化したものらしい)などが、ぼくら夫婦の目を楽しませてくれるのだが、ちょっと厄介な連中が大挙して押し寄せてくるようになってしまったのだ。ムクドリである。
 これがすごい。ぎゃあぎゃあとあまり美しくない声で鳴きながら、毎朝数十羽が団体で我が家の“庭食堂”に襲来する。これでは少数派の小鳥たちがたまらない。常連さんたちは追い散らされて電線にとまって困っている。しかもこの軍団、凄まじいほど食欲旺盛。餌籠など、ほんの数分ですっからかん。
 その上、困ったことに大量の“落とし物”を残していくのだ。そう、糞である。おかげで我が家の庭の塀はムクドリの糞だらけ。庭に鎮座している猫神様(インドネシアの民芸品のレプリカ)は頭も肩も白いものにまみれて見るも無残。それでも、小鳥たちには餌をあげ続けていたのだが、さすがにぼくの堪忍袋の緒も切れかかる。
 よく見ていると、無法者ムクドリ軍団は、なんと食べながらでも飛びながらでも糞をするのだ。顔はけっこう可愛いのに、こいつら、礼儀ってもんを知らんのか!
 まあ、雨を待てば洗い流してくれるし、鳥たちも花の蜜や草の芽、それに啓蟄でモゾモゾ這い出した虫などをついばめるような季節になった。もう餌やりもそろそろおしまいだ。シジュウカラもメジロも糞はするけれど、ちっちゃくて可愛いものだからそんなに気にはならなかったのだが、いやはや、ムクドリ軍団にはまいったよ。

こんな鳥たちがやって来ますが、ムクドリはねえ…

下劣な連中が跋扈する空間

 でもさ、無作法に辺りを汚して平気な連中、その後始末もしない“ムクドリ人間”が現実にいるよなあ、とふと思った。そういう人たちの溜まり場、汚語の掃き溜めになっているのがSNSではないか。
 『動乱期を生きる』(内田樹・山崎雅弘、祥伝社新書)という本を読んでいたら、お二人が以下のようなやりとりをしていた(P64~65)。まったく同感である。

内田 インターネットが危険なのは、あるステートメントが表に出て流布するまでの間にスクリーニング(選別)が介在しないからだと思います。例えば、この本でも、企画を立てた編集者がいて、企画書が企画会議を通って、著者である僕たちがそれぞれ原稿をチェックして、さらに校閲のチェックを受けて、最後にまた営業会議で「どれくらい売れそうか」という議論があって、価格と部数が決まって、それによってどの程度の範囲に僕たちの言説が広まるかが決定づけられる。いくつものスクリーニングを経て、ようやく世に出る。コンテンツの質が低ければ、そもそも商品として流布しない。
 でも、SNSにはフィルターが存在しない。スマホ1台あれば全世界に向けて発信できる。言論の自由や民主主義の観点から言えば、これは素晴らしいことです。万人に世界に向けて自分の意見を述べる機会が付与されるわけですから。でも、よいことばかりではない。逆に言えば、どれほどクオリティが低く、差別的であったり、攻撃的であったりするステートメントでも、制約なしに配信されてしまう。クオリティの高いものとゴミが同列に発信される。見識のある商人が介在すれば、「こんなゴミはお客さまの目に触れさせられない」と片付けてくれるのですが、そういう目利きが発信されるコンテンツについて取捨選択するということが構造的にできない。これまでならまず人目に触れることのなかったような下劣なコンテンツが堂々と配信される。これは間違いなくSNSの弊害です。

山崎 ご指摘の通りだと私も思います。ネット上のSNSには言論の「品質管理」を行う部署が、実質的に存在しません。一応、問題のある投稿を報告できるシステムはありますが、差別や憎悪煽動を含む投稿について報告しても、きちんと対応されるのは稀で、そのまま放置されることが多いです。
 新聞や雑誌であれば、編集というプロセスで有害な言葉や主張は除去されますが、各人がダイレクトに投稿して多くの眼に触れるSNSには、そんなフィルタリングのプロセスが事実上ありません。
 良く言えば「自由な言論」ですが、水や食べ物の流通過程には当然存在する「安全性をチェックする過程」が実質的に機能していないので、有害物質や腐敗した食物などがスーパーに並んでいるようなものです。(略)

 お二人はこう述べた上で、ひろゆきが創設した「2ちゃんねる」などに見た反良識的な暴言が、やがて「ヤフーニュース」コメント欄やSNS上に広がり、しかもSNSで「カネが稼げる」という“新たな商売”が出現して、それを増幅していると指摘する。そして、そんな暴言者をマスメディアが「商品価値がある」と金銭的尺度で判断、出演機会を与える。それが次の暴言を社会に広げることとなる。このような「下劣さを競う」ことが、いつまで続くのか?
 ぼくは長い間、出版編集の仕事をしてきた。だから、お二人の言うことが痛いほどよく分かる。「校正・校閲」の方たちにどれくらい助けられたことか。それでもなお、出版後に誤字や事実関係の誤りが見つかることもある。稀には読者からの指摘で誤りを発見することもある。なんとか増刷ができればその誤りを正すこともできるのだが、初版のままであれば誤りはそのままだ。これが編集者や著者の泣き所だ。
 だが、そういうプロセスをまったく経ずにSNS上に投稿されたものが流布していく恐ろしさは、お二人の指摘通りだ。

わずかなアカウントが拡散されて…

 朝日新聞(24日付)に、興味深い記事が載っていた。あのお亡くなりになった前兵庫県議へのネット上の誹謗中傷投稿についての分析である。

内部告発問題 前兵庫県議への批判拡散
半数が13アカウントから X分析 擁護より大量・長期に
引用数 立花氏2番目

 兵庫県の斎藤元彦知事らが内部告発された問題で、県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員に対するネット上の批判的な投稿の約半数が、わずか13個のアカウントの発信から拡散していたことがわかった。批判的な投稿が、擁護に比べて「大量」「長期」にわたって拡散したことも判明した。
 SNS分析に詳しい東京大学の鳥海不二夫教授(計算社会科学)が、委員だった竹内英明・前県議に関する「X(旧ツイッター)」の投稿について、2024年1月1日から同氏が亡くなった25年1月18日までを分析。竹内氏に言及したとみられる投稿は全期間で1万1272件、それらの投稿を引用する「リポスト」が18万883件に上った。
 そのうち何らかの形で批判する内容は11万4699件で、擁護する内容5万3783件の倍以上だった。(略)
 批判的な投稿をさかのぼると、リポストされた約11万件のうち、半数は13アカウントからの投稿が元になっていた。
 このアカウントの中には、政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首や同党の浜田聡参院議員が含まれる。(略)

 このうちの引用数が最も多いのは、時事系の匿名アカウントで、2位は立花氏だったという。つまり、ある特定の投稿が引用され、それが幾何級数的に流布されて行った様子がよく分かる。むろん、上に引用した内田さんと山崎さんが言っているように、どんなチェックも受けていない“垂れ流し”の誹謗中傷である。
 竹内氏について「警察の取り調べを受けている模様」「なぜいきなり辞職したのかな?」「警察にも怪しまれとるやんけ~」などという“デマ”。
 わざわざ兵庫県警本部長が「そんな事実は全くない」と言明したことでデマだと認定されたのだが、それでもこのひどい誹謗中傷は流され続け、ついに竹内氏を死に追い込んだ。
 言葉は人を殺す。集中攻撃を受ければ、人は耐えられなくなる。しかもそれを、行政トップが是認したのが今回の出来事だったのではないか。

「法の穴」なんかありません

 では、それを防ぐにはどうすればいいのか。
 『週刊金曜日』(3月21日号)に興味深い記事が載っていた。平井伸治鳥取県知事と河村和徳東北大学准教授の対談である。(司会・まとめ 菅沼栄一郎)

どうする「2馬力選挙」「録画拡散」
SNS時代の選挙と民主主義
選挙管理委員会と警察の毅然とした対応で当面効果、
公選法の抜本改正を急げ

平井(略)公選法86条の4は、「公職の候補者になろうとする人が立候補を届け出る」と書いてある。候補者とは「当選を目指す人」です。(略)ところがマスメディアも含めて世間は、ここに「法の穴」がある、と。「穴」なんかありませんよ。(略)

――昨年10月に制定された全国唯一の「鳥取県条例」はどんな狙いがあったのでしょうか。

平井 非常にシンプルで「公選法を守りましょう」ということです。選管や警察が仕事をやりやすいように、条例で「公選法をしっかり執行する」と後押しをする。これで解決できることがいっぱいあると思います。
 直接のきっかけは、東京都知事選挙の掲示板に同じ選挙ポスターが24枚貼られた事案です。公職選挙法143条では、「営業用ポスター」は貼れません。公選法144条の2では「ポスター掲示場に1枚が貼れる」のであって、「他の人にポスターを貼る権利を譲り渡す」ことは許されていません。「選挙運動とは到底いえないいかがわしいサイト、QRコードに誘導する」ことも許されない。
 いずれをとっても「違反」しています。毅然とした態度をとるかどうかが、警察や選管、地域の私たちがやるべきことなのではないでしょうか。それをしっかりやりましょうと条例に書いた。(略)
 公選法142条の7では「インターネットで、候補者に対して誹謗中傷してはいけない」とある。なのに、放置されたんですね。どこかおかしい。道交法の一時停止違反なら守られるけれど、選挙については「表現の自由」があるからとなる。一言で、違反を全部阻却してしまう。(略)

―― メディアの問題もありますね。(略)

平井 選挙報道は抑制的でした。報道が投票行動に影響を与えることも関係者には深く意識されていて、控えめな報道。少なくとも選挙結果が出るまでは書かないでおこう、ということが往々にしてある。
 本当の意味の政策討論が行われず、公選法のルールを侵す行動がなされても、何も言わないという報道のスタンスのままで本当に良いのか。(略)

 その上で、この記事には平井知事が言う「鳥取県条例」の一部が掲載されている。以下である。

鳥取県健全な民主主義のための公明かつ適正な選挙の確保等に関する条例(の一部)
 第4条 法第225条各号に掲げる行為その他公明かつ適正な選挙が損なわれる急迫かつ不正の侵害行為(以下この条において「急迫不正の侵害行為」という。)が現に行われていると認めるときは、県及び市町村の選挙管理委員会、警察その他関係機関は、関係法令に基づき、当該急迫不正の侵害行為を速やかに停止させるよう努めるものとする。

 ごく当たり前のことが書かれているのだが、これを厳守すれば、最近起きているような異常・異様な選挙騒動はかなり防げるはずだと平井知事は言う。
 法律はあるのだ。ぼくもそう思う。行政(選管を含む)や警察が、やれることをきちんとやれば、2馬力選挙も掲示板占拠も防げたのではないか。
 そして、早急に罰則を含む法改正を超党派で、制定すべきだろう。

 ぼくは、いくら「オールドメディア」と謗られても、良質な新聞記事や報道番組を信頼する。SNS上のなんの根拠もない誹謗中傷とは全く別物である。ただし、牙を抜かれたメディアが多すぎることには大いに不満である。

 古びた言葉だけれど、「民主主義を守れ!」である。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。