第47回:境界線が溶ける。いま生きて、共に在ることを祝う祭日 「第12回りんりんふぇす」(小林美穂子)

 今年も若葉の季節、そして「りんりんふぇす」の季節がやってきた。
 「りんりんふぇす」はシンガーソングライターで文筆家である寺尾紗穂さんが発起人となり、2011年から始まった音楽イベントだ。アーティスト、山谷のおじさんたち、ビッグイシューの販売者さん、ファン、支援団体のスタッフ、地元の方、難民・移民の方など多様な人々がともに音楽を楽しむ場だ。
 コロナ禍は中断を余儀なくされたものの、東京・青山の梅窓院で10回開催され、その後、山谷(東京・南千住)の玉姫公園に舞台を移して、今年は2度目の屋外開催となる。

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 りんりんふぇすを翌日に控えた土曜日、私はデータが上限に達したクラウド上の写真を整理していた。重複した写真を次々に削除する手が止まったのは、大きな字で「小林さんのです」と油性マジックで書かれた黄緑色のスリッパが目に飛び込んできたからだ。
 日付を見て、片桐さん(仮名)が亡くなって十年経ったのかと思った。
 私のためだけに準備してくれたスリッパ、おぼつかない平仮名ばかりの手紙、メモ書きされた薬の袋……。片桐さんが生きていた証がアルバムの中に点在している。
 今でもはっきりと覚えている。訃報の電話を受けたのは1月2日、関連団体のお餅つきに向かう駅のホームだった。よく晴れた日で、遠くに富士山がくっきりと見えていた。
 火葬を終えたあと、片桐さんの菩提寺に電話をすると、「今来られても雪で納骨できない」と話す住職の方言が聴き取れず、なんどか聴き直した。雪解けを待って、ちょうど十年前の今頃、私は遺骨を抱いて下北半島の小さな小さな町を訪ねたのだった。小柄だった片桐さんより更に二回りくらい小さなお姉さんと、駆け付けてくれた幼馴染みの男性と納骨を済ませた。

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 この十年の間にも、ご縁のあった方々をたくさん見送った。
 それまで遠くにあり、底が見えないほどに深い谷で区切られていた「生」と「死」の境界線は、年々ぼんやりと曖昧になってきている。
 毎日があまりに慌ただしく、立ち止まって思いに耽ることが許されない中、その後続くたくさんの別れを、せわしく見送ってはスケジュールに追われ、エンドレスな借り物競争をしているような毎日だ。夜、家に向かってひとり歩いている時や、電車内でスマホを仕舞って外を見ている時など、情報からも雑用からも離れた一瞬に、懐かしい人たちの面影や言葉がふと脳内によみがえる。ああ、会いたいなと思いながらも、次の瞬間には仕事なのか何なのか分からない日常に飲み込まれていく。
 支援でつながる人が増えれば増えるほど、付き合いが長くなればなるほどに、見送る頻度は増える。その人がかつて住んでいた地域、よく見かけた場所に、在りし日の姿を思い浮かべながら、私たちは今日を生きている。

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 りんりんふぇす当日の朝、強い風が吹いていた。
 私が住む築50年くらいの古い家は、突風や強風が吹くとドスンドスンと不穏な音を響かせて揺れる。風のうなる音と、家のきしみ音にビクビクしながら、午後に開催される公園でのフェスが砂嵐に見舞われることを想像した。先に会場入りしているツレにメールをすると、「こっちは無風」と返事がきた。
 「うっそー」と疑いながらお昼過ぎ、南千住に降り立つとすごい風。吹きさらしの駅のホームで「風、すごいんだけど!!」と叫びながら、スプリングコートの襟をかき合わせて歩くカップル。そのすぐ後ろを歩くことで私は風力抵抗を減らしてみたりした。カップルがいなくなって、風をまともに受けてつんのめって歩く私の脳裏には、販売ブースのテントが風に巻き上げられる光景が浮かぶ。圧倒的な自然の力を前に人間は無力。阿鼻叫喚の騒ぎが夜のニュースで報じられるシーンが脳内に流れる。私は常に最悪を想定する癖がついている。「心配」と「憂い」という文字を顔に張り付けて私は会場に向かった。
 ところが。会場の玉姫公園に到着すると、なんとこれが無風。初夏の気候の中、集まった皆さんが着々と会場設営をしているではないか。キツネにつままれる気分とはこのことで。ところで、キツネにつままれるってなに? というのは置いといて、とにかく玉姫公園に風は吹かず、まぶしいほどの陽光が降り注いでいた。

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 会場のフェンスに展示された大判のポートレートと目が合う。釘付けになる。
 かつては有数の日雇い労働者の町として知られた「山谷」、そこで生きた人たちの狼のようなギラギラした目には、安易な気軽さを寄せ付けない凄みがにじみ出ていて圧倒される。そして、一人ひとりの個性の強さといったらどうだろう。
 個を殺して集団に合わせることこそがこの国で生きる条件のように思わされて、そのことにウンザリしている身としては、写真から溢れ出るクセの強さと、堂々たる尊厳に喝采したいような気持ちになる。

会場に飾られた、写真家で映画喫茶「泪橋ホール」店長・多田裕美子さんによるポートレート(撮影:筆者)

 販売ブースに控えフェスの開始を待っていると、CD販売を担当していた知人2人が背後の喫煙スペースを見るや「え、ウソウソ!」と何やら興奮してもつれるようにして走っていった。かつて、りんりんふぇすにゲストとして出演していた七尾旅人さんがプライベートで遊びに来てくれていたのだった。なんというサプライズ。旅人さんはその後、飛び入りでステージでも歌ってくれた。

 寺尾紗穂の歌に合わせて「新人Hソケリッサ!」が踊り、坂口恭平のパワフルな歌声に会場の熱は高まり、よしだよしこが社会的なテーマを歌い、会場を埋めるお客さんが聴き入る。

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 りんりんふぇすに参加するアーティストの皆さんは、いつだって素晴らしい方々ばかりで、アーティスト目当てでこの日を楽しみにしてくださる方は多い。だが、誰よりもこの日を楽しみにしているのは、カラオケ大会にエントリーしている素人登壇者だったことは間違いがない。
 りんりんふぇすは多様な「隣」人たちが「輪」となって楽しむイベントで、路上生活者の支援をしている団体が実行委員会の中心となっている。つくろい東京ファンドもその一つ。
 玉姫公園開催のフェスからはカラオケ大会があり、当事者の方がマイクを握る。
 つくろい東京ファンドからは、去年についで御年94歳のI長老の参加が決まっていた。
 最近、体調が優れず、短期とはいえ入院も経験していたI長老、ほんの2週間前までは意気消沈して「もう死ぬ」とまで落ち込んでいたのだが、りんりんふぇすが近づくにつれて、みるみる息を吹き返した。I長老は常にイベントのために生きている。
 フェス当日、体調不良のためにショートステイしている施設に、つくろい東京ファンドのボランティアが車で迎えに行き、I長老は車椅子で会場入りした。
 去年は十八番「河内おとこ節」を披露したI長老、今年は田端義夫の「旅姿三人男」を歌うと決めていた。

(撮影:筆者)

 介護のプロでもあるS氏が長老の車いすを押してステージまでエスコート。カラオケで前奏が流れ出す中、恵比寿様のほほえみを称え、大スターのように会場の遠くを左から右へと見渡す長老。その瞬間、バランスを崩し、風にあおられた枯れ枝のように、トトトトと横にヨタついたものだから観客が息をのんでどよめいた。前列で見守っていた私にも、その光景はスローモーションのように映って頭が真っ白になったのだが、長老が尻餅をつきそうになったその刹那、背後に控えていたS氏が飛び出してきて、すんでのところで長老の体を支えた。プロの仕事である。
 心臓が止まりそうなほどにスリリングな一瞬だったにもかかわらず、長老は何事もなかったように余裕の笑みを浮かべて歌い、曲の内容に合わせてキリッとした目で観客を指差したり、首に下げたタオルで涙を拭く素振りをしたりしながら、それはそれは見事に歌い切り、会場は安堵と感動の大声援に包まれた。
 その後も、元気なデュエットや、仮装した応援団が入り乱れるパフォーマンスなどが続き、会場のお客さんも大喜び。今年もカラオケ大会は大盛況だった。

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 夕闇が迫り、お客さんの姿がシルエットになるころ、私は会場の一角を眺めていた。その一角には去年、サラサラの銀髪を肩まで伸ばしたおじさんが座っていた。一緒にフェスに来たのはいいけれど、集団が苦手なその人は、ニコニコしながら公園の端でフェンスに寄りかかって座っていた。夕方になって、ミュージシャンを夢見る若いお客さんがおじさんに話しかけ、悩みを打ち明けているようだった。いつまでもじっと聴くおじさんと若い女性の姿、その二人の姿がシルエットになって夕闇に溶けた去年を思い出していた。
 おじさんは昨年の11月に大好きなお酒を飲みながら、部屋で亡くなった。
 今年のフェスにあの人はいない。私は物販のブースから何度も何度も、去年おじさんが座っていた辺りに目を向けていた。

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 日が暮れた会場で今年も川村亘平斎(こうへいさい)の影絵が始まり、大人も子どももスクリーンを凝視していた。祭りも終わりに近づいていた。
 フィナーレは出演者全員と飛び入りの七尾旅人さんで歌う「どうにかなるさ」。ステージ前で踊る新人Hソケリッサ!のメンバーがやけに増えていると思ったら、会場のお客さんがたくさん混じっているのだった。会場に集まった人々の「思い」みたいなものが公園の隅々まで満たしていて、私の思いもその一部になっていた。演者と観客の境界線も、当事者と傍観者の境界線、知り合いと他人の境界もあいまいになって、人々が踊り、そこに「在る」光景に思わず感情が溢れそうになって、私も少しだけ一緒に踊った。

 Glory Glory Hallelujah
 愛は生きること
 私が私で あることを願いながら
 Glory Glory Hallelujah
 愛は唄うこと
 あなたがあなたで あることを願いながら

 アンコールで寺尾紗穂さんが歌うGlory Hallelujah(作詞・作曲:西岡恭蔵)が空から降り注ぐ雨のように体全体に沁みこんでいくのを感じながら、このフェスの本質を悟ったような気がした。
 このフェスは、背景の異なる私たち一人ひとりがこれまで生き延びてきたこと、今を生きて共に在ることを心から祝う祭りだ。そして、かつて共に在った人たちを想い、共に重ねた時間を愛おしみ、懐かしむ。いろんな線引きで争うことが多い現実の中で、本当はこうありたいと思う自分を確認する日。歌い、踊り、全身で聴きながら。

 来年も会いましょう。
 I長老、来年は芦屋雁之助の「娘よ」を歌うそうです。

(撮影:もりのだいすけ)

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。