第357回:人を嗤うな!(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

ファイト!

 最近、たまたまある場所で、懐かしい歌を耳にした。中島みゆきさんの名曲『ファイト!』である。
 ぼくは雑誌編集者時代に、何度も彼女にお会いしている。話すととても気さくで、ハッハハハッと豪快に笑う人だった。

 いまはもう廃刊になってしまったが、一時は一世を風靡した雑誌『月刊PLAYBOY』に「PLAYBOYインタビュー」というページがあった。ぼくはしばらくそのページを担当していた。
 このインタビューは雑誌業界では長尺で有名で、相手の方にはいつも5時間くらいの長い時間をいただいていた。原稿用紙にして30~40枚ほどにもなるロング・インタビューで、この雑誌のひとつの売り物でもあった。
 そんな長時間なのだから、インタビュー相手のことをそうとう詳しく知っておかなければ間がもたない。お相手は、作家、政治家、評論家、学者、スポーツ選手、俳優、歌手…と多岐にわたるのだから、インタビューの準備も大変だったのだ。
 そのために、ずいぶんと時間をかけて取材調査をした。
 今のようにSNSなんてものがない時代だったから、ぼくは毎月、世田谷区の八幡山駅から徒歩10分ほどの、雑誌の宝庫「大宅壮一文庫」に通って、インタビュー相手の情報を漁った。「大宅文庫」には、ほとんどあらゆる雑誌が収蔵されていて、人物情報を様々な雑誌から得ることができる、編集者にとっては欠かせない存在だった。

 そのページで中島さんのインタビューをさせてもらったのは、もう30年以上も前のことだったと思う。場所は旅先、盛岡のホテルの一室、カメラマンはぼくの友人でもあった通称タムジンこと田村仁さん。
 ああ、懐かしいなあ…。
 で、なんでこんなことを思い出したかといえば、前述したように『ファイト!』を聴いたからである。
 『ファイト!』が発表されたのは1983年。いつの間にかぼくは、この歌の“魔力”にとり憑かれていた。
 繰り返されるフレーズ。
 〈ファイト! 闘うきみの唄を 闘わない奴等が笑うだろう〉
 このフレーズが、なにか事あるごとに、耳の奥から聴こえてくる。そして、この歌の先見性に気づいたのだった。

冷笑系

 SNS上でのことだった。
 例の「ひろゆき論法」が妙にはやり始めてから、「冷笑系」ないしは「嘲笑系」とでもいうような投稿が目立つようになった。7、8年ほど前からのことだろうか。あの「それってあなたの感想ですよね」が妙な具合に多用されだして、他人を小馬鹿にする言い回しとして子どもの世界にまで蔓延していった。
 「論破」という嫌味な言葉も大流行した。たった100~200字ほどのツイッターなどで、そんな簡単に「論破」などできるはずもないが、なぜかそう言い放って勝ち誇るバカ者たちが続出した。
 とくに当の西村博之氏が、わざわざ沖縄の辺野古にまで出かけて行って、基地建設反対の人々に対し、「座り込み〇〇日目」との掲示板に、まるで言いがかりとしかいえないような“いちゃもん”をつけてから、「冷笑系」「嘲笑系」の投稿が一挙に増え、沖縄ヘイトを扇動したのだった。

 「わらう」という言葉には、「笑う」と「嗤う」のふたつの漢字がある。
 『広辞苑』によれば、〈嗤う:ばかにしてわらう、嘲笑する〉とある。
 そう、“ひろゆき”や“ホリエモン”や“橋下徹”系の人たちが使うのは、明らかに「嗤う」ほうの「わらう」である。「冷笑系」というのが当たっているか。とてもイヤらしいと、ぼくは感じてしまう。

 中島さんが『ファイト!』を作ったのは、もちろん、今のようなSNS隆盛など考えられなかった時代である。
 作家やアーティストという人々の感受性、想像力の凄さには感服せざるを得ない。中島さんは、今から50年ほども前に、すでに「闘わない奴等」の「冷笑」を感じ取っていたのだ。この歌で歌われているのは、まさに「闘わない奴等の嗤い」であった。
 闘わない奴らは、闘う人たちを「嗤う、冷笑する、嘲笑する、せせら笑う」ことによって、自分の立場を優位に置こうとするのだ。

模倣者

 橋下徹氏も堀江貴文氏も西村博之氏も、個人としてはそれなりに“世間”や“権力”と闘ってきたという自負はあるのだろう。その自信からか、他人に対しては異様なほど高飛車に出る。それが結果として、無数の卑小なエピゴーネン(模倣者)を生み出すことになってしまった。
 あ、あの人たちはカッコいいし、成功者だ。その真似をすれば、あたかも自分も成功者になれたような気分に浸れる…。まさに卑小な“真似っこ屋”である。
 それを煽ったのは、橋下でありホリエモンでありひろゆきだった。自らのエピゴーネンを無数に生み出すことによって、それなりの昂揚気分を楽しめたのだろう。思想的に見れば、彼らこそ卑小な存在だった。

 例えば、橋下論法の典型例は、「じゃあ、あなたが政治家になってそれを実現するべきだね」というヤツ。
 ここをこうしたい、とか、こう直してほしい、ここがおかしいじゃないか…などという高校生の意見に対し、「あなたが政治家になってそういう活動をすればいい」とは、いったいどういう言い草だろう。
 いま現在、困っているから言っているのに「政治家になって行動しろ」などという。
 それは「いまは我慢せい、オレはいまは知事だが、そんなことは知らん。お前らが将来やればいいじゃないか。何十年先になるかは分からないが…」ということだ。
 無責任な政治家の典型が橋下氏だろう。
 まあ、彼が政治家を辞めてくれたのは嬉しいが、いまでもやたらとテレビに出まくって、同じような妄言をまき散らしている。いまは「闘わない奴」として、闘う者たちをせせら笑う役目を演じているのだ。

闘う者

 でも、『ファイト!』の中の少女は、その鎖をほどこうとする。解き放とうとする。
 小魚たちの群れはきらきらと、海の中の国境を越えてゆく。諦めという名の鎖を、身をよじってほどいてゆく。

 ぼくはいつも心の中で、この歌を、闘っている人たちにエールとして贈っている。ネット上で、バカにされ嘲笑され、鼻先で嗤われても闘い続ける人たちへの、エールだ。
 歌は、作った人の思いを離れて、多くの人たちのために開いていく。

 沖縄で、またしてもひどい暴言を吐いた西田というアホ議員がいる。それに対して怒りをぶつける人たちをせせら嗤う連中がいる。
 江藤農水相は、米価高騰に苦しむ庶民や農家に対するなんの配慮もなく「私はコメを買ったことがない」などと放言した。

 自分は高みにいて、闘う人に唾を吐きかける。
 そういう連中こそが、ぼくの敵だ。
 人を嗤うな。
 嗤う奴は卑しい。
 卑しくなりたくないならば、人を嗤うな。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。