怒涛の「選挙」が近づいている。
6月には東京都議選。そして7月には参院選が予定されている。そんな選挙を前にして、今、少々憂鬱な気分の中にいる。
なぜなら、昨年から「選挙」はデマと誹謗中傷が飛び交うだけでなく、それによって人の命が奪われるほどの「危険」なものになったと思うからだ。
拍車をかけるのが、多くの収益を生み出す動画コンテンツ。
著名人が「犬笛」を吹けばたちまち誰かが「集団リンチ」の対象となり、個人情報を晒される。
一度マイナスの情報が拡散されてしまえば瞬く間に広まり、取り返しがつかない。当人にとってはたまったものではないが、動画が再生されればされるほど生み出される収益という構図ゆえ、歯止めがかからないのが実情だ。
そこに乗っかってくる、面白半分の人。あるいは歪んだ正義感や使命感に駆られた人々。その結果、自殺にまで追い込まれる人が出ている異常事態なのに、「ターゲットにされた人」を守る仕組みもSNSでの誹謗中傷をストップするための仕組みも何もできていないという無法地帯。そんな中で迎える都議選と参院選。ただただ犠牲者が出ないことを祈るばかりという、これまでの選挙とはまったく違った心構えの中にいる。
そんな選挙を前に、ハチャメチャに面白いドキュメンタリー映画を観たので紹介したい。
それは『選挙と鬱』。
主人公は、あの水道橋博士。3年前の選挙に「れいわ新選組」から立候補したことを覚えている人も多いだろう。
立候補のきっかけとなったのは、当時大阪市長だった松井一郎氏に訴えられたこと。博士は松井氏に関する動画を引用する形で「下調べがすごいですね。知らなかったことが多いです。維新の人たちと支持者は事実でないならすぐに訴えるべきだと思いますよ(笑)」と投稿。これが「名誉毀損」にあたるとして訴えられたのだ。
が、話はここで終わらない。博士はこれが「スラップ訴訟」にあたると主張し、「反スラップ訴訟の法制化」を掲げて立候補したのである。
しかし、なんの下準備もなく決まった出馬。博士とそのスタッフや家族という「選挙の素人」たちはドタバタと選挙戦に突入する。しかも「れいわ新選組」は新しい政党なので、システム化された選挙マニュアルがあるわけでもない。
手探りで始まった選挙戦だが、そこは水道橋博士。多くの芸人仲間も応援に駆けつけ、時に苦戦しながらも着実に支持を広げていく。
しかし、投開票日を目前にして世界を震撼させる事件が起こる。応援演説中の安倍元首相が、銃弾に倒れたのだ。
日本中に広がる動揺と、怒り。そんな選挙終盤を経て、博士は無事、当選。しかし、その3ヶ月後、「鬱病」により国会議員を休職、そして辞任──。
映画にはその一部始終が焼き付けられているのだが、とにかく興味深いのは選挙の裏側のあれこれだ。
これについてはぜひ映画で観て欲しいのだが、監督は誰かというと、コロナ禍の東京で自転車配達員として働きながら撮った『東京自転車節』などの作品がある青柳拓氏。自身も奨学金の借金を抱えるという1993年生まれの監督が撮った「選挙」は、まるでロードムービーのようで一瞬たりとも目が離せない。
『選挙と鬱』は6月28日より東京・ユーロスペースほかで全国順次公開予定。
諸手を挙げてオススメしたい映画だが、これに先駆けた6月14日から公開される『それでも私は Though I’m his daughter』も、ぜひ多くの人に劇場に足を運んでほしいドキュメンタリー映画だ。
主人公は、松本麗華さん。誰かと言えば、オウム真理教・麻原彰晃こと松本智津夫の三女であり、一時は「アーチャリー」として全国にその名を知られた人である。
「教祖の娘」として、子どもだった彼女は当時のメディアに面白おかしく取り上げられ、あらゆる行動を逐一報じられた。
その結果、どうなったか。
義務教育である小学校や中学校にも実質的に入学を拒否され、どこかに住もうとすれば転入拒否運動が起こる。16歳で教団を離れ、独学と通信教育で大学受験資格を得て3つの大学に合格しても、大学はすべて入学を拒否。その後、文教大学に入学して卒業するものの、「麻原の娘」という事実は彼女の人生にいくつもの試練を与え続けたし、それは今も続いている。
銀行口座を作ろうとすれば契約を断られ、外国に行こうとすれば入国を拒否され、仕事につけばやっと慣れた頃にクビになる。
どこに行ってもつきまとう「アーチャリー」という過去。どう考えても、人生が無理ゲー。
そして明らかに差別なのに、誰もそれを正せない。まるで麗華さんにだけ「人権」がないかのような世界線。
彼女のSNSのアカウントには、「あなたは幸せになってはいけない人生」などをはじめとして、見るに耐えないような言葉が並ぶ。
映画は麻原をはじめとしてオウムの元幹部・13人の死刑が執行された2018年のはじめから麗華さんを追うのだが、印象的なのは「死刑囚の娘」でもある彼女が、父親に死刑判決が下った時から自分の人生がなくなったと語るシーンだ。
いつ死刑執行されるかわからないから、「会えるうちに会っておかなきゃ」という気持ちが働くので、自分の人生を生きる余裕などない。「いつ死刑になるかわからない父親」があらゆることに優先され、自分の人生は常に後回し。死刑囚の家族が背負うこの重荷を、私は想像したこともなかった。
しかし、麗華さんはそんなことを大っぴらに口にすることもできない。言ったところで「お前の父親が何をしたと思ってるんだ」というバッシングが待っていることは火を見るよりも明らかだ。
麗華さんと私は10年以上前に知り合い、ここ数年は鈴木邦男さんを追悼する場などでご一緒してきた。1月には、私の「生誕祭」にも来てくれた。いつも礼儀正しく、言葉遣いも所作も完璧な彼女だが、この佇まいにこそこれまでの「苦労」が詰まっていたのだと、改めて、気付かされた。
「アーチャリー」と呼ばれた少女も、今は40代。
誰ひとり、生まれてくる親を選べない。環境も何もかも、望んだものでは決してない。
とても抱えきれないものを背負う一人の女性が、この国で、必死に生きている。
その姿を、多くの人に観てほしいと、心から思った。
『それでも私は Though I’m his daughter』は6月14日から、新宿ケイズシネマなどで公開される。
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https://www.iamhisdaughter.net/
6月14日(土)より K’s cinema にてロードショー/7月5日(土)より横浜シネマリン にて上映決定 ほか全国順次公開