逆転の原発訴訟
さすがに開いた口がふさがらなかった。日本の司法が危ないとは思っていたが、ここまでロコツに政府と財界(原子力ムラ)におもねる判決が出るとは……。
珍しくぼくが購読している新聞は、すべてが一面トップで足をそろえた。いつもなら東京新聞は、少し変わった角度からトップ記事を作るのだが、6月7日には朝日や毎日と同じ裁判を扱っていた。
なお、沖縄タイムスは一面の左上記事だった(読売と産経は購読していないので、その両紙のトップ記事がなんだったのかは知らない)。
その東京新聞(6月7日付)を見てみよう。
原発事故 東電旧経営陣の責任認めず
東京高裁「津波予見できない」
13兆円賠償取り消し2011年3月の東京電力福島第1原発事故を巡り、旧経営陣が津波対策を怠り東電に巨額の損失が生じたとして、株主が旧経営陣ら5人に23兆円超を東電に支払うよう求めた株主代表訴訟の控訴審判決が6日、東京高裁であった。木納敏和裁判長は「巨大津波は予見できなかった」として、13兆3210億円の支払いを命じた一審東京地裁判決を取り消し、株主側の請求を棄却した。
逆転敗訴となった株主側は上告する方針。(略)苦しむ被災者 納得できぬ論理【解説】
(略)事故防止には原発の運転停止しかなかったと前提を置き、責任の認定ハードルを高くすることで一審判決を覆した。防潮堤以外にも浸水対策を指示する必要性を認めた一審判決に比べ、旧経営陣に求められる義務の範囲を狭めた形だ。(略)
事故から14年以上たった今も苦しむ被災者を思うと、納得できない論理だ。(略)
毎日新聞(7日)は中の1頁全面を使って解説記事を掲載。少しだけ中身を見てみよう。
原発事故 司法の冷淡
津波予見性認めず 最高裁判断と共通
運転差し止めも慎重(略)「司法判断の流れからすると、1審判決が維持される可能性は低いだろう」。
2022年7月の1審・東京地裁判決は13兆円という天文学的な支払いを命じ注目されたが、東京高裁の判決を前に、裁判官や弁護士の間では結論が覆る可能性を指摘する声が上がっていた。被災者が国に賠償を求めた訴訟(避難者訴訟)や、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣を無罪とした強制起訴裁判では、いずれも最高裁が「想定外の自然災害」を理由に被災者側に厳しい判断を示していたからだ。(略)
つまり、これまでの最高裁の判断を見れば、東電旧経営陣に対する巨額の賠償は認められないだろう、ということだ。最高裁判断を下級審がそのまま忖度せざるを得なくなっているのが現状なのだ。
ただぼくは、東電の旧経営陣の支払金額の減額という形での「決着」を予想していた。あれだけの過酷事故を起こした会社の当時の経営陣が、なんの責任も問われないというのは、さすがにおかしいだろう。そんな常識的な判断が下されるものと考えていたからだった。ところが、あっさりとそれが覆された。
ぼくはツイッター(“X”とは言いたくない)で、「『日本の司法は上に行くほどダメになる』という定説どおりの判決」と書いた。まさに定説そのものの判決だった。
朝日新聞夕刊(7日)の小コラム「素粒子」は次のように皮肉っていた。
刷新感とか、スピード感とか。主観が入り込んで、結果責任を問われない「〇〇感」には要注意。そう身についているだけに、東電旧経営陣への判決に驚いた。
津波が来るという「切迫感」や「現実感」を抱けなかったのはやむをえなかった。だから法的責任はない、と。みんなして鈍感だったらセーフ。それはないだろう。
ほんとうに「それはないだろう」とぼくも思った。
けれど、毎日新聞が指摘しているように、最高裁判断の流れが国や経営幹部の責任を認めない方向にある以上、この高裁判断は危惧した通りになった。
「司法の崩壊」を告発した本
ここに“恐ろしい本”がある。
最高裁がなぜ後ろ向きの判断ばかり下すのか? その謎を解き明かした著作『ルポ 司法崩壊』(後藤秀典、地平社、1800円+税)は、ほんとうに“恐ろしい本”なのだ。帯に次のように書いてある。
「公平らしさ」を失った最高裁へ──
電力会社など大企業に有利な判決を書いた裁判官たちが、退任後、大企業の顧問を務める巨大法律事務所に再就職していく。いつの間にかできあがっていた腐敗のシステム。国策には従順、市民には冷淡な司法のエリートたちの実態。本格ルポルタージュ。
この帯に書かれているのは、巨大法律事務所が最高裁判事と密接な(癒着というほうが正しい)関係を持っているということだ。最高裁判事退任後には巨大法律事務所へ籍を移し、大企業や国の代理人として活動する弁護士になっていく。もしくは逆に、巨大法律事務所所属だった弁護士が最高裁判事に就任していく。
そんな実態を、本書『司法崩壊』は次々に暴いていく。まさにタイトル通り、日本の司法が崩壊していく様相。というより、ぼくは「司法の自殺」だと思う。
この本にはたくさんの「司法の自殺の症例」が示されているが、その中の一例だけを挙げておこう。あまりにたくさんあって、すべてを理解するには、やはり本を読んでもらうしかないのだ。本書の「まえがき」に、すでにこんな例が示されている。
(略)だまっちゃおれん訴訟(引用者注・だまっちゃおれん!原発事故人権侵害訴訟・愛知岐阜)では、控訴審から東京電力側の代理人をTMI総合法律事務所の弁護士が務めている。TMI総合法律事務所は、500人以上の弁護士を抱える「5大法律事務所」と呼ばれる巨大法律事務所の一つだ。一方、最高裁第一小法廷の宮川美津子判事は、1995年から最高裁判事に就任する2023年11月まで、28年間にわたってTMI総合法律事務所のパートナー弁護士を務めていた。パートナー弁護士とは、法律事務所の共同経営者のことだ。(略)
だまっちゃおれん訴訟が最高裁第一小法廷に係属したことにより、裁判の一方の当事者である東京電力の代理人と判決を行なう判事が、同じ法律事務所の関係者になってしまったのだ。
さらにある日、岡本さん(注・だまっちゃおれん訴訟の原告の1人)から、メールが入った。
「先ほどたまたま調べたところ、最高裁第一小法廷の判事だった深山(卓也)元裁判官がまたもTMI法律事務所の顧問弁護士になっているのを確認しました。腹が立って仕方ありません。本当に恥ずかしくないのですかね? いまの司法に正義はあるのか!?」
2024年9月まで、最高裁第一小法廷で判事を務めていた深山卓也氏が、退職してから2カ月後の11月、TMI総合法律事務所の顧問弁護士に就任していた。
これで、だまっちゃおれん訴訟の最高裁での裁判は、判事も、判事OBも、被告・東京電力の弁護士も、TMI総合法律事務所に所属するか、かつて所属していた人物になった。原告の原発事故避難者はまさに「四面楚歌」となってしまった。(略)
これを読んで、あなたはどう思いますか?
こんな例が、他にも続々と出てくるのだ。ほかの巨大法律事務所に関しても、同様の例は枚挙にいとまがない。「第3章 巨大法律事務所の膨張」で、TMIの他、西村あさひ法律事務所、長島・大野・常松法律事務所、アンダーソン・毛利・友常法律事務所、森・濱田松本法律事務所という巨大法律事務所にも触れている。
その上で、200頁以上にもわたって、巨大法律事務所と最高裁判事の関係を暴く。巨大法律事務所と東電の関係、さらに最高裁判事の関係が、詳しく図示されてもいる。ページをめくりながら、肌寒くなるのは当然だ。
日本の司法の総元締めである最高裁判所が、巨大法律事務所との癒着関係にある。それらの巨大事務所は、ほとんどが大企業などの顧問弁護士を務めている。国家事業にも深くかかわっていて、それらの事業に関した訴訟等があれば大企業や国側の代理人を務める。
原子力ムラの法的後ろ盾になっているのはもちろんである。これでは、真理に基づいた判決が出るわけがない。
最高裁がそうである以上、下級審は最高裁の判断を尊重する(顔色をうかがう)ことになるのは目に見えている。
むろん、原発訴訟に関して住民(原告)に添った判決を書く裁判長もいる。例えば、2014年5月、関西電力の大飯原発3、4号機運転差し止め請求で、住民側の請求を認めて「差し止め判決」を書いた樋口英明元福井地裁判事(のち名古屋家裁)などは有名である(『原発と司法』岩波ブックレット等参照)。しかしこのような判断は稀であり、ほとんどがその後、上級審で覆されることとなる。
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三権分立と「沖縄裁判」と
原発裁判もそうだが、もっと極端なのは「沖縄裁判」だろう。どんな係争があっても、沖縄県側は決して国側に勝てない。どんなに理不尽な国の所業であっても、沖縄の裁判官は国の言い分にしか耳を貸さない。苦しんでいる住民の訴えなど屁とも思わない。
最高裁の判断がどこを向いているかを考えれば、残念ながら「忖度裁判官」たちにとっては無理からぬことだともいえる。わが身可愛さは、裁判官とて同じこと。しかし、「正義を守る砦」である裁判所が、こんなていたらくでいいわけがない。
なぜこんなことになったのか。
日本は「三権分立」(司法・立法・行政)である。ぼくらは小学校の授業でそう習った。だが、ほんとうに、三権は分立しているか、司法は独立しているか?
「日本国憲法」は次のように規定している。
第6章 司法
第79条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
②最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行われる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
③前項の場合において、投票者の多数が罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。(以下略)
この条項を自民党内閣は(とくに安倍政権は)悪用してきた。「任命権」を首相権限と恣意的に誤用し、政府の意のままになる人たちを最高裁に送り込んできたのだ。
同じことがアメリカでも行われた。第1次トランプ政権では、米最高裁に次々と保守派を送り込み、9人の判事のうち6人を保守派が占めるという歪な構成になったままだ。トランプと安倍、似た者同士というしかない。
今回の原発事故の株主代表訴訟の高裁判断は、まさに「日本司法の自殺行為」であった。「正義の最後の砦」であるはずの最高裁が、自らの正義を投げ捨てている以上、「司法の自殺」と言わざるを得ない。
しみじみと、あの原発訴訟の判断は悲しい……。
だが悲しがってばかりいるわけにはいかない。本書『ルポ 司法崩壊』を、怒りをもって読んでほしい。そして憲法の定めに従って、来るべき衆院選の際の「最高裁判事の審査」では、ぜひこんな裁判官たちに大きな✕印を見舞ってほしい。