梅雨が行方不明です!
アジサイが鮮やかに咲き始め、クチナシの甘い香りが漂い、さぁ、今年もあたくしの登場ねと梅雨が立ち上がろうとしたところに、背後から全速力で走ってきた夏が梅雨に猛烈なタックルを食らわせ、はるか彼方に吹き飛ばした。そんなふうに突如として真夏がやってきた(6/21記)。
「異常気象」だとか「温暖化」とか言われ続けて幾年月。「SDGs」は流行の一つとして吞み込まれ、言葉だけが一人歩きして中身はイマイチ伴わず、事態が改善する気配はない。夏の厳しさは年々過酷度を増していて、若者が運動場で倒れ、経済的に苦しい人は電気代を節約して部屋で倒れる。毎年、熱中症で人が死ぬ。
私の夏嫌い、その理由
私は夏が嫌いだ。夏にめっぽう弱い。年齢的に無理が利かなくなってきたのもあるが、20年ほど前に免疫疾患を得た。毎日だるくて、動けないのに、餓鬼のように腹が減った。一日5食食べても、体重がみるみる落ちていった。体温調節がうまくいかなくて、夏はタオルが絞れるほどに汗をかいた。安静時にすら脈拍数は1分間で140~180回と激しいビートを刻んでいた。走ったりしようものなら死ぬと思った。
今思えば、これほどまでに分かりやすい症状だったにもかかわらず、「眠れない」に着目した医師が「抑うつ状態」と誤診し、半年もの間、睡眠薬と精神安定剤を処方していたことは症状を悪化させた最大の要因だ。今思い出してもムカムカと腹が立つ。最終的に私を救ってくれたのは、同じ疾患を経験していた同僚で、「小林さん、それ、バセドーじゃない?」と気づいてくれたことで、ようやく私は正しい治療にたどり着くことができたのだ。
その後、私は元夫の赴任先の上海に引っ越して、現地の優秀な医師のもと、投薬によるホルモンの調整を行っていたのだが、数年後になぜか寛解。日本を離れたのが一番の薬だったのかもしれない。とはいえ、完治ではなく寛解なので、またいつ再発してもおかしくないのだが、幸いなことに現在に至っても私の甲状腺は自力でバランスを保ってくれている。私を苦しめた症状のほとんどが体から去ったものの、一つだけ残ったものがある。それが「暑がり」である。体温調節がうまくいかない。
毎年、ゴーヤーを育てているのは、少しでも居住エリアに日陰を作るためと、過酷な日々に一つでも楽しみがないと乗り越えられる気がしないからだ。日めくりカレンダーを毎日一枚破るように、一日また一日と必死にやり過ごしながら秋の到来を待つ。そんな夏も、梅雨をすっとばし、秋の期間にまで図々しく食い込んで、どんどん長くなっている。四季が二季になりそうな勢いだ。そして、近年の猛暑は、私のように暑さ耐性が低い人に限らず、誰にとっても生命にかかわるほどに過酷だ。
猛暑の中のタクシー争奪
先週の金曜日、私は同僚と3人で南千住に向かっていた。
春にお部屋で亡くなった方のご遺骨を、共同墓「結の墓」に納骨するためだった。火葬後にしばらく我が家で待機してもらっていたご遺骨とお位牌を、葬祭会社から譲り受けた専用の袋に入れて胸に抱え、自宅から何度も電車を乗り換えた。
骨壺は重い。両手で抱えるので身動きが取れない。床や地面に置くことはできない。電車待ちの駅のホームや空席がない電車内で、手がプルプルしてくると同僚と交代し、目的地に向かった。この日の気温、35℃。昼過ぎの東京を、容赦ない太陽が照りつけていた。
南千住の駅前にはタクシー乗り場があり、常に客待ちのタクシーが停まっている。そこまでの辛抱だ、もう少し、もう少し……。
ところが、駅を出た私たちは愕然とする。タクシーがおらん! その上、タクシー待ちをしている高齢女性が既にいる。あまりの暑さにタクシーが大人気なのだった。
幸いにすぐにタクシーが1台滑り込んできて、女性が這うようにして後部座席に乗ると走り去っていった。そこからが長かった。私たちの後ろには高齢男性と中年サラリーマンが並んだ。
タクシー乗り場には雨除けの屋根があったが、その小さな日陰は3人が入るといっぱいになった。高齢男性とサラリーマンは炎天下で汗をぬぐっている。特に高齢男性に日陰を譲りたいが、遺骨を胸に抱いた私は顔から流れる汗を拭くこともできずにフラフラだった。
頼む……タクシー、来てくれ。あえぐように顔を上げると、ロータリーの向こう側の、背後をビルに囲まれて日陰になっている場所に若い男性が2人いるのが見えた。
体力の限界とともに荒む心
若者2人は道路の車の流れを眺めている。明らかにタクシーを探している。「タクシー、全然いないっスね」なんて話しているのだろう、片方がスマホをいじりはじめた。それを見て私は動揺した。
「ややっ!!アプリでタクシー呼んでる!」
別にアプリでタクシーを呼ぶのはズルでもなんでもない。私もタクシーアプリは常々使っている。アプリでタクシーを呼んで、日陰で待つのは賢明である。私もそう思う。おおむね異議なしである。しかし、しかしだよ、目と鼻の先にタクシー乗り場があるじゃないの、若者よ。見えているでしょ? 炎天下の小さなひさしの下に5人の哀れな老若男女が酸欠の金魚みたいになりながら、わずな日陰に身を寄せているのが。
大人げないとは知りながら、先生に告げ口する子どものようにツレに話していると、男性2人も私の憤懣を感じるのだろう、時々こちらをチラチラ見ている。
今時、アプリを使ってタクシーを呼ぶのは常識の範疇である。それは分かりつつも、私の偽らざる本音は、「タクシーがこっちに早く来ますように」だった。ええ、心が狭いですよ。なんというか、回転ずしで目当てのネタを心待ちにしていたら、川上に座っている人が全部取って食べてしまうような、そんな焦燥感とか悔しさが湧き上がってくるのを抑えることができなかったのは、自分が「暑さも重さも、もう限界」となっていたからだと分かってはいる。普段ならば若い男性の行為はまったく気にならない。後方で日差しをまともに受けながら並んでいる男性に場所も車も譲れていただろう。元気だったら、暑くなければ、時間に追われてなければできること、それができない。
完璧な結末
どれくらい待っていただろうか。大した時間ではなかったのかもしれない。それでもあの暑さと、腕がプルプルする骨壺の重さに耐えた時間はとても長く感じられた。
静かに火花を散らしていたタクシー争奪戦は、これ以上ないほどのハッピーエンドで決着する。空車のタクシーが4台、ほぼ連続でロータリーに滑り込んできたのだ。私たちがタクシーに乗り込むとき、若き同僚が「あの2人にも早く来るといいですね」とアプリの男性2人を思いやり、その言葉に呼ばれたかのように男性2人のもとへタクシーがやってきた。こうして私たちは全員、無事にタクシーに乗ることができたのだが……お寺へ向かう道にも、道路から半身を乗り出して、救いを求めるようにタクシーに手を振る高齢者を見かけて胸が痛んだ。運転手が「帰り道に拾います」と使命感いっぱいに頷いたのが頼もしかった。ほとんど災害のような猛暑日、タクシーが救急車みたいになっていた。
政治の役割は分断を煽ることではない
久しぶりにお会いできた住職ともお話ができ、納骨とお参りも済んで、足をもつれさせながら帰途に着いてツラツラと考えた。
昨今の生活保護バッシングや、高齢者と若者の分断、外国人排斥の動きは、どれもこれも、「生存の椅子」が不足していると思わされているために起こっている椅子取りゲームだ。自分の生存や安全が危ぶまれるとき、そんな不安をあおられた時、私たちは「奪う」と思わされている相手に対して警戒感を高める。自分を守るためと正当化して、誰かを排除しようとする。偉そうに書いている自分も例外ではないのだろうと、タクシー乗り場での出来事を思い起こしていた。
でも、そもそも本当に椅子は足りないのだろうか? そう思わせているのは誰だろうか?
タクシーが十分な台数やってきたように、私たちが座る椅子は全員分用意できるのではないか? それこそが政治の役割なのではないか?
足りないから誰かを蹴落とさなくてはいけないと不安を煽り、分断や排除を煽るのではなく、「みんなの分を準備するから、心配しないで」と安心させてくれるのが、政治家の仕事ではないのだろうか。誰もが「お先にどうぞ」と言えるような余裕をもたらすのが。
都議会選と参議院選挙前に一足早く訪れた真夏のような太陽の下、選挙運動が盛んにおこなわれている。その声を聴きながら、私はタクシー乗り場で陥った心理を思い出している。そして、分断と排除を叫ぶ候補者が栄えませんようにと願う。誰かの犠牲の上に成り立つ平和や安全は、とても脆い。そして、誰かを犠牲にすることで成立する社会は、いつかあなた自身をも淘汰する。生存は椅子取りゲームにしては絶対にいけないのだ。人数分の椅子を準備しろ! と、要求し続けることが肝心なのだと改めて思う。
この社会が、差別や分断、排除を誘う邪悪な声に流されることなく、踏みとどまってほしいと切に願う。