「逆転勝訴」
「だまってへんで これからも」
「司法は生きていた」
「保護費引き下げの違法性認める」
「勝訴」
2025年6月27日午後3時半すぎ、最高裁判所正門前に、そんな旗が掲げられた。
この日、生活保護引き下げを違法として利用者らが国を訴えた裁判、通称「いのちのとりで裁判」の判決が最高裁で下されたのだ。
結果は、原告の勝訴。こうして書きながら、しみじみと嬉しさを噛み締めている。
この日の午後2時、最高裁の南門には26枚の傍聴券を求めて334人が炎天下、行列を作っていた。人生3度目の最高裁の法廷で、私は勝訴の瞬間に立ち会うことができた。
ということで、この連載でもずーっと書いてきたように、第二次安倍政権下の13年から段階的に引き下げられた生活保護基準。
その背景には、野党時代の自民党議員らが焚きつけるような形で12年から苛烈になった生活保護バッシング、そしてその年の選挙でやはり自民党が掲げた「生活保護基準1割カット」の公約などがあった。そうして政権に返り咲いた第二次安倍政権が真っ先に手をつけたのが、「公約」通りの、生活保護の引き下げ。
結果、ただでさえ厳しかった生活保護利用者の生活はいっそう過酷なものとなり、この頃から「食事の回数を減らした」「熱中症が怖いけれど電気代が怖くてエアコンをつけていない」「交通費などが出せず介護施設にいる親の面会に行けなくなった」「友人が入院してもお見舞いに行けず、葬式も香典を用意できないから行けなくなった」「そのせいで”冷たい人間”と思われて縁を切られた」「人間関係を諦めた」などの声を耳にするようになった。
ちなみにこのところ、政府は熱中症対策や孤独・孤立対策に力を入れる姿勢を示してきた。その一方で、生活保護基準引き下げにより、それとは逆行するようなことを押し進めていたのである。
「弱者は徹底的に見捨てるぞ」
最後のセーフティネットの切り崩しは、私には、そんなメッセージにしか思えなかった。
そんな第二次安倍政権では、森友学園や加計学園の問題など、政権が「身内」を露骨に優遇し、あらゆる場面で安倍元首相への「忖度」がなされるなど、今振り返ると随分と「異常」なことがまかり通っていた。
そうして13年に始まった引き下げだが、それから実に12年間、保護費は下がったまま(それどころか以降も何度か引き下げられる)という事態が続いていたのである。
その12年の間、何があったか。
消費税は5%から8%、そして10%に引き上げられ、20年からはコロナ禍により世界経済が大打撃を受ける。またこの3年間は凄まじい物価高騰が続き、昨年からは米も手に入らなくなる異常事態が続いていたわけである。
しかし、生活保護利用者たちは黙っていなかった。こんな暴挙は許されないと全国で立ち上がったのだ。全国各地で生活保護基準引き下げを違法として、1000人以上の生活保護利用者が原告となり、国を提訴。
全国29地裁で31件の訴訟が行われ、最初は敗訴が続いたものの、オセロがひっくり返っていくように勝ち越しが続き、今年5月時点で25勝16敗(地裁19勝11敗訴、高裁7勝4敗訴)となっていた。
そして迎えた最高裁判決(愛知・大阪の上告審)。とうとう「勝訴」が言い渡されたというわけである。
本当に感無量だが、一方でこの瞬間をともに見届けたかった人たちの多くがすでにこの世にいないという事実も噛み締めている。
約10年にわたる裁判の中、判決を見届けずに亡くなった原告が多くいるのだ。
最大時で1027人だったものの、2割を超える232人がすでに死亡。
ちなみに生活保護を利用する人の8割が、高齢者と障害・傷病世帯なのだが、当然、原告にも高齢者や病気を抱える人が多く、無念のまま、この世を去ってしまったのである。
判決後、最高裁前では冒頭で書いたように「勝訴」の旗が掲げられたが、その隣には遺影を手にする人々の姿もあった。原告たちの遺影だ。
さて、そんな最高裁判決で印象的だったのは、引き下げの根拠とされた「デフレ調整」について、厚労大臣の判断の過程および手続きに「過誤」「欠陥」があり、裁量権の逸脱として「違法」と認められたことだ。そんな違法状態の背景にあったのは、「引き下げありき」の自民党の公約であり、安倍政権への「忖度」ではなかったか。そう思うと、改めて怒りが込み上げる。
「引き下げ」の旗振り役だったのは自民党の生活保護プロジェクトチーム。座長は世耕弘成氏(生活保護利用者の「フルスペックの人権」を制限するような発言あり)で、メンバーには片山さつき氏(「生活保護を恥と思わないことが問題」などの発言あり)がいたことは有名だが、その中には現在、農水大臣として連日メディアにひっぱりだこの小泉進次郎氏も含まれていたと最近知った。
それでは、そんな「引き下げ」の旗振り役だった議員たちは、今回の判決をどのように思っているのか。
まずは謝罪すべきではないのかと思うのだが、判決翌日の朝日新聞には、「判決後、引き下げを当時進めた自民党議員らは、朝日新聞の取材に応じなかった」とあるのだから開いた口が塞がらない。
なんだか、あまりにも無責任ではないだろうか。
引き下げを主張した政治家たちはこの12年間、生活保護利用者のことを、そしてその生活ぶりについて、一度でも思いを馳せたことがあるだろうか? もしかして、忘却の彼方だったのではないだろうか?
しかし、当の政治家たちが忘れたとしても、生活保護利用者はこの12年間、ずーっと苦しい生活を強いられてきたのである。当事者たちは、そこから一分一秒だって逃げられないのである。
月末には残金が尽き、日々、スーパーで半額シールが貼られるのを待ち、暑くてもエアコンをつけられず体調を崩す――そんな当事者たちの苦境にもっとも責任がある政治家たちは、この12年間、どのような暮らしぶりだっただろう?
判決は出たが問題はここからだ。
違法と認められたわけだが、それでは10年以上にわたる損害を、被害の補償をどうするのか。
判決後の集会では、原告らから「国はまず謝罪してほしい」という声が上がったが、同時に200万人以上の生活保護利用者にどのような手当てがなされるのか。追加支給の計算などはどうなるのか。とにかくこれから、前代未聞の規模のことを考えなければならないわけである。
ということで判決から3日後の6月30日、さっそく厚労省との交渉に参加してきた。原告、弁護団、支援者らとともにだ。
午後1時から厚労省で話し合いの場が持たれたのだが、ちょっと驚き、これを書いている今もショックを隠しきれない。
なぜかというと、最高裁で十数年にわたる違法行為が認められたにもかかわらず、厚労省からは謝罪の一言もなかったからだ。
これから被害回復や補償など、やることは山積みだ。が、その前にまず、引き下げを実行した厚労省からの謝罪があると思っていた。しかし、厚労省の職員は「判決を精査し、適切に対応したい」の一点張り。
ちなみに「いのちのとりで裁判」は、障害などを理由に強制不妊手術をされた人たちへの賠償を求めた優生保護法裁判と「きょうだい裁判」と言われるのだが、優生保護法裁判の場合、原告勝訴の判決が出た翌日には「大臣が謝罪したい」と連絡があり、当時の岸田総理の謝罪までの日程もすぐに決まっていったという。
それなのに、なぜこれほど対応が違うのか。
前述したように、原告の2割以上はすでに亡くなっている。その中には、引き下げが「トドメの一撃」になってしまった人もいるだろう。体調が悪い中、節約に節約を重ねてなんとかやってきたものの、保護費の減額が大きな打撃となった人たち。
「みなさんのおかげで、エアコンもろくに使えず食事もろくに取れずに死んでいった人たちがいるんです。どうやって責任を取るんですか」
この日、原告の一人は厚労省の職員に対してそう訴えた。本当に、本当に無念だ。
さて、せっかくいい判決が出たのにここからまた大変そうだが、同時に心配なのはバッシングだ。言うまでもなく、生活保護利用者や原告に対するバッシング。
しかし、強調しておきたいのは、生活保護基準は47もの制度と連動していること。生活保護が下がれば最賃も上がりづらくなる上、就学援助や非課税基準にも関わっている。「最後のセーティネット」と言われるだけあって、他の制度とも複雑に絡み合っているのだ。まさにこの裁判を支えたスローガンのひとつ、「土台沈めばみんなが沈む」を体現している制度なのである。
そんな最後のセーフティネットがより分厚くなることは、すべての人にとっての安心感につながるはずだ。
ということで、厚労省交渉の翌日の7月1日、さらなる物価高騰が私たちの生活を直撃した。今回は2100品目にわたる値上がりである。
思えば、引き下げが始まった12年前と比較して、日本は確実に貧しくなり、人々の生活はより厳しくなった。
だからこそ、すべての人に「自分ごと」として考えてほしい。
そして、ここからの動きをしっかり見守ってほしいと思っている。