第727回:参政党の「大躍進」と、それを「予言」するような各国の「移民排斥」の動き。の巻(雨宮処凛)

 「カーニバルが最高潮であるときに、水を差すような真似をすることほど損な役回りはない。たとえば、赤ペンを引いて間違いを指摘するファクトチェッカーや、下品な野蛮人の蛮行に眉をひそめながら正論を述べるリベラルな知識人である」

 「カオスの仕掛人たちのアルゴリズムは、全体のまとまりを気にすることなく各人の怒りを熟成することにより、それまでのイデオロギーの相違を希釈し、『大衆』VS『エリート』という単純な図式に基づく政治的な対立を再定義する。イギリスのEU離脱、トランプ、イタリアのナショナリズム型ポピュリストが成功するための鍵は、右派と左派の分裂を加速させ、ファシストだけでなく怒れる有権者の票を取り込むことだ」

 「フェイクニュースや陰謀論が不条理に思えるとしても、その背後にはきわめて強固な論理がある。ポピュリストのリーダーたちにとって、『もうひとつの真実』はプロパガンダを流布するための単なる道具ではない。それは実際の真実よりも結束力の強化に役立つのだ」

 これらは、参院選の間に読んでいた本に書かれていたことだ。

 今、目の前で起きていることはすでに世界のあちこちで起きていることの焼き直しであり忠実なトレースである――そう語りかけてくる予言書のような一冊。それは『ポピュリズムの仕掛人 SNSで選挙はどのように操られているか』(白水社 ジュリアーノ・ダ・エンポリ著 林昌宏訳)。

 本の帯には以下のような言葉が躍る。

 「怒りの感情をアルゴリズムで煽り、民主主義をカオスにおとしいれる人びと。その起源から戦略まで、恐いほどわかる! あなたの投票を左右させたのは誰だ?」

 そして「はじめ」には、以下のような言葉。

 「ドナルド・トランプ、ボリス・ジョンソン、ジャイル・ボルソナロらが跋扈する世界では、毎日のように失言、論争、派手なパフォーマンスが繰り広げられる。(中略)ポピュリストたちによる野放図なカーニバルの背後には、スピンドクター(情報を操作する者)、理論家、そして最近では科学者、ビッグデータの専門家たちによる緻密な工作がある。ポピュリズムのリーダーたちは、彼らの貢献があったからこそ権力を掌握することができたのだ」

 そうして本書では、SNSという装置により、いかに大衆が扇動され、それが世界の政治や選挙に影響を与えているかの実例が、恐ろしいほど緻密に描かれる。

 中でも注目すべきは、各国に広がる「移民排斥」の動きだ。そのひとつの例として挙げられるのがハンガリー。

 ハンガリーの状況に触れた5章は、『シャルリ・エブド』編集部襲撃事件を追悼する行進の場の描写から始まる。2015年のことだ。ここでハンガリーのオルバーン首相は、以下のように述べたという。

 「ヨーロッパにとって経済移民は悪だ。メリットは一切ない。なぜなら、経済移民はヨーロッパの人びとに無秩序と危険をもたらすだけだからだ。(…)私がハンガリー首相で、私の政権が続く限り、ハンガリーが欧州委員会の計画に基づいて移民を受け入れることはない。われわれは、異なる文化遺産を持つ少数派がわれわれの国で暮らすことを望まない。ハンガリーはハンガリー人の国であるべきだ」

 その言葉を受け、本文は以下のように続く。

 「オルバーンがパリでこの発言をしたとき、一般のハンガリー人は移民問題にまだ関心を抱いていなかった。当時の世論調査によると、移民問題を優先課題と考えるハンガリーの有権者の割合は全体の3%に過ぎなかった。しかし政治の鉱脈占い師であるオルバーン首相は、移民問題こそ金の鉱脈だと見抜いていた。よって、問題はこの金鉱脈をどのように、そして誰とともに採掘するかだった」

 オルバーン首相の片腕として活躍したのがアーサー・フィンケルスタインだ。その人物像を知る手がかりとして、本書には以下のような描写がある。

 「数十年にわたり共和党関係者の間で伝説的な存在になったフィンケルスタインは、ジョージ・W・ブッシュやドナルド・トランプを勝利に導いたスピンドクターたちを養成した。トランプが有利になるようロシアが大統領選に干渉した事件で、アメリカ当局の取り調べを受けたトランプ陣営の二人のスピンドクター(ポール・マナフォーとロジャー・ストーン)もフィンケルスタインの愛弟子だった」

 そんなフィンケルスタインとオルバーン首相は、ともに「政治とは敵を見極めること」と説くカール・シュミットの信奉者。

 二人は09年から関わり始めたようだが、最初に「敵」と設定したのはヨーロッパだった。ハンガリーが金融危機に見舞われたのはヨーロッパのせいとし、「国民を裏切って国を破産させたリベラル派に対する過激なキャンペーン」を開始。そうして10年の総選挙でオルバーンの政党は圧勝。この影響で外国人嫌悪の政党「ヨビック」も得票率を急伸させた。

 14年の選挙でもオルバーンは再び勝利。しかし、その後スキャンダルに見舞われ支持率が急低下すると、フィンケルスタインは作戦を変更して「死刑制度の復活」をぶち上げる。が、世論の受け止めは冷ややか。そんな中、「自分たちに必要なのは新たな敵」として持ち出したのが、「アフリカや中東などのイスラム系の移民」だった。

 しかし、難点はハンガリーにイスラム系住民がほとんどいないこと。ハンガリーの外国人の割合はそもそも1.4%で、その中でもイスラム教徒はごくわずか。

 が、そんなことはどうでもいい。以下、フィンケルスタインがある会議で語った言葉だ。

 「最も重要な点は、誰も何も知らないということだ。政治の世界では、何が真実かではなく、何を真実とみなすかが重要だ(後略)」

 そうしてやったことは、「テロと移民に関する意識調査」の一環として、

 「欧州委員会の移民政策の失敗とテロの増加には関連性があるという意見があります。あなたはこの意見に同意しますか」というアンケート用紙をすべての有権者に郵送すること。

 同時に大規模なポスターキャンペーンを実施。移民に向けたメッセージとして「ハンガリーに来ても、ハンガリー人の仕事を盗んではいけない」「ハンガリーに来たら、われわれの文化を尊重する義務がある」というメッセージが書かれたポスターが全国に貼られた。移民に向けたメッセージだったが、表記はハンガリー語。真の目的は有権者に影響を与えることであるのは明らかだろう。そうしてヨーロッパ諸国が難民危機に直面した15年、「二人はシリア難民の流入を支持拡大に変えるための条件を整えた」。

 ちなみにこの時期、ハンガリーには多くの非正規入国者が増えることが見込まれたものの、多くはそこを経由してドイツや北欧諸国に向かおうとしていた。しかし、オルバーン首相は「移民には毅然とした態度で臨むという己のメッセージを強調するために派手なパフォーマンスを演じた」。

 国境沿いに175キロの障壁を作る法案を2時間の速さで議会に承認させ、ブダペストの駅も閉鎖させたのだ。結果、ハンガリーを通過したいだけの難民たちは、遠い道のりへの移動を徒歩でせざるを得なくなった。

 難民危機への報道にも細かい注意が必要だった。国営テレビには報道について詳細な指示がなされ、難民の子どもたちの姿を放映することは許されなかった。表向きの理由は子どもたちのプライパシーを保護するため。しかし、実際の理由は同情が集まるのを避けるためだった。

 一方、EUは難民をEU各国で分配して受け入れることに決めた。ハンガリーも1000人以上を受け入れることになったが、このことも最大限、利用された。

 まずオルバーンはこの計画に対して国民の賛否を問う国民投票をすると宣言。また、キャンペーンとして「パリ同時多発テロは移民の仕業」「移民の流入により、婦女暴行が急増」などと書かれたポスターが全土に貼られた。

 結果、国民投票で反対の割合は98%に。投票率は5割を下回ったが、この数字の持つインパクトは、大きい。

 この章の終盤には、以下のような記述がある。

 「同様のことが少しずつ形を変えながら、あらゆる国で起こった。すべての先進国においてカオスの仕掛人たちは、難民、移民、さらには民族的、宗教的な起源の異なる同胞などの部外者と自国民の関係を取り上げ、これをポピュリストであるウォルドーの原動力に変えた」

 「カオスの仕掛人たちによると、移民問題を扱う利点は、カール・シュミットの言う『われわれVS彼ら』という分断を広げることだけでなく、右派と左派の間に存在した障壁を吹き飛ばしてしまうことだった」

 さて、この連載では6月の都議選前から参政党を取り上げ、その「躍進」を予想してきた。

 この週末に投開票日を迎えた参院選にて、参政党はなんと14議席を獲得。新興勢力がひとつの選挙でこれほど一気に議席を増やすという光景を、私は初めて目撃した。

 これまでにない地殻変動が起きる中、呆然としながらも、何が臨界点を突破させたのか、考え続けている。

 ひとつ言えるのは、それほどに既存の政治への不信と失望が広がっているということだろう。なんとなく「自民党に任せておけば大丈夫」と思っていた人たちが「やっぱダメ」と見切りをつけた時、「受け皿」となるのが参政党しかなかったという現実。

 その意味では、野党第一党の責任も問われるのかもしれない。特に3年前に統一教会の問題が発覚して以降、政権交代に至る「絶好のチャンス」を逃し続けているように見えていた身からすると、「今、このタイミングで野党第一党からガチで鬼気迫るような気迫」がビンビンに伝わってきたら、ここまでの結果にならなかったのではないか…という思いをどうしても拭えない。個別には応援したい議員の方々もたくさんいるだけに、その辺りについてどう思っているのか、ぜひ聞いてみたい。

 紹介した『ポピュリズムの仕掛人 SNSで選挙はどのように操られているか』には、他にもいろいろな実例が紹介されている。

 「仕掛人」として登場する中には、「アメリカのポピュリズムの仕掛人」のスティーブ・バノン、イギリスのEU離脱キャンペーンを指揮したドミニク・カミングス、また「デジタル技術を駆使する政党が誕生するとは誰も思っていなかった2000年代初頭に、インターネットによって政治革命を起こすことができると気付いた」ジャンロベルト・カサレッジオなどがいる。

 最後に本書から、この数年の社会や選挙をめぐるあれこれを考えるヒントになりそうな印象的な言葉を紹介しよう。

 「これらのポピュリズム運動には、個々の違いがあっても、共通することがある。それは、右派であるか左派であるかに関係なく、従来の政治エリートを懲らしめることを政治課題のトップに据えていることだ」

 「多くの有権者が従来の政治権力者を懲らしめたいと願い、ますます過激になるリーダーや政治運動になびくのは、大衆は多民族社会で暮らさねばならないという見通しに怯え、この四半世紀にわたりエリートたちによって急激に推進されてきたイノベーションとグローバリゼーションの過程で、割を食わされたと感じているからだ」

 「これまで長年にわたってタブーとされてきた下品な言動や個人に対する侮辱が、タブーではなくなった。偏見、人種差別、性差別が野放しになった。嘘と陰謀が現実を解釈する鍵になった。/そしてタブーを破ることは、大衆が発言力を取り戻すための聖なる闘いと見なされるようになった。つまり、それはポリティカル・コレクトネスを唱えるグローバル・エリートとやらが課す抑圧的な決まりからの解放を目指す闘いだ」

 書き写しながら思い出したのは、X上で参政党支持を表明していたホストと思われる人の投稿だ。

 彼は参政党に投票したことを報告しつつ、「ちなみにあの謎の風営法改正を法案提出したのは立憲民主党のクズだよ。どうせそのうちホストクラブ廃止とか言い出すからお前ら本当に投票行け」と書いていたのだ。

 それを読んで、「日本人ファーストは差別」という言葉が通じない理由がわかった気がした。なぜなら、彼らの中には自分たちこそが「差別」されている意識があるのではないか。

 ちなみに私は物書きになる前の20代前半、キャバクラで働いていた。1990年代後半のことだが、その頃も「フェミニストが夜の仕事を否定する」ようなことはあり、そんなものに触れるたびに「お前の存在は社会にとって有害で迷惑だから消えてなくなれ」と言われているようで恐怖を感じた。

 今思うと、それって当事者にとっては死活問題なのだが、「日本人ファースト」という言葉で恐怖に怯える人がいることはリベラル側から言われても、日常に溢れる、夜職を有害視するような言説は放置されがちだと感じる。

 そして国もコロナ給付金を性風俗業は対象にしないなど明らかな差別をしており、もろろん、そのようなことに関しては左派からも声が上がるものの、その時だけ声を上げても「ただ国のやり方に反対してる人」としか思われないのかもしれない、と考えたりもした。

 「お前の存在は有害」とジャッジされることに怯えているのは夜職だけではない。

 例えば今は、知り合いしか見ていないと思ってSNSで松本人志氏を擁護するような発言をしたら寄ってたかって叩かれ、キャンセルされることだってあり得る社会だ。

 リベラルが忌避されるのは、このような形で「勝手にジャッジして裁きを下す存在」と思われているところもあるのかもしれない。

 さて、書けば書くほど絶望的な気分が込み上げてくるが、そんな中、私には何ができるのか。

 「日本に生まれてよかったって言えるようになりたいんですよ!」

 「みんなで国の未来、考えましょうよ!」

 選挙最終日、訪れた参政党の街宣の場で神谷氏はそう絶叫し、人々は大きな歓声と拍手で応えていた。

 熱狂の中、今回の選挙を通して、政策などの難しい話を語る政治家の話がまったく頭に入らなくなっている自分に気がついた。

 一度参政党の、特に神谷氏の「情」に訴えるスピーチに慣れてしまうと、政策などの話をする人々がひどく退屈に思えてしまうのだ。

 もうひとつ、特筆しておきたいのは、神谷氏はこの選挙期間中、一度たりとも「冷笑」的な態度を見せなかったということ。維新の議員や石丸伸二氏のような冷笑スタンスの消費期限が切れたことを感じた選挙でもあった。

 さあ、ここから何ができるか。とにかく、この国にこれほど大きな「怒り」と「不満」があり、既存の政治がその受け皿にならないことが白日の下に晒されたわけである。

 自分にできること全てを、個々人がやっていくしかないのだろう。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年、北海道生まれ。作家。反貧困ネットワーク世話人。フリーターなどを経て2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。06年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年、太田出版/ちくま文庫)は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞。著書に『学校では教えてくれない生活保護』『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』(河出書房新社)など50冊以上。24年に出版した『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)がベストセラーに。