小川さん、入院す
世間は選挙、とりわけ急進する排外主義政党への対抗で皆さんが必死な最中、よりまし堂は別の緊急事態で一杯一杯でした。選挙結果について思うところは次回に回し、今回は開業以来最大のピンチの顛末をご報告します。
ことの起こりは木曜の朝。小川さんから「昨日からおなかが痛くて、お店を開ける前に病院に行ってくる」とLINEが入りました。いつも元気な小川さんが珍しいな〜と、その時は軽く考えていました。
近くの診療所で受けた診断は「虚血性大腸炎」。腸の血管が詰まって粘膜から出血する病気で、生命にかかわるものではないようですが、出血を止めるには絶食して腸を休ませるしかないそうです。点滴を受け、お店に出てきても顔色が悪くてつらそうです。結局、大きな病院で入院が必要と言われ、店を早仕舞いして車で市立病院に向かいました。すでに夜だったので救急外来で診察を受け、そのまま入院。この時点では、それが1週間も続くとは思いもしませんでした。
「自営業者は体が資本」。周囲からも耳にタコができるほど言われ、自分たちでも「健康診断はまめに受けようね」と言い合っていたのですが。3カ月目にして地雷が炸裂してしまいました。
二人三脚で運営してきたよりまし堂ですが、労働時間や身体的負担は明らかに小川さんに偏っていました。僕は編集者としての本業があり、小川さん自身が夜の営業にこだわっていたので、本人も望んでのことではありましたが、こういう結果になると悔やまれます。
何より、キッチンの休業はダイレクトに売上減を招きます。仮に病気が長引き、飲食の収益が長期にわたって途絶えれば、本屋の利益だけで家賃を払い続けるのは不可能。文字通り、お店の根幹にかかわるピンチでした。
しかし、まずはとにかく小川さんには休んでもらって回復を待つしかない。そう思いながらも、明日からの営業をどうするかを決めないわけにもいかず、重苦しい雰囲気で相談しました。とりあえずフードメニューは当面お休みにし、僕が出せるドリンク類に限って提供することに。不完全でもお店を開けたほうが、売上ゼロになるよりはましという判断です。
翌朝いつもより早く家を出て、一人で開店準備をします。3カ月やってきた店とはいえ、いつもとは違う緊張感が。小川さんが普段やっていたタスクや手順はうっすらとしかわかっていません。これで大丈夫なのか、不測の事態に対応できるか……いちいち不安です。
もうひとつ痛感したのは、一人で店番する時間の長さ。開店から2時間3時間お客さんが来ないと、もう不安でいたたまれなくなります。一人でやっている本屋さんはみんなこの孤独に耐えてるんだなあ……と今さらながら思いました。
そんな不安に満ちたワンオペ初日でも、常連さんがちらほら来てくれて、最低限の売上は立ちました。少なくともマイナスにはなっていない、この心理的安心感は侮れません。
強力な助っ人登場
さらに、ピンチを見かねて強力な助っ人が手を差し伸べてくれました。その名はナナコさん。もともと地元の市民活動で知り合った間柄ですが、カフェ経営の経験があり、ヨガのインストラクターで、アクセサリー作家でもあり、弾き語りシンガーであり、普段は蕎麦屋の店員という、多芸すぎてどれが本職かわからない謎な人です。よりまし堂の開店当初からの名物クレームブリュレもナナコさん直伝のものでした。その彼女が「じゃあ、日曜あたしがシェフやります!」と手を挙げてくれたのです。
いくら経験者とはいえ、昨日の今日でいきなりお店を回せる人はそういないと思います。しかし、そういうスーパーな人材が周囲に多数いるのがよりまし堂。土日は稼ぎ時なので願ってもない提案ですし、遠慮している余裕もありません。そうして日曜は「ナナコ飯の日」と決まりました。
よりまし堂には近所の畑から定期的に野菜を届けてくれるお友達がいます。この日もキッチンには大量のナス、トマト、キュウリが。当日朝にそれを確認したナナコさん、さっそく大量のナスの皮を剥いて仕込みを始めます。そして、みるみるうちに夏野菜カレーとパスタ、冷製フェデリーニ(細麺パスタ)の準備が整いました。
お客さんには普段とメニューが違う事情を説明して了解してもらいましたが、どれも美味しいと大好評。常連さんの来店も多く、昨日までとは別のお店のような忙しさです。僕も皿洗いなどを手伝いましたが、洗ったそばからどんどんお皿やグラスが回転していきます。これまで小川さん一人でこれをやってきたのかと思うと、申し訳なさも募ります。
驚いたことに、この日は過去最高の売上を記録しました。レジと連携したスマホアプリで売上データを見ていた小川さんがちょっと嫉妬したほどです。
翌朝は背中が強張って起き上がれないほど疲れましたが、こうして小川さん不在の週末をなんとかかんとか乗り切ることができました。お休みを潰して腕をふるってくれたナナコさんには感謝しかありません(ちなみに、アンコールを受けて翌週の日曜もやってもらいました)。
続く月曜火曜はお休みとして、水曜以降はふたたび僕だけのワンオペ営業に。ビールサーバーを使い慣れなくて溢れさせたり、アイスコーヒーの底に溜まった澱まで注いでしまって、お客さんが残したグラスに粉がごっそり溜まっていたりと、失敗もたくさんでしたが、どうにかこうにか乗り切りました。
厨房は小川さんのフィールドだからと思ってあまり足を踏み入れてこなかったせいで、備品や食材のありかもわからず、いちいちLINEで「◯◯はどこでしたっけ」「これはどうしてますか?」と尋ねます。お母さんの病気で慣れない家事をしているお父さんみたいですが、いちおう名誉のため言っておくと家ではそれなりに(強調!)家事をしています。コロナ禍の数年は、ほぼ3食を自炊していたので膨大な量の皿を洗いました。そのあたりが苦でないことは今回のワンオペでも役立ちました。
カフェのマスターといえば格好良さげですが、やっているのは皿を洗い、テーブルを拭き、レジを打ち、切れそうな食材をチェックして仕込んだりストックを冷蔵庫へ移したり……それぞれは単純作業でも、それなりの神経を使い、マルチタスク能力も求められます。どちらかといえばケア労働に近いこうした労働を、頭脳労働よりも下に見る意識が自分にもなかったとは言えませんが、今回のことでその大変さも面白さも少しわかった気がします。
危険水域に達した排外主義
そうして1週間後の金曜日、ようやく小川さんは退院し、翌日の土曜日にはお店に顔を出せました。本当はあと1週間は入院が必要だったらしいですが、「投票に行けないと困ります!」と必死でお医者さんに掛け合い強引にお許しを得たそうです。それくらい小川さんも今度の選挙には大きな危機感を抱いていました。
僕の周囲では、選挙結果が出る前から重苦しい雰囲気が漂っていました。複数の政党が排外主義を競うように語るのが怖いというだけでなく、それを支持できてしまう「普通の人」が怖い、という声も聞こえます。外国籍やその他のマイノリティ属性を持つ人であれば、よけいにそう感じて当然でしょう。
実は選挙当日、店の入口に張ったポスター(「日本人ファーストは差別の煽動です」と書かれている)を見て、わざわざ文句を言いにきた初老の男性がいました。怒りで頬を震わせながら、「日本人ファーストのどこが差別なんだ!」と食ってかかります。
「政治家や公的な政党が人間に等級をつけること自体が差別であって、マイノリティの人たちは恐怖を感じている。そもそも日本で外国人が優遇されている事実は存在しない」ということをなるべく冷静に伝えようとしましたが、会話は噛み合わず、最後はお決まりの「お前も日本人じゃないな」「左翼、反日が!」と捨て台詞を残して去っていきました(というか、退出していただきました)。
政治や社会のことを日常生活の中で話せる場にしたい、というのがよりまし堂を始めた共通の思いでしたが、こんなふうに直球のヘイト言説を目の前でぶつけられるとやはりショックです。自分がマイノリティ属性を持っていたら、恐怖でお店に立てなくなってもおかしくありません。そんな事件もあり、選挙結果を見る前からどんよりとした気持ちにさせられました。
こんなにもあっさりと社会は変えられてしまうのか。戦後80年、重ねてきた平和教育や人権思想とはなんだったのかと思わずにいられません。
けれども、日常は明日からも続いていきます。こんな社会になってしまったからこそ、不安や希望を語れる場を求めている人もいるはずです。投票日の前に来て「このお店がなかったら、もっとつらかった」と言ってくれるお客さんもいました。その言葉に、やっぱりこの場は残さなくてはと気持ちを新たにします。
これからますます酷い状況になっても、掲げた旗は降ろさずに、しぶとく生き延びてやる。誰も排除されない社会は可能だということを、この小さな店の中で実践として示しながら。
僕たちの(そして、他の多くの人たちの)野望を諦めるにはまだ早いと思います。
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ディディエ・デニンクス文、PEF絵『父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』(解放出版社)
第二次世界大戦前のドイツで、ナチスが選挙で選ばれ政権につくまで、そしてその後に起きたことを当時の子どもの視点で描いた絵本。とりわけ刺さったのは、選挙の2カ月後に街の本屋が突撃隊に襲われる場面。理由は店主がユダヤ人だったから、そして「ヒトラーが、わが国民が苦難におちいっているのはユダヤ人のせいだと言ったからだった」。過ちを繰り返さないために、私たちには歴史を知り、事実を直視する必要がある。本屋や図書館はそのための知識を蓄積する拠点であり、だからこそ狙われるのかもしれない。