第372回:さらば石破氏、だがその前に(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 石破首相がついに「退任表明」をした。あれだけ党内から「辞めろコール」が響きわたれば、まあ、並の神経の持ち主だったらとても平静ではいられない。石破さんも普通の人だったというわけだ。
 でも辞めると決めたなら、もう怖いものはないだろう。最後に「やり残したこと」「やりたかったこと」「やらなければならないこと」を、誰にも遠慮なしにできるってことじゃないか。だから、ぼくが思う「石破首相に最後にやってほしいこと」を挙げておこう。盛大に「石破の最後っ屁」をかましてほしいもんだ。

• 戦後80年談話

 多分、石破氏がやり残したことでいちばん気にかかっているのがこれだろう。
 正式な「首相談話」の発表というのは、自民党内右派の強烈な抵抗にあってついに出すことはかなわなかったけれど、「首相辞任表明の際の談話」という形でなら、どんなことを言ったってかまうまい。
 自民党総裁選は10月4日に決まったようだ。すると石破総裁が辞任するまで、少なくともあと2週間以上の時間がある。その中で、自分の思いを込めた文案作成に尽力すればいい。かつての日本の歴史をきちんと総括して、これからの道筋を提示する。そう、歴史認識のことなのだ。
 これまでの石破氏の言動の端々から、それは多分、高市氏ら党内極右派の歴史観とは相いれないものだろう。だが政治家として本分を全うしたいと考えるなら、避けては通れぬ道だと思う。あれは素晴らしい“談話”だったと、それこそ後世に語り継がれるような言葉を残してほしいものだ。

•「防災省(庁)」創設

 この夏(まだ夏が終わったような気がしないけれど)は、ほんとうにひどい夏だった。むろん殺人的な酷暑は異常だったし、その異常さは日本列島の各地を襲った豪雨災害にも表れていた。「線状降水帯」なんて言葉、昔は聞いたこともなかった……。
 ぼくのふるさとは秋田である。今夏は、何度も繰り返して豪雨洪水の被害に晒された。わが実家には、ぼくよりも3つ上の姉がひとりで暮らしている。大雨のニュースが流れるたびに、ぼくは心配で胸を痛めていた。
 石破氏の政治的目標のひとつは「防災省(庁)の創設」だったはずだ。これほど凄まじい自然災害の惨状を、指をくわえて見ているわけにはいかない。被害が出たらすぐに対応できる組織の創設は、いまや災害列島日本の最大の課題ではないか。
 昨年元日の能登地震に始まり、台風や洪水被害は今年になっても相次いだ。もはや災害のない年はない。最近も静岡県牧之原市では日本では類例のない巨大竜巻による甚大な被害がでた。それなのに、いつも政府行政の対応は遅すぎる。
 災害発生から少し経って「やっとボランティアのみなさんが被災地に入り、後片付けなどが始まりました……」というニュースが流れる。むろん、ボランティア活動は素晴らしいが、なぜそれがニュースになるのか? 裏返せば、行政の対応が不足しているということだ。ボランティアの手を借りなければ災害復興もできないのでは、政府などないに等しい。なぜ「防災庁」もしくは「災害対策庁」を一刻も早く創ろうとしないのか。
 自衛隊の援助部隊が被災地に入るのは、なぜいつも遅れるのか。
 「自衛隊を改組すべきだ」と、ぼくは何度かコラムやツイッターで主張してきた。それは別に「自衛隊否定論」ではない。自衛隊の一部を改組して「防災庁」指揮下に組み入れ「自衛隊防災部隊」を新組織とすることだ。戦闘を主目的に訓練する自衛隊本体とは別に、災害救助・援助を主目的に訓練を行う「特殊部隊」を発足させる。主目的が災害援助なのだから、普段からその訓練を行い、そのための機器類装備を充実させる。当然、緊急災害事態に対応するための指揮系統は独立である。災害は待ってくれない。現状でわかるように、すぐにでも起こる可能性は大きい。
 まあ、「自衛隊別組織」というのはぼくの考えだ。早急に災害援助隊を創るなら、それがいちばんの早道だと思うからだ。
 トランプの要求で中古の米製武器を買い漁るより、「災害救助」にカネをつぎ込むほうがずっと大切、いま現在の国民の命がかかっているのだから。
 秋、台風の季節でもある。今からでは遅いかもしれないが、とにかく石破氏は「防災省(庁)創設」の道筋だけはつけておいてほしい。

• パレスチナ国家の承認

 イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃は、もはや戦争という範疇から逸脱した「一方的虐殺」だ。しかもイスラエルは周辺のカタールやイエメンをも「ハマス撲滅」との理由付けで爆撃した。歯止めを失った“戦争狂のネタニヤフ”に、さすがに各国が批判の声を挙げ始めた。
 スペインのサンチェス首相はイスラエルへの武器禁輸などの制裁措置を発表。そしてパレスチナ国家の承認に踏み切った。フランスやドイツ、カナダなどもパレスチナ国家承認を示唆している。イスラエルは自らの悪業で孤立国家の道を歩み始めた。後ろ盾のアメリカはウロウロするばかりでなんの役にも立たない。
 石破首相は、置き土産として「パレスチナ国家承認」を行うべきである。
 国連総会(193ヵ国)は12日、イスラエルとパレスチナの「2国家共存」による解決案を、日本を含む142カ国の賛成で採択した。反対はアメリカ、イスラエル、ハンガリーなど10カ国、棄権は12カ国だった。
 日本もこの決議案には賛成したのだ。ならば、パレスチナ国家承認へはあと一歩だ。なぜそれを行わないのか、ぼくにはよく分からない。やはりアメリカ(トランプ)の影に脅えているのか。石破氏よ、最後の踏ん張りだぜ!

• 核兵器禁止条約の批准

 石破氏は持論として「核保有の議論は否定すべきではない」としているが、現状での核保有にはさすがに否定的である。それは広島・長崎での原爆忌での「核なき世界」「核戦争のない世界」という式辞にも表れていた。
 「核なき世界」を目指すのが被爆国日本の政治的スタンスであるとするなら、「核兵器禁止条約」の締約国になるのが当然だろう。ところが日本は世界で唯一の被爆国でありながら、どうしてもこの「核兵器禁止条約」を批准しようとはしない。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は2024年、ノーベル平和賞を受賞した。石破氏もそのことに大いに励まされたと語っている。被団協の最終目的は「世界から一切の核兵器をなくすこと」であり「二度と核戦争の悲劇を世界にもたらさないこと」である。その被団協のノーベル賞受賞を祝うなら、論理の帰結として「核兵器禁止条約」を、まさに日本が率先して批准すべきなのだ。
 だが、日本は……。
 石破氏は、歴史に名を刻みたいと思うなら、この「核兵器禁止条約」の批准を最後の最後の、ほんとうに最後の政治的成果として遺していってほしいと思う。どうしても批准が難しいならば、せめてオブザーバーとして政府代表を「核兵器禁止条約締約国会議」に送り込むくらいの勇気を見せてほしい。

 この国は「核武装は安上がり」などと、それこそ安っぽいヘリクツを吐くような政党が参院選で躍進した。核武装論では自民党極右派も思いは同じだろう。極右と極右がくっついて、この国をめちゃくちゃにする時が迫っている。
 石破さんよ、そんな道筋には否定的な最後の仕事を成し遂げて、その上で幕を下ろしてほしい。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。