第93回:「シネマ・チュプキ・タバタ」へ(渡辺一枝)

●悪天候を押してでも

 TVでは、防水ジャケットに防水ズボン、雨傘を差したアナウンサーが、なぜか少し嬉しそうな顔をして台風接近の報を伝えていた。「何もこんな日に出かけなくても」と不服げに言う夫の声には耳塞いで、傘を差して家を出た。駅までの道は通勤の人たちを追い抜きあるいは追い越され、通学の小学生たちとはすれ違いながら行く。傘がぶつからないように傾けながら行くが、雨脚は弱く、傘がなくてもさほど濡れそうもなかったので途中で傘を畳んだ。
 ラッシュ時間帯に尾を引いた時刻だったので、電車の中は幾分か混んでいた。畳んで持った傘があまり濡れていないことにホッとして、吊り革を掴んで立っていた。人の背に遮られて外の景色は見えなかったから、窓ガラスの濡れ具合も見えず、雨の降り方がどんなかもわからなかった。
 田端駅で降りた時には雨脚は繁くなっていて、風も少し出てきていた。傘を低く傾けて持ち、シネマ・チュプキ・タバタへ向かった。先月までポレポレ東中野で上映されていた朴壽南(パク・スナム)・朴麻衣(パク・マイ)共同監督の『よみがえる声』が、9月1日から7日まで、ここで上映されている。この映画を観るために私は、ポレポレ東中野に5回通ったが、なおも観たくてここでも席を予約していたのだ。この映画が観たいからというだけではなく、この劇場で観たいという気持ちも強くあった。

●大風呂敷を被せた話し方では、言葉は届かない

 つい二週間ほど前にも、スナム監督の『もうひとつのヒロシマ─アリランのうた』をここで観ていた。客席たった20席の劇場だから、スクリーンも小さくて120インチだが、音響効果がとても良くて心地よかった。
 私は右耳難聴で、ほとんど左耳しか機能していない。日頃テレビはほとんど見ないが、たまに夫と一緒に見ることがある。また、人と会話することは頻繁にある。そんな時に私が「聞こえない」と言うと、テレビのボリュームを上げる、または話す声を大きくするなどと心配りされる。それはありがたいのだが、そうではないのだ。全体の音が大きくなると、雑多な音も大きくなって機能している左耳から入ってくる。それで肝心の聴きたい声や音が逆に聞き取りにくくなってしまうのだ。どう言えば良いだろう、雑音が邪魔になって肝心の音声が届きにくくなると言えば良いだろうか。
 話は少し逸れるが、人との会話において、相手が難聴者であろうが健常者であろうが、大事だと思うことがある。「伝えたい相手に向けて話す」ことが大切なのだ。集会のアジ演説のように、居並ぶ大衆に向けて大きな風呂敷を被せるようにして「そこに居るみんな」に話すと、言葉は散ってしまう。たとえ大衆を相手のアジ演説であっても、その中の「誰か」を定めて、その相手に向けて声を届けようとすることで、話者の言葉はその場に居るみんなにしっかり届く。これは保育士をしていた時の私が、体験の中から得たことだ。
 その点、シネマ・チュプキ・タバタの運営母体は、「目の見えない人たちと共に映画鑑賞を楽しむために、言葉による映像の解釈(音声ガイド)をいち早く手がけ、視覚障害者の映画鑑賞をサポートしてきた『バリアフリー映画鑑賞推進団体City Lights』というボランティア団体」だという。だから音にこだわって、劇場の前面、側面、後面、天井にまでスピーカーを配置してあるそうだ。もちろん音質にも非常に心配りしているという。
 そんなこともあったから、心に深く響く映画『よみがえる声』をこの劇場でこそ観たいと思ったのだった。

●耳で聴く映画

 傘を傾けて歩いてきたが、シネマ・チュプキ・タバタに着いた時には、ズボンの裾はすっかり雨をかぶってびしょ濡れだった。9時開場、9時半上映開始で、この週の朝一番の上映だ。9時5分頃に着いた時には受付に先客がいて、私は2番目だった。先客はこの雨の中を歩行器使用でやって来た高齢の男性で、受付の人とのやりとりを見ていると常連の人らしかった。受付を済ませた彼は、客席の後方に設えられた別の客席(親子鑑賞室)に案内されて座った。そこは小さな子どもや赤ちゃん連れ、また彼のような歩行器や車椅子利用の人のための部屋で、スクリーンの見える窓と映画の音が流れるスピーカーが設置されている部屋だ。
 私も受付を済ませて、最後列の席に着いた。9時半開始までの間に、次々に席が埋まっていくが、盲導犬(黒いラブラドール)をお供にした女性が、私の斜め前の席に座った。ワンちゃんは女性の足元に静かに横たわり、通路に伸びた尻尾を女性はそっと彼(彼女かな?)の体躯に沿わせて丸めた。それから彼女は受付で渡されたイヤホンを座席脇のジャックに繋いだ。

●チュプキはアイヌ語

 スクリーンと最前列の間は2メートルほど距離があり、スクリーンの下の空間には丸太の切り株が置かれ、その上にはムーミン家族の小さな人形が並んでいる。またスクリーンに邪魔にならない場所にグリーンの葉っぱのリースが飾ってある。
 「チュプキ」はアイヌ語で月や木漏れ日などの「自然の光」を意味するそうだ。それで劇場内のところどころに木や緑を感じさせるものが置かれているのだった。映画館のドアを開けてすぐ目に入る壁面に描かれた樹は「チュプキの樹」で、天井には茂った枝葉が描かれていた。
 何年か前に新聞で、このユニバーサルシアター設立のニュースを読んで心に残っていた。莫大な資金が必要でネットやSNS、クラウドファンディングなどで募金を呼びかけ、短期間に資金が集まり設立資金の全てを募金で賄うことができたという。チュプキの樹の葉っぱには、支援者の名前が書かれているそうだ。

●「記録だから残さなければいけない」

 映画の冒頭で、スナム監督とマイ監督が激しく口論する場面がある。
 スナム監督が撮り溜めてきたフィルムを見てマイ監督が、「このままだと若い人には分からないから若い世代にわかるように編集を」と言いかけると、スナム監督が鋭い声で畳み掛けるように「若い人にわかりやすく? それじゃ、お母さんが撮ってきた意味がないよ」と言う。するとマイ監督は尖った声で、「『お母さん』ってこれ、録音してるからね。これ映画になるんだからね」と自分の意見が通じないことに反発を覚えながら言う。スナム監督はなおも「若い人にわかりやすく? 何言ってんだか。これは記録なんだから、残さなきゃいけないんだよ。相性が悪いね、あんたとは」と言う。言われたマイ監督は「相性がいい人がどこにいるのよ」と言い放つ。そんなハラハラする場面から映画は始まる。
 前回書いたように、スナムさんは在日コリアンの少年が殺人を犯した「小松川事件」に衝撃を受け、獄中の少年死刑囚のイ・ジヌと手紙のやり取りや面会を重ねた。イ・ジヌの死刑執行後に2人の往復書簡はスナムさんの編集で、『罪と死と愛と』として三一書房から出版され大きな反響を呼んだ。
 そして、それから後にスナムさんは、広島・長崎で原爆被害を受けた朝鮮人や徴用工として長崎の軍艦島に連行された朝鮮人、沖縄戦の元軍属の証言、また教会に朝鮮人たちを集めて日本の軍人が火を放った凄惨な事件(チェアムリ事件)についての老婦人の証言など、多くの人たちからの証言を膨大な量のフィルムとテープに記録してきた。
 日本は植民地支配の中で甚大な被害者を生んできた。また関東大震災時にはデマが流布されて、多数の朝鮮人虐殺が行われたが、いまだに日本はその責任を取ろうとはしていない。映画は多くの人の証言から記録された歴史の事実を伝えながら、スナムさん、マイさん両人の在日としての個人史をも記録している。

●上映後トーク

 この日は上映後に監督のトークが予定されていた。私はスナム監督の生き方、お人柄にすっかり心を鷲掴みにされてしまっていたし、娘のマイ監督にも魅せられていた。またこの母娘の関係の在り方にも心惹かれて、上映後のトークも楽しみだった。だが前の晩にシネマ・チュプキ・タバタから、悪天候の中を茅ヶ崎から車椅子で移動するのは心配なのでオンラインでのトークに変更すると連絡が入った。スナム監督は、今はほとんど目が見えなくなっているから、それはもっともなことで異論のあろうはずがないし、また事前にこうして変更を伝えてくれる劇場の姿勢を好ましく思った。
 オンライントークでは、まずはマイ監督が「台風が心配の今日だが、2019年の台風の時には自宅の地域にも避難勧告が出て、大変だった」と話し出した。撮り溜めた16ミリフィルムはロールに巻いてあるが、そこに一滴でも水が入ったらもうオジャンになる。映像とは別に音声はテープに録音してあり、それも水が入ったらダメになる。映画は、フィルムと音声を合体させて作るので、この映画もそうやって絵と音を合体させて作った。台風で避難勧告が出た時、一番に持ち出さなければいけないのは、倉庫の押し入れいっぱいのフィルムとテープだった。それぞれ一巻ずつビニールで密閉して段ボール箱に詰め、幾つもの段ボール箱をタクシーに詰めて学校の体育館に避難したと、大切なフィルムと録音テープを守る苦労を話した。
 なぜかこの日、スナム監督は言葉少なだった。マイ監督が言葉を引き出すように仕向けるとスナム監督は、まだまだ伝えなければならないことがあるから次の作品も考えていると言い、そして「この『よみがえる声』は、マイが作った、彼女が監督した映画だ。次の作品は私も手伝うが、監督は私ではなくてマイが監督だ。もう彼女に任せられる」と言った。
 スナム監督が約40年前から100人以上もの在日の人たちに取材したフィルムと音声の記録を、このままでは劣化してダメになってしまうと10年前からマイ監督がデジタル化を始めて、そこからこの映画の制作が始まっていた。一人ひとりの生きてきた日々の証言を記録すること、放っておけば歴史に埋もれてしまう一人ひとりの物語を掘り起こして記録していくこと、スナム監督の信念が映像と記録を残し、これまでの映画に使わずに残してあったフィルムも音声も廃棄せずに大切に保管されていた。歴史は、そのように守られ語られるべきなのだと思う。
 そしてスナム監督は、「まだまだ伝えなければならないことがある」と言い、マイ監督もその言葉を受けて「次の作品を作りますよね」とスナム監督に次作への決意表明(?)を促した。2人が共に「作ります」と宣言し、場内から大きな拍手が起きた。

●バリアフリー映画館

 マイさんがスナムさんに、「今日はお母さんも耳で映画を聴いたでしょう。どうでした? 音で聴く映画はどんなでしたか?」と問うと、黄斑変性症で今はほとんど目が見えなくなっているスナムさんは「目が見えない人にも、耳で映画が楽しめるのはとても良いですね」と答えた。スナムさんはたぶん映画の中の音声から、画面を思い起こしてもいただろう。でもきっと、黒いラブラドールと一緒に来場した女性も、音声の解説で『よみがえる声』を心に刻んだことだろう。
 私の思い過ごしかもしれないけれど、前にポレポレ東中野で見た時よりも、聴覚障害者のために字幕がもっと増えていたように思う。この劇場用に字幕を増やしているのかもしれないと思った。歩行器で来て親子鑑賞室で観ていた男性も、1時間43分のこの映画を、しっかりと鑑賞できたことだろう。
 小さいけれど、こんな映画館があることが、とても嬉しい。
 映画館を出た時には雨はだいぶ小降りになっていて、午後には晴れて暑い陽射しが戻ってきそうな気配だった。

●その後のこと

 映画『よみがえる声』を、多くの人に観てほしいと願っている。それで多くの友人がいる福島県の映画館「フォーラム福島」の支配人に、この映画の上映を頼んだ。支配人自身も試写会でこの映画を見て上映したいと思ったが、市民の後押しがあれば一週間の連続上映がやりやすいと言う。以前に友人たちと上映実行委員会を作って、フォーラム福島で『SILENT FALL OUT』という映画の連続上映を成功させたことがあった。今回も上映実行委員会を作って、前売り券販売で協力しようと思っている。
 また今日入った情報では、長野県の映画館、長野相生座・ロキシーで12月の上映が決まったそうだ。関西もこれから上映のようだし、他にも各地での上映が決まってきているようだ。
 東京では10月2日~10日12時10分~14時43分(10月8日は休み)、シネマ・チュプキ・タバタで再上映される。
 また10月9日に始まる山形国際ドキュメンタリー映画祭では、10月16日、クロージング作品としての上映となる。多くの人に、『よみがえる声』を観て、聴いてほしい!

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。